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魔王の世界征服日記
第29話 だきしめぐせ


「ひさしぶりぃ、げんきにしてたぁ?」
 とろーん、ととろけた声がナオの耳に届いた。
 聞き覚えのある甘い、粘りけのある声。
 普通ならすぐに女の子をイメージする位、子供のような高い声。
 でも、実際には違う。
 大体この軍の施設に出入りできて、こんな話し方、声を出す『男』はそうざらにいない。
「クガ!」
 勢いよく振り返ると、頭をすっぽり覆う布製の帽子を被った彼がいた。
 黒い服の中でも、顔の回りだけが白いその意匠は――やっぱりどう見ても女の子向けで。
「……相変わらず生まれを間違ったよな、お前」
 久々会っていきなりの印象を思わず口にして肩を落とす。
 本人はけらけらと笑っているが。
「そぉかなぁ。ね」
 ぴん、と自分の上半身ほどもある巨大な手袋で器用に人差し指を立ててナオを指さす。
 まんがちっくで、見慣れていたはずなのに思わず仰け反る。
「な、なんだよ」
「かまえなくてもいーじゃないのぉ。じゃあ、おとこのこって、どんなんだったいいの?」
 くり、と丸くて大きな目を嬉しそうに笑みの形に歪めて、小首を傾げて、まるで何かを差し出すような仕草で。
――はぁあ
 頭が痛くなるぐらい、女の子だった。
「いや……もういいよ、なんだかお前に説明するぐらいだったら子供に将軍をやらせる方が簡単だなって」
「ううん。みっちゃんはこれでも理解してるつもぉりだよぉ」
 にこにこしながら少し口調が真剣味を帯びた……様な気がした。
 そもそもとろんとした話し方なのでどう違ったのかがよく判らなかったりするんだが。
「それよりもやっぱりナオちゃん、相変わらずなんだよねぇ」
 そう言って腰に手首を当てて肩をすくめて見せる。
「はぁ。これだからみっちゃんはキリちゃんとこにいけなかったんだよなぁ」
「あん?なんでそこでキリエの名前が出てくるんだ」
 拗ねた口調だったことを聞き逃さずに、眉を顰めて聞き返すナオ。
 ミチノリは相変わらずのんびりした顔で、反対側に僅かに頭を傾ぐ。
「んんん、だって、みっちゃんはナオちゃんよりキリちゃんの方に先に会いたかったんだよぉ」
 眉を僅かに八の字にして。
 どうやら非難されているらしい。
「はん。……って」
 気がついてナオは黙り込んだ。
 今彼が着ている服装は、普段着ではない。
 冗談みたいに馬鹿でかい手袋を含めて、通常は巡礼を行う時に使う祈祷師の旅装束である。
 念のため、女性用だが。
 サッポロの端に住んでいるといったって、わざわざ会いに来たりするだけでこの格好は物々しすぎる。
「そう言えば、わざわざ待ちかまえていたみたいだけどさ。……何の用事なんだ」
 ろくな用事ではない。
 普段訓練中でも、大けがをするような激しい訓練を行う場合に彼は現れる。
 このクガ=ミチノリが姿を現すなど、よっぽどのことかもしくは余程の気まぐれ、しかもこの格好だから容易に想像できる。
 警察の友人がきちんと制服で訪ねてくるぐらいのインパクトと言うべきだろうか。
「何?うぅん、ちょっとしたぁ、相談だよぉ。調べ物、協力して欲しくってぇ」
 気軽に、本当に明日の天気でも聞くような感じで。
「調べ物、って」
 ナオも、付き合いは短くない。
 結構悪いことをしてきたつもりだ、この――ナオ、キリエ、ミチノリ、ユーカの四人で。
 まっとうな、とは言わないが、既に真面目に働いているも同然の彼にとってミチノリ達の行動というのは。
――楽しそうだけどさぁ
 得体の知れない世界でもあるのは確かだった。
 実際、ユーカが怪しい魔術師なんてものをやっていることは彼でも知っている。
 その彼女についていって結婚したというミチノリのこともだ。
「うん。多分判ってるんじゃぁなぃかなぁ。この間ぁ、『ナラク』とかいう対広域昇華術が使われたんでしょぉ」
 目の前で起きた惨劇。藻屑と消えた『トマコマイ砦』。
 そして、『カタシロ』。
「――まあ、判ってることを隠しても無駄だけどさ。それって、もう許可貰ってきたんだろ」
 ナオの言葉に、ミチノリは胸元から金色のペンダントを取り出した。
 サッポロ防衛軍の紋章だ。特務を与えられた物にしか渡さない特殊な物だ。
「ナオちゃんに会おぅってのに、忘れる訳ないじゃぁなぃ♪」
 実はお得意さんだったりする。
 というのも、彼らは顧問扱いで軍施設を出入りし、様々な形で師事を行っているからだ。
 今回のこの『特務』というのも彼らの仕事、というか、生業である。
「どうせ調べ物ってのも、ユーカに絡む話だろ」
 うんうん、とどこか嬉しそうに頷いて、んー、と首を傾げる。
「実はぁ、世界のバランスが崩れてやばーいらしいんだぁ♪」
 その割には深刻そうではないが。
 御陰で、いつもどこか気楽な雰囲気があって、周囲に幸せを振りまいている。
 正直、何故かそれが羨ましく感じた。
「その発端がぁ、この間の『ナラク』らしぃんだけどね」
「俺に聞きたいってことか。確かにナラクの時出撃してたしな」
 そういうと、『え?』と言う風に首を傾げてそのでかい手でぽりぽりと頭をかく。
「うぅん、そうじゃないんだよぉ」
 そして何故か困った顔で少しの間うんうんうなって、やがて頷いた。
「文字通り手伝って欲しいんだよねぇ。来てくれるかなぁ?」
 彼は上目遣いで、まるで何かに怯えるように。
 そう言う仕草が男らしくないというのだが、わざとらしさや嫌味がない。
 だからこそ――だから、ユーカがあれだけ慎重になると言うのに。
「わ、わーったよ」
 ナオもその視線に耐えることなんか出来なくて、勿論断れなくて。
 頷いた。
 するとにぱーって感じに笑みを浮かべて、嬉しくて仕方ないって感じに大きく両腕を開いて。
 逃げる間もあろうか。
「うぁあん、ありがとぉーっ♪、だぁいすきぃっ」
 だき。
 むぎゅ。
「うわああっ、離せ、こら、離れろ、判ったからっ!」
「すき〜すき〜だいすきぃ〜♪」
 見ようによっては酷く羨ましい光景ではあるのだが。
 知っている人間にとっては、非常に嫌な光景にすぎなかった。
「良いから離せっ!おれにそんなしゅみはねーっ!」
「うぅんすきすき〜」
 ごろごろと、それこそ猫がじゃれついているようにも見える。
 両手が巨大な手袋になっているから、一度捕まえられたら逃げられる物ではない。
 そもそも彼の手袋は、そのためにあるのだ。
 治療のために患者を動けなくなるようにするために。
 まあもっとも。
「はーなーせー」
 彼の主要な用途はこれなのだが。
――ナオちゃんってば、恥ずかしがっちゃってかーわいー♪
 いや、本気で嫌がってるぞ。


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