魔王の世界征服日記
第19話 ナラク
今回のサッポロ攻めは、魔王としては初めてのことだった。
軍隊として行動する際、指揮官としてそれぞれ担当する部署の軍団長が就く。
北方の長ドクはマジェストより計画と命令を受け、魔物を軍勢として指揮し始めた。
その途端、突如統制を取って何万というねこかぶとといぬむすめに代表する雑魚がわらわらとトマコマイ目指して前進を始めた。
バラバラのベクトルしか持たない。群れないあれらが突如同じベクトルを持って押し寄せれば。
「単純な力押しでも、充分効果はある」
ドクは津波のような魔物の群を見ながら呟く。
「とはいえ……」
滑稽な姿をした魔物の群が押し寄せる様は、無表情な可愛らしいこねこの魔物とぬいぐるみのような犬の魔物が津波を作る様子は。
色んな意味で不気味だった。
「魔王陛下は、こういう趣味なんだろうか」
目の前で繰り広げられるB級ホラーばりの光景に、思わずドクは頭を抱えた。
「なあ」
すぐ側にいる、彼の小間使いをしている魔物に声をかける。
「はい?」
「魔王陛下のご趣味……なんだったっけ」
何かおみやげを手に入れなければならない。が、肝心の『何が好みか』を忘れている。
「もう、旦那も手が早いですなぁ。しかも相手は魔王陛下ときたっ」
ごすん
「下らないことを言うな。馬鹿者」
彼はため息をついて、この戦の報告は出来ればしたくない物だ、と思った。
それほど劣勢で、なにより、おみやげをねだられるのが悩みの種だった。
繰り返すが、グロッグの武器はその鷹目だった。
魔物が群をなし、いかにも統率されて動いているように見えるこの中で、唯一にして無二――特異な姿をしたモノが居る。
普通なら遠すぎて見えないだろう。
群に隠れて判らないだろう。だが彼にははっきりとその姿が見えていた。
ヒトと変わらない姿をした――魔物の姿が。
「……!」
距離にしておよそ、ぎりぎり弩弓が射かけられる距離。
巻き上げ装置付きの弩弓はあるが、太矢がない。
――勇者って奴が特別で、魔王を倒せるっていうんだったらな
代わりに彼は、手近な瓦礫をレールに乗せる。
真っ直ぐ飛びはしないだろうが、これで充分だろう。
そして彼は、それを自分の視線の上へ合わせる。
――俺は、選ばれたんだから――
照準を合わせて、引き金を引き絞る。
ばつん、という独特の音がして、弦が岩を弾いた。
それはきちんと狙いを定めたとおりに、放物線を描いて落下していく。
――当たれっ!
はっきり断言しよう。
軍団長は眠かった。
何で眠かったのか。彼は良く覚えている。
眠れなかったからだ。
何故眠れなかったか。
――うーん、どうしてもいい結果が出ないよなぁ
このトマコマイ攻めの芳しくない結果のため、おみやげを何とか捻出したいところだった。
――陛下が悔しそうな顔をするのも、嫌そうな顔をするのも、怒るのも嫌だなぁ
まあ、どんな顔をしても可愛らしいの一言で片の付く話ではあるが。
ドクは少なくとも、まおが不快な感情を抱くのが辛いのだ。
だったらという話も在るかも知れないが――まだ彼は知らないが、この努力は報われない。
「……ねむ」
大きくあくびをする。
ひゅぉぉぉぉぉおおおおおん
がり。
「むに?」
がりばりぼり。ごくん。
「……なんか、飛んできたな?」
重ねるようだが、姿形は人間である。
中身は人間どころでは、有り得ないのだからして。
「んな馬鹿な」
グロッグも思わず声を上げていた。
まさか狙ったとおりに飛んでいくとは思っていなかったが、それにしたってたまたま大口を開けた中に入るだろうか。
平気な顔でばりばり岩も食べてしまったようだが。
「おい、逃げるぞ」
ぽん、と肩を叩かれてはっとする。
遠くを眺めていたからだろう、周囲へと注意がおろそかになっていたらしい。
「大丈夫か?弓の名手」
それは先刻声をかけた少年だった。
右手に提げた斬魔刀には血糊が残っているところを見ると、どうやら前線から引き返したパターンだろうか。
「おい、しかし」
「さがらねーと事だって。もう姉ちゃんこっちに来てて準備終えてるって話だ」
巻き込まれるのはごめんだ、そう彼の目が言っている。
「準備?」
「ああ、広域殲滅用の『都市爆弾』だってさ。つい先刻、『砦から離れろ』って、伝令が走ってた」
もう既に、砦には魔物がとりついている。
何とか壁を崩されずに残っている部分もあるが、それも時間の問題だろう。
――急がないと
ナオは思った。
間違いなく、フユは『撃つ』。
多少の人的被害を無視してでも魔物を殲滅することを、一歩でもサッポロの大地を踏ませないよう、何よりも優先する。
だったらナオにできるのは一つ。
彼らを少しでも助け出す事。
目の前の厳つい男は優しすぎる。叱咤するとそれでも立ち上がって走り始めるが。
「……お前」
グロッグの言葉に、走りながらナオは振り向く。
「この戦いに、何の疑念もないのか?」
「変な奴だな」
ナオは、相手が年上だろうとお構いなしにそう言い切ると、逆に片方の眉を歪めて聞く。
「俺は、あんたみたいに消極的な理由がむしろ聞きたい。何故魔物を倒すことを躊躇う、いや…」
そうじゃないんだ、彼は呟いて後頭部をかきむしる。
だが、そんな風によそ見をして喋っていたせいで、彼は足下の瓦礫に爪先を引っかけてしまう。
「わっ」
そのままの勢いですっころぶ。
前方に投げ出されたみたいにごろんと一回転。
その時、『世界』が暗転した。
甲高い音がして、総ての音が消え去ったかのように錯覚する。
――え?
僅かな。
本当に僅かな、一歩の差でグロッグは取り残され、彼は圏外へと脱出していた。
考える余裕もあればこそ。
光の加減で見える境目がナオとグロッグの間にある。
グロッグは引きつった顔で、その壁を破ろうとして――間に合うはずもなく。
「!」
彼の目の前で、グロッグは白熱して――あっという間にただの白骨へと姿を変える。
ナオまで熱量が伝わるわけではなかったが、それが怖ろしく高温だと言うことだけは判る。
砦周辺にいた総ての物は、今この瞬間に灼き殺されただろう。
今目の前にいる男のように。
――……何で、あんたは、消極的だったのかな
まるで彼に向けて祈るように、グロッグの白骨は彼に向かってゆっくりと倒れる。
ちゃりん、と何かが音を立てると一瞬だけ彼の視界が歪んだ。
――!
何だったのかは判らない。
ただそれが、あまりにも異常な出来事だったので、フユの言霊の影響か何かかと彼は思った。
グロッグは自分が何か異常な物に取り込まれたことを知った。
『青の将軍』が直々に赴いて行動する。
それは『言霊』を使った攻撃をすると言うことであり。
彼は歪んでいく周囲の景色を見ながら――それがほんの一瞬を思い切り引き延ばした僅かな時間だという事にも気がついていた――死ぬのか、と思った。
次の勇者が決定した
そして、何故だろう、彼は声を聞いた。あの時、自分に勇者の資格を語った声だ。
自分の胸元にある小さな欠片が、僅かに胸元で揺れて。
彼の脳裏に、ベレッタの顔が過ぎった。
感じられる域を超えた高温が襲いかかり、彼は一瞬で蒸発し――そこで意識は途絶えた。