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魔王の世界征服日記
第11話 湯治


 ムロランの街は温泉で栄えていると言っても過言ではない。
 ここの温泉は万病に効き、あらゆる怪我の治療に有効であるというからだ。
 風邪、急な発熱、刀傷は勿論の事、精神分裂症、恋の病から心的外傷までまるで嘘のように効く。
 ……らしい。そもそも恋の病が治るってことは、在る意味困るんじゃないのか?
「ちょっと姉ちゃん」
 ちなみに付け加えて言うが、ここは混浴ではない。
 大浴場はスペースの都合上ついたてがあるだけだが、男女に分かれている。
「駄目。ちゃんと治療しておかないと酷いことになるから」
 温泉宿の前で、痴話喧嘩の如く姉弟喧嘩を繰り広げる二人がいた。
 説明するまでもなくフユとナオだ。
 ナオは顔を真っ赤にして眉を吊り上げている。
 勿論赤みの理由は、怒りではない。
 フユはそれに気づいていない。
 ちなみに、この間のカタシロの治療のために二人はここに訪れていたのだ。
 なかなか軍隊の暇というのが見つけられず、またナオが普通に入院していた為に治療自体が遅れたのだ。
「だからって姉ちゃんが一緒に入る理由にはならないだろ!」
「大あり。…言霊のダメージを抜くには、私の言霊が必要不可欠」
 殆ど有無を言わせない機械的で事務的な言葉に、あんぐりと呆れた顔をするナオ。
 時間が経てば抜ける事は抜けるが、精神に負荷がかかるために専門の治療が必要なのは実は本当のことだ。
 それがカタシロの欠点でもある。
「俺はもう子供じゃないっ」
「子供じゃないってむきになって言うのは、子供の証拠」
 むんず、と彼の腕を掴んで一件の温泉宿を選んで入る。
「やだ、やだってば姉ちゃんっ」
 だがあきらめようとしない、というか問答無用で引きずるフユ。
 何処にそれだけの膂力があるのか、腕力では敵いそうにないナオを片手で一ひねりという感じだ。
 ……在る意味、怖い姉さんのようだ。
「大丈夫、ムロランの温泉は怖くないし痛くないし」
「誰もそんな事言ってるんじゃない!」
 ぴたり。
「じゃあ、何でそんなに嫌がるの」
 無表情のまま首を傾げて不思議そうにナオの顔を伺うフユ。
 う、と言葉を詰まらせてナオは彼女の瞳を見つめる。
――これじゃ、なんだか……
 少なくとも、フユは何の感情も持っていない。
 疑いもないようだが、まあ、少しも気を回してくれそうにもないのも事実。
 ただあんまりにも彼女の表情の変化が乏しく、あまりに機械的に応える物だから、思わずナオも首を傾げる。
――もしかして俺が変に勘ぐりすぎたのか?
 フユの言葉に間違いはなさそうだし、何より平気で平然と彼女は言った。
 『一緒に温泉に浸かって、疲れを癒すから』と。
――…………
 少しの間考慮する。
 彼女の言葉を反芻する。
「だーっっ!やっぱりよくねーっっ」
「少しは黙りなさい。もう、昔はもっと聞き分けが良かったのに。ここ最近になってから変ね」
 ちなみにフユとナオの年齢差は二つ。
 無論フユの方が年上。言うまでもない。体格はナオの方が一回りほど大きく見える。
 元々そんなに体の大きくないフユは、弟にあっという間に追い抜かれた格好だった。
 にも関わらず、フユはいつまで経っても弟は手間のかかる可愛い弟にしか見えていないようで。
「だ、だってよぉ、姉ちゃん」
 ちなみにナオもフユに対しては押しが弱く、未だに『姉ちゃん』呼ばわりしているからこそずるずるとこうなっているのだが。
「すみません、家族風呂を貸してください」
「だーっ、俺の意志はなしかよ!」
「さーさ、どうぞこちらへ」
「うーわー」
 問答無用で脱衣所に放り込まれて、あっという間に身ぐるみをはがされてしまう。
 そしてそのまま温泉へ一直線。

  どぼーん

 ナオ、受難。
――くそー、姉ちゃんの奴っ
 ただ一つだけ救いは、彼女が家族風呂を選択したことだろう。
 そのぐらいに気は回るようだった。
「今服を脱ぐから、湯船に浸かって100数えなさいよー」
 脱衣所から影と共に声が浴びせかけられる。
「判ってるよっ、恥ずかしいから大声で声をかけないでよっ」
 ぼさぼさの頭も温泉に浸かってしっかり頭の形にぺたりとなってしまっている。
 これではやぶにらみの彼の特徴的な目だけが妙にとんがっている。
「ふう。全く…姉ちゃんときたら」
 彼もフユも、このサッポロの防衛軍に属した軍人である。
 普段激務と訓練で身体も精神も酷使しているため、休養施設の利用頻度は一般民間人のそれとは比べ物にならない。
 そのため、彼らは格安料金でそれら施設を使えるように待遇を良くして貰っている。
 だがそのせいで手違いというものや、料理の質が悪くなることはまま、在る話だ。
「………は、……」
 声が聞こえた。
 反射的にそちらに顔を向けて、僅かに身体を起こす。
 温泉に半身浸かっていると言っても、これでどんな行動でも対処できる。
 がさがさ、ちゃぷちゃぷという音がして、それは湯気の向こう側から顔を見せた――

 家族風呂というのは、温泉が沸くその場所に作る物ではない。
 通常プライベートで使用するために、それらしく作ったセットの中にお湯を引き込む形で作るのだ。
 尤も、まさに浴場であり、温泉っという雰囲気は少なくなる。
 この宿の家族風呂も、屋外に作られた石造りの風呂を除けば、さほど広い物とは言えなかった。
 とはいえ。
 入り口から洗い場まで遠く、間に挟んだ湯船も自然石で作っているせいか、やけに大きな物だった。
 温泉らしい、と言えばその通り。
 家族風呂というには広すぎた。
「うっわーっ!」
 申し分程度についた屋根。
 本当の自然石でできた湯船。
 半露天風呂と呼ぶべきか。
「これがおんせんかーっ!」
 初めて見る温泉に、まおはきゃいきゃいと喜んでいる。
 既にスタンバっているシエンタとアクセラは、料理と燗をいつでも出せるよう控えていた。
「魔王陛下、まずは肩まで使って100を数えますよ」
「うんうん!」
 ぱたぱたと走って湯船に飛び込むまお。
 それに付き従うマジェスト。
 完全に彼は、保護者のような役割そのまんまだった。
「きゅーじゅーろく、きゅーじゅーしち」
 そして事件は、彼女が百数えるよりも早く起こってしまった。
 貸し切りのはずの家族風呂で、入り口が開いて闖入者が湯船を叩いたのだった。
「やーっ、なになに、なんなのよぉっ」
 ばしゃん、という水音に、まおは数えているのも忘れて悲鳴を上げる。
『今服を脱ぐから、湯船に浸かって100数えなさいよー』
 一瞬マジェストはまおを見てしまった。
 まおはそれに気づいて無垢な貌を彼に向けた。
「子供連れが来たみたいですね」
「……そうだね」
 視線は、再び闖入者に向けられた。
「取りあえず、確認しましょう」
 湯船をざぶざぶと横断する二人。
 気づいたのか、人影が身じろぎした。
 そして――


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