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魔王の世界征服日記
第60話 シコク


 ユーカのすすめで入った店は、こってりとして味の濃い料理ばかり並べる店だった。
「お前位体を鍛えてる人間だったら、旅の最中はこういう物を食べればいいぞ」
 内臓もまた鍛えていなければいけないがな、と笑う。
「脂っこいものが良いっていうのか?」
「いやいや。あんまり油がこくてもダメだ。そこは限度というものがあるが、疲れていれば塩味が濃い方が良いし、よりタフに歩くには多少は油が欲しいものだ」
 それに、と彼女は付け足す。
「味気ない乾燥肉や干し米の携帯食料しか食べていないのであればなおさら、こういう物が不足するようになってるから」
 心配しなくても美味いはずだ。
 ふうん、と気のない返事をして、キリエは特製ベーコン入りクリームシチューのセットを頼む。
 セットとはクロワッサン二つ、サラダにコーヒーがついてくるものだ。
 ほうれん草と茄子のパスタを選ぶミチノリに、チキンドリアを頼むユーカ。
「シコクって」
 お冷やが届いて、なめるようにそれを飲みながらキリエは言う。
「娯楽国家だって聞いてるけど」
 ユーカは一息に飲み干すミチノリを眺めて、自分の分も差し出しながらキリエの方に顔を向ける。
「確かに」
 シコク。
 国家としてはまだ存続しているものの、実際に政府や王族が国を治めるような形は取れない状態 が続いている。
 軍隊も以前存在した精鋭部隊や兵器は、過去のものになっている。
 今現在は、有名な盗賊がNo.1の座に着いたギルドが人間を仕切り、表だって『自治政府』を名乗っている。
 国としての体裁はそれだけだ。
 実際には国として国交を持てる訳でも、貿易をしているわけでもない。
 できないからだ。
 と、ここまではほぼ彼らの常識の中にある。
「何も生産しない、出来ない、そんな収拾のつかないところで何とか生きる事のできる人間なんて犯罪者しかないからな」
 『自治政府』が産業として興している殆どは、他国では違法とされるギャンブル、人身売買、娼館、薬販売だ。
 故に『娯楽国家』と呼ばれる。
 世界のありとあらゆる娯楽を。
 ニホンの全ての快楽をここに。
 ユーカの表情は変わらないが、キリエの眉はきっと寄せられて、嫌悪感をあからさまにする。
「娯楽だなんてな」
「勿論そうなった理由もある。私は、シコクに知り合いが居るんだ」
 ここからはキリエには判らない内容のはずだ。
 ユーカは一言警告するように言い、ミチノリが飲み干したグラス二つを目の前に持ってくる。
 ガラス製品としてはごく普通の、安物のグラス。
「キリエ。シコクは昔軍事大国だったことは知っているか」
 こくん。
 昔昔、まだ人間同士が争っていた頃のニホンでは、シコクに存在した軍事国家が最も軍事力を持ち、簡単に人間を滅ぼす力を持っていた。
 それこそボタンを一つぽんと押すだけで世界が滅びるような兵器だ。
「なぜ今、他では見られないような強力な魔物が跳梁跋扈する国になったと思う」
 しかしキリエの回答を、彼女は待っていなかった。
 グラスの一つをくるんと回して逆さまにテーブルに立てる。
「中身が気に入らなかったからだ。こうすれば水は全てぶちまけられて、もう二度と水も入れられないだろう」
 とんとんとグラスの底だった、今の天井を叩く。
「……?何が言いたい」
「つまりシコクというのは、このガラスコップだ。中に入っていた水は、軍事力――『リロン』と呼ばれる、人間の技術だ」
 キリエの顔がますます険しくなる。
 理解していないのだ。
 ユーカはふっと笑い、コップを弾く。
「精確にはこのコップは、リロンってものを作った技術者さ。ガラスコップもただ作られた訳じゃない。放っておけば汚れるしほこりを被り、使えなくなる」
「あー、つまりー」
 その時女給がカートをごろごろと引いて現れる。
 注文の品全てを載せて。
 彼女がテーブルに料理を並べている間に、話が中断している間にキリエはくるくると思考を回転させる。
「……つまり、リロンが邪魔だった、と」
 誰が?
 何故?
「私は推論は嫌いだ。理屈と内容を良く吟味してから判断する」
 そう言うと、彼女はスプーンを持ってドリアに取りかかる。
 キリエは少し不機嫌そうに顔をしかめ、やはり目の前のシチューへスプーンを差し入れる。
「おいしぃねぇ」
 野菜ばっかりのパスタを口にほおばりながら、ミチノリは明るく言う。
「魔物だってぇ、バカじゃないものぉねぇ。人間を滅ぼすには一番邪魔だったからぁ」
「こらミチノリ、喋りながら食べるな」
 鈍い音が彼の頭で響く。
 ユーカの拳が容赦なくミチノリの頭に沈んだ。
「痛ぁいぃ」
 それだけ言うと、黙ってパスタを口に入れ始める。
「……お」
 シチューはかなりこくのある、牛乳とバターの香りがするものだった。
 普段ならこんなに濃いものは受け付けないが、何とも言えずおいしく感じた。
 彼女のその様子に、ユーカは少しだけ嬉しそうに目尻を下げる。
「美味いだろう」
「おう、これは……」
 二口目。
「美味い。いや、成程、ふんふん」
 機嫌を直したように料理をぱくつくキリエを見ながら、ユーカは感情を感じさせない声で続ける。
「キリエ。最初に謝っておかなければならない。シコクは危険だ。多分、魔物の強さは段違いだ」
 口の中に広がるコンソメとバターの風味。
 キリエはそれを水で押し流すと、口を拭って言う。
「謝られても困る。それが仕事でついてきているんだ」
 と、一口。
 ベーコンの食感に、彼女は口を動かす。
「ああ。しかし、礼儀だから言っておかなければな。そして目的地はトクシマの中央、城跡のある街だ」
 シコクは4つの国から形成される連合国家だ。
 牛耳っているギルドが存在するカガワ、元軍事基地の遺跡のあるトクシマ、最も人口の多いエヒメ、広大な土地のあるコーチからなる。
 未だにまともに人間が住めるのはエヒメとカガワしかない。
「敵の目の前というか」
「そうだ。化け物の巣に突っ込むようなものだ。そこに、私の知り合いがいる」
 気のない返事を返して、シチューを飲みながらキリエは彼女の様子を窺うように眺める。
「……名前は」
「キール=ツカサ。リロンの研究を続けている。それが『勇者』と関わりがあるかどうかじゃない、ただ――」

           きぃ           ん

 そんな金属音にも似た、弦楽器が立てる甲高い音のようなものが聞こえた、気がした。
「多分私達は何かを忘れて居るんじゃないかと思っているんだ。それがリロン、シコクにある」
 いつの間にかシチューはなくなっていた。
 もう残っていたとしても味は判らなかったかも知れない。
「どうした、蒼い顔をして」
「べ……蒼くない」
 キリエはコーヒーを一口すすって、それが冷え切っていることに気づいて。
 ユーカはにやりと口元を歪めて笑う。
「早めにナオには告白しておけよ。遅くなってからではダメかも知れないからな」
「ああ……ああ。あー、お前、前の宿で散々っ」
 立ち上がりそうな勢いで、でも何とか理性が声量を押さえて叫ぶ。
「そうだ。そう言う理由も在ったんだよ。全く意気地なし」
「……それは女に言う台詞じゃない」
 ぶす。
 むくれて頬を染めると顔を背けて、口を尖らせる。
「まあな。別に男女の関係になれとは言ってない。パートナーだろう、お前達二人は」
 これ以上押しても無駄だと判ったが、ユーカはこれだけは言っておきたかった。
「戦場で今のままだと、危ないのは判っているだろう。感情を抑えるか、わだかまりだけは払拭しておいてくれ」
 たきつけて悪かった。
 彼女が付け足した言葉はキリエに届いただろうか。
「……勘定、頼む」
 金貨をテーブルに置くと、それだけ言って彼女は立ち上がった。
「ちょっとナオに話してくる。悪いな」
「ああ」
 レストランから駆けだしていくキリエを眺めながら、彼女はコーヒーを飲み干す。
「しっかり戦って欲しいからな。我々と違って戦闘力のある二人には」
「そぉだねぇ」
 砂糖とミルクをたぷたぷに入れた甘々なコーヒーをちびちびなめると、ミチノリはユーカの方を見つめる。
「ゆぅちゃんは、本当ぅに何もないと思ってないでしょ」
 いつもより真剣な口調。のんびりと伸びた感じは変わらないが、彼の語尾が緊張したように短い。
 ユーカは彼に笑みを見せながら言う。
「当たり前だろう、占いは確かだ。しかし、お前ほど信じている訳ではない。ただ」
 まおのことを思い出す。あんな変化があったのだ。今回はきっと大きな収穫がある。
「理論的に実証できる証拠が在れば別だ」


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