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魔王の世界征服日記
第32話 魔王。


 温泉旅館ユーバリの、二階にあるテラス。
 まおとナオはそこで初めて出会った。
「謝るんじゃねえ、お前は何も悪いことをやってない」
 怒鳴ってしまってからナオは慌てて首を振った。
 そしてぼん、と音を立てて顔を真っ赤にする。
「♪」
 その様子を見ていたまおは、にこっと笑みを浮かべるともう一度手すりに背中を預けて横にいるナオを見る。
 ナオはぷいっと顔を背けて、そのまま無言。
「もう少しいてもいいよね」
「知らん、勝手に来たんだろ」
 素っ気なく言ったつもりだが、まおには拗ねているようにしか見えなかった。
 フユが心配している理由。
 彼女が、ナオを縛り付ける理由。
――くー、俺何言ってるんだ
 そして何より、フユが感じている魅力の一つでもある。
「ねえ、ナオは――あ、なまえでいいよね?ナオは、サッポロのヒトだよね」
 まおは返事を求めなかった。
 特に期待しなかった。
 だから続ける。
「サッポロってさ、いーところだよね」
 そう言うと今度は手すりの向こう側を見ようとくるりと振り返る。
 彼女の眼下に広がるのは、このそれほど高くないこの旅館からでもはっきり見えるほど広く、平らな国。
 氷雪に覆われた都市が、人間の営みを示す灯りと、煙をたなびかせる。
 何故か少しだけ、それはもの悲しい風景のように感じた。
 少なくともこの都市には魔王の爪痕はない。
 全く――刻まれていない。
 サッポロの都市で、魔王が攻め立てたのは唯一トマコマイだけ。
 尤もその魔王はここでこうして温泉に浸かっているのだが。
「なんだかさ、こー……」
 何か表現する良い言葉はないか。
 思いつかなくて、思わず自分の額に人差し指を当てて唸る。
「ななしめなくて」
「……何語だ。ついでにそれがどんな状態なのか説明してくれ」
 呆れた表情のナオに睨まれて、まおは笑いながら後頭部をかく。
「えー。いやぁ」
 屈託なく笑う少女。
 はっきり言うと、こういう女の子に会うのは初めてだった。
 姉二人とも、どこか跳ねっ返った性格だ。もう一人姉がいるらしいが、実は殆どあったことがないのでよく判らない。
 フユに構われ過ぎたせいもあるのかも知れない。
 相棒は、男と変わらない。
 彼女がどう考えているのか判らないが。
 まおの様子を横目で眺めて、どう対応して良いのか迷う。
 姉ならどう扱ったって自分本位で、一番やりたいように振る舞って振り回される。
 アキなら、間違いなく掌でもてあそばれる。
 キリエならぶん殴って笑えばすむ話だ。
――じゃあこいつは?
 戸惑う。
 自分を強く主張するわけでもない。
 ここから離れようと思えば、いつでも逃げられる。
 でも、なにかがここに縛り付けるようなそんな錯覚。
――ここにいたい
 いや。いなくてはならないという感覚。
「どう思う?サッポロに住んでるキミとしては」
 びしっと右手で人差し指をナオに突きつける。
 まおは同じ位の背丈で。
 同じぐらいの年格好で。
 そして全く違う、子供。
 勿論人間。人間なのに、いや、人間だからこそ、彼女は話をしたくなる。
――人間は?
 そう、棄てても構わない、ゴキブリみたいな存在だ。
 まおは――『魔王』は、人間を蹂躙する存在のはず。
 でも『まお』は違う。
 まおはそんなものには縛られていない。
「え?」
 ナオは、まさかにこにこと笑いながら聞き返されるとは思っていなかった。
 サッポロを、どう思っているのか。
 どんな風に感じているのか。
 このサッポロを。
「……うん」
 少しだけ、彼の顔から険が消える。
 素直な貌には何の感情も浮かんでいない。何かを考えているように、じっと澄まし顔で宙を見つめる。
 サッポロ防衛軍に入隊して、この戦いを続ける理由はなんだろう。
 改めて考えたことはなかった。
 だからだろう。
「考えたこと、なかったな」
 すぐ側にあるから考える必要はなかった――そんな事ではなくて。
「俺、ここ以外の場所を知らない。ここが当たり前だから。だけど」
 ふい、と顔をまおに向ける。
 まおは笑ったまま、自分の顔を人差し指で指す。
「そんなに良いところなら、きっといいところなんだよな。俺も気に入ってるから、ここは」
 自然と笑みがこぼれた。
 人に、『いいところ』だと思って貰えたこと。
 それを自分で確認できたこと。
 嬉しかったから。
「あ、うん」
 今度はまおがどうして良い物か困ったように目を彷徨わせた。
 ナオが見える。
 風呂上がりの濡れた髪の毛を、くるりと乱雑に巻いたもの。
「あー、あ、それいいよね、それ」
 ちょっと興奮気味に腕を振って、彼の頭を指さす。
 気づいたナオが不思議そうに眉を寄せて、気づいたのかそれを指さす。
 自分の頭に巻かれた、幅広の紐。
「ああ、これか?」
 サッポロにある伝統工芸の一種で、編み上げた糸で組まれた飾り布。
 編み込まれた色付きの糸の織り込み方や、その組み合わせで様々な模様を浮き立たせる為、誰もが作れるが複雑且つ美しい芸術品も存在する。
 彼がつけているのは、姉が作った物だった。
 誰もが持っていても不思議じゃない代物であり、特別な意味を込めたものも勿論ある。
 そんなものだ。
「欲しいのか?」
 言ってから少し後悔、そしてどうでもいいやという感情。
 同時に、それは御礼の気持ちを込めて。
「良ければやるよ。ほら」
 彼はそれをほどくと、まおに近づいて彼女の髪に手を伸ばす。
 くるりと丸められた彼女の髪を飾り布できゅっとしばってみる。
「わぁ」
 他人から、直接物を貰ったのは――色んな意味であるけども――初めてだ。
「欲しかったら、みやげ屋でも売ってるはずだぜ。明日にでも探してみたらいいさ」
「うんうん、判ったよ」
 そう応えておきながら、何を彼が言ったのかすらその意味を把握していなかった。

「ほわーん」
 まおは相変わらず意味不明な言葉を呟いて、机に突っ伏していた。
 どうやら何度も同じシーンを思い出しているには間違いない。
「ねね、アクセラ」
「いやだっっ!俺はもーいやだっ」
 何故か赤い顔をして急かすシエンタに、逆に真っ赤な顔をぶんぶん振り回すアクセラ。
 いや。
 まおをしゃんとさせるために何とかしようと言うだけなのだが。
 シエンタは何故か嬉しそうで、アクセラはものすごく恥ずかしそうに。
「はぁ。あんたたち何をやってるんだか」
「あ。カレラさん」
 不毛な言い合いをしている彼らの後ろに、女装大魔王が姿を現した。
「魔王陛下も、ちょっと前から様子変だったものねぇ」
 言葉は女で身も心も完全な男を自負する彼にとって、女の子の悩みなどは掌の上である。
 ちなみに、一欠片も女の部分はありません。女装と言葉は、彼の趣味です。
 何故女の子の事がよく判るのか――実は結構不明な点であったりする。
 他の四天王がそうであるように、彼の特殊能力がそうなのかも知れない。
 かなりやだけど。
「よしよし。じゃあ私に任せなさい」
 思い切り嫌そうなシエンタに、ほっとしたアクセラ。
 二人に任せても面白そうだけど、このままほっぽりだしてたらいつまで経っても終わらない。
 つかつかとまおに歩み寄って。
 ゆっくりと彼女の耳元に口を寄せて。
「惚れたな」
「うわぁあわあわわっ!」
 まおはじたばたじたばたと自分の机の上でもだえ苦しむように暴れる。
「かかっ、カレラっ!」
「うふ♪」
 身体を起こしてぶんぶん腕を振り回すまおに、カレラはにっこり笑みを浮かべて見せる。
「まだそんなことやってるの?もう一度、陛下のみみを一吹きして差し上げましょうか?」
「いーですいーですっ!って」
「ご安心下さい陛下、恋愛などというものに関しては私の方が先輩且つ魔王ですから」
 どーん。
 胸を張って引っ込めようとしないカレラ。
 まあ普通の魔王と違うので、上下関係云々も、この魔王にあってはないようなものだろうし。
 周囲とかちょっと甚大な被害を被るだろうけど。
「ん……あ……うん。まあ、いいや」
 草臥れたようにため息をついて、にぱっと笑みを浮かべる。
 そしてまおは、少しだけ頬を染めて伏せ目になりながら頬をかく。
「……しごとする」
「うんうん。素直でよろしい。抱きしめてもう一吹き…」
「五月蠅いおまえもかえれ!」


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