魔王の世界征服日記
第54話 よぞら。
どたばたの食事を終えて、取りあえず食堂から引き上げる一行。
「あ。先、帰ってて」
何か思いついたのか、まおはそう言い残すと部屋とは反対方向へと歩いていく。
「あれ、まお様、何か御用事ですかー」
ウィッシュが声をかけると、貌だけ向けて手を振る。
「……。ま、いっか」
ちらりとウィッシュの方を見上げるヴィッツの頭を撫でると、逆に彼女を促して部屋へと向かう。
「じゃあおやすみだな」
こっちはこっちで。
そう言うユーカは右腕にミチノリをぶら下げている。
いや、もとい。
ミチノリが絡んでいるというべきか。
「お前なぁ」
「んー、だいじょぶだいじょぶぅ。ちょこーぉっと向こうではなししてくるだけだからぁ」
と言って、明後日の方向を指さす。
ユーカの表情に揺らぎがない、というか、彼女は何をやる時も平静なので感情をつかみづらいところはあるが。
「少しは夫婦の時間をくれ」
「……そりゃ」
とは言う物の、四六時中べったりの気もする。
もう一つ付け加えると、やっぱり夫婦に見えないんだが。
「好きにしてくれ」
行くぞ、と言い残し、左手を挙げて去っていくユーカ。
廊下の向こう側に消えようとするウィッシュ達。
既にいないまお。
「あーあ。あいつらいつもあーなのかなぁ」
「そうなんじゃないか」
はからずも二人きりである。
キリエにとってはチャンスとも言うべきなのであるが。
「なぁ。お前、このぐらいの時間っていつも何してる」
振り返り、キリエに言うナオ。
「えあっあー、あ。うん、その」
驚いたのを誤魔化して考え込む振りをする。
――この時間に何やってるかって?
大抵訓練を終えて夕食が終わると、風呂にはいってから部屋で読書だ。
意外であるが彼女は文学少女なのだった。
「そうだな。結構勉強してる方だと思う」
これも事実である。
彼女達が属する対魔軍は、昇進試験があり試験の成績如何でどんどん上に上がる。
毎回トップで満点なら勿論昇進も早く、逆に試験を受からなければ永遠に一兵卒である。
「ふーん。…」
ナオはこの時間であれば大抵隣の奴か友人を誘って遊んでいる様な時間だ。
しかもここは温泉である。
彼の脳裏に浮かんだものといえば、アレだ。
キリエは、急に視線を逸らせて沈黙するナオに、こっちはこっちでどう反応が来るのかどきどきものだった。
――な、何か変なこと言ったかな
外観とやってることは男と変わらないと言っても、中身はおんなのこ。
でもそこまでナオも気づいていないというか一生気づくことはないだろうが。
「ぴんぽんは判る?」
「え?」
「ほら、このぐらいのラケットでこのぐらいの軽い弾を打つ奴」
と、ラケットを持って素振りする真似をする。
「見たことぐらい。やったことはない」
「ロビーに有ると思うんだけど。時間つぶしにやらねぇ?」
いつも通りに笑うナオに、半分ため息をつきながら、口元を歪めてにやりと笑みを見せる。
「勝負か?何か賭けるか?」
それでもここは、何かが変わるより良いような気がして、いつもと同じ方が良いと思って、ナオの背中を叩きながらロビーへと向かった。
夜穹。
サッポロの夜の空気は、肌を切り裂く程冷たい。
こうやって見上げていると、空で瞬く星の一つ一つが嫌になる程、隅々まで行き渡っているのが判る。
でも、それすら無駄なことのようには思えない。
まおはテラスに体を預けるようにして、ぼぉっと惚けた顔で空を見上げていた。
魔城から見上げる空とは大きな違いだ。
時々、マジェストに連れられるようにして魔城最上階、俯瞰の間において臨める夜穹は、お世辞にも星穹とは言えなかった。
回りの岩山に囲まれた、ある種プラネタリウムのような景観だ。
それに比べればここは何もない。
側には誰もいない。
急に世界で自分一人だけが穹を見上げて、その他全てが闇の中に沈んでいるような錯覚を覚えてぶるっと体を震わせる。
「世界……」
そして、今度は下を見下ろす。
ここは高い場所ではない。
俯瞰の間で見下ろすのは、魔城城下にある人間の町並み。
小さくて、まるでゴミ粒のように人間が動いているのが見えた。
数百年前に、トーキョーを壊滅に導いた時のこと。
あの日だって、人間はゴミよりもゴミだった。
お待ち下さい陛下っっっ
ぶんぶん。
マジェストの声が聞こえたような気がして彼女は頭を振る。
あれ以来、勇者は姿を現していない。
百年以上空位というのは珍しい事らしい。
これは、既にウィッシュの封印が二百年を越えていた所からマジェストが算出した時間であり、ほぼ間違いない。
――世界を征服しなければいけないなんて
それが魔王の存在意義だと。
そう言う風に設定されているものなのだと。
何度も聞かされた。
何度も聞いてきた。
実際、幾つかの街も滅ぼしてきたけど、それは違うのだそうだ。
魔王は魔城の中で魔軍を動かして、人間を脅かし続けなければならない。
勇者という人間の手駒が、それを阻止できれば人間の勝ち。
勇者にはその褒美が与えられる。
「じゃあ、私はなんなの」
この壮大なゲームは、人間を何万と殺戮しながら繰り広げられる。
まおは手をテラスから差し出すように伸ばし、思いっきり伸びをするように指を大きく開く。
その間から見える建物は、人間の町並みだ。
彼女がその指に力を入れれば一瞬で消し飛ぶ砂の城だ。
目をぎゅっと閉じて。
そして力無く腕をだらんと降ろす。
強大な魔力を持って、世界を征服するために様々な陰謀を巡らせる。
魔軍を用いて人間と言う人間を平らげる。
でも、そんな事をして何になるのか。
『魔王』が成し遂げたいのは、本当は何なのか。
「……」
始まりは勇者を、一刀のもとに斬り殺した事だった。
寿命がない彼女にとって、それからの年月というのは長いようで非常に短かった。
何をしていたのか――まあ、魔王は勤勉ではないのだから。
あっちを攻めては休み、こっちを滅ぼしては休みしていて、まるで人間の回復を待ち続けるようにだらだらしていただけだ。
なぜ。
だが彼女自身、その理由は判らない。
――こうやって、人間の側で見てても思うんだよね
くるん、と体を返して宿の方を眺める。
宿は木で出来た簡素な作りをレンガで固めるという構造をしていて、密閉された中空が断熱効果をもたらす。
よく考えられた作りだ。
暖炉が中央ではなく、建物の四方にある塔の様に設えた部分に備わっていて、客室は中庭側に存在する。
中央中庭は吹き抜けだが、この構造の御陰でそのままでもかなり暖かく過ごせる仕組みだ。
人間はこういう物を、経験の積み重ねだけで造り上げていく。
大自然という驚異をものともせずに。
世界を大きく作り替えていく。
自らを変えてしまう。
――私の居場所がここにはない
人間の社会には変化がある。
魔王の世界には変化はない。
人間の寿命は短い。
魔王の寿命はない。
小さくため息をついて項垂れる。
「何しに来たんだろー」
殆ど本能的に何も考えずに城を飛び出してきた訳だが、一度城を出てしまえばまおは何も出来ないような気になってしまった。
まるでただの迷い子。
そうなのかも知れない。
ただ勇者のためだけに存在しなければならないのかも知れない。
まおは大きくため息をついて、テラスから体をひきはがした。
「いーや、ねよねよ♪」
がらがらがら、と窓を開けてロビーに入ると、聞き慣れないテンポのいい音がロビーに響き渡っていた。
ふと見ると、卓球台で、ナオとキリエが目を血走らせてラケットを振り回していた。
「ふっ」
「はっ」
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん
その速度は、先刻までやってなかったとか言っていた初心者のスピードではなく。
「負けるかぁぁぁぁぁっっ」
かつん、と僅か高く跳ね上がったピンポン玉に、体を仰け反らせて。
「きやがれぇぇぇえええ!」
すまっしゅ。
かきーん、と甲高い音を立てて、ナオの放ったスマッシュがキリエのすぐ側を弾けて。
「いいいいゃっしゃーっっっっ!」
「いや、まだだっ!まだ俺の方が2勝多いぞ!」
「バカ野郎、アレが勝ちだと?俺が今ので勝ち越しだっ!キリエ、いい加減に諦めろっ!」
まおの目の前で繰り広げられる、子供の喧嘩というか。
唖然として二人を見つめるまお。
――…………。たのしそーだなぁ
というか。
何故艶っぽい話にならないお前ら。