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魔王の世界征服日記
第49話 こくはくとか。


「好きです!」
 ぶっちゃけて言ってしまえばそれだけの問題のはず。
 それ以上どう言葉をこねくり回したって間違いじゃないし。
「それだと直球過ぎる。いや、悪い訳じゃないがな」
 だが、彼女は素っ気なく言うと顎に指を当てた。
「じゃあどうしろと」
 ここはキリエとユーカの部屋。
 ユーカは椅子に座り足と腕を組んで、映画監督さながらキリエを見ている。
 キリエは、机をどけた簡易なステージで滑稽な寸劇を行っている。
「どうしろもなにも……。そうだな。それだけだと君の感情しか伝わらないな、キリエ」
 とんとんと腕を組んだまま右手の指で叩く仕草をするユーカ。
 そのままその右手を自分の右のこめかみへ運ぶ。
「どうしたいのか、身体で示すか言葉で示せ」
「どうしろっての!」
 顔を真っ赤にして叫んで、叫んでおきながらふらぁっと身体を揺らす。
「あー。安心しろキリエ、ナオも相当の奥手だ。それじゃ伝わるどころか『だから?』で終わる」
 安心して良いのか駄目なのか微妙なところだ。
 キリエは顔を真っ赤にしたままじとーっと睨んでいる。
「じゃあ」
 そのまま、はずかしげに顔を背けて、もじもじとしながらちらりとユーカを見る。
「こ、これからはおんなのことして見て」
 ぷ。
「あ、悪い」
「がーっっ!」
 切れた。
 いや、切れるだろう。
「どーしろってんだ!こら!巫山戯やがって!死ぬほど恥ずかしいんだぞおい!」
 ずかずかと歩み寄って掴みかかると、胸倉をぐいと引きつけて鼻先が触れるほど顔を寄せる。
 くすり。
 だが、勿論そのぐらいではこの女――ユーカは揺らぐどころか身じろぎすらしない。
 そのかわり。
「!」
 笑みに歪ませた口を開いて、すぐ側にあるキリエの口を吸う。
「まあこのぐらいはしないとな」
 今度は大げさに足音を立てて、一気に部屋のはしにまで下がると、腰を低く構えて怯えた貌で彼女を睨み付ける。
「こーこーこー、ざざざっ、ちっっちち」
「……壊れたラジオか?全く……」
「ユーカは極端なんだ!クガみたいな奴だったらどうとでもなるんだろうけど!」
 何気に酷い事を口走りながら、涙目で真っ赤な顔ををして腕を振り回す。
「もういいっ!」
「あー、キリエ?」
 どかどか。ばたん。
 勢いよく彼女は走り去ってしまった。
 部屋にユーカを放置して。
 彼女は無言で立ち上がり、机とイスを元通りに戻して、再び自分はイスに座り込む。
 ぺたりと。
「ちょっとからかいすぎたか?」
 呟いて水晶球に手を載せた。
 水晶球は、純度と結晶の成長方向によりその硬さと濁りが決まる。
 掌に乗る、テニスボールサイズのものは通常自然界で手に入るぎりぎりのサイズだ。
 全く濁りのない、結晶方向のそろったものは、だ。だから魔術師はこの手の宝石を手に入れることに腐心することがある。
 彼女が手を載せたのもそんな一つだ。だがそれは自然なものではないようだった。
 手を載せた時、急に純度や密度の高い物質に変わったように透き通ったように見えた。
 実態は判らない。が、ユーカはそれに少し眉を上げて、そのまま無言で腕を組む。
 そして、部屋を出た。

――全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く全く
 扉をどうやって閉めたか覚えていない程彼女は興奮していた。
 どかどかと廊下を蹴飛ばすような勢いで、どこに向かっているかも理解していなかった。
「あら」
 だから、風呂に向かう廊下から顔を出したウィッシュに声を掛けられて、びっくりして足を止めた。
「どうしたの。そんな顔をして。喧嘩でもしてきたような顔だけど」
「何でもない」
 ぷいっと避けようとして、ウィッシュが彼女の前を遮ってそれを拒んだ。
 顔を上げると、にこりと笑った彼女がまだキリエの顔を見つめている。
「何でもないって、その様子じゃかなり興奮してるから落ち着いた方がいいよ。はい」
 そう言って懐から小瓶を差し出した。
 白い磁器の、親指ほどの小瓶に小さなコルクの蓋がねじ込んであるものだ。
 よく見れば、瓶にはいくらか文字も刻まれている――読める代物ではないが。
 多分魔術に関連する文字ではないだろうか。
「……これは」
「香水。蒼いバラから作った、きもちよくなるくすり」
「いや、それはいらない」
 ぷいと顔を背けた彼女に、慌ててウィッシュは弁解した。
「ああうん、危ないものじゃないよ。癖にならないし、香りを嗅ぐだけでも落ち着くから。ほら」
 そして目の前で彼女は蓋をとって、その手で払うように彼女の顔に香りを送る。
 鼻腔をくすぐる程度の軽い薫りと、脳髄に染み渡る冷たさのような感覚。
 言葉では説明しにくい、その薫りを感じた瞬間にすぅっと視界が消えて白く無くなるような。
――これは
 たった一呼吸をしただけだというのに、ただ感じただけだというのに。
 引きずられるように。これは――
「どう?」
 声を掛けられるまで。
 ウィッシュが覗き込んでいることまで判らなかった。
 判らなくなった――まるで、周囲を取り囲む光の壁でも現れたかのように。
「……」
 キリエの惚けた様子にウィッシュは笑みを浮かべる。
「気に入ってもらえたようだね。瓶毎あげる。きっと気に入ってくれると思ったよ」
 ウィッシュは嬉しそうに体を起こし、長い髪を揺らせて。
 何故かその仕草一つ一つまで、先刻までとは違うように思えて。
「え、いや、そんなの」
 おどおどと断ろうとするキリエの前にさらに瓶を突きつける。
「じゃ、あとで瓶だけ返してくれれば。簡単に作れちゃうから、気にしなくてもいいよ」
 言いながら彼女はキリエの両手をとって、それを無理矢理握らせるとぽん、と両肩を掌で叩く。
「頑張ってね♪」
 そしてキリエの側をすり抜けるようにして、彼女はキリエが歩いてきた方へと去っていった。
――……何を頑張るんだろう
 思わずそんなことを考えて、そして数回ぱちくりと瞬くと。
「……まずは、夕食かな」
 とりあえず部屋に戻ることにした。
 もうその時には、先刻までの興奮はなくなってしまっていた。
 その代わりユーカにどうやって声をかけようか、それを迷っていた。
――……迷っても仕方ないよなぁ
 完全に落ち着いた御陰か、吹っ切れていた。が、扉のノブにかけた手はなかなかまわろうとしなかったんだけど。
「ゆーか……あれ?」
 部屋はもぬけのからで少し肩すかしを食らってため息をついた。
 そのまま、ユーカの座っていたイスに腰掛けようとした。
「?」
 イスは半分ひかれている。
 机の上には水晶球が置かれている。
 水晶は、いつもより幾分か深く暗い色を湛えているようにも見える。
「……これは……」
 普段なら気にも留めないのだが、どうしてもその水晶球が見せる光が気になった。
――先刻はこんなに光ってたっけ?
 いや。気にならなかった。ということは光ってるか変化してるはずだ。
――まさか、ユーカはこれを見て
「ごはんだよっ」
 ばたーん、と思いっきり扉が開いて、元気のいい子供の声が聞こえた。
「ゆうごはんっ!……あれ、一人?」
 振り向くと、一人の小さな少女がいた。先刻も会ってる、泡の塊だった娘だ。
「あ、ああ、うん。すぐ戻ってくるよ。ご飯?」
「うん、一緒に行こう、って思って呼びに来たんだけど」
 名前は思い出せないと言うか、はっきり聞いてないというか。
――てき?
 認識だけは間違っていないようだった。
 しかしこうしてみればみるほど。
――……子供
 むねぺたん。
 ちんまい。
 どう見ても年下。
――……勝った
 何をどう比べたのか、少しだけ安心したキリエだった。
「……来るよね」
 思いっきり開いた扉に身体を預けて、両腕でまるで通せんぼするように覗き込んでいる彼女。
 上目遣いに――必然的に上目になるんだが――彼女を見つめる様子は、子供子供していて少し怯えているようにも見える。
「うん?どうしたの、すぐ行くよ」
 だから安心させるように笑って彼女の側まで近づくと肩を叩いた。
「そんな風にぶら下がってると通れないから」
 何となく、邪険にするには幼さが酷く目立ってしまいそれ以上は考えないことにした。
 取りあえずいい。
 キリエにとってのまおは、そんなスタンスに落ち着くことになった。


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