魔王の世界征服日記
第55話 家族
呆れ顔のまおに最初に気づいたのは、というか気付けよ、振り返ったナオだった。
何故キリエが気づかなかったかというと。
それはナオに神経が全て向いていたからに他ならないのであって。
「お」
という彼の態度に、初めて彼女がその小さな存在に気がついたと言う事を責めてはいけないだろう。
「まおじゃん。あれ、もしかしてそこのテラスにいたのか?」
「あー。うん。寝る前に夜穹をみたかったんだー。こっちの方って、ほら、そらがきれいでしょ」
にこ。
体全体でゼスチャーしながら、まるで全身で感情を表しているように話す。
「丁度いいや、まおもやってみるか?」
といって彼は手にしたラケットを振り回す。
後ろに控えるキリエは苦笑するような顔で彼らを見ている。
「え、えーと」
「ほら、教えてあげるから」
遠慮というかかんがえもーどに入ろうとするまおに、助け船のようにキリエが手招きする。
キリエとナオの二人だけだと、どうにも力が入りすぎる嫌いがある。
別に悪いことではないのだ。
真剣勝負というか、二人とも負けず嫌いというか。
遊びのつもりで、初心者もいいとこだったはずの二人が凄まじいボレーの応酬をしていたのも実はそこにある。
これ以上続けると体力が続かない。
丁度勝負もきりのいいところだったから、休憩したいところなのだ。
「あー」
そして、そうやって誘われるのもまおはきらいじゃない。
ナオに言われたし、キリエも笑っている。
参加しないのはバカだ。
――参加するバカと参加しないバカ、同じバカにゃりゃ参加しにゃきゃ損損
何故か心の中の声なのに舌が回ってない。こころのなかだけでもう一度がっつぽーず。
「うん、教えてくれれば判るし、だいじょぶ」
にっこり頷くと、キリエが彼女の側に来て引きずるように自分のコート側に連れて行く。
「じゃあ、ほらほら。このラケットをこう持って。ね。人差し指を立ててここに添えて」
冷たい。
キリエに比べれば小さくて柔らかい手が、夜の冷気に冷やされていたせいで気持ちいい。
――はっ
とか思わず素に戻ろうとするが、体は何事もなかったかのようにルールの説明をしていたりする。
――結構可愛いかな
背もキリエに比べれば頭一つぐらい小さいし。
どちらかと言えば、丸みを帯びた顔は羨ましいぐらいだ。
でもどうみてもまおは、女の子というよりも子供の可愛らしさの方が強い。
素直にふんふん頷いて目をくりくりさせているのを見ていると、なんだか恥ずかしくなってしまう。
「ん?」
不思議そうに首を傾げて見上げられて、思わず頬を染める。
「どうしたー、キリエ、お前そっちのけがあったのかー」
「あるかバカ!」
怒鳴り返して、そしてまおをおして卓球台の端に立たせる。
そして、構えさせると。
「ぷ」
「ははっ、まお、結構……その」
まおの両肩が何とか卓球台から覗いている。
「こら、笑ってないで高さ下げるぞ。ごめんねー、でりかしーのない奴で」
まおはキリエの言葉に笑って返したが、やっぱり笑顔がぎこちない。
ともかくなんとか卓球ができる高さになるまで下げると、キリエはまおの真後ろにつく。
「ね。こうやってラケットをふって」
まおの手首を噛んで、ラケットを振らせる。
文字通り手取り足取り教える。
「こう。で、ナオはこの辺が弱いから、慣れてきたらスマッシュであの辺を狙って」
「こらこら」
苦笑いして、呆れた顔で自分のラケットを卓球台に押しつけるように体重を僅か預ける。
「じゃ、俺のサービスからでいいか?」
「うん。いいよー」
ぶんぶん。
少し左右に体を跳ねさせてみて、素早くラケットを振ってみる。
あ。
ナオの貌が引きつった。
――……巧い
何故か、まおの動きを見てキリエはにやりと笑う。
「さー、かかってきな!」
「おい。なんでお前が得意げなんだ」
まったくである。
しかし、まおもやる気満々でラケットを構えてポジションについた。
渋々トスを上げて、軽くラケットを振る。
かん
甲高い音を立てたラケット。
ピンポン玉は殆ど同時にコートにぶちあたり、少し低い音を立ててまおに躍りかかる。
「えい」
ぱきん
なんだかそんな音がしたような気がした。
まおが振り抜いたラケットは、見事にピンポン玉を弾いた。
それも手首を切り返し、全身を振り抜くような恰好で。
――おっ
油断していた訳ではなかった。
しかし思わぬ速度で、絶妙な角度でコートが弾いたピンポン玉は、思った以上に高く上がる。
「わっ」
振り抜かれるラケットをかすめて、それは彼の真後ろに向かって吸い込まれていく。
「ふっ、や、やったーっ」
目を一瞬丸くして、両手を自分の胸の前に合わせるようにして、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
相当嬉しかったのだろう。キリエが。
「ちょっっとまて」
ナオは突っ込みを入れながらも愕然とした顔を崩せない。
何せ、今しがた知っただけのまおに思いっきりカウンタースマッシュを喰らって反応できなかったのだ。
「へっへーんだ、まおちゃんの勝ちは俺の分だ!当然だ!」
むぎゅ、と真後ろからまおを抱きしめて勝ち誇るキリエ。
恥ずかしそうに迷惑そうな顔をするまお。
実はかなり嬉しかったりする。
「……♪」
どうして良いか判らないみたいで、もじもじしている。
まあどっちにせよ面白くないのはナオで。
「よ、よーし判った。それでいい、こいまお!キリエの雪辱に汚辱を塗りたくってやる」
「なんだとー♪じゃあまおが負けたらキリエに文句をいってやるー」
妙なテンションでラケットを構える二人。
「何だか他人が俺をよってたかって虐めてる構図だよなー」
いや、間違っていないかも知れないぞ、キリエ。
とはいえけっきょく。
「やたーっっ!やった、やったよーおとーさーん」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶまおと、それに合わせて体を揺らして応えるキリエ。
「誰がおとーさんかーっ♪よくやったーっ」
げっそりした顔のナオ。
とんとんとテンポのいいまおのステップと、微妙に腰のひねりを入れたスマッシュはピンポン玉に不規則な回転を与える。
跳ね返る方向がその度違うせいで、来るのが判っても何処に跳ねるか判らない。
――何でだよ
結果、遊ばれるように左右に振られて勝てなかったというわけだ。
「まお、おまえ、本当に初心者か?」
え?と首を傾げてナオを見返す。
「えー、しらないもん。ナオが弱いんじゃないのー」
がびん。
思わず顎が外れそうになって、めまいに額を押さえるが、すっと彼の顔に影が差し掛かって愕然とする。
気がついて顔を上げた先には、にやにやと笑うキリエ。
「……何だよ」
ぴしっと空気を裂くような感じで、右手を掌を上にして彼の眼前に差し出す。
一瞬の沈黙。
「ほれほれー、俺らの勝ちだろ〜♪」
ぶんぶん。
にやにや。
ナオは疲れた顔だったのが、ゆっくりと顔つきを険しくしていく。
「お前じゃないだろうがっ!」
「まおちゃんの勝ちは俺の勝ちだって言っただろうが!」
逆ギレ。
ぶちキレ。
「あー。あのー」
「だからなんでお前が偉そうなんだよっ」
「うるせーっ」
ばちばちと火花を散らす間で、まおはおろおろと二人を見比べて、どうしていいやら取りあえず声をかける。
でも、勿論そんなこと耳に入る二人ではなくて。
「だったらやるかっ」
先刻までまおが持っていたラケットをすちゃ、と構えるキリエ。
それを見てにやりと口元を歪めるナオ。
「ふん」
そして、隣でおろおろしているまおを自分の手元にひっぱる。
「ひゃん」
「今度はこっちにまおを戴くっ!いーかキリエ、自分だけが良い思いをすると思うな!」
「な」
ずびし。
人差し指を突きつけられて仰け反るキリエ。
仰け反るというか。
どちらかというと驚きのあまり一歩引いたというか。
でも、間抜けな顔はその一瞬だけで、すぐにきりきりと目をつり上げる。
「ナーオーおーまーえー」
目だけならまだしも、それが怖ろしく凶悪な顔へと変わっていく。
さすがに様子がおかしいことに気づいたのか、ナオははたと冷静になって今度は彼が一歩引く。
「ちょ、キリエ」
「あの、あはは、あはー」
一緒になって萎縮するまお。
「あー。あー、ごめん、悪かった、俺の負けで良いよ、な、な、そこのアイスクリームでいいか?」
な?とまおの顔も覗き込んで――ウィンクする。
一瞬何が起こったのか、目をぱちくりさせるが。
「うんうん、私あいすくりーむ好きだよ」
と言うとキリエの方を向いてにぱーっと笑ってみせると、キリエの方に近づいて彼女の袖をとる。
「あっちにあったよね、たしかー」
「あ、おいちょっとまってよ」
ぐいと思わぬ力で引っ張られて、焦って、思わず振り返った先にナオの苦笑いがあった。
「アイスで良いだろ?」
ぽりぽりと頬をかく彼の姿に、キリエはふいっと顔を背ける。
――そりゃ怒ってるよなぁ
でも足は有無を言わせないまおについて行ってる。
「……二つ」
「え?」
ぼそり、と答えたキリエの声は彼には届かなかった。
「ふたつだ!」
怒鳴るが――振り返らない。
ナオは乾いた声で笑って、返事をする。
「ああ、いいよ」
彼の答えを聞いて妙に頬が熱くなってくる。
――うぁちゃー、なんだか子供に気を遣われてる親みたいだよなぁ、この構図って……
思いの外子供が大きいがな、キリエ。