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魔王の世界征服日記
第47話 おんなのたたかい。


 断る理由はない。
「……ああ。そうだな、まだ顔を合わせた程度だ、まず自己紹介をお願いして良いか」
 キリエより早く、まずユーカが提案した。
 もっともだ。
 ヴィッツは笑いながら頷いて、自分の名前を言った。
「ヴィッツ=アレスです。一応魔術の勉強をしてることになってますけど、実際にはウィッシュ姉さんのお手伝いみたいなものです」
 ユーカは小さく二回頷く。
 だいたい見立て通りだ。このヴィッツという娘は魔力自体小さい。
 修行中にしては魔力を感じなさすぎる。制御できている高位術者ならともかく、だ。
 ユーカの見立てはそんな感じだが、実は大きな間違いである。一応、念のため。
「姉さん……って」
「ああ、それは私が勝手に呼んでるだけです」
 きっぱり。
 キリエの質問にすぱっと断ち切るように答え、にこやかに続ける。
「姉さんはウィッシュ=ニーオって言います。望姉さん、ウィッシュさんはご自分で錬金術も修得なさってますから、尊敬します」
 両手を合わせて祈るような仕草。
 きらきらきらと星が散っているようなその光景に、キリエは少しひく。
 さっきまで顔が上気していたのまでひいて、冷静になってしまった。
「そうか。なら納得したよ。私はカサモト=ユーカだ。あの大きな手袋の男の妻だ」
 きょとん。
 ぱちくりぱちくりと二回またたいて、困った顔でおそるおそる聞く。
「……手袋のヒト、ですか?」
「ああ、そうだ。ああ見えても男だあいつは」
 はあ、と気のない声で答え、彼女は首を傾げる。
「まあ見えないよね。アレは」
「あなたはどうなんですか?」
 顔毎くるりとキリエに向けるヴィッツ。
 声をかけておきながら、びっくりしてのけぞるキリエ。
「お、俺?」
「そう、あなたです。その――ナオさんと」
 ぼんっ、と音を立てそうなぐらい顔を真っ赤にして、卒倒しそうなぐらいのけぞる。
「ああ、あ、あ、あああ、ああ、ああ」
 上擦った声で何を言いたいのか、「あ」から言葉が先に続かない。
 焦ったキリエは一度自分の口を押さえて、ごくんとつばを飲み込んだ。
「なんで俺はナオが?」
 てにおはがおかしい。
「おいおいキリエ。調子おかしいんじゃないか?もう風呂から上がった方がいいぞ」
 笑いながら、ユーカは有無を言わさずキリエをつかむと強引に引き起こす。
――いいから落ち着けよ
 笑いながら、目でそう言う。
 キリエは貌こそ何ともないが、明らかに目はおかしい。
 きょときょとと落ち着く動いている。
 首根っこひっぱたいて、そのまま湯船から引き上げる。
「あうあうあう」
「判ったな」
 こくこくこく、こくん。
 まったく。ユーカは苦笑いをして呆れて見せた。
――素直なんだか、素直じゃないんだか……
 そして、ついさっきまで身体を隠してたことまで忘れて、ふらふらと立ち上がる。
「もし何の関係もないのでしたら、声を掛けさせていただきます」

――!

 凍り付く空気。
 あからさまに身体を緊張させるキリエ。
――いきなり何を言うかこの娘は
 ユーカですら、今のヴィッツの言葉に含まれる棘のようなものに声が出なくなってしまった。
「待てこら」
 だが、その沈黙を破ったのは、さっきまで溺れそうなぐらいお湯をかけられていた娘だった。
 まおだ。
 無論しっとり濡れてぺたんと頭の形が見えるまん丸い頭で、顔に張り付いた前髪のせいでますますまん丸い。
「あーんん?ちょっとー、そこまでつらーかしてもらおぅか」
「まお様、思いっきり棒読みでございます」
 とは言いつつも、ウィッシュは彼女を止めようとしない。
 ヴィッツもまたつん、とすまして彼女を無視する。
「まお様。おっしゃってる意味がわかりません」
「判りませんじゃないーっ。なーにとぼけた事いってるんだー」
 つかつかつか。とぷん。
 まおは眉をつり上げたままとことこと湯船に入り、ヴィッツに近づく。
 こうして見れば特に判るが、ほとんど首までつかってしまっているヴィッツはかなり小柄である。
 小さめのまおと並んでもさらに小柄だ。
「まぢゅつしはできる限り俗世から隔離するんだぞ」
 どこでそんな言葉を覚えてくるんだか。舌も噛みそうだぞおい。
 ウィッシュはにこにこというよりは苦笑いを浮かべて二人を見比べ、視線をユーカ達に向ける。
 もうさっきのショックから回復したらしいユーカは優雅に(いや、ギャグではない)お湯につかって楽しんでいる。
 キリエは湯船の外で元が判らないぐらい顔を崩して驚いたまま、固まっている。
――ごめんね
 まおの頭上で右手を立てて、ユーカにウインクする。
――まかせた
 ユーカはそれに応えて頷き、ざばっとお湯から上がる。
「ほら、早く上がるぞキリエ。ほら」
 彼女はそのままキリエを連れさらうようにして、ずるずると脱衣所へと向かう。
「何を考えてるんだ!いってみろ!」
 まおも周囲が見えていないようで、片腕をぶーんと振り上げて叫ぶ。尤も、全然怖くないが。
「何?……それはまお様、お聞きにならなければならないほど鈍感なのですか」
 ついと目を開けてヴィッツは上目遣いにまおを睨み付ける。
 にらみ。
 じと。
 半眼でじとーっとにらみつけているまおと目が合う。
 無言。

  ぱぁん

 その二人の間に、突然差し込まれる甲高い音。
 それが手を打ち合わせたのだと気付くのに一呼吸。
「はいはいはい、終了終了ーっ。もう誰も周囲にいないから、いいでしょ?ヴィッツ、まお様」
 びくん、と驚いて背を反らせた二人に、ウィッシュは言う。
「の、」
「うぃっしゅ。……あんた何か知ってるでしょ」
「知ってるでしょ、じゃありませんまお様。全く何しに来てるんだか……」
 と呟いてからはたと気付く。
「…………。何しに来てるんでしたっけ?まお様?」
 かぽん。
 どこかで桶が音を立てて、湯気がゆらゆらと揺らめいた。

「だから、あーもう……キリエ、占って欲しいんだったらもっと閑かにしてくれ」
 カードや水晶球をぶちまけた状況で、ユーカは耐えきれなくなって叫んだ。
 自室に帰ったユーカは、取りあえず茫然自失になっているキリエを正気に戻らせようと着替えさせた。
 『占って』という彼女の言葉を聞いて占いを始めたまでは良かったんだが。
 このありさまである。どうやらまだ完全に『向こう側』にいるようだった。
「え……ううん、閑かにしてるよ」
 いつもよりも気の抜けた声で、彼女は答える。
「それだけ気が抜けてりゃ、普通は閑かな物だ。それをお前は」
 大きくため息をつく。
 今彼女は、キリエと向かい合わせて座っている。
 彼女が抱くように持っている水晶球の前に、完全にぼけっとしているキリエが居る。
 キリエは、彼女の前でゆらゆらと身体を前後に揺らしたり、何が楽しいのか両手が机の上で踊ってたりする。
 どうやら頭と身体が完全に別物のようだ。
「……珍しい症状だな。サンプルとしては面白いかもしれないな」
 呟いて肩をすくめる。
――告白されてこれならそれなりに理解できるんだが
 取られそうになってぼけるというのはどう言うことか。
 ユーカは頭が痛くなった。
「一つ提案させてもらっていいか?」
 左手でこめかみを押さえ、片方の眉根を上げて困ったような表情で言う。
「豪快に振られるなりした方が良い。告白してこい」
 すると、それまでぼぉっとしていた彼女の顔に血の気が戻りというか流れ込みというか。
 一気に真っ赤になって、そのまま勢いよく真後ろにふらりと。
「わわっ、こらキリエ!」
 焦って椅子を蹴って彼女の後ろに回り込み、倒れる彼女を支える。
 完全に――気を失っていた。目を回して。
 思いっきりため息をついて、呆れたように笑って彼女をそのままベッドへと運ぶ。
「もういい、判ったキリエ。まずは慣れないと駄目みたいだな」
 考えてみれば彼女は女の子の自覚自体まだ慣れていないようだし。
「ここは一つ私が一肌脱ぐしかないな」


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