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魔王の世界征服日記
第10話サッポロ温泉街


 サッポロの南には、トマコマイ砦を挟む大きな山脈がある。
 この山はただの岩山ではなくて、『生きた』山脈なのである。
 判りやすく言えば、この辺りの山は地熱が非常に膨大であり――温泉がわくには充分な位活発な活動を続けている。
 山が成長する程のその力が、人間にとって丁度良い温度のお湯を作るだろうか?
 答えは否、とても人間の入れるような温度のお湯は沸くことはない。
 通常肺を灼く程の蒸気として地下にたまっている。
 『温泉』というのは、こんな、地熱で暖まった水のうち、冷えた地表で冷やされて人間が触れられるようになった『冷泉』の事を指して言うのである。
 ……うんちくはともかく。
「温泉の臭いがしますね」
「おんせん。……臭いだけじゃないか」
 二人の子供が、サッポロの温泉街を歩いている。
 ひとりは短く刈り込んだぼさぼさ頭に、つんけんした鋭い、でも大きな目をきょろきょろさせた幼い男の子。
 もう一人は素直なストレートへアをボブカットにして、まんまるの目をにっこりと垂れさせた男の子。
 吊り目がアクセラで、丸目がシエンタである。
 実は外観と話し方は正反対の二人なのだが、中身は双子のようにそっくりそのまま。
 よくもまあ、と言いたくなるほど似ているのである。
「でも暖かいんですよ」
「そりゃ熱いかも知れないけど。…オレ、温泉なんて初めてだし」
 アクセラは拗ねたような表情で呟く。
 終始笑っているシエンタは彼の背中をぽんぽんと叩く。
「大丈夫、ボクだって初めてだから、本で見ただけの知識しかないよ」
 じろ、とアクセラは上目で睨み付ける。
「裸で浸かるんだけどね。お盆を浮かべて酒ホットを載せたり、生の魚を食べたりするんだよ」
 何の本を見たのかは定かではないが、奇妙にずれた認識を笑いながら伝える。
 ジト目で首を傾げるアクセラ。
「本当か?」
「…判らない。それに、別にやってみようとは思わない」
 と言いながら顔を見合わせたまま、二人とも同時に思う。
――まお様なら、やりかねない
 と。
 否、計画に含めていなければ絶対に後で後悔する。
「……これも、計画の内かな」
 ぼそりと言うアクセラに、にこにこと笑って頷くシエンタ。
「お金かさむね」
「まお様はまだ良い方だよ。失敗しても泣かれるだけだし」
 そうだね、と顔を合わせて二人同時に肩をすくめた。

 そんなこんなで。
「やっと温泉だよー」
 まおうご一行様はムロランの温泉街でぞろぞろと歩いていた。
 魔王が攻めてきたとはいえ、まだトマコマイ以降の攻撃もなく、緊張した雰囲気はない。
 しかし、まさか温泉旅行に魔王が来ているなどとは、警備兵すら判らなかった。
「いらっしゃいませー」
 シエンタが選んだ温泉宿は、小綺麗な小さな宿だった。
 門をくぐると少し広くなった中庭のような場所に、着物姿の従業員が並んでいる。
 真ん中に居る、いかにも女将さんと言う人が一歩前に踏み出してお辞儀する。
「当温泉旅館にようこそ。さあ、お荷物をお預かりいたします」
 温泉旅館『ユーバリ』はこの辺では一番安い部類に入る。
 安いといえどもかなり豪華なのがムロランの宿の特徴。
 大きなボストンバッグを彼女に渡しながら、にこにこ顔で振り向くまお。
 今日は長い髪を両脇でぽにーにした、所謂ツインテールと言う奴である。
「いいところよね」
 頷くマジェスト。
 玄関をくぐると、大きな木の看板に筆文字で『まおうご一行様』とある。
――よく判らなかったな
 というかそのまんまで予約を取ったらしい。
「本当に、いいところのようですね」
 『いい』の意味が微妙ではあるが。
 漢字じゃないのは多分、シエンタの気の利かせたからなのか。
「まおうさまご一行さま、ごあんなーい」
 まるで早口言葉のような読み上げで、女将が旅館の奥へ声をかける。
「ではこちらです、どうぞ」

  ぞろぞろぞろぞろ

「あんた、結構いい男だね」
 カレラはアールをじろじろ眺めて言う。
「当然であろう」
 白いスーツに赤いシャツ、薄い蒼のネクタイに身を包んだアールは、完膚無きまでに人間だった。
 それも、ちょっとその筋入った感じの。
「温泉に入るのは初めてだから、楽しみだよ」
「そうか。結構いいもんだぜ」
 ひょろっとしたゼクゼクスはアロハを着込み、相変わらず上半身裸のリィと並んで話している。
 この一角は異常なまでに奇妙な気配を醸し出している。
 その後ろに、四人の軍団長が暗い貌をしてうつむき加減に続いている。
 誰も何も言おうとしない。まるで葬式の行列である。
「おーんせん♪温泉♪おっんっせっん!」
 まおは完全に上機嫌で、手ぬぐいをぶんぶん振り回しながら歩いている。
 そのたびにゆらゆら、遅れて両方のぽにてが揺れる。
 まるで、ではなくて、本当に子供そのものである。
「ささ、まお様、こちらです」
 と、いつの間に現れたのか、シエンタがまおの前で両腕を大きく使って促す。
 大浴場を遮るようにして。
 僅かにのれんの端が彼の頭にかかっている。
「な、ちょっと、シエンタ。お風呂ここでしょ」
「いえ、まお様専用に借り切ってる場所がございます」
 そう言って腕で指し示したところに、やはりのれんが掛かっていて、そこには仏頂面のアクセラが立っている。
「え?専用!」
 むすっとしていた顔が、ひっくり返したように明るいものになる。
「そうです、ささ、まお様、それにマジェストさんも」
「え゛」
 一瞬顔を見合わせ、硬直する二人。
 シエンタはにこにこ笑いを浮かべたまま、右手で『早く行け』と言わんばかりにアクセラの方を指さす。
「大丈夫です」
「自由気ままにできるから、こっちを借り切っておいただけだよ。他意はない」
 シエンタの言葉を継いで、むすーっとしたまま口を尖らせていうアクセラ。
「……ふむ、なるほど」
 入り口にかかっている表札を見てマジェストは頷く。
「じゃ、入りましょうか魔王陛下」
「え、あ、うん……」
 釈然としない。
 まおはありありと不満げな顔を浮かべたまま、そののれんをくぐった。

  家族風呂:使用される場合はカウンターにご連絡ください

――たしかに他の連中は良いが、魔王陛下は目を離せませんからね
 他のイベントの準備に走っていったシエンタを見送りながら、マジェストは肩をすくめた。


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