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魔王の世界征服日記
第57話 ふうふ


 物語としては少し時間を巻き戻す。
 丁度、ユーカに絡みついたミチノリと二人で、『夫婦の時間』の為に別れた後の話。
 二人はあまり人気のないところを選んで、廊下の壁に寄りかかるようにしてもつれている。
 ミチノリを壁に押し当てるようにして体を密着させているが――多分、周囲には判らないだろうが――呼吸が判るほど顔を近づけて話をしていた。
 こうしていれば誰も近づかない。
 にこにこしているミチノリにしても、『何をしているのか』は理解していた。

 仕事の時間だ。

 万が一誰かが来ても、何を話しているのかすら耳を背けるだろう。
 どうせ睦言だろうと――しかし、彼らが話しているのは全く違う事だった。
「……ナオ達にも隠すべきだ」
 ユーカはミチノリの耳元で囁く。
「ん〜、どうしてぇ?協力を仰いでおいてぇ、それでぇ、まるで騙すぅみたいだょぅ〜」
 耳に息を吹きかけながら(無論わざとだが)いつもの間延びした口調で話す。
「判ってる。しかし、そもそも彼らについてきて貰う事自体は騙しているようなものだ」
 ふにょりと柔らかいミチノリの頬に自分の頬を押し当てて、きゅと彼の背中に回した腕で抱きしめる。
「ミチノリ……息を吹きかけるだけなら止めろ」
「うふふふぅ。ゆぅちゃんまじめすぎぃ」
 ごそごそと腕を動かして、ユーカの腰に手を回す。
 こうしてみれば、抱き合っているだけに見えなくもない――事実抱き合っているが。
 しかしミチノリの表情は、笑顔で固まってしまっていて、むしろ笑っていなかった。
「ゆぅちゃぁん。世界には意思がぁあると思ってるぅ?」
 ミチノリは魔術を知らない。
 でも、彼も或る意味では魔術を行使する事ができる――理論派なのか、感覚派なのかの差はあるが。
「そうだな。我々はそんなものは人間が照らし合わせた擬人化の一つだと受け止めている」
 彼女を含め魔術師は論理的だ。
 非論理とも言うべき事柄は論理的になるようにへりくつを作る、そんな人種だ。
 たとえば趣味嗜好、感情、そんなものですら法程式や細かい理論で裏打ちする。
 今こんなふうに肌を合わせているのも、彼女自身誤魔化してはいない。
「前も説明しただろう」
「うん、もう一度確認したかったんだぁ。じゃ、さ。『故意に』世界が自分で自分を歪めるなんて事はあるとぉ、思っていないんだよね」
 ミチノリは純粋に信じ、祈り、それを徹底することで極める魔術だ。
 考え方も比較的子供っぽいし素直だ。
 そして何より率直だ。
「言葉がおかしいからな。世界……むしろ、勇者というものを人間の中から輩出するシステムというものがある気がする」
 うんうん、と小さく頷いて、ミチノリは彼女の鎖骨に自分の額を預けるようにする。
「お、おい」
「みっちゃんはね、そうは思ってないけどねぇ。やっぱり意思みたいのがあるんじゃないかなぁ」
 神。そう言うようなものは彼らは信じない。
 でも、そうとしか呼べない何かがあるような気になる。
 ユーカはあからさまに顔をしかめて――不意に顔を上げたミチノリは彼女を見てくすりと笑い。
「っ」
 口を重ねる。
 しばらくそのまま――後ろにある気配がぱたぱたと慌てて逃げるのを確認してから彼は離れた。
「うふぅふぅ」
「気色の悪い笑い方をするな、馬鹿者」
 顔が見えるように、ミチノリはこつんと後頭部を壁にぶつける。
「だっておもったとおりの貌してるんだもん。ゆぅちゃん、じゃあ、ゆぅちゃんはシステムをうごかすヒトがいると思ってる?」
 ユーカはどこか赤らめた顔のまま、ついと視線を逸らせた。
「ヒトではないが。……魔王がいるだろう?魔王は人間じゃない。だから私は、そんなシステムの一部が魔王ではないかと思っている」
「『世界』って、どぉしてもぉ、言わなぁいんだぁねぇ」
 もしくは神――ミチノリはそれは言わないことにして続ける。
「じゃぁあ何ぁ故そんなシステムがぁ、あるのぉ」
「……勇者を生み出す。魔王を斃す。ではミチノリ、この古びたかび臭い英雄譚、何回、何故繰り返される」
 くすくす、とミチノリは小さく笑う。
「それが目的なんでしょぉ。繰り返さなきゃいけないんでしょぉ。みっちゃんはそぉ思うょぉ」
 神の意志、そう言うものが、魔王を生み出し人間を疲弊させようとする。
 そして人間は、この魔王に打ち勝ち、一つの栄光と栄華を夢見る。
「では人間を滅ぼすことが目的じゃない」
 食物連鎖の頂点に立つ存在は、その下の存在を食い尽くしてしまえば滅ぶしかない。
 魔王と勇者は光と影――どちらかが欠けても存在としては不充分。
「何故繰り返さなければならない?――ミチノリ、もう一つ考えておきたい事がある」
 なぁに、とミチノリは小首を傾げ、ユーカは彼の頭に腕を回して抱きしめる。
「これから向かうシコクは普通の状態ではない。判ると思うが、あの国は始めに魔王が滅ぼした国だ」
 ミチノリの後頭部から指を差し入れて、彼の髪を手くしですく。
 まるで子供か、手入れを怠らない女性のようなさらさらの綺麗な髪。
 細くて柔らかくて、艶やかな髪。
「そぉなの?」
「そうだ。元々強大な軍事国家だったあの国が、今では見る影もないが」
 もう一度彼の耳元に口を持っていく。
「魔王は、まずあの国を潰さなければならなかったのか?確かに、人間が魔王に反抗するには最大の戦力だった」
 ひょい、とミチノリの手が腰を離れて、今度はユーカの後頭部にぱたりと乗せられる。
 耳元から髪に指を差し入れる。
 ユーカは女性らしい艶と弾力のある髪をもっているが、ミチノリほどきめ細かい訳ではない。
「うん、娯楽の王国、でしょぉ?」
「そこの技術が、まだ残っているらしいのだ。実は、一人知り合いがいるっ」
 不意に耳たぶに冷たい感触が襲って、ユーカが体を引きつらせた。
 ミチノリの歯が、耳たぶに触れたのだ。
「こら。真面目に聞かないと怖いぞ」
「ふぅえ……ごめんなさい」
 ミチノリが本当に萎縮したのを確認して、おかしそうに笑うと体を離すユーカ。
「もうおしまいだ。大体話したし、これ以上いるとおかしくなりそうだしな」
 彼女の言葉に、ミチノリは寂しそうな物欲しそうな、小動物の目で彼女を見上げる。
「ゆぅちゃぁん」
「ダメだ。真面目に聞かないだろう」
 そう言うと、元来た道を戻りながら、ミチノリを急がせる。
「ね、ね、ゆぅちゃん、知り合いって」
「知り合いの名前はキール=ツカサ。シコクに隠れ住み、未だに過去の技術である『リロン』を研究してる」
 とてとてと後ろから追い抜いた彼に、にやりと笑みを湛えて右手の人差し指を立てる。
「男だ」
 がーん。
 彼の顔が、まるで何か叩かれたような驚きを浮かべて、そして急に涙ぐんだ。
「わーん、みっちゃん捨てられるんだぁ」
「そんな訳ないだろう馬鹿者」
 おかしくなって、笑いながら彼の腕をとって、自分の腕を絡める。
「考え方の影響を受けた事は確かだが、それ以上はない。恐らく、今も研究が進んで何かをつかんでいるはずだからな」
 魔術に頼るだけで判らない事を、過去のオーバーテクノロジーも駆使してつかめないだろうか。
 それほど遠くない遠回りかも知れない。
「どうせシコクに向かうのだから、運命に頼るだけではなく直接切り拓く事も重要だろう?」
 確かに占術によれば、彼女達がただシコクに向かうことで何かが起きるという。
 それは彼女達に意思を持たない結論になる。
「……それだったら、ナオちゃんをだましてる事にはならない?」
「いや、結局そうなると判っていて連れてきてる訳だ。……荒事になる事は二人も予想してるだろうが」
 良心がうずくのか、それに妙にこだわるミチノリの頭をぐりぐりと撫でる。
「嘘じゃない。騙してる訳でもない。これでいいか?」
 少しの間逡巡して、目が踊るが。
「良いことに、しておくぅよぉ」
 彼は、自分の妻を見てにっこりと笑みを浮かべた。
「それはぁそれぇとしてぇ、ねぇ〜ゆぅちゃぁあん」
「ダメだって言ってるだろう。駄目だダメだ。早く部屋に帰れ」


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