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魔王の世界征服日記
第37話 姉


 サッポロ防衛軍対魔軍訓練施設。
 出発は明日の朝。
 ナオとキリエは荷物をまとめる為に、一度ユーカとミチノリの二人と別れる事になった。
「そう言うわけで、明日の朝トマコマイ砦で落ち合おう」
「たのしみにぃ、待ってるよぉ〜」
 大きな手を大きく振りながら、ミチノリはユーカを抱きしめるような格好で去っていった。
 キリエと並んで宿舎に帰りながら、ナオは悩んでいた。
 別に、特務で彼らと旅に向かうのは構わない。何かそれに関わっているらしいこともあるなら尚更だ。
 だがそれとは全く別の事で気になることがあった。
――フユのことだ。
 特務とは言え、少なくともフユと離れることになる。
 実は今まで実戦を積んだ中で、必ずと言っていい程フユの手の届かない所はなかった。
 この間のトマコマイにしてもそうだ。最終的に自分が出張るような真似までしたぐらいだ。
 尤もあの時は彼自身『ナラク』に引きずり込まれそうになったのだが……。
――絶対に反対するよな
 もしかしたら妨害工作をするかも知れない。
 そこまでしなくとも、間違いなくアキの所に掛け合いに行ってるだろう。
――過保護すぎるんだよなぁ、姉ちゃん
 この間のユーバリの事を思い出して顔に血が上ってくる。
「どうした?」
「あ、いやなんでもねーよ。ちょっと姉ちゃんの過保護さを思い出しただけだよ」
 ぬっと覗き込んでくるキリエをあしらって、ぷいと顔を背ける。
 キリエもフユのことはよく知ってるだけに、笑って肩をすくめる。
「そーだよなぁ。フユ将軍、お前にべったりだもんな。……そう言えばお前、母親っていないのか?」
 もっともな質問に彼は首を振る。
「いーや。うちの母さん、アキ姉とそっくりでさー。今は自分の家から出てこないけど、うん。そう言えば何年会ってないんだろ」
 言ってから慌ててキリエを見返して、彼女が普段通り変わらない様子に胸をなで下ろす。
 彼の様子に気づいて肩をすくめてみせると声を上げて笑う。
「ばっか、何気にしてるんだよ。そんな前の話で」
「いや、お前普通気にするだろが。結構無神経だなお前も」
 何故か眉を寄せて困った顔をするナオに、にやりと笑みを浮かべて見せる。
「何だ心配でもしてくれるんだ。やさしーなぁお前」
「てめっ」
 噛み付こうとしたナオは、ふと視線を感じて顔を向ける。
 キリエも視線を向けて、笑顔を消す。
 話題の人が来たから――一応、偉い人だからだ。
「ナオ」
 実際に姉弟なナオはともかく、キリエに取っては上司の上司の上司ぐらいにあたる偉い人だ。
 緊張するばかりで、他の感情など沸いてこない。
「姉ちゃん。なんだよ」
 姉弟言うよりは母性愛だだ漏れの姉が、宿舎に向かう方向から姿を現した。
「特務の話は、聞いた?」
 いつもと変わらない口調。
 そもそも冷淡と言われる程、彼女の態度に大きな変化はないのだが。
――あちゃー。やっぱりこうきたか
 ナオは眉を寄せて困った顔をすると、ぽりぽりと後頭部をかいた。
「聞いたよ。明日、トマコマイで落ち合って出立するよ」
 姉は軍人である。いくら何でも妨害はないと思っていたのだが、この様子だと強引にでも止める気だろうか。
「姉ちゃん、止める気だろ?判ってるのか?ミチノリ達の目的」
 取りあえずの行き先、シコク連合。
 もしフユの元に届いている書類に何か他の内容が書かれていたのなら是非知りたい。
――そうでなくても止めるだろう、シコクのような危険地帯に向かおうとしているのならば。
 果たして、フユは足を止めてこくりと小さく頷く。
「ええ」
 手を伸ばせば届く距離。そこでフユは足を止めて彼を見つめている。
 いつもよりも厳しい表情で。
「知っているけど教えられない。教えたらついていくだろうし、ついていくなら私から聞かなくても良い」
 もっともらしく言うと、彼女は右手を自分の口元に運ぶ。
「ついていかないのなら、教えなくても困らない。……だから、教えない」
「ちょっと姉ちゃんっ!」
 いつもの怒声を浴びせて身を乗り出して、ナオは言葉を継げなくなった。
 驚いた。目を丸くして、振り上げかけた両腕を、ゆっくり姉へと向ける。
 彼女の顔に。
「……もしかして、泣いてる?」
 目許が腫れているし、よく見れば黒目がちな彼女の目も少し赤い。
 彼の指摘にフユははっとして、直後。
「うわっ」
 ナオの想像していなかった行動に出た。
 にょきっと両腕が伸びてきて、彼の後頭部を掴む。
「ちょ、姉ちっ」
「!」
 キリエも声なき悲鳴を上げて退いた。
 フユが、背丈の高いナオの後頭部を引き寄せて、口を重ねていた。
「☆△□○#$!」
 キリエが騒ぐのも、ナオが呼吸困難で暴れるのも構わず、丁度頭に抱きつくような格好で。
――姉ちゃんっ
 近づく、直前の貌。
 何故か頭を離れない。
 直後に伸びてきた腕。
 普段でも彼女の方が何故か強くて逆らえないが、今必死にしがみついてこようとする力は、何故かふりほどけそうな気がした。
 か細く、抱き寄せると言うよりしがみついていると言う印象で。
 解けなかった。
 そこまで頭も回せない。今違和感と共に彼女の舌が口の中に入っているからだ。
「はっ」
 するりと彼の頭が解放される。
 同時、ナオは打ちひしがれた貌で自分の姉を一瞥して、一目散に彼女を突き飛ばすように宿舎へ走った。
 彼の暴走をひらりとかわしたフユの真正面に、わなわなと震えるキリエがいる。
 つと視線が合う。
「お、俺っ」
 フユの表情は、普段の冷静なまま。
 キリエと比べれば滑稽なほどに彼女は落ち着いている。
「俺は将軍の事、尊敬していました、でも、もう俺、二度と信用できそうに有りません!」
 叫び、ナオの名前を呼んで彼が走り去った方向に駆けだしてゆく。
 ぽつんと独り、フユだけがその場に取り残されて。
 きゅと彼女は拳を握りしめた。

――姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん
 彼は前も見ずにただ全力で自分の部屋へ駆けていく。
 後ろから名前を呼ばれたことにも気づいていない。
「よ、ナオってお前馬鹿っ、走るなっ」
 入り口から駆け込んで勢いよく階段を駆け上る様子を見て、タカヤは首を傾げた。
「?何だ?トイレか?」
 続いて駆けてくる音がして、そのまま顔を向けるとキリエが勢いよくブレーキをかけたところだった。
 ここ『男子専用寮』には女子は入れない。
――ははーん
 しかし、キリエはちょくちょく中にまで踏み込んで寮長である彼に怒られるのだが。
 今日は入り口で立ち止まった。それも酷く困った顔で。
「キリエ?どうかしたのかい?」
 いつものノリでにこにこと玄関まで出ると、素知らぬ振りでそう声をかける。
 キリエは彼の顔を見て困った貌を見せる。
「……タカヤ兄」
「あ、ありゃ」
 素でタカヤの方が困った。
 からかうつもりが、どうやら本当に触れるのが微妙な問題らしい。
「あー。あんまりもめ事おこすなよー。そうでなくてもお前ら、仲良すぎるって」
「明日から特務ででます。しばらくよろしくお願いします」
 ぺこりん。
 彼女が頭を下げるのに、応える間もなかった。
 来た時と同じ勢いで踵を返して走り去ってしまう。
「……何なんだ、今日は一体……」
 タカヤは肩をすくめて寮に戻ることにした。本当ならナオを絞って白状させたいところだったが。


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