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魔王の世界征服日記
第46話 こんぷれっくす


 ウィッシュが言葉を続けようとするのを、まおは鋭い吐息で遮った。
 ウィッシュも、それ以上言葉を続けず、一度つばを飲み込んだ。
 果たしてまおがどうでるか。
 少なからず、今のは動揺を誘う事が出来たはずだ。
 まおの記憶がいい加減であることは彼女達も良く知っている。
 彼女達が魔王から作られていながら、魔王から独立できる存在であるという利点はある意味で欠点でもあった。
 まお(魔王)の思惑から、どうしても外れる存在になってしまうという事だ。
「やっぱりあんたら、嫌いだよ。絶対好きになれない」
 まおは珍しく眉を吊り上げて言い、空いた三つ目のベッドに荷物を放り投げる。
 そして、いそいそと着替えを取り出してタオルにくるむと、きっと二人を睨み付ける。
「おふろいくよ!おふろはいって夕飯食べるよ。取りあえずあんたら、私の弟子扱いなんだからね」
 苛々して足音を大きく、彼女は先頭で部屋を出る。
 扉の向こうに消えようとするまおを見て、二人は貌を見合わせて。
「……取りあえず、いこか」
 考えるのは後にした。どうせ、時間は幾らでもある。

 女風呂。
 この宿は風呂が大きく、大浴場一つだけで宿泊客全員分まかなえる程ある。
 同時に全員入れる風呂というのはまずないが、このニホン大陸の殆どの宿が大きな風呂を持つ。
 場所によっては露天だったり温泉だったりするのだが、ここは普通の『風呂』である。
「なんだキリエ、風呂に入るのが怖いのか?」
 ユーカは脱衣所で服を籠に放り込みながら、後ろでもじもじしているキリエに声をかけた。
「そ、そんなんじゃない」
 実際良く保養施設にも出かける。ユーバリとか。
 女性だが、よく言えばあっけらかんとしていて、悪く言えば恥を知らない彼女。
 端的に言って、ユーカにこんぷれっくすという奴を持っているのだ。
「手ぬぐい一つだぞ。風呂にタオルはいらない」
「判ってるっ」
 もたもたしているうちに全裸になったユーカは風呂へと向かう。
 髪の毛は纏めて紐で縛り、アップにしている。
 じと。
――身体のラインとか、綺麗だよなぁ
 じろ。

  ぺたん

 ぐすん。
 ため息を盛大について、がくんと項垂れる。
――……別に、クガはどうでもいいけど
 もう一度目を向けたときには、既に湯気の向こう、扉の向こうに姿が消えている。
「いい?お風呂ってのは遊んじゃダメなんだよ」
「そんな事を知らないのはまお様、あなただけです」
 ぎゃーぎゃー言う声が、入口のほうから聞こえてくる。
 のれんをくぐって――と言っても、のれんに手をかける必要があるのはウィッシュだけだが――先刻の三人が姿を現した。
 キリエは思わず手ぬぐいを自分の身体の前に垂らして、早足で風呂場に向かう。
「キリエさん、今からお風呂?」
 ウィッシュはにこにこと声をかけるが、キリエは困ったような笑顔を返して小首を傾げる。
「え、ええ」
 ウィッシュもすらりと背が高く、スタイルは良い方だろう。
――なぜ魔法使いばかり
 貌を引きつらせて挨拶して、逃げるように彼女は風呂場へと入った。
 そそくさと洗い場で身体を洗って、ざぶざぶと頭からお湯をかぶる。
「隣、いいですか」
 前髪に垂れる雫を右手で払い、声にキリエは顔を向ける。
 ちょこん、と自分より小さな女の子がそこに座っている。
――おかっぱ……確か名前は
「ヴィッツさん?」
「ヴィッツで良いですよ。キリエさん」
 にこり。
 どう見たって、自分より年下の女の子が自分を見上げている。
 彼女も笑みを浮かべてそれに応える。
「じゃあ、俺もキリエでいいよ。かしこまられたら、こっちが気にするから」
「そうですか?でも……呼びにくいのでさん付けはします」
 ちょっと目を伏せて考えるように言葉を切って、彼女はそう言い切った。
 見た目はこんな感じだが、もしかすると同じぐらいの歳かも知れない。
 彼女はもう一度頭からざぶざぶとお湯を被り、隣のヴィッツを観察するように見た。
――子供、だよなぁ
 桶をおいて、頭を洗い始めたヴィッツを見て、彼女は湯船へと向かう。
「うにゃー」
「ほらほら、動かないでくださいまお様。目にも口にも入りますよ」
 何故か、湯船の向こう側の洗い場で、ウィッシュはまおを洗っていた。
「いや、つーかアレはどうなんだろ」
 精確に描写してみよう。
 ウィッシュが長い髪を纏めて、頭にタオルを巻いている。まあこれはいい。
 彼女の腕は大きめの泡の塊に突っ込まれている。
 泡の塊からは、時々妙な声が聞こえたり、亜麻色の触手が伸びてきたりしている。
 呼吸でもしているのか、一カ所から泡がぽふっ、ぽふっと定期的に吹いて。これに声が混じるのである。
「……まあ、いいか」
 嬉しそうなウィッシュが妙に印象的だった。
「遅いぞ」
 湯船に足を入れると、先に入っていたユーカが明るく声をかけてきた。
 背を預け、両足を伸ばして組んで居るのが見える。
「ごめんごめん」
 自分も、彼女と向かい合わせになるぐらいの位置で同じように座り込む。
 桶の音、先程から聞こえる奇妙な声をBGMに、ユーカはとろんと眠そうな笑顔を浮かべている。
 いや、いつも眠そうだが、今回のは妙に幸福そうだともいえる。
「でも鍵なら俺の服にあるの、キリエ判ってるだろうが」
「駄目だ。私は、喩えそれが宿の鍵であろうと人の服から取る真似は出来ない」
 硬い奴だ、と思う。
 キリエは頷くでもなくユーカの顔を見つめて鼻を鳴らす。
「そうかー。ま、ユーカは昔からそんな感じがあったよな。……だからクガを選んだとか?」
 ミチノリは、孤独だった。
 あんな性格と見た目だが結構過酷な人間関係を持つ。
 父親は不明。母も幼いうちに亡くなっている。
 その後は祈祷師についていって、実質の親子と言えるのが彼の師匠になるのだという。
 しかし彼もミチノリを独り立ちさせてすぐに亡くなっている。
「……そうだな」
 意外にも、彼女は目を閉じたまま考え込むように応える。
「それもあったのかもしれない」
 自分の前に伸ばした両腕を、ちゃぷんともう一度湯の中に付けて、腕を組む。
「キリエ。自分は、本当の所どうなんだ」
 そう言って目を薄く開いて湯気の向こうを見透かすようにして、キリエを見る。
 う、と顔を引きつらせると首を傾げて答える。
「本当って。……まあ、最近気がついたって言うか、その……すぐ側にいるからかなぁって思う事もある」
「まああれだけドツキ合いしてるから、仲が良いのは知ってるが。お前は『これでいいのかな』とでも思ってるか」
 ふう、とため息をついてキリエの反応を見る。
 キリエは時々瞬きを繰り返しながら、目を逸らせた。
「今だけど言うが」
 『だけど』か。『だから』じゃないのか。
「横からかすめ取られそうになると、烈火の如く怒るのは考えた方が良いぞ」
 ふう。
 ため息をつくように小さく吐息で水面を揺らす。
 ふわりと湯気が舞い、一瞬キリエとの間がクリアになる――尤もそれはほんの一瞬。
「……どういう意味だよ」
「はっきりさせておけと言っているんだ。まあ、ナオがあれだけ鈍感……まあ、お前にも問題はないわけではないが」
 キリエは腰を浮かせて睨みながらずいっと彼女に近づいてくる。
「何だよ」
 湯気の向こう側でも、上気したキリエの頬はよく判る。
 ユーカは片方の眉を上げるようにして、口元を歪めて答える。
「一度『これだ』って決めて見ろって言う話だ。別にそれで結婚する訳ではないし、何か迷う理由でもあるのか」
 ん?と鼻を鳴らして聞く。
「それ以降気まずくなったりするかも知れん。だがそれはそれだ。……後で占ってやろう。どうだ?」
 キリエは怒り顔のままその位置で固定する。
 顔も。
 身体も。
 目の前の夫持ちが言っている言葉は正論だ。
 このまま何事もない事を望んでいるならまだしも。
「あう……じ、じゃあ、占って貰おうかな。うん」
「素直じゃないな。だがまあいい。私はキリエのそう言うところは気に入って居るんだ」
 くすくすと笑って、真っ赤な顔のキリエを見つめる。
「じゃあ、取りあえず落ち着け。離れて座れ」
 真っ赤な顔でそのまま、まるで巻き戻すようにしてずるずると戻っていく。
「あ、あのさ」
「失礼しますね」
 先刻まで聞こえていた奇妙な声が悲鳴に変わる。ウィッシュが容赦なくまおにお湯をどばどばかけているところだ。
 そんなテンポで、話を続けようとしたキリエの側に声が割り込んできた。
 ヴィッツだ。
「私もお話に参加していいですか?」


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