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魔王の世界征服日記
第20話 ゆうしゃ


 ぱきん、とガラスが砕ける音がして、ベレッタは顔を上げた。
――え?
 それが何の音なのか、慌ててネックレスを探る。
 グロッグと対で持っていた石。
 元は一つのある欠片から切り出したと言われるその石は、彼女の先祖代々から伝わる宝物だった。
 多分売ればかなりの値段になるだろうし、そうとうの値打ち物だろうというのは判る。
 だからこそ、お守りになるだろうとグロッグにブローチを渡した。
――割れてる
 本来は綺麗な翡翠で澄んだ色をしていたはずなのに、表面に細かく罅が入り、真っ白く濁ってしまっている。
「グロッグ」
 彼女はそのペンダントをきゅっと握って、前線が有るはずのトマコマイへと視線を向けた。
 そこは、赤い光に包まれていた。

 はっきり言って大誤算。
 ドクは悲惨な戦場を見渡してため息をついた。
「あーあ。滅茶苦茶やってくれたもんだ」
 これはまぢなおみやげが必要っぽい。
 彼は両目を涙に満たしたまおの顔を思い浮かべて大きくため息をついた。
――女の子の魔王なんて、仕えたことがないから判らない
 どうやって機嫌を取ればいいかも判らない。
 皮肉というか、何というか。
 ふらり、と砦の周囲を回っていた時、彼の目にそれが飛び込んできた。
「ん?」
 小さな翡翠色の輝き。普通ならそんなものに目もくれることはないんだろうが、その光が尋常ではなかった。
 魔力のこもった光だ。
「これは……」
 まず普段見ることの出来ない欠片だ。
 このぐらい小さな欠片で有れば、確かにまだ手に入る可能性があるが。
 命の雫と呼ばれる結晶体である。
 尤もここにあるこのサイズでは(人間にとってはともかく)足しになる程度の魔力しかないが。
――確か、最後に手にしたのは……
 何代前かの勇者がこれを使って魔王を倒した。
 その時は大きな球体で、確か――そう、その時の先代の魔王が遺した物だったはず。
「これなら魔王陛下のお気に召すかも知れない」

「ひーん」
 書類の山の中で、必死になってはんこを押したりサインをしたりするまお。
「なんでこんなに今日は書類が多いのよぉ」
「丁度サッポロで戦いが始まりましたから、ちょっとした事務手続きがあるのです」
 本当か嘘か判らないが。
 どうやらそうらしい。
「……どーして」
 ジト目でマジェストを睨み付けるまお。
 既にその目の下に隈ができかかっている。
「魔王軍が動いているのです。糧食の輸送計画、魔王軍の補充計画、行進計画に戦闘状況報告、様々な書類が目に見えないところで動く物です」
 ……段々信用ならなくなってきた。
「ねえ」
 まおはジト目のまま、彼を睨み続けている。
「はい」
「その書類、どうして、どれだけ、必要なの?」
 マジェストは高らかに笑う。
「次の代の魔王陛下ご自身のためです」
「私、見たことないんだけど」
 再びマジェストは高笑いをして、咳払いをする。
「…まじー?」
「いやいや。あっはっは。おほん」
「一度にそんな事したら怪しさだいばくはつだよ。……で。よーするにこの書類の意味は?」
 まおは両肘を机について、じとーっとマジェストを眺めている。
「書類の形を取ってますが、魔王陛下の意志力を伝える一手段です」
 それも本当なのかどうか怪しいが、まおには実は確かめようがない。
「どうかお察し下さい」
 ぺこり。
 まおはまだむすーとむくれた感じの表情(まあ、疲れているのだ)で彼を睨んでいるが。
「……仕方ないよね、まじーも。判ったよ」
 インクを確認して羽ペンを立てる。
 そして、もう何度目になるだろうか、ため息をついて机に向かう。
「さーって、やるぞー。……なつやすみさいごのひに、ためた宿題をやるしょうがくせいの気分がよく判るよ、ね」
「本当ですか」
 素早く突っ込みを、冷静に入れてくる。
「……ごめん」
 自分でも何を言ってるのかまおは理解していなかった。

「ねえ、まじー?勇者ってどうやって決まってるの?」
 結構根本的な質問だった。
 今まであんまり考えたことはなかったが、先代の勇者を退けた時以来空位のまま既に100年以上が経過しているのだ。
「そうですねぇ。勇者と言っても人間ですし、別にそう、先祖が勇者だからって勇者になれるわけでもないです」
 だからこそ長期間空位になっていたりするんだが。
「そーなのよねぇ。ね。私が魔王なんでしょ?でも、私が選ぶわけじゃないじゃない」
 机の上で人差し指をぐりぐりと押しつける。
 何となくのの字を書いている訳でもないのだが。
「はい。私達には決めかねるのです。……ある程度、素養のある人間でなければ勇者になりえませんからね」
「でも人間が決めてるわけじゃないじゃん。……どうなってるの?」
 マジェストは僅かに首を傾げる。
「うーん……魔王陛下、さすがにその辺の事情までは私でも判りかねますね……」
 でも、誰かが決めている。
「案外神様あたりがダイスを振って決めているのかも知れませんね」
 どこかでくしゃみをする声が聞こえたような気がして、まおは両手を机に当てて、天井を見上げる。
 でももちろん、ただの岩壁しか見えなかった。
「じゃんけんとかくじ引きで決めてたら、何だか可愛そうだけど」
 そう言って、彼女は両肘を机について、顎を両手の甲に載せる。
「色々特典が貰えるしすてむなのよね。私を倒すと」
 こくり。
 マジェストは頷いた。
「洗剤一年分とか、二年分のじゃがいもとか」
「わっ、妙に庶民的な上やけに現実的な特典ね」
 棒読みかつジト目で冷たくマジェストを見つめるまお。
「……失礼いたしました魔王陛下、お許し下さい」
「ふーん。まあ、暖炉に世界を滅ぼされるよりかはましかもしれないけどさぁ」
 すっと目を細める。
「次の勇者って、どんな子なんだろうなぁ」
「魔王陛下はここでお待ちになっていれば良いのです。それだけで、遭えるんですから」
「伝承の通りって奴でしょ。判ってるよ」
 まおは肩をすくめて見せた。
 待つしかない身としては、つまらなく平凡で淡々とした日々を過ごすしかない。
 書類仕事でもしておけば気が紛れるのかも知れない。
「まあ、待ちましょうか」
「そね。今日だけはその意見に賛成ね」


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