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魔王の世界征服日記
第50話 調査


 水晶球に見えた揺らぎは、非常に特殊な物だった。
 怖ろしく澄んだ輝き。それは探している、周囲をも揺らがせるものではない。
 魔力だ。
 近くにある魔力に感応して、水晶が輝きを増したのだ。
 人間であれば魔術を行使した直後、魔法という効果が発生する際に生じる『魔法風』規模の魔力が静的に存在しているというのだ。
 有り得ない。
 もしくは人間以外の存在であるか。
 方向は判らないが、そんなに強烈に魔力を発散すれば生身でも感知できるに違いない。
 そう思って部屋を出て、取りあえず出口に向かってみることにした。
 魔物なら危険だが、きっと周囲にいる人間は騒いでいるから判る。
 そんな気軽さで歩いていると――
「おや」
 ばったりと、いかにも風呂上がりという浴衣姿のナオとミチノリがベンチに腰掛けていた。
「よっ」
「あーゆぅちゃんだぁ」
 相変わらずどこか抜けたような感じをほわんと醸しているミチノリ。
 よく見れば、片手に何かを持っている。
 泡が乗った樹のカップ。
「おい。いきなりエールか」
「えー。だって、ここって酒ホットがふつーなんだもん」
 そう言う問題ではない。
 ちなみにそれをジト目で眺めるナオ。
 見下している目で見つめるのがキリエ。
 嬉しそうにお代わりしているのがミチノリ。
「おかわりするな!」
「えー。だっておいしいんだもん」
 おいしいではない。
「ミチノリ」
 ぴたり。
 彼の腕の動きが止まり、逆回しにカップを元の位置へと戻そうとする。
「そうそう。今日はもうお酒は飲まないのだな」
「はぁい、みっちゃんはお酒をのみませぇん」
 ミチノリの顔色は、真っ青で血の気が引いていて、その声色も今にも消え入りそうなぐらい震えている。
――……よっぽど怖いんだろうなぁ
 殆ど暴走気味に行動する彼だが、ユーカの言葉には素直に従う。
 素直というよりも従順というべきだろうか。
「もうすぐ夕食だからな、夕食に一杯というなら判らないでもない」
「はぁい、判らぁないでもなぁいです」
 がたぶる。
「もう駄目だ」
「もうだめでぇす」
 よく見れば涙目で貌も蒼い。
「どうした?顔色が悪いな。病院にでも行くか」
「いいえたいちょうはぁわるくはぁないでぇす」
 完全に抑揚が無くなってきた。多分もう感情の方が麻痺してきたんだろうか。
 それを見てユーカは口元を歪める。
 彼女のような顔立ちだと、何の悪意がなくても何かを企んでいるようにも見えなくない。
「悪かったって」
 むぎゅ。
「ミチノリ、お前が悪いんだからな」
「……うん」
 恋人同士というよりは親子である。
 ナオが抱いた印象はそんな感じだった。
「それより魔法だ。どこかで魔術を行使したか、魔物が現れたはずだぞ」
 ミチノリを真後ろから抱きしめたまま、顔をナオに向けて言う。
「……何も感じなかったか?」
 え?と目を丸くして首を傾げる。
「いや?」
「みっちゃんもしらないー」
 ミチノリは魔術に敏感と言う方ではない。
 ナオはこれでも『触媒』だ、魔術に慣れているだけに感覚は判るはず。
「本当かよ。またあの変な占いか」
「変なというな。これでも歴とした技術だし、はっきりして居るんだ……が」
 こっちではないのかも知れない――と、彼女が思った時、風呂場の方向から足音が近づいてくる。
「あ」
 上気した顔が足音と共に顕れて、3人の目の前で停まる。
 そして大慌てでぺこりぺこりと頭を下げる。
「よ」
「うぃ」
 手を挙げて挨拶するナオに、奇妙な声で応える。
「まおちゃん。ああ、ちゃん付けもおかしいな」
 ぶんぶん。
「ええええ、いいですよーどんなよびかたしてもー」
 てれ。
 上気していた頬に朱が差して、顔全体が真っ赤になる。
「まお、お前、なんか変な奴見たりしたか?」
「変なでは通じないぞ」
「まおちゃぁん、まものぉがでたらしぃんだけどぉ、見なかったぁ?」
 どきり。
 一瞬焦ったまおだが、少なくとも正体はばれていないはずだ。
 ばれてれば態度も聞き方も違うだろう。
――いや、まさかウィッシュとかヴィッツあたりかっ
 結構真剣に考えた。
 でも応えなんかでるはずもない。
 つい先刻のお風呂場での話なのだから尚更だったりする。
「ああ、怖がらなくても大丈夫。この二人が居れば取りあえず怖くないからな」
 キリエが居ないから前線戦闘力に若干欠ける物の、ナオが居てミチノリの手というか手袋が有れば、彼女一人ぐらいどうとでもなる。
「え?ううん、うん、見てないみてない。しらないよ」
 内心冷や汗たらり。
 でも、彼女の動揺したような顔や怯えた感じは、逆に魔物が怖いものだと思われたようだった。
「盾になってやるんだな」
 にやにやと背中を叩かれて咽せるナオ。
「あのなぁっ」
「えー、だいじょぉぶだよぉ、ナオちゃんもみっちゃんが護ってあげるよぉ」
 にひ、と笑みを浮かべたままでぴとーっと体を寄せる。
 無論背中には、椅子を挟んでユーカを乗せたままだ。
 かなりものすごい光景である。
「も、もうへやかえるね!」
 どうにも耐えられなくなってまおは叫ぶと、ばたばたと自分の部屋へと急いだ。
 遅れてそこへウィッシュが姿を見せた。
 まだ全身から湯気を立てている。
「これはこれはみなさんお揃いで。何かありましたか?」
 空とぼけた様子で、ナオの向かい側に座る。
――キリエさんが居ない
 さっと視線を飛ばして三人を見比べると、そんな感慨を受けた。
「そうだ、ウィッシュなら判るだろう、先程強烈な魔力があった。魔物でなければ、魔術を誰かが行使したに違いないが」
 真剣な話をしているというのに、彼女はミチノリの頭越しに言う。
 そのぐらいなら気にならない――と言うよりも、事の発端である彼女にとって人間のマナーやルール、礼儀など考える余裕はないが。
――はっ、どうしようかな
 まさか先刻のがばれたとは思いたくなかったが、他に思いつかなかった。
「あちゃ、すみません。私ですよそれ。もしかして何かやってましたか、ご迷惑をおかけしました」
 え、といったユーカの顔に、少し照れ気味にウィッシュは言う。
「思わず魔法を使いそうになってしまったんですよ。ああ、結局何もしてないですから」
 半分本当で半分嘘。
「ちょっと見境なくなったもので……。大丈夫です、魔力を絞りましたが術を唱える事はなかったので」
「あ、……そう」
 案の定ユーカの反応は鈍く、別の意味で鋭い。
 人間を遙かに上回る静的魔力だと思っていたのだからますますである。
「しかし」
 術を行使しなかったならば、あれだけの魔力は指向性を伴わずに放出されたとするべきである。
「だったらとんでもない魔力を持ってるんだな」
 冷や汗を浮かべてユーカが言う。
――まだ疑われるより良い
「よく言われます。たまたま判っただけではないですか?私も無限に魔力がある訳ではないです」
 しかし彼女は首を傾げ、「そうだ」といって、ぽんと手を叩く。
「まお様とかヴィッツもいましたから、二人分加算でしょう?きっとそうですよ」
「んまぁ……それなら理解できなくもない、判る気もするが」
 まだユーカは納得していなかった。
 理解できるが腑に落ちない事があるのだ。あるから、納得しきれない。
 実際に確認したわけではないし、その結果手元にある訳ではない。
――疑うべきか
 しかし、既にやったと自白している人間がいて、今のところ平和で実害もなさそうだ。
 だから納得するしかない。
「でしょう。ああ見えてもまお様の魔力はずば抜けて凄いですから」
「……嘘だろ?」
 これはナオだ。
 何せ、最初に会った時はゴーレムだったので覚えていない。
 覚えているならばきっと信じていたというか、魔物だと思っただろうし一緒に旅することもなかったんだろうが。
「うふふ。続きは食事の時にでも。私この恰好じゃ風邪をひいてしまうので部屋に戻ります」
 ぺこりと頭を下げて、ひたひたと廊下の向こうへ消えていく。
 それを見送ると三人は顔を見合わせた。
「……ナオ。あいつらと知り合いなんだろう、アレは一体なんだ」
 もっともな質問だ。
 しかしナオが会った事があるのはまおだけだ。
 首を横にぶんぶんふると思いっきり否定する。
「知らね。つーか俺だってまおに会っただけで知らないよあんな連中は」
「でもぉ、みっちゃんはねぇ、あの人達がぁ悪いぃ人にはね、思えなぃんだぁ」
 険しい顔をしているユーカを見上げて言う。
 手を重ねて軽く叩いて。
「落ち着いてぇ。焦ったところで変わる事は何もないぃんだよぉ」
「お前は落ち着きすぎだがな」
 ぎゅ。
 ミチノリの頭を抱きしめて応え、体を離した。
「まあミチノリの言うことも確かだ。でも信用しない方がいいだろう」
「元々信頼していないだろ。ま、まおはあんな子供だし」
「それがぁ、止めた方がいいって言うんだよぉ」
 いつになく強い視線を向けて、ミチノリはナオの言葉にかぶせるように言った。
「先刻も言っていたがまおは魔力を相当量持っているということだしな。まあ、見た目通りではあるまい」
 じゃあ部屋に、と続けようとした所に、まおがぺたぺたとスリッパの音を立てて再び現れた。
「夕食、できたよー」


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