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魔王の世界征服日記
第13話 嵐の前の静けさ


「もーへたくそー。いいよまじー、櫛とポニーテールはあとで自分で出来るから」
 まおは文句を言いながらマジェストを振り払い、髪をタオルでまとめた。
 脱衣所で浴衣に着替えたまおとマジェストは、全身から湯気を出しながら廊下に出る。
 この温泉宿は、この辺にしか生息しないヒノキという名前の木材を使った、独特の香りがする廊下が続いている。
 一歩歩くだけできゅ、きゅと木が擦れる時に立てる音がする。
「あ」
 出てすぐにある休憩所に牛乳瓶を片手に先程の少年と話す少女が居た。
 売店が併設されてある。大抵、飲み物が売っていて団扇が『ご自由にお使い下さい』と並べられている。ここも例外なく団扇があった。
「先程はどうもすみませんでした」
 彼女の方が気づいて二人に頭を下げる。
 男の子の方はそれに吊られて顔を向けるが、すぐ元に戻す。
 ちなみにシエンタとアクセラは既に厨房に走っている。
 温泉宿の定番、宴会の準備である。
「いえいえ。ここの宿の手違いですから、気に病まないでください」
「よっ」
 ぴっと右手を大きく挙げて、にこっと笑いながらナオに挨拶するまお。
「先に上がってたんだ」
 木製のベンチに腰掛けてコーヒー牛乳を飲むナオは、険しい顔でコーヒーと彼女を見比べる。
 まおはむうと口を尖らせるとててててっと近づく。
「おいしそう」
「こらっ」
 慌てて全身で彼女を避けようとするナオ。
「こらこら、飲み物だったら買ってやるから」
 『人間』の前での役割にすぐ戻るとマジェストは娘『まお』に叱咤の声をかける。
「ホント?じゃ、おんなじの」
「コーヒー牛乳を二つ。おいくらでしょう?」
 即答で答えるまおに、彼は売店の親父に声をかける。
 まおはにこにこしながらナオの隣に座る。
 外観だけであれば、ナオとまおは同じぐらいに見えるだろう。
「温泉には良く来るの?」
「……別に。……怪我をしたりしたら、治療に来るんだ」
 無愛想に顔を向けもせずに言う。
「ふぅん。私こんなところ初めてだから、ちょっと浮かれちゃって」
 えへへと笑う。
 ナオはちら、と視線を彼女に向ける。
 にこにこ、終始笑っている。
 その向こうでまおの隣にフユが腰掛けるのが見えた。
「そう。観光か何かで来てるのかしら」
「うん、温泉に入ってみたくて」
「そうなの」
 にっこり。
 ナオは、フユが今まで見たことないほどはっきりした笑みを浮かべるのを見た。
 どんなに嬉しい事があっても、どんなに戦闘で優位に立っても、彼女が笑うことはなかった。
 子供の頃からそれだけは不思議だった。
 フユの顔は、きっと感情を浮かべる事はないだろうとまで、彼は思ったことがある。
「またいらっしゃいな。私達サッポロに住む人間は、誰も拒まないから」
 フユが目を細めて彼女の頭を撫でる。
 ふにゃーと嬉しそうに声を上げて、撫でられるままにする。
「ナオ、行くわよ」
「はい、姉ちゃん。……じゃあな」
 無愛想に一言いって背中を向けたナオに、まおは両手をぶんぶん振って見送った。
「行ってしまいましたね」
 コーヒー牛乳を手渡しながら、マジェストは言う。
 休憩所には二人以外には、売店のはげた親父しかいない。
「うん。……うわ、これって面白い」
 既に彼女の意識はコーヒー牛乳に向けられている。
 先刻まで側にいた少年の事など、脳裏の片隅にもない。
――……気づいていたのでしょうか
 少なくともまおは気づかなかった。
 向こうの少年も、気づいていなかった。
 だがあの少女は。
 僅かに形のいい眉を歪めて、マジェストはコーヒー牛乳の瓶に口を付ける。
――……風呂場で顔を合わせた時に何故気がつかなかったのでしょうか
 故意に?それとも互いに自然に?
 どちらにせよ、まさか魔王がこんなに幼い子供で、温泉に浸かりに来てるとは誰も思わないだろうが。
 だが、確かに彼女はトマコマイで鉢合わせた、あの『言霊使い』に違いない。
 マジェストは僅かに険しい顔で、もう見えなくなった廊下の先を睨み付ける。
「おいしいね。おいしいよ♪」
「そうですね」
 まおの隣に腰掛けると、残りをあおって呑む。
――気がついていないのなら、それを護るだけですね
 わざわざ教えて不安を煽る必要はない。
 いきなりちょっかいを出させるのも、これはまた問題だ。
 まるで子供のようにコーヒー牛乳を飲んでいるまおを見て、僅かに肩をすくめた。

 シエンタは宴会場をばたばたと走り回っている。
「あー、それはここ!これはそこ!うんうん、後これも追加して!」
 アクセラは厨房で指示をしている。
 彼らはまおの世話係にして小間使い、召使いでもあると共に、尤もまおに近い位置にいる。
 好みも何もかもまおを忠実に再現された『設定』を持つ。
 だから魔王が死ねば、彼らも『再構成される』。
 今の魔王がまおなので、二人はこんな風に子供の、しかも男の子の姿をしているのだ。
 ちなみに先代魔王の時の彼らの設定は、グラマラスな美女二人組だった。
 名前は変わらないんだが……
 さて――彼らが宴会の準備をしている間、四天王と軍団長はまだ温泉だった。
 大浴場の男湯を占拠する勢いで、八人が湯船に浸かっている。
「ふぅいー」
「って、カレラ、お前男だったのかよ」
「ふぅん、悪かったわね、男で。人を外観で判断して欲しくないわね」
「わねって、お前」
 相変わらず騒がしい四天王たちに対して、相変わらず陰鬱とした軍団長。
「なあ、ドク」
「なんだイズィ」
 じろり、とにらみ返すドク。
「……宴会、だろう?」
 心なしか、顔色が悪い。
「宴会と言えば、宴会芸だな」
 エフが、やはり蒼い顔で言う。
「……こういう場合、うちらの出番やろ」
 黙り込んでしまう三人に合わせるように、シェアが言う。
 ドクも小さく頷く。
「用意してるか?」
「……いや」
 魔王が代わってから、魔王に捧げる宴会芸のネタが難しくなってしまった。
 今までは腐っても『男性』型だった魔王には、それなりで良かったが。
「女の子だからなぁ」
「そやなぁ。……困ったなぁ」
 再び黙り込む軍団長。
――ついてくるんじゃなかったなぁ
 でも魔王の命令は絶対なのだった。
 宴会芸は、命令していなかったのだが。
 全員まるで合わせたように肩を落としてため息をついた。


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