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魔王の世界征服日記
第17話 辞退


 酷い臭いと、激しい音。そして、気がついた時には死と、痛み。
 それが彼の記憶している、戦場の気配。
 右を見ても左を見ても、どこもかしこも同じ気配。
 違いはそこに響く絶叫と雄叫びの絶対数。
 サッポロの最南端、トマコマイは人類史上最大にして最悪の激戦区となった。
 投入された人類側部隊は、全部で200単位。
 そしてそれら総てが全滅したのだ。
 魔物の損失も大きかった。大型魔獣含む約32単位の魔物が全滅した。
 一単位有れば一国の軍隊を相手できると言われているが、そもそも完全に組織化されている訳ではない魔物は、戦術単位としては数えない。
 たまたま人類側軍隊に近い構成であるから、そう呼ぶだけの話だ。
 無論それも普通の場合だ。
 その時のソレは、『普通ではなかった』。
 だから赤き将軍、ナツ中将が討って出る必要があったのだし、蒼き将軍フユも配備されたのだ。
「おいグロッグ!ついたてだ!何でも良いからもってこい!」
 彼――グロッグは無言ですぐ側の破壊された攻城弓にとりつき、木ぎれを拾うと引き返して男に渡す。
 男は手早くそれを宛い、釘で打ち付けていく。
 見ればそれが殆ど無駄な作業だとすぐに理解できる。それほど被害は甚大だった。
「ぼやぼやしていられない。いつ奴らが攻めてくるか判らないんだ」
 グロッグは彼の言葉に頷き、崩れた城塞の隅にとりついて南方を眺めた。
 ここトマコマイは大陸でも最も狭い地形に切れ上がった所に砦を築いている。
 魔物も、否応なしにこの砦を越えなければサッポロには攻め入ることは出来ない。
 だがこの特殊な狭い地形の御陰で、他の砦のように力押しすら難しいのだ。
 取り囲めない。
 それは人類にとって有利な唯一の点だった。
 防衛する為の防人の人数が少なく、攻撃するための武器も消耗、既に残された僅かな武具で白兵戦を主体にするしかないのだから。
 しかし、砦から向こう側はだだっ広く開けていて、まさにここに砦を作るしかない、という場所なのである。
「しっかり見張れよ!我らサッポロの大地を、魔物に蹂躙させる訳にはいかん!」
 別に、魔物が跳梁跋扈していようと、国を保つのは簡単だ。
 前述したとおり、魔物は戦術行動を起こすような行動はまずとれない。
 簡単な砦を築くだけで、街を護ることも出来る。
 事実サッポロを除く大地は、殆ど魔物が闊歩している状態なのだから、ここほど完璧に魔物を閉め出している国はない。
 逆に、サッポロ内部ほど人類にとって安全なところはなかった。
 簡単に言えば他の国で街単位でやるところを、大がかりに国単位でやっているようなものなのだから。
 だから本来なら、ここまで苦戦するはずはない。
 グロッグは胸にぶら下げた双眼鏡を手に、さらに遠くを眺めようと身を乗り出す。

――勇者?

 思わず反論した言葉。

――俺は辞退する。そんな物には興味はない

 彼の取り柄は、よく見える『鷹目』と身軽な身体だった。
 この戦でもそれがいかんなく発揮されている。
「…?」
 見えた。
 グロッグは双眼鏡ごしに、それに目を向ける。
 煙のような物、それは超高速で駈けてくる魔物の一軍だった。

「あーあ、もう戦闘かよ。新しい刀を用意する暇すらありゃしない」
 そう呟きながら、小刀程の長い砥石に料理油程度のさらさらの油を浸し、一気に刃を研ぎ上げる。
「いっそ、勇者様がここに現れてくれて、魔物を一掃してくれれば良い物を」
「馬鹿な」
 グロッグは仲間の言葉に眦を吊り上げる。
 彼の様子に、仲間――コルトは驚いて目を丸くした。
 グロッグは話せないわけではない。それは判っているが、滅多に口を開かない事は確かだった。
 その彼が。
 目を爛々と輝かせて、怒りに顔を引きつらせている。
「そんな物信用するな。そんな名前、言葉、二度と貴様の口から聞きたくはない」
「あ、ああ、ああ判ったよ。約束する」
 コルトの言葉に、グロッグはじろりと壁の外へとその視線を向けた。
 止まっていた作業を再開し、取りあえず魔物に備えなければならない。
 魔物の侵攻を止めるために。
「来るぞ」
 短く、グロッグが言葉を継いで。

  再びそこは戦場という気配に包まれる。

 剣を手に取り、兵士達が飛び出していく。
 意味不明な、そして特徴有る魔物の叫び声が、彼らの怒声を上回る勢いで迫ってくる。
「げれげれへれ」
 文字にすると、もうそんな感じ。どうしよう。
 多分、魔物達を描写してもそうだ。
 折角シリアスなのに、可愛らしい顔立ちのねこの頭(○に、△が乗ったような奴)のついた雑魚『ねこかぶと』とか。
 女の子(というよりも、キュー○人形)の身体にいぬの頭の『いぬむすめ』とか。
 言葉にするにもあまりに酷い連中が、わんさかそこに居るのだった。
 そやつらが日本語じみた怪しい叫び声で迫ってくるのだから、これは悪夢と言うべきだろう。
 だから、勘弁して貰いたい。
――勇者なんか
 グロッグは、サッポロの兵士独特の大きな鉈状の叩き斬り専用刀『斬魔刀』を握りしめた。
 彼自身はそれほどこの刀を使えるわけではない。でも、今はこいつしか信用できる武器はない。
「そんなもの、どこかで誰かがやればいい」
 何かに操られるような、そんな存在はごめんだ。
――それに、勇者など……お話だけの存在だ
 これだけの魔物を相手にしている自分達と何処が違うというのだろうか。
 同じ人間じゃないのか。
 そんな彼の中の疑問が彼に辞退させるだけの理由になった。
「俺は勇者を認めないし、勇者になんかなるものか」
 彼は叫び、壁を乗り越えて魔物の群へと突撃した。

 トマコマイ砦での攻防戦はまだしばらく続く。
 魔物の侵攻は激しさを増し、まるで嵐のような攻勢が続いた。
 そんな激戦のある一幕での出来事だった。


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