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魔王の世界征服日記
第12話 あっというまに再会?


「わ、わわっ」
 ナオは音の向こう側から現れたのが小柄な『少女』だったので慌てて顔を逸らせた。
 すぐ側に長身の男の姿も見えた――多分、彼女の保護者か何かだろう。
「失礼、ここは貸し切りのはずですが」
 え?とナオは首を捻りながら声のした方に目を向けた。
 保護者が、彼を見下ろしている。勿論見覚えなんかない。
「え、と…宿の人は貸してくれるって」
「ナオ、100までよ、きっちり数えて……」
 それに合わせたように、バスタオルで全身を隠し、頭に手ぬぐいを巻いたフユが現れた。
「……、姉ちゃん、先客、いたよ」
「?ナオ?」
 ナオは顔をフユに向けたものの、目を合わせようとしない。
 頬どころか、全身が真っ赤だ。
「失礼ですが」
 人なつっこい笑みを湛えたマジェストが、彼女に声をかける。
 やぶにらみなフユの無表情が、彼に向けられる。
「ごめんなさい。カウンターに声をかけたら貸してくれるっていうお話でしたから」
 背の高い男に、小さな女の子の組み合わせ。
 湯気で女の子の方はよく見えないんだが、親子に違いない。
「あ、いえ。もしよければご一緒でも構いませんが」
「えちょっと、ちょっと」
 ばしゃばしゃと女の子が焦る様子。
 多分恥ずかしがってるに違いない。
「姉ちゃん」
 顔を真っ赤にしてフユの方を振り返るナオ。
 ナオも恥ずかしがっているようだが。
「ちょっと、俺の治療……」
「本当ですか、助かります。まさかこの子を女湯に連れて行く訳にはいきませんし」
「姉ちゃんっっ!」
 しかし追い出されれば、あきらめないフユの事だから間違いなく有無を言わさず連れて行かれただろう。
 それに比べれば幾分かましか。
「いえいえ。丁度私達は身体を洗うので一度出るんですよ。ゆっくり浸かっていてください」
 男は暴れる少女をなだめるように奥へと連れて行く。
 水音が離れていって、安堵に胸をなで下ろすが――同時にすぐ側の水音に背筋を伸ばす。
 体温すら判る程、すぐ近くに姉の身体が在るのが判る。
「ほら、ちゃんと肩まで浸かる」
 フユの声が驚くほど近くに聞こえて、しかも両肩に怖ろしい力が加えられる。
 素直に湯船に身体を浸けるより他、選択肢はない。
 色んな意味で逃げ出したいんだが。
「いーち、にーぃ」
 無言で威圧するフユの視線に耐えられず、彼は小声で数え始めた。

「では綺麗にさせていただきます」
 マジェストは、本当に小柄な魔王の背中を流し始める。
 左手で動かないように押さえつけて、右手のタオルでごしごしと擦る。
「……まじー。なんで追い出さないの」
 恥ずかしがっていた訳はないようだ。
 自分専用と言われたのに、他の人間が入ってきたのが気にくわないらしい。
 むーと口を尖らせている。
「むげに追い出すのもどうかと思います。宿の手違いなのですから、文句は宿に言います」
 ちゅーとシャンプーを髪の毛に渦を巻くようにかける。
「目を閉じておいてください。沁みますよ……どっちにしても彼女達には悪い点はないんですから」
 しゃかしゃか。
 しゃかしゃか。
「このぐらいで腹を立てたり、追い出すのは良い印象を与えません」
 ばしゃー。
 マジェストは櫛を取り出して、彼女の髪を流しながらゆっくり丁寧にすかす。
 ゆっくり水が抜けていき、ぺたんと頭の形に撫でつけたような髪型になる。
「んー」
 気持ちよさそうな声を出すまお。
 タオルを受け取って顔を拭く。
「そうかな。……まあ、確かに悪いのは宿の人だし」
 少し機嫌が良くなったのか、気持ちいいからどうでもいいのか、落ち着いたみたいだ。
「じゃ、あいさつしてこよーかな」
「御意に。但し、滅多なことを話したり、お酒と肴を勧めないように」
「だいじょぶ。それは絶対勿体ないからしない」
 そう言う意味ではないのだが。
「それじゃ、流しますから」
 ばしゃー。
 ぷるぷるぷる。
「じゃ、ちょっと行ってくるねー」
 ばしゃーん。
 勢いよく飛び込んだまおを見送ると、彼はため息をついて隅にいるシエンタに声をかける。
「まだ準備は良さそうですね。一度身体を暖めて来ては」
「いいですか?……でも」
「たまには良い物です。行って来なさい」
 意外に、魔王ご一行様は妙にいいひとたちの集団のようだった。

「八十八、八十九」
 意外と呪文のように唱えていると、気が落ち着いてくる物で。
 いつの間にか声が大きくなっている。
 姉が準備のために側にいないのも、落ち着いている理由だろう。
 言われるままに数える素直なところは、やっぱり子供だった。
「ねえ」
「きゅうじ…………っ!」
 思わず飛び退いた――いや、つもりだけで、実際には僅かに動いただけだ。
 水の中だから、思ったよりも身体が動かないものなのだ。
 拳一つ分も移動しなかったから、彼の眼前に、両拳を自分の顎の下で合わせた格好の少女がいた。
 見えた。
 いや、側に来たのだ。
 かなり混乱をしたまま、彼は全身を硬直させる。
 立ち上がるのも立ち上がれずに、彼は彼女を見つめる。
 こんな、肝心な時に姉が居ない。
「ななな」
 一気に頭に血が昇る。
――何しに来たっ
 ナオはどうして良いのか判らず、驚いた顔で少女を見つめている。
 ちなみに。一応言っておくと、彼の視点だと、彼女の顔しか見えない。
「私、まおっていうの。キミは?」
 にっこり。
 首を傾げて聞く彼女が、どこか普通じゃない気がして、何がおかしいのか混濁する意識で考える。
 おかしいはずだ。
「お前裸なんだぞっ」
 自分もだが。
 まおは眉を寄せて首を傾げる。
「……私はまおだよ」
 そしてぴんと人差し指を一つだけ立てる。
「キミは?」
「……なお。……ナオってんだ」
「うん。今日はちょっとした事件が起きちゃったね。あとで宿の人、シメちゃおう」
 にこっと笑ってとんでもない事を言うと、くるりと彼女は背を向けて湯船から出ていこうとする。
 ナオは再び慌てて彼女から目を逸らせる。
「はちじゅういち、はちじゅうに、はちじゅうさん、はちじゅうに、はちじゅうご」
 真っ赤な顔で、殆ど棒読みになりながら――そして十も戻っているとは気がつかずに――再び数字を数え始めた。
「………ナオ」
 しかもしっちゃかめっちゃかに数えたせいで、いつまで経っても百に至ることはなかった。
 フユが身体を洗い終わって、ナオの治療の準備を終えた時には、彼は完全にのぼせてしまって湯船に倒れてしまっていた。
「……そこまで我慢しなくてもよかったのに」
 ため息をついてナオは彼を担ぎ上げて湯船の側に寝かせると、彼をタオルで巻き付ける。
 両目を閉じて。
 ゆっくりと精神集中する。
 言霊で歪に疵が入っている彼の心を、その細かいひびを元に戻すためには言霊を練り込む必要がある。
 すっと両手を彼の上に差し出して、彼女は神経を集中させて呪文をとなえた。
「いたいのいたいの、とんでいけー♪」
 無表情のまま、フユは明るい歌でも歌っているような声で、しかも右手をくるりんと返して人差し指を立てた。
 多分傍目には非常に間抜けな光景だったかも知れない。
 でも、これは必要不可欠な治療なのだった。

「……おさしみと酒ホット、いらなかったね」
 シエンタとアクセラは顔を見合わせて、ため息をついた。
「今度から確認しようぜ。……安くないんだから」
 全く当たり前のことを、大きく肩を落として確認していた。


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