魔王の世界征服日記
第56話 追撃
平和なまお達を取りあえず放置すると。
いい加減まおの幼い頃を堪能したマジェストは、一人まお様上映会を終えて。
芳しい成果の上がらない中、彼は一人思い悩んでいる。
――一体どうなさったというのだ
彼にとって一摘みでしかなかった疑いが、今は一つの塊へと変わっていた。
まおの叛乱。
そもそもまおを魔王として育てなければならない彼の任務ではあるが、以前から気になることもあった。
違和感、それよりもはっきりした、言うなれば『間違い』。
魔王という名前の群体がその統率を維持するためには不可欠であるべき、『信頼』。
まるでそれが欠けているようだった。
そもそも安全装置として設定された『疑い』が機能している事それその物が、既に魔王を一枚岩――いや、一つの存在として疑うべきことなのだ。
今の『魔王』は、魔王ではない。
マジェストに仕掛けてあったはずの安全装置も、既にトリガーが引かれていた。
それは最も危険であり、最も外すべきではないものであった。
まおは何故まおなのか。
彼は何度か問うた。自分自身に。
先代魔王陛下に何度聞こうと思ったことか――それは無駄だと判っていても繰り返し考えた。
そも、魔王が勇者に滅ぼされてからその姿を得るがために、何らかの法則があることは彼も周知だ。
「魔王陛下、貴方は何を望んでそんなお姿を選びなされた」
顔は暗い影の中で、眼鏡だけが光を反射してその存在を主張する。
「どうして」
彼に迷いはない。
だが、選ぶべきものを選択せねばならない。
そして、彼も『魔王』だ。
――私には権限はなく、魔王陛下なくしてはその存在意義は薄れ
主の居ない執務室では空虚な冷たさと、本来の静けさだけがそこに鎮座し。
それが本来ではないことは彼が一番良く知っていて。
何より、有るべき姿へと戻す為に彼は動かなければならない。
どんな手段を尽くしたとしても、やらなければならない。
「シエンタ」
今や魔王軍団の中で魔王捜索隊副隊長という名目だけの立場に居るシエンタ。
「はっ」
何となくまおが居ないとマジェストに引きずられてしまう彼。
跪いて項垂れるシエンタに、マジェストはまじーな顔で言う。
「幹部を招集。我が軍団に号令をかけるべく各隊長に連絡を」
「御意」
すくっと立ち上がってぱたぱたと駆けだしていく。
何となく危なっかしくて思わず止めたくなる程。
――本格的に動く必要がある。私は魔王陛下を捜すことを、取り戻す事を重視して、魔王軍を代行として運用することだけはできる
もっと早くから行動する事も出来たはずだった。
しかしそれも出来なかった。切羽詰まらないと動けない体質とでも言おうか。
今は逆に言えば、それだけ危険な状況とも言えるのだ。
目標はまお。できる限り早く玉座につかせる必要がある。
魔王を違える事は出来ない。
まおが魔王である限り、この魔王軍団もまおの命令でしか動けない。
もし――いや。
そもそも魔王軍というものは、何なのか。
もしまおが帰ってこない、それが死を除いたものだとして、そんな状況になったのだとしたら。
今のマジェストには考えることができる。それは目的とは違うと言っても、以前から抱いていた疑惑――まおの必要性を。
もう少し精確な表現をしよう。
魔王の軍団の中で、『魔王』と言う立場にある彼女を取り除いて、軍団が軍団足り得るのか?
実質的に答えは『応』である。
張り子の虎は、どこまでいっても『虎』であることをやめようとしない。
竹籤と和紙で出来たものであることは、水をかければ気づくだろう。しかしその直前まで虎の姿をしているのだ。
まおを失った魔王軍は、『ただそれだけでは』魔王軍として活動をすることは可能だ。
そも、現在魔王軍の参謀たるマジェストが実際に軍団を運用しているからだ。
では。
何故まおが必要なのか――魔王という存在が必要で、それがなくなったならば魔王軍は存在できなくなるのか。
軍団が軍団ではなくなるのか。
勇者によって滅ぼされる――これはありだ。
まおが勇者に滅ぼされる事によって、『魔王』存在は消滅する。
世界から魔物がいなくなって、世界は光と平和に満たされる。
――何故か。
では魔王は代々続くものなのか。
この答えも否。マジェストはそれを良く知っている。
魔王は世代を重ねるものではない。魔王は『一代限りであり交配せずただ単一存在として』在る。
故に男女の差はない。精確には両方であるといえる。
またそれが故に滅びは即ち魔王存在の滅びである。
だが何故、魔王の死は魔王存在の滅びにつながるのか。
何故魔王が必要なのか。
結果として人間が魔王に脅かされるのは全く同じなのだ。
これは、今までは考えてはいけない事だった。考えられないことだった。
今だから。
「誰か新しい魔王を定位置に付ける事は出来ないのだろうか」
『『魔王』は世界を征服する。でも、私は違うんだよね?――まじー』
それは難しい。
魔王とは存在だ。
魔王とは群体だ。
だからマジェストも、アクセラもシエンタも、四天王ですら――魔王だ。
魔王の一部だ。
魔王が作り、魔王が育てた軍団は魔王にとって手足――爪や牙、そして意のままに動く腕や脚。
魔王の戦闘力の象徴が四天王。
魔物の強さを、その能力を順に並べて頂点に君臨するのがマジェスト=スマート。
能力ではなく、立場だけで最も側にいるアクセラとシエンタ。
それは忠誠ではなく、自分自身のために。
マジェストの眼鏡が光を反射し、彼の顔は影に沈む。
――理性と、本能のせめぎ合いでございますか……
思索に耽るマジェストの目の前で、アクセラががたがたと椅子を並べ始める。
まお付きの彼も、まおが居ないせいで様々な雑用をやっている。
でも、まおの部屋の掃除は欠かさないし、何時帰ってきてもまおが今まで通りの生活ができるようになっている。
いままででもそうだった。
出張にでたときも。
気まぐれで外出したときも。
彼にとっては当たり前で考えることもない――彼らには考えるような、『疑う』ようなことはない。
まお――いや、魔王に愛されていた頃から変わらない。
くすり、とマジェストは笑った。
「アクセラ」
「はい、マジェスト様」
パイプ椅子をおいて、その場で直立不動、マジェストに正対する。
「切れ長の目を持ち、貢ぎ物は成人になる前の子供で、『吸血皇女』と呼ばれた女はもう居ない」
「……マジェスト様。何かあったのですか」
アクセラは相変わらず顔色を一つも変えず、少しだけ怪訝そうに眉を動かして聞く。
「魔王陛下が今ここにおられない」
「はい。……もしかして私はまた捜索に赴くのですか」
あ。少し顔色が蒼くなった。
マジェストがぶちきれて帰ってきたら処刑とか言ってたからだ。
しかし、彼がここにいるのはマジェストが呼び戻したからであって。
決して無断ではないことを一応書いておく。
「いや、少し昔のことを思い出しただけです。アクセラ、引き続き準備を」
「は」
全員が作戦室に集合した。
執務室は元から魔王用なので狭く、とても集まれるようなものではないし、そもそのために謁見の間が存在する。
謁見の間で魔王に作戦計画の認可を得、報告する際に使う謁見の間も今は使わない。
「ここに集まっていただいたのは、魔王陛下捜索の結果と、今後の方針を明確にするためでございます」
いつも通りのマジェストがそこにあった。
「現在魔王陛下は行方不明、浮き足立っていることでしょうが」
捜索結果は、魔王の足取りをつかむどころか全く成果なし。
その報告を受けて、作戦室はざわめく。
だが――非難の声などあがらない。
あがるはずはないのだ。自分の右腕を捜す男が、自分に苛立ちを覚えるだろうか。
「魔王陛下は、残念ながら人間のお姿をされている。ねこかぶとでも一かじりできる。尤も魔王陛下にそんな事は有り得ないですが」
くい、と眼鏡を中指で押し上げる。
「軍団長、あなた達は軍勢を率いて全国に向かいなさい。四天王、あなた達は領域を監視しなさい。魔王陛下を見つけ次第――」
何故か、マジェストの口元が歪んだ。
「捕獲・拘束して魔城へ後送してください。他、有益な情報が在れば逐次報告すること。以上」