魔王の世界征服日記
第28話 キリエ(後編)
「いやー、さすがにきつかったぜー」
どかどかと寄宿舎に帰ってくる防衛軍の隊員達。
訓練が終了すれば自由時間。
普通はいないが、足りない物はこの後でもトレーニングを始めたりする。
真面目な者は勉強して、さらに上を目指したりする。
勿論、どうしようもない落ちこぼれは、この時間にしごき上げられる。
そんな時間だ。
「ホントホント、まさかあそこで師範が帰ってくるとはなー」
「もう訓練が終わっててもおかしくなかったからな」
「ナオがいっくら俊足だからって、さすがにちょっと遊びすぎたよな」
めいめい勝手な話をしながら、風呂の準備を始めている。
だが、ナオはそこにいなかった。
寄宿舎から少し離れた、むしろ訓練場に程なく近い医務室。
そこでキリエと睨み合っていた。
再びというか、相変わらず。
「何でお前は余計なことをするんだよ」
あれからすぐ医者に診て貰うと『いかん、コレは入院ぢゃ』と言われて、対応に困ったが(すぐに入院させようとする医者だったりする)。
それでも決して軽傷と言うわけではなかった。
結局明日一日だけは訓練を休むことになって、今彼女はここのベッドに座り込んでいる。
半分あぐらで。
片方の足をぶらぶらさせたまま、むすーとナオを睨んでいる。
「余計なこと?…悪かったな」
さすがに、ナオも彼女の物言いにはかちんときたようだった。
「お前最近少しおかしくないか?前はもうちょっと…何というか。ここんところ良く噛み付いてくるけどさ」
無論、人間なのだから意見の衝突は有る。
あるが、それは明確に理由がきちんとあったからこそ、議論も出来たし解決も出来た。
だが最近はどうにも『勝手に暴走』している気味なのだ。
「きちんと話を聞いてくれないじゃないか」
ぷい、と顔を背けて両足をベッドの上で組む。
ナオにそんなつもりはない。
大概キリエがぶすーっとふくれて、こんな感じで対応に困るのが普通だ。
「きちんとね。……なあ、なんか俺、嫌われるようなことしたか?」
「え?」
彼女は目を丸くして、まるでばね仕掛けのように顔を彼に向ける。
「だってそうだろ?なんか訓練しててもこんな感じじゃねーかよ。……何か気に入らなかったか?」
「い、いや」
少し顔が困ってきた。
「あー、そのな、あの、ナオ。俺別にそう言う訳じゃなくてさ」
目が泳いでいる。
「……ちょっと機嫌が悪かったんだよ。……女の子ってそう言う時があるんだよ」
一瞬ナオが驚いた顔をするが、すぐに呆れた顔に戻って、何も言わずに鼻で笑う。
「調子の悪い時に女のせいにするか。お前からそんな言葉が聞けるとは思わなかったけど」
「るせーな。仕方ないだろ、お前らとは身体が違うんだからよ」
きっと眦を吊り上げて噛み付くように言って、そのままごろんとベッドに横になる。
「もーいいから出てけよ。悪かったからさ」
ナオは自分の頬をぽりぽりとかいて、一呼吸程の時間を躊躇する。
そして、ため息をついて片手を上げる。
「判ったよ。まあ気を落とすなよ、ゆっくり身体治せよ」
「ああ。……ありがと」
ぱたん、と扉の閉じる音。
気配が完全に消えて、部屋の中に一人きりであることを確認すると大きく息を吐いた。
――駄目駄目ー。畜生……
右腕を自分の両目に乗せて、こみ上げてくるブルーな気分にもう一度ため息をつく。
――何やってるんだろーな。たく
彼の言うとおりである。
特別なにがあったって訳でもないのに、妙に噛み付く回数も増えたし。
実際に苛々することも多い。
ちなみに勘違いされると困るので記述しよう。
この部隊には彼女以外にも女性はいる。彼女一人ではない。
笑えないことに、結構モテモテだったりする。
手を伸ばしてベッドの周囲にカーテンをかける。
どうにもいろいろとうまくいかない。
理由を考えてみるが、素直じゃないところがあるのは確か、それだけは自覚している。
不意に嫌になって頭の上にあった枕を抱きしめて、顔を沈める。
がらがらがら
びくり、と驚いて枕を元の位置に戻す。
かつかつという靴音がして、気配が近づいてくる。
――んあーあれ?
違う。
初めは医者が帰ってきたのだと思った。
だが、この気配の質は医者の物ではない。というより、もっと若くて、それに性別は――女性だ。
気配でそこまで分かったわけではない。
足音、これが医者のものではなく、あからさまに硬質なゴムの音、ヒールの音だ。
但しこれはパンプスのような低いヒールの靴だが。
「そこか?いるんだろう、キリエ」
聞き覚えのある声。
がばっと彼女はベッドから身体を半身浮かせるように起きあがると、カーテンを勢いよく引き払った。
「おお、珍しいな、入院でもしたのか」
さもおかしな物を見た、そういう笑顔で彼女はキリエを見つめた。
いつもの、何かを見透かしたような目と、穏やかで変化の少ない表情が待ち受けている。
「珍しいな、じゃないぜユーカ。ご挨拶だな」
ベッドの上であぐらをくんで、口元に笑みを湛えて彼女を見上げる。
ユーカはその恰好を見て、顎を一撫でして腕を組み直す。
彼女の表情におかしなところはない。
勿論、それがいつもの通りだからおかしくなって彼女にゆっくりため息をついて見せる。
「まあ、ご挨拶にもなるさ。そんな状態ならばな」
ふうとため息をついてユーカは自分の髪をかき上げて腰に手を当てる。
「なんだよ」
ぷ、と口を尖らせるキリエに、くすくすと笑って見せるとユーカは右手を彼女にさしのべた。
「ちょっと、相談があるんだ。隣、座っても良いかな」
ユーカは不思議そうに眉を上げるキリエを見て、ほんの僅かにだけ安心した。
そして同時に、今外にいるはずの彼の事を考えながら、ベッドをぽんぽんたたく彼女の側に座る。
――いらぬ心配であったか
自嘲に思わず彼女は苦笑して、キリエの貌を不満そうな色に染めた。
「何笑ってんだよ」
「ん、ああ、悪い、こっちのことだ」
丁度、そのころ医務室の外では、ナオは後頭部に両手を当てて空を見上げながら寮に向かっていた。
――キリエの奴、機嫌直してくれるといいんだけどなぁ
最後に見せた貌のお陰で少し安心しているが、それでも彼はまだまだ理解していなかった。
しばらくキリエもいらいらが続くだろう、このままでは。
と、その時――