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魔王の世界征服日記
第36話 いつわり


「望姉!」
 それは、今先程の魔物の前に立つ、女性型魔物だろう。
 顔形も先程の魔物によく似た、丸顔に大きな丸い目。
 そして、彼女の膝ほどまである長い髪、身体のラインが見えるような蒼いズボン。
 何故か左足は膝までしかなく、右足は同じほどの位置に白いリボンが巻き付けてある。
 上半身を包む革製のジャケットを大きくはだけさせていて、黒い、肩のラインを浮きだたせるノースリーブにハイネックのシャツが見える。
 両手に指ぬきの革製の手袋を填めていて、手の甲に幾つも見覚えのある錨を打ち付けている。
――あれは『強化』……!
「『Ash』」
 ばん、と空気が破裂するような音が聞こえた。彼女が地面を踏みつけたのだ。
「ヴィッツ、早く」
 視線をフユに向けたまま彼女は言う。
 先程まで捕らわれていた方の魔物の身体は、彼女の周囲は白い粉のようなものが敷き詰められているだけで、完全に自由になっていた。
 驚いたように一瞬見上げると、すぐ頷いて真後ろに走り出す。
「――おっと、動かないでね将軍。判ってるよね」
 髪の毛も長いが、身長もかなり高い。
 先刻の魔物に「望(のぞみ)」と呼ばれていたが、果たして彼女の名前だろうか。
 フユは魔物を見上げながら、既に思考は高速回転を始めていた。
――どうする、多分先程何らかの術で割り込んできたのはこの魔物だ
――先刻の魔物は直接手を下し、この魔物がサポートするということか
――しかし何より疑問なのは、何故こんな非効率的なことをするのか
「あなたが先程私に……」
 じり、と足下の砂が鳴く。
「そうだよ」
 返事が帰ってくると同時に、フユは再び両手を背中に回し、ばしゃりと音を立てて言霊扇を構える。
 多分彼女相手に、気を抜くことは出来ない。
 出来る総てをつぎ込まなければ勝てない。
「一応名乗っておかないとね。ボクはウィッシュ=ニーオっていうんだ」
 そして、可愛らしい顔立ちを暗い色に染めて笑う。
「良い夢、見れたかい?お姉ちゃん」

  ひゅぅ

「動かないでって言ってるんだよ!」
 甲高い金属的な音を立て、ウィッシュの目の前で金属が火花を立てるだけ。
 フユは自分でも驚くほどの速さで踏み込んだというのに、完全に防がれてしまった。
 振り下ろした言霊扇は、ウィッシュの眼前何もない空間で、彼女の力を押し返すように震えている。
 そして、その体勢のまま動けなくなる。
「っ」
 身体を動かそうとしても、何かに捕らわれているように引きつれる。
 ウィッシュは笑みを浮かべて、一歩下がると両肩をすくめた。
「不意をついたり、初めから罠を張っておくと案外脆いんだね」
「貴方は、魔物でしょう?魔物に魔術師なんかがいるんですか」
 先程の魔物と丁度立場を入れ替えたような形で、フユは空中に縫い止められている。
 どんな風に動こうとしても、まるで身体を押さえつけられているように上半身が動かない。
――この術は一体
 言霊ではない。言霊は確かに強力だが、直接何かを別の物に変えるような事は出来ない。
 先刻魔物を救う時、岩になった土を一瞬で灰にした。と言う事は。
「魔物で錬金術をやっていたらおかしいとでも」
 はん、と嗤いながら肩をすくめる。
「半分ぐらい独学だよ。判る?暗い何もない地下室に閉じこめられている苦痛ったらないよ。暇だしさぁ」
 ゆらりと、まるでそれが生き物であるかのように長い髪がひとりでに揺れる。
「でも、それでもボクの役には立ってくれるさ。実は殴り合いの苦手なボクにとってね」
 に、と笑みを浮かべ、彼女が両手を腰に当てて、動けなくなったフユの顔を覗き込み。
 そしてくるりと背を向ける。
「っ、待て、待ちなさいっ」
「ばーか、待つわけないだろー。逃げなきゃ殺されるからねー」
 右手をひらひらとさせると、思い出したように立ち止まって振り返る。
「そうだなー。でもヴィッツの分の仕返しはしておかなきゃね」
 くるり。
 思い出したように振り返ると、にやにやと笑みを湛えたままじろじろとフユを見回す。
「な、何をする気ですか」
 視線から逃れようとするように、彼女は身体をくねらせる。
 が、勿論その場から動けるはずはない。ただ少しだけ動くのが関の山だ。
 ぎしりと、全身を締め付けるような感触に顔をしかめる。
「どうしてもらいたい?ボクも慈悲のある方じゃないよ」
 明るい顔をずいと彼女の顔の間近まで近づける。
 呼吸が肌に触れる程、フユは彼女の顔の熱を感じて背を張りつめる。
「他の魔物達と一緒にされても困る。ボクら、これでも結構人間には詳しいんだ。食事にする奴らに比べれば、まだ可愛いかな」
 くすりと笑って顔を遠ざける。
――これが千載一遇のチャンス
 フユは。
 ほんの僅かなその隙を狙う事を忘れなかった。
「『切断』」
 彼女の身に纏った魔力が、その霞のような力の欠片が、一気に『言霊』を伝えた。
 ぱきぱきという音は空間を伝わり。
 ウィッシュは顔を強ばらせた。
「っ!」

  しゅ  ぎぃん

「あまい――ですね」
 術を解くには、その術がどんな物か判らなければならない。
 僅かな間合いしかなかったそこへ、自由になったフユの神速の踏み込みからの上段切り。
 振り下ろした言霊扇は、再びウィッシュの目の前で止まる。
 同じように火花を散らしながら。
「術ですら、長時間拘束はできません。まして私達に『物理的』束縛などは時間稼ぎ程度」
 フユの服は僅かに切り刻まれていて、両腕には蒼い痣が浮かび上がっている。
 まるで何かに縛られた跡のような細い痣だ。
「鋼糸の網とは気づくのが遅れてしまいましたが」
 ウィッシュは、何かをつかんでいるような格好で、両腕をピンと伸ばしている。
 言霊扇が立てる火花は、丁度その見えない何かに触れているようだ。
「なかなか――お見事」
 フユがさらに踏み込んで、左手の言霊扇を一閃する。
 だがそれより早く飛びのいて、ウィッシュは大きく自分の髪の毛を膨らませる。
「あははははは、殴り合いは苦手だって言ってるのに!」
 跳躍に合わせて右腕を振る。
 ちくりと痛みが走り、慌てて両腕で顔を庇った直後小さな痛みが腕を襲う。
「半分は正解さ!残念ながら半分な!」
 大きく跳躍して間合いを離して行くウィッシュ。
 幾ら急いだとしても絶対に間に合わない。
「くっ……」
 腕には何か見えない物が刺さっている。
 多分踏み込んでもまた同じ物が飛んでくるだろう。
「待ちなさいっ!」
「フユ将軍!やっぱり魔術の耐性は高いみたいね!それから弟に変な趣味は持たない方が身のためだよ!」
 大きな声で捨てぜりふを吐きながら、数回の跳躍で完全に彼女の視界から消えてしまう。人間には有り得ない跳躍力で。
「……そんな事を、大声で叫ばないでください」
 今日何度目かのため息をついて、彼女はそれを見送った。
 フユは顔をしかめて、自分の腕に刺さっている物を眺めた。
 それは細い、長い鋼糸のようなもの。
――意外と……深い
 顔に入っていたら、神経を潰されたかも知れない。
 丁寧に一本一本抜きながら、姿を見失ったことを後悔し始める。
――でも、何故あんな魔物が……今更
 フユは眉を顰めた。
 確かにサッポロはまだ魔物の侵攻は少ない。
 彼女の働きで、一歩もこの大陸に踏み込ませていないと、思っていた。
 それを覆す魔物。
 彼女の知る限り、ヒト型をしたこんな魔物はいない。
 魔物と言えば、単純な造形をした知性のない存在。
 ただ何の意志もなく突撃を繰り返し、意味もなくヒトを食い散らかす。
 生き物である限りは生命活動と言えるだろうが、群を作ったり雄雌の区別があるわけではない。
 知恵もなければ、『生き物』としての本能も、本当に存在するかどうか判らない。
 しかし先程の『生き物』は、人間に酷似して、言葉を操り。
――そう言えば
 この間見かけた少女の姿をした魔物も、強力な魔力を持ち、術を行使した。
――魔物の質が変わってきている?
 実は雑魚の魔物以外の魔物は、その数がとても少なく前線に立つ指揮官クラス位しか人間の前に現れない。
 それも実際に戦場になった都市にしか姿を現さない。
 フユのような戦いをしていたらまず貌を見ることはないだろう。
 しかし、今目の前にいるような「潜入型」の魔物がいるのだとしたら、その総ては否定されてしまう。
 既にもう何人――いや、何体も侵入しているのかも知れない。
 そこまで思考が回って――彼女は戦慄する。
 今まで砦をつくって守ってきたこのサッポロの「壁」だって無意味だということになる。
――でも
 しかし、今の魔物は、ピンポイントに自分を狙ってやってきたのだ。
 そもそも紛れ込んで侵入すると言うことは、特定の戦略的目標に対して攻撃する程度しかできない。
 彼女の知る魔物のように無秩序にただ破壊をまき散らす、というような行動とは全く違う高度な戦法だ。
 魔物が、ピンポイントに目標を絞り込むもの。
――勇者……まさか
 彼女は自分の思いついた結論に慌てて首を振った。
 そんなはずはない。ただ、魔物にとって邪魔な存在だと認識されて居るんだろう。
――対策を考えなければいけない
 アキに報告して、すべてはそれからだ。


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