魔王の世界征服日記
第27話 キリエ(前編)
ところ変わってここはサッポロ防衛軍本陣。
本陣といっても訓練場を飲み込んでいるので、まあかなり巨大な『本部』とも言う。
サッポロの防衛の要ではあるにもかかわらず、ここの雰囲気は明るい。
「ほらあ、ナオ、しっかりしろい」
将軍がおわすと言われる本部の建物の周囲に、大きな何もない広場がある。
これが走る時とか、ちょっとした模擬戦闘訓練の為の場所になっている。
今まさにナオはへろへろと走っていた。
「うるせーっ」
「を、生意気だなー」
やんややんやと騒ぎ立てる外野。
トレーニングしているわけではない。
試合の罰ゲームという奴だ。今取り囲んでいる同僚やら先輩は、彼が走り終わるのを待っているのだ。
罰ゲーム、というものの、試合に負ける=訓練が足りないから、という図式で師範から与えられた物だ。
「何だ、ナオの奴まだ走ってるのか」
わいわいと騒いでいたせいだろうか、提案した張本人が姿を現した。
「今日の練習試合、確か一人につき一立合だったろう」
立合というのは試合の数のことだ。
声をかけられた指揮官、クスノキ=タカヤはため息混じりに頷く。
「いや、そうなんですけどね」
階級から言えばかなり上級者に当たる師範だが、タカヤは特別それも気にしていない風に答える。
「ナオの奴、怪我してる奴の分も背負うって言って聞かないんですよ」
そう言われてみれば、わいわい騒いでいる連中の端に、数人すまなそうな顔で固まってる一団がいた。
「…ふうん」
師範はくるりと周囲を見回して、そしてにやりと笑う。
「その前に何か、ちょっとした言い合いとか何か無かったか?」
いやーと困ったように笑って、タカヤは後頭部をかく。
彼は一応なりとも指揮官なのだが、こういうちょっと情けのない態度を見るとそうとも思えなかったりする。
とは言え、彼のこういう優男的なところが女性受けが良かったりする。
「確かに、試合の直後にちょっともめてましたね」
ちらり。
彼の視線を向けた方向に、拗ねた顔で地面にうずくまる姿。
「ふん」
それは――キリエだった。
丁度三十分前。試合直後、キリエはその場にうずくまっていた。
「いちち…」
「どうした?」
顔を上げたキリエの前に、いつもと変わらないナオが、右肩に木製斬魔刀をとんとんと軽く跳ねさせていた。
「ああ、ちょっと足首を捻ったみたいで」
試合というのは結構激しい物だ。
無事に見える二人はまだましな方で、何せ本当に木刀で殴り合ってるんだからただではすまないことが多い。
ナオもこれでもあちこちに痣が出来ているのだ。
「見てやろうか」
「馬鹿、良いよ、んなこと」
むす。
ぷいっと顔を背けると、さっさと薬箱に駆け寄って、薬を取り出す。
「おいっ、て……」
ナオは呆れたようにため息をついて、肩をすくめる。
「そのぐらいはまあ、良いけどよ。罰ゲームがあるだろ、どうすんだよ」
びく、と驚いたように顔をナオに向ける。
目を丸く開いて。それもすぐに顔を伏せて隠すようにして。
何事もなかったように足にぐるぐると包帯を巻き始める。
「知るかよ、そのぐらい」
「知るかよってお前ね」
困った顔を浮かべて、ナオは首を捻る。
一度口に出したことは絶対に曲げようとしないのが彼女の癖だ。
――全く……
このままでは、足を引きずってでも走るだろう。
ナオは頭をくしゃくしゃとかきまわして、大きくため息をつく。
「なんつーのんかなぁ。全く……おい、兄ぃ!」
訓練場の出口付近で腕を組んで立っている男が、眉をついと吊り上げて自分の顔に指を指す。
一応指揮官のタカヤだ。
何度も一応と付けると可愛そうだが。
ナオを含め、若い一部の者達から『兄』と呼ばれる。
彼の全身から醸し出す『おにーさん』のオーラのせいだろうと、彼の周囲の人間は言う。
「どうした?」
「罰ゲームの話なんだけど」
タカヤの方へすたすたと歩きながら彼は大声で言う。
「何だ、敗北数×20では少なすぎるか?」
「…いつそんなに増えたんだよ。それって、肩代わりしても構わないのか?」
眉をふいと吊り上げ、彼は糸目の向こう側から覗く目を彼の後ろへ向ける。
後ろにはキリエが思いっきり怖ろしい顔を作ってナオを睨んでいる。
「どういう意味だ?」
「怪我をして走れない人間の代わりに誰かが走っても良いのかって事だよ、兄ぃ」
ちらちらと二人を見るなんてばればれな真似はしない。
それに、そんな事をしなくたって、彼女の出している殺意にもにた怒気がびりびりと伝わってくる。
――それなら声をだせばいいだろうに
と思いつつも、
――面白いかな
まずはこの状況で遊ぶことを考える自分がいる事に気づく。
「んー、構わないかな、そのぐらいは。どうせ罰ゲームだし」
にやりとナオが笑みを浮かべるのを、案の定激怒の表情を浮かべて見つめるキリエ。
「ちょ、ちょっとまてよナオ!それはどういうことだよ」
ばんと床を叩くが、立ち上がれなくてそれ以上は上半身を揺らすに留まる。
そして、くりんと振り返って不敵な笑みを浮かべるナオ。
「そう言うことだよ。立てないんだろ?」
「たっ…立てるさっ」
今度は強引に身体を起こそうとして、ふらりと身体を揺らして。
それでも強気に胸を張る。
「何無理をしてるんだよ、良いから休めよ、許可は貰ったぞ」
「五月蠅い、何でんなことするんだよ、いいか、俺は走るぞ」
よく見れば判るが、目尻に涙が浮かんでいる。
「おいおい、泣きながら何を言ってるんだ」
「泣いてない!」
ナオは口を歪めて、つかつかと彼女に近づく。
そして、おもむろに彼女の足の包帯当たりを。
ちょん
「!#%△○★■?!っ、っ!」
踏まれた足を大慌てで抱え上げてて、両手で抱えてぴょんぴょんと跳ねる。
どうやら腱が切れたり大事に至っていないようだが、これは相当痛そうな気がする。
……というか、座れよ、キリエ。
「そんなんで走れるかよ」
「五月蠅いっ、いきなり踏みやがって!べ、別に今日走らなくてもいーんだろうが!」
「あ」
「お前こそなに意固地になってやがる、許可は貰ったろう」
『構わないよ』、と声をかけようとしたタカヤは、思いっきり強引に遮られて、右手を挙げた格好でナオの後ろで立ちつくす。
「あー……いや、別に、そんなにムキになる理由は、ねぇ、君達……」
「五月蠅ぇ!だったらナオ、手前ぇ、全員の分走りやがれっ」
「ああ判ったよ、走ってやる、全員の負け分を俺がぜーんぶ引き取ってやる」
「それで今のアレか」
さすがに50人分、距離にして50km程走っている事になる。
「ええ、止めたんですけどね…」
タカヤはぽりぽりと頬をかいた。
ナオも引っ込みがつかなかったのもあるだろうが、幾ら何でもやりすぎである。
「というよりも、お前ら走ってないんだな、あいつに押しつけて」
「ぎくり」
タカヤの頬につーと一筋の汗が流れる。
「だったら、全員これから10周だ!ほら、とっとと走れっ」
がーっと腕を上げて叫ぶ師範の声に、足の動く人間は蜘蛛の子を蹴散らすようにして走り始めた。
数人の、足を痛めている者を残して。
「……ばか…」
不機嫌そうな顔のまま、キリエはまだ地面を見つめていた。