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魔王の世界征服日記
第39話 最後の夜


「判ったよ。出てくよ。ナオ!明日起こしに来るからな!覚悟しとけよ!」
 扉の向こう側まで聞こえる大きな声で叫ぶと、ふん、と鼻息荒く彼女は階段を下りていく。
 それに続いて、タカヤも階段を下りる。
「まあ、明日も入れるようにしておくから。あんまり暴れて他人を起こすなよ」
「判ってる。タカヤ兄、ごめん。迷惑かけて」
 ぺこりんと頭を下げる。
 ナオに対してはつんけんしてるが、彼に対してはそれなりに素直なのである。
 素直というか真面目というか。
「んーん。まあ餞別代わりだ。冗談抜きで、シコクはやばい場所だって聞くからね」
 真面目な顔でこくんと頷く。
「気を付けて、きちんと帰って来いよ」
「はい。俺にとってはここは家ですから。タカヤ兄は本当の兄さんだし」
 笑って応えるタカヤの額には何故か冷や汗が。
――言い切られたよ
 少しだけ哀しかったりしたりした。
「ああ、ともかく頑張ってこい」
 頷いて立ち去るキリエを見送って、タカヤは大あくびしながら自分の部屋へと引き返した。
 まさか、今晩に限ってもう一人の客が来るとも知らずに。

 荷造りは難しくない。そもそも遠征用の荷物は既にくくってあるのだ。
 保存食を厨房で貰って、着替えを詰め直して、武装を確認する。
 毎日のように研ぎ、磨き、丁寧に油を引いた斬魔刀。
 握りに巻き付けた革紐などは既に変色しているが、使い込んだ作りは彼の手にしっくり馴染む。
 包んでいた油紙を剥がし、持ち運ぶ際に傷が付かないようにする鞘に収める。
 こうしてみると、彼の身体に合っていないぐらい大きく見える。
 彼はそれをベルトに付けて、今詰め込んだバックパックの側に立てかける。
 後は寝るだけ。
 一息つくと、もうだいぶ時間が経っている事に気がつく。
――もう寝よう

  こつん

 その時、彼の部屋の外に気配がした。
 目を細めて顔を向けると同時、ノックの音がする。
「はーい」
『……ナオ』

  どくん

 今の今まで、先刻のキリエの御陰で忘れていた事を思い出して、まるでぶん殴られたように硬直する。
 扉の向こう側に、フユがいる。
 司令官権限でも使ったのか?思わず彼は有らぬ疑いをかけてますます自分を精神的に窮地に陥れる。
「ね、姉ちゃん?」
 取りあえず返事だけは返さないと怪しまれる。
 咄嗟に反応して、取りあえず呼びかけてみる。
『ナオ〜、鍵開けろよ、将軍が入れないだろう』
 入れるな馬鹿野郎。
 思わず口の中で悪態をつきながら扉に向かう。少なくとも、二人きりで会う事にはならない。
 少しだけ、その意味に安堵しながら彼は扉に手を伸ばした。
「はい」
 がちゃり。
 そこには、頭一つ分ぐらい背の違う二人が立っていた。
 背の高いタカヤと比べると、下手すれば子供にしか見えない。
「姉ちゃん、何だよこんな時間に」
 言いながらちらりとタカヤに視線を向ける。
 まさか本当に部屋に入れる気じゃないだろうな、と。
 睨まれても彼は顔色を変えないのだが。
「……どうしても、今夜のうちに話をしておかなければいけないから」
 じ。
 眼光に力がある。力強いといえば聞こえは良いが、逆らえないと言うとニュアンスがまた違ってくる。
 有無を言わせないその目を見て、彼は頷く。
――それは、こっちも同じ
 何故あんな事をしたのか。
 考えるだけで頭の中がパニックになる。
 せめて本人に問いたださなければ、この気は収まらない。
「付いてきて」
 ふいっと振り向いて、確認もせずに歩き始める。
 ナオは慌ててランプを切って、部屋を出るとタカヤを見上げる。
 彼が苦笑して肩をすくめるのを確認すると、フユの背中を追った。
「まさかねぇ。ま、姉として何か言うことでもあるんだろ」
 呟いて、今度こそと思いながら自室に向かう。
 でも次があるんじゃないかと思い直して、彼は秘蔵の睡眠薬を使って眠ることにした。
 そんな疲れたタカヤはともかく、ナオとフユは訓練場の中央付近にある樹に向かう。
 数本立てられていて、訓練用に布製のパッドや藁を巻き付けてあったり、ロープで木片がぶら下げてある。
 訓練するための場所であるが、この樹を植えた理由は、訓練の合間の休憩のため、である。
 小さな木陰、僅かな緑であっても充分心身共に癒しを与える。
 フユの提案で、アキが決めた物だ。
「サッポロはね、ナオ。私達が護ってきた国」
 フユはその中でも中央にある一番大きな樹の根本に立って、幹に手を伸ばす。
「サッポロ防衛軍は、魔物の進入を赦したことのない軍隊だって、誇りがある」
 視線を幹からナオへ。
 彼女は伸ばした手をそのまま幹に押し当てて、体重をかける。
「今回の特務は、違う」
 ナオとフユの間にある距離は少しだけ遠くて。
 手を伸ばしても届かない。
 ナオが警戒してそれ以上踏み込もうとしない。
 彼女はそれに気が付いているのか、いないのか、淡々と話を続ける。
「話は聞いた?」
 彼が首を振るのを見て、フユは幹から手を離して真正面からナオに向かい、じっと見つめる。
 ナオは顔を背けて地面を見ている。
「『勇者捜索』の旅だそうね。私達はサッポロを防衛するためだけにいて、彼らは――魔物を殲滅でもする気らしい」
 フユの足下の砂が鳴く。
 ナオはそれを耳ざとく聞きつけて、僅かに身体を引く。
「ナオ」
「待って姉ちゃん」
 僅かに目を見開いて、フユはナオの様子に驚く。
 黙っていたから気づかなかったが、彼は自分を睨み付けている。
「動くな。それ以上動かないで、動いたら俺はもう姉ちゃんを信用できなくなる」
 フユは言葉を探るように、そこに仁王立ちに立ちつくした。
 ナオはその様子を見て、言葉を継ぐ。
「姉ちゃんがなんて言おうと、俺は特務に行く。あいつらが俺を必要としているから」
 単純明快な、自分の決意を彼女に伝えるつもりで。
 かなり思い切ったつもりだったが、フユの顔色は全く変化しない。
「……だから?」
「え?」
 ナオは間抜けな声を上げて、眉を吊り上げる。
「だから、何なの、ナオ。特務に行くことは判ってるし、行かなきゃならない。……それで?」
 逆にナオは戸惑った。
 夕方に泣きながら引き留めたのは誰だ。
「私には」
 ふっとフユの貌に浮かぶのは、笑顔。
「その続きの方が大切。事実よりも――ナオ、貴方の決意はどうなの」
 顔つきは変わっていない気がするのに、強く睨み付けられているような気になって、ナオはたじろぐ。
「何度も私は言ってきた。『魔物は怖ろしいもの』だと。……魔物は怖い?」
「怖くなんかないっ」

  ぱん

 ほんの二歩踏み出して、フユの左手がナオの頬をはたいた。
 完全に呆然としている彼に、フユは眼光を変えずに言う。
「魔物は怖い物なの。判る?何度言えば判るの」
 ほとんど表情の変わらない彼女が、目をつり上げた。
 この貌はよっぽど怒っている時ぐらいにしか見ない。たった一度だけ、昔、子供の頃に見たっきりだった。
「あなたはこれから、魔物の巣窟に向かわなければいけない。今までみたいに待ち受けてる訳じゃない。怖さも知らずに行って生きて帰ってこれると思っているの」
 声色は変わらない。相変わらず淡々と、冷たい口調で彼女は続ける。
「ナオ。判る?魔物はまだ一度も見たことのない様な物だっている。あんななりをしていてもヒトを喰らう」
 強い。淡々と話しているが、語彙に含まれる「力」は、言霊使いとしての物に違いない。
 ナオは、今目の前にいる姉が『姉』だと強く実感した。
 これが俺にとっての姉なんだ。そう、彼は思った。
「……うん」
 だから逆らうことはできなかった。
 素直に聞き入れるしか、抵抗する術はない。
 頷いてから彼は姉を睨むようにして顔を上げる。
「でも姉ちゃん。俺、そう言う意味で怖くないんじゃない。別に魔物を侮ってる訳でもない」
 怖くない。それは、自分の中にある弱さであり、脆さであることを理解していればいい。
「慣れた訳でもない。でも、いざという時魔物が怖くて身体が動かなかったら、それこそ危ないだろ」
 ぎゅむ、と右手を握りしめる。
 きしりと自分の腕の筋肉が締まり、拳が小さくなる。
「誰かのためでも良いと思う。とにかく、斃さなきゃいけない相手を全力でしとめることができなくて部屋の隅で震えているなんて」
 ナオは首を振って、右腕を振り下ろした。
「俺はしない」
 きっと目をフユに向けて、睨むようにして彼女を見つめ――いや、窺う。
 フユの表情は変わらない。
「ナオ」
 彼女は右手をナオに向けて伸ばした。


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