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魔王の世界征服日記
第53話 めもりぃず


 まお。
 目の前にあるのは、いつもの執務机。
 黒檀で出来た美しい調度品に囲まれた執務室――とはいえ。
 そこは、一度勇者によって汚された場所。
 実はこの机にしても、魔王の血で染まり一時期は使えないものかと思っていた。
 だが今は見てのとおり、彼女がぺたりと寝ころぶ位には使えるようだ。
「ではございませんぞ魔王陛下」
「うきゃっ」
 ぺたりとねころんでいたまおは、跳ね上がって両手を振り回す。
 真後ろに現れたマジェストは、彼女のその様子に眼鏡をくいと押し上げる。
「よろしいですか魔王陛下。ここはそのように遊ぶ場所では御座いません」
「……じゃ、何だっていうの」
「お仕事をなさる場所で御座います。よろしいですか?陛下はここで書類業務を行わなければなりません」
 いつの間にか彼は両手一杯に書類を抱えており。
 どん。
 跳ね起きて涙目のまおに容赦なくそれを突きつける。
 ますます怯えるようにして、仰け反るまお。
「え゛ーっ」
「さあさあ。これが終わらないと軍団が動きませんぞ!」
 かたかたかた。
 小刻みに震えて、涙目で訴えると大きくしゃくり上げる。
「でも、でもでも」
「でもでは御座いません。魔王の世界征服のため、そにょ1でございます」
 まおはむくれてぷいっと顔を背ける。
 口を尖らせて。
「まおう、って私じゃないの」
「はい、陛下は魔王で御座います、魔王陛下。しかし、魔王は世界を征服しなければいけないのです」
 まったく。
 言外に呆れたと言わんばかりのため息を隠して続ける。
「陛下。まさか、陛下は世界を征服するのが、い・や・だ、とか、おっしゃるおつもりでございますか」
 高圧的かつ決定的に、マジェストがずいと迫る。
 ちなみに眼鏡が光っている。
 貌は伺い知れない。実は笑っているが。
「えー。めんどくさい」
 くい。
 眼鏡を中指で押し上げて、おせっきょうもーどをおんにする。
「へ・い・か?」
 そして、眼鏡の隙間からその鋭い目をちらりと見せてまおを見下ろす。
 びくっ。
「ごめんなさい」
 いかに魔王といえど、お説教は苦手なようだった。
 これはこれで、もう何年前になるんだろうか。
 マジェストの頬を涙が伝う。
「わー」
 いつのまにかシーンが変わっている。
 まおが野原を駆け回っている。
 いや、ここは野原ではない。
 一つの街だったところだ。
 先程のシーンよりさらに戻っているようだ。まだまおが、生まれて間もない頃の話だろう。
 よく見れば、まおはさらに一回り小さく見えるし、何より振り回している魔力が今の数倍ではすまない。
 そのせいで魔力がDMA(だいれくと・まぎっく・あくせす)チャネルを介して彼女の思考を一気に現実化させ、人間の手に負えない状況を作っている。
 DMAチャネルというのは、脳を介することで遅れる現象を少しでも早く発現させるために考案された『式』だ。
 その性能故に魔王ぐらいしか使いこなせないのだが。
『えーい』
 それだけに殆ど局地災害の勢いでまおは暴れていた。
 勿論止めに入ったマジェストもただではすまない。
「ああ、あの頃は凄かったですよ、陛下。私なんかものともせずに突っ走っておりました」
 実際幾つの街を滅ぼしただろうか。
 あの災厄とも言うべき事実は、人間の歴史の中では『激動の七日間』と言う名前で知られているばかりだ。
 だがその七日は、ある事実を境に一気に収束してしまう。
 それは、マジェストがまおによって大けがをしてさえいなければ防げたであろう事故。
 まおが暴走しているのは、その事件により停まったが、それ以来まおはコンプレックスを持ってしまった。
「うう、おいたわしや陛下。あれ以来まともに魔力を振るう機会をお失いになられた」
 と言いながら今度は彼の右手は四角いものに伸びていた。
 小さなボタンが幾つか並ぶそれを左手に乗せると、右手でぽちぽちボタンを叩く。
 すると今まで見えていた画像がきゅるきゅるとノイズ混じりに回り始める。

  こん こん

「まじぇすと様ぁ、何をっ……」
 執務室の扉をノックして現れたのは、シエンタだった。
 執務室は真っ暗になっており、まおが座っているはずの執務机の向こう側にまおの姿が映し出されている。
 執務机には映写機が置かれており、反対側に並べられたソファの一つにマジェストが腰掛けて両目から涙を流していた。
「何をなさっているのですか」
 さすがに呆れた口調でシエンタは言うと大きくため息をつく。
「何?何だと?!」
 がたん。
 何を興奮しているのか、マジェストは大げさに立ち上がり周囲のソファを蹴散らす。
「魔王陛下との思い出をこうして上映会しているというのに、それを何だと?!」
「私は別にそう言う意味で言った訳ではないです。まじぇすと様、アクセラから報告です」
 シエンタがズボンのポケットから小さな紙切れを出すと、彼はえーと、と言いながら報告する。
「ワレ モクヒョウ ハッケンデキズ シキュウ キトウキョカモトム」
「だめだ」
 即答。
 どうやら駄目らしい。
「陛下を見つけるまでかえってくるな!魔王陛下を連れて帰ってこない場合には処刑する!」
「まじぇすと様、暴走しすぎです」
 シエンタは、両目からだくだくと滂沱と雨霰のように涙をまき散らす彼に、あきれ顔で言う。
「全く……。まお様の事になると目が眩むというか」
 両手を握りしめて天を仰いで泣きはらす彼の姿は、とてもいつもの魔王軍軍団参謀とは思えない。
 これではまるでどこかのマニアかオタクか走り屋の友人である。
「何ですと!私のこの忠義!何が悪くてどこがおかしい!」
「あー。いえ、別におかしくは御座いません、まじぇすと様」
 ただ大人げないというか。
 その言葉は飲み込んで頭を下げて、するすると執務室から退場する。
「くぅーっ!まおーへーかーぁっ!」
 と泣き叫びながら再び幼い頃のまおのビデオ鑑賞を始めるマジェスト。
 というか、何処でどう撮っていたのか判らないようなアングルもあったりする。
 その辺はまあ、マジェストだからして。
 まおが居なくなったのが判明したのは、執務室のチーズケーキが腐ってしまってからだ。
 まおがあんな性格だけに居なくなってしまうのも多々或る話で、マジェストも気にしていなかった。
 いや、盲目に信じていたとも言える。今回はそれを見事に裏切られたようなものか。
 だからではないが。
 まず真っ先にケーキが腐った事を悲しむと、彼はその処分を掃除の鉄人に任せて即座に全幹部を招集した。
 『まおを探せ』、である。
 少なくとも城内で迷っていない事だけは判ったが、まだ姿を確認していない。
 いちだいじ、である。
 こんな事はマジェストが魔王に仕えてこのかた、少なくとも一度もない。
――マジェスト、生涯の不覚
 少なくとも魔王が殺されたとしても、彼は死なない。
 何度か、魔王の代わりに殺されたこともあった。
 でもその時でも、魔王より早く魔王軍を再生した。
 そして、常に魔王の側にあり魔王を、魔王の道へと導く為の手ほどきを続けてきたのだ。
「こんなところで、こんなところで魔王陛下を失う訳にはいきませんぞ!!」
 右手の拳を握って、自分の肩の高さでぷるぷると震わせて。
 どちらかというと画面に見入って感動しているというか。
 ふきだしを付けて「もえー」とか描くと似合うというか。
 もっとまじめにやれ。


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