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魔王の世界征服日記
第52話 ゆうしょく。


 ユーカの言葉にキリエとナオの二人が引く。
「初めからお前を狙って近づいてきたってことだ。……なにか身に覚えはないか」
「狙ってって、ユーカ!」
 キリエが激昂すると、彼女は頷いて口元に笑みを湛える。
「ああ、お前の想像してるとおり、命じゃないな」
「そうぞっ」
 ぼん。
 一気に顔を赤くしてそのまま黙り込む。
 くすくす笑って聞き流すと、再び――気づいていないナオに声をかける。
「一度他に何処かであったとか、誰かを助けたとか、誰かに名前を聞かれたとか」
「いや、確かに家族風呂で姉ちゃんと入った時に会っ……」
 すぐ自分で自分の口を塞いだが、遅い。
 何となく言葉にしがたい雰囲気というか。
 そう、文字で現すと『ごごごごごごごご』という雰囲気だ。
「そのだーっ、俺は何にもしてないぞっ!というか俺だって無理矢理姉ちゃんに風呂に入れられてだなっ」
 ユーカはあきれ顔で彼を見ると肩をすくめて言う。
「お前どつぼ過ぎだ。女の子の扱い方以前に、気を付けた方がいいな」
「だーっ」
 ナオが力一杯否定して力一杯キリエに振り返ると。
 修羅の形相のキリエがいた。
「……ナオ」
「きー、キリエ、なな、何がどうしたんだ、どうしてそんなに怒ってるんだ」
「怒っていない。……席に戻ろう、ナオ」
 淡々と言うとくるりと背を向けて、自分の席に戻る。
 馬鹿みたいに唖然としていると、彼女の眉がつり上がって催促してくる。
 慌ててばたばたと席に戻り、ミチノリはそれを見ながら呟いた。
「尻にぃ敷かぁれそうぅ」
「だな」
 くすくすと笑うミチノリとは対照的に、ユーカは浮かない顔をしていた。
――偶然ではないと思っていたが
 この道中。
 得体の知れない不安から、目に見えて何か事件に巻き込まれそうになってきた。
 ユーカは二人の様子を見ながら大きくため息を付いた。

 少し時間を遡って。
 ヴィッツを連れ出したウィッシュは、入口で付近にヒトが居ない事を確認して彼女の両肩をつかんで向かい合う。
「しっかりしなさい」
 既にヴィッツは顔はぐしゃぐしゃで、肩を震わせてしゃくりあげていた。
「あーん……」
 ウィッシュは困ってうなり声を上げる。
 ヴィッツは、彼女とは違いかなり情緒不安定である。
 そもそも安定性に欠けるところはあったが、以前――丁度ナオを襲った時からおかしい。
「この作戦を決行しようとしたのもおかしな話だったけどさ。ヴィッツあんた」
 しゃくりながら彼女を見上げる。
「……何ですか、望姉」
 目は真っ赤。でも目尻を吊り上げてやっぱり強気。
 それを見るとウィッシュは頭の上にくしゃくしゃの線を飛ばしてどうでもいいような気分になった。
「あー、いいやもう。別にどうでも」
 そう言ってぽんぽんと頭に手を乗せて、ぐりぐりと撫でる。
「あんたのそう言うところ、きっと可愛いと思うんだけどね」
 少なくとも自分はそう思う。
 全然話の内容が逸れてる気がするが、彼女は取りあえずヴィッツが機嫌を直してくれる方が先だと思ってそう言った。
 少し強めでも乱暴に感じない程度にぐりぐりと頭を撫でられて、ヴィッツは猫が目を細めるように気持ちよさそうな顔で。
 ぐりぐり。
 目尻に涙のあとがあるが、それも気にせずに気持ちよさそうに頭を揺らす。
「……を、まお様」
 そこにとことことまおが近づいてきた。
「どしたの。だいじょぶ?」
「まお様に心配されるような事はありません」
 と答えながら、ぷいと顔を背ける。
 まおもぷっと頬を膨らませるが、それ以上何も言わずに代わりにウィッシュに目を向ける。
 ウィッシュは苦笑いを浮かべてぺこりと頭を下げて、そしてぎゅっとヴィッツを抱きしめながら言う。
「怒らないでくださいね、まお様。もう、この娘ったらちょっと恥ずかしがっちゃって」
 むぎゅむぎゅ。
 もがくヴィッツ。
 勿論腕をゆるめたりしない。
「大丈夫です。すぐ席に戻りますよ。ね、ヴィッツ」
「むぐむぐむぐぐぐっ、ぷはっ」
 やっと腕が緩んで、大慌てで彼女から体を引き剥がして大きく呼吸する。
 耳まで真っ赤なままで、肩を大きく上下させてきっとまおの方を睨み付ける。
「望姉の言うとおりです、まお様は戻ってください。すぐ追います」
「ほら、言うとおりだって。恥ずかしがり屋だからちょっと先言ってくれませんか」
「望姉!そっちじゃありません!」
 思いっきり叫ぶヴィッツをくすくす笑いながら、まおにウィンクをして。
「もう少し落ち着かせます。ホント、先行ってください」
「んーあー。そう?……判った」
 まおは少しむくれた顔のままで、むーと口を尖らせるとくるりと踵を返す。
 妙に人が良い――まあ、魔王で彼女達は部下だが――まおは複雑な貌で首をかしげながら引き返していく。
 取りあえずヴィッツは何ともないらしい。
 今席に戻れば、キリエはいるがナオの隣でゆっくり話せる。
 でもどうにもヴィッツが気になる。
 別に、ヴィッツがどうだろうといいはずなのに。
 あの様子では勿論何かを企んでいるようには見えないし。
――んー、もーかえろーかなぁ
 ウィッシュにヴィッツだったら、キリエとか他の人間もいる中では何にも出来そうにない。
 この様子ならついていくだけ無駄かも知れない。
 そもそも、この二人、ナオを殺す気はないようだし。
 食堂の入口をくぐったのはそこまで思考した時のことだった。
 丁度、ナオとキリエが机を挟んで嫌な緊張と沈黙の中にあった。
 入口から見ても、気まずそうな雰囲気が漂っている。
――うーわぁ
 やばい。
 というよりも、あのキリエという女も、いや女に見えなかったが。
 あからさまにナオを狙ってる雰囲気である。
 今頃気づいたわけであるが。
――こういう修羅場は、私あんまり好きじゃないしなぁ
 とてとてと近づきながら二人を見比べて、小さくため息をついた。
「ただいまぁ。もうすぐ戻ってくるよ」
 とてん、と席についてナオに言い、キリエをちらりと見る。
 キリエは目をつぶって聞いてない振りをする。
「そっか。まおは……あ、まおはオムレツだったよな」
「え?うん。私は卵料理好きなんだよ」
「いや、ウェイトレスがパンを聞きに来たから……っと」
 かたん、と音を立ててヴィッツが戻ってきた。
「ヴィッツ、先刻はごめん。ちょっと言い過ぎた」
 取りあえず真っ先に謝る。
 椅子に座ろうとしていた彼女は目を丸くしてナオの方を見て。
 一瞬固まって、座ろうとした体勢のままで慌てて頭を下げて。

  ごちん

 激しい音がした。
「あちゃぁ」
 痛そうだった。
 いや訂正する。相当痛いようだ。
 一瞬そのままで硬直して、顔を上げると額が真っ赤で。
「……。いいえすみません。私も今度から気を付けます」
 でも何事もなかったかのように答えて、目尻に涙を浮かべる。
 取りあえず。
「で。ウェイトレスが、セットメニューのパンを聞いてきたからクロワッサンにしておいたから」
 みんな一緒で良いでしょ、とキリエが言う。
 ヴィッツは特に反対せずそのまま頷いた。
 ほどなくして。
「お待たせしました、特製オムレツでございます」
「あ、はいはーい♪」
 ごとん、と軽い音を立てて卓に置かれるのは、大皿の上に乗った大きな卵の塊。
 黄色い綺麗な単色のラグビーボールサイズの卵の上に、これでもかという縦横無尽に走るケチャップのライン。
 白い粉チーズに、パセリの緑が彩りを添えている。
 ちなみに小皿にクロワッサンが二つ、バターと一緒に並んでいた。
「じゃ」
 きょろきょろと左右を見回す。
 憮然としたキリエに、苦笑しているナオ。
 ちょっと怯えたような貌のヴィッツ。
 彼女は――多分、羨ましいのかも知れない――まおではなくオムレツをじぃっと見つめている。
「お先にいただきます」
「いいよ、冷めたらまずいからな」
 ナオの言葉ににこっと笑って、ナイフとフォークを嬉しそうに取り上げて。
「いっただきまーす♪」
「あれ?お前左利きだったのか?」
 え?
 まおは目を丸くして自分で握ったナイフとフォークを見比べる。
 右手にフォーク。左手にナイフ。しかも裏表逆。
「えーと」
 言われて気づいて、一応左右を取り替えてみる。
 でも刃先が手前のナイフと、腹が見えたフォークはどうしようもない。
「いやあの。あはははは」
「まお様はこういう食べ方をされたことがありませんので」
 と言うとすとふところからヴィッツが差し出したのは。
 『おてもと』である。
「さあどうぞまお様」
 まだ両手でナイフとフォークを構えたまま、こまった顔でヴィッツと睨み合いをする。
 うけとる。
 ぱきり。
「ちょ、まお、お前それはないぞ」
 二つに割った割り箸を、一本づつ両手で持って構えてみる。
「……じょうだん、じょーだん」
 たらりと冷や汗を浮かべながら箸を右手に持ち替えてみるが、勿論使い方は判らない。
――こんな二本の棒でどうやって食べるんだろう
 そもそも彼女の食事は、ソフトなチーズケーキ味版権やばしな四角いビスケットもどきだけである。
 食器の使い方は、実は全然知らなかったりする。
 じりじりと迷っているうちに、女給がリブステーキセットを持って現れる。
――や、やた、てんのたすけか!
「いっただきまーす」
 だがリブステーキは骨付きで。
 ナオは骨をつまんでかぶりついた。
「こらナオ、お前行儀悪いぞ」
 と言うキリエも、フォークでぶっすりとステーキを刺してかじりついた。
 どっちもどっちである。
 ともかく、まおの参考には全くならなかったのは言うまでもない。


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