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魔王の世界征服日記
第63話 ちりょう。


「でもぉ、もぉ遅かったぁりしてぇ」
 ひょい、とキリエの頭の上からいつもののんびりした貌を覗かせた。
「わわっっ」
 焦ってナオから離れるキリエ。
 まちがって声の方向に身体を逃がしたせいで、思いっきりミチノリを巻き込んで真後ろに転んでしまう。
「うわぁん、痛いじゃなぁいのぉ、キリちゃぁん」
 と、全く痛そうじゃない声を上げて、ミチノリは身体を起こして埃を払う。
「五月蠅いっ!お前なんかナオの治療をやってればいいんだ!」
 無茶苦茶な事を言いながら立ち上がり、ぶんぶんと右腕を振り回す。
 本当に何を言いたいのだろうか。
「でもぉ、ゆぅちゃんの言うとおりだったぁからぁ、良かったぁよぉ」
 にこにこ。
 そう言われれば彼の恰好は祈祷師の正装、この装束を持ってきていた事も驚きだがしっかり着込むにはかなり時間がかかるはず。
 旅装束の下に着ていたのかも知れないが。
 いつも旅の際にはつなぎに近いデザインのぶかぶかの服を着ているが、これは中に色々着込めるようになっているからだ。
 勿論祈祷師の衣装だ。
 何を着込むのか、と言われれば色々返答がある。祈祷を行う術者は全員が全員同じ恰好するわけでもない。
 あんな、馬鹿でかい手袋(しかも中身は謎のまま)を祈祷師全員がつけていたら多分誰も祈祷師にならないだろうし。
 邪魔で仕方ないし。
 それが理由ではないが、祈祷師の正装は精神的に安定する為に身につけるものとは別で、見た者にそれと判るように示す代物だ。
 幾重にも重なった上着や飾り紐を見れば、普通に着込む事は簡単じゃないのはすぐ判る。
「……何でそんな恰好なんだ」
 ちなみにそれでもあの手袋を着用するのは、彼自身のこだわりなのか?
「一応、この方が効果が高いぃから着てるんだよぉ」
 彼の場合術者自身への精神的効果の方が高いようだ。
 ずずい、と声の主の頭の側に正座すると、手袋で彼の両肩を掴み。

  だきっ

 どこか嬉しそうに彼を抱きしめる。
「うぅ〜ん、いたぁいのいたいのぉ〜」
 後頭部をさすりさすり。
「とぉんでぇいけぇ」
「そこは痛くない」
 あれ?と首を傾げてがばりと身体を離す。
「うわ、ナオちゃんちまみれ」
「今頃気づくな」
 てへり。
「ごめんちゃい」
 彼はにこにこ笑顔を崩さず、左の指で彼のこめかみをなぞる。
 指先が、赤黒い血の色に染まるのを意に介さずに彼に頬を近づけてそのまま頭を抱きしめてしまう。
「こらーっ」
「……何をしてるんですかあなたは」
 流石に色めき立つまお達。
 というか、いたんだよな、すぐ側に。
「静かにっ」
 きっと睨み付けて一瞬で沈黙させると、キリエは彼の様子をじっと見つめる。
「祈祷師ってのは、ただお祈りして治す訳じゃないんだ。良いから黙って見るの」
 ナオも目を閉じて、完全に力を抜いて彼に抱かれるままにする。
「いたぁいのぉ、いたぁいのぉ、とんでいけぇ〜」
 とろけるようなのんびりした口調で、静かに、まるで何かにお願いを続けるように、小さな囁きを続ける。
「いたくなぁい、いたくなぁい、大丈夫だぁからぁ」
 その様子は、何か大切なものを抱きしめているようにも見えて、確かに嫉妬しそうな光景である。
 声も顔形も女の子にしか見えないミチノリならではだが――いや、この祈祷の方法も彼オリジナルだ。
 安心して欲しい、筋骨隆々な暑苦しい祈祷師やひげもじゃの男が同じ事をする訳ではない。
 念を押すが、ミチノリは男ではあるが着ているものは全て女性用の祈祷師ルックである。
「……あ」
 まおは声を上げた。
 ミチノリの左指が出血を拭う。それまで拭っても拭っても溢れていた出血が完全に止まった。
 治癒していく。
 彼女は魔法を使うことができる、まるで意志のようにあらゆる物を実現できる。
 しかし、治療はできない。
 物を生み出すことは出来ない――何かを変化させる事は不可能ではないが。
「うわぁ、これが祈祷師の治療ですかぁ」
 ウィッシュの声、キリエの安堵の吐息。
 ヴィッツの嘆息にまおの驚き。
「よぉかったぁ。もういたくない?」
 両手で彼の頬を押さえて見つめ合う二人。
 いや、別に見つめたくないが彼が両頬を押さえて離さない。
 あまつさえ『何時でもキスできるぞ』みたいに顔を近づけるものだから、ナオも思いっきり引く。
「いいいいい痛くない痛くない痛くないから離せっ」
 しくり。
 本当は痛い。
 何の痛みか判らないが――右のこめかみに残る、鋭い痛み。
 酷い物ではないが、祈祷師の治療が万能ではないから医者には診て貰わなければならない。
 祈祷師ができるのは、『そう信じる事によって治癒能力を上げて』快復させるだけ。
 傷はふさがるが、もし内臓に何らかの障害を受けた場合、それは治すことは出来ない。
 ユーカの『歩く薬箱』の意味通りなのだ。
 普通なら一年かかる回復もほんの数秒で治してしまう。
 そう言う意味では凄まじい術であるが。
 余談になるが、一応落ちた腕をくっつける事もできる。勿論、動かないが血が通って生きた腕にはなる。
 フックや木の腕を付けるよりまし程度ではあるが、リハビリや治療次第で少しずつ動かせるようにもなるという。
「ほんと?」
 ミチノリは両手でずいと彼を引き寄せる。
「ほんとほんとほんとだってばっ」
 にっこり。
 彼はナオを解放して、すくっと立ち上がった。
「良かったぁ」
 そう言うとキリエの方をちらり、と見てウィンクする。
「じゃぁあ、乗り場で会おぉねぇぃ」
 ぶんぶんと大きな手袋を振り回して嬉しそうに言うと、てこてこともと来た道を下っていく。
「はやかったよ。私が呼びに走ったら、もう駅からこっちに向かって歩いてきてたんだよ」
 話が出来なかったから、まおは治療を終えたナオに近づくとそう言う。
「……ユーカが手を回したか?……」
 じろり。
 キリエに視線を向けると、ぶんぶんと彼女は首を振って否定する。
「何にも言ってない。何、俺が何かした?」
「今ここでいきなり木刀で殴った」
「それは被害者の物言いだろう?本当に殴ってやろうか」
 ずらり。
「まーまーまーまー、今折角治ったばかりだってのに、やめよーよ」
 慌てて彼女の前に割り込んで両手を大きく広げるまお。
 くりん、とナオの方を振り向いて笑う。
「だいじょぶ?」
「ああ、何度も聞くな。医者には診て貰うしな。……悪いな」
 そう言ってキリエに右手を挙げる。
「いいっていいって。俺も悪かった」
 キリエが頭を下げると、ナオは彼女の肩をぽんぽんと叩くと、ウィッシュとヴィッツにも手を挙げる。
 そして、去り際にナオは、顔を上げたキリエの顔を覗き込むようにして。
「ありがとう」
 口元を歪めて、にっと笑うとそのまま駅の病室へと去っていった。
「おーい」
 ぶんぶん。
「……へんじがないなぁ」
「ただのしかばねですね」
 こらこら。
 まおとヴィッツは立ち去るナオを見送るキリエの様子に怪訝そうに顔をしかめた。
 声をかけて反応がなかったのだ。
 ちなみに手を振ったのはまお。
「行きましょうかまお様。放り出しても気が付いたら来るでしょう」
「そだね。遅れそうになったら呼びに来ようか」
 すたすたすた。
 キリエは一人、その場に残されて立ちつくしていた。
 ナオの背中が遠くなっても、彼女は動けなかった。
「はぁ」
 大きくため息。
 はっきりと判ったことが幾つか有る。
 ナオが何時でもこうやって、応えてくれる事。
 ナオが倒れたら絶対に半狂乱になるだろう事。
 少なくともナオに今の想いだけは伝わった事。
――ナオが倒れる事だけは許せない
 それだけ考えていれば良いのかも知れない。
 ちょっとだけ先刻の言葉が嬉しかった


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