魔王の世界征服日記
第7話激突そして邂逅 そのいち
――完全に乾燥しきっていて、硬化した砦のゴーレム……
マジェストは計算するまでもなく、その拳の一撃がまおを粉砕しきるのには充分だと判る。
まおは、いかに魔王と言えどもその肉体設定は『十代前半の少女』のものである。
今あんな砦の一撃を食らえば、生き残る確率は皆無に等しい。
「陛下、ここは一旦引き下がりましょう!」
マジェストの判断で下がる事は出来ない。
喩え、彼女を抱きかかえて逃げ去る事が出来るのだとしても、それは行えない。
人間に良心があるのと同じように、彼らにも『設定』という物が存在するためである。
魔物は作られた物である。
だから、設定に逆らうことが出来ないのだ。
「くふ」
そして彼は今絶望の最中にたたき落とされてしまった。
まおが笑ったのだ。
それもここ百年間聞いていなかった愉悦の笑い声だ。
「ふふくふふふ。くふっ」
時々のどの奥が詰まるような声で、彼女は笑い続ける。
「出てきてよかったぁ。こんな感じ久々だもん」
物騒な物言いと同時に、だん、と強く地面を蹴る。
ふわりとワイヤーに吊られたように浮かび上がると、彼女は透明なガラスの上に着地するように空中で静止する。
「全力なんて出せるのは多分――」
この間の勇者以来。
まおは、一瞬貌を歪めた。
フユはついと目を細めてその様子を窺っている。
勿論、魔力の切れ目を探しているのだ。
砦を依代としてカタシロを使用したが、果たしてあの魔物にどれだけ効果があるか。
「ナオ」
自分の弟の名前を呼んで、彼女は耐えられないように目を伏せる。
この『カタシロ』は、何もただで巨大なゴーレムを作れる訳ではない。
カタシロを『使う人間』を準備する事こそが、この言霊の最大の特徴なのだ。
仮死状態にした人間の『意識』を、何か別の物に封じ込める。
キーワードによって目覚めた人間は、封じられた物を肉体として動き始める。
問題は、その時の理性が極端に下がってしまうことだけである。
ゾンビのように、召使いにする事だって不可能ではない。
ただこれだけ巨大な物を依代にすることが出来るのは、少なくともこの一帯の人間では彼女だけだろう。
大きくなれば成る程魔力を消耗する代物なのだ。
「大丈夫、痛くないから」
彼女は自分の目の前にいる砦に優しい声をかける。
ナオ自身は彼女のすぐ側に横たえられている。
防寒服というより、むしろ死体袋に詰められているような光景ではあるが。
「さっさと終えて、帰りましょう」
くぉぉぉぉおおおおおおおおん…
砦となったナオが、うなり声を上げて応えた。
ごう、と風がなった。
彼の耳にはそれは届かなかった。
体中を駆けめぐる空気の流れが、彼の意識の中で形を作る。
それが、たまたま音として認識できたのだ。
――……姉さん
姉の声が聞こえた気がした。
それだけで安心する。
何を言ったのか理解できなくてもかまわない。
だから、彼は、今彼に与えられたものを磨り減らそうとして、右腕を振り上げる。
ごうごうと風が彼をふるわせる。
でも、意に介せずに目の前のものに腕を振り下ろそうとする。
二人の人影。
それが、今の彼の敵。
一つは長身痩躯の男、一つは――ふと違和感を覚える。
もう一つ。
彼の目――いや、はっきり彼の意識の中に、その姿が捉えられない。
妙な胸騒ぎ。
『見えている』訳ではないから、人間の感覚器官とは全く違う形で捉えられる『映像化された』感覚にとまどいがあるのかも知れない。
――敵
姉の声が入力する目標。
何も考えられない。
彼はそのまま――腕を振り下ろす。
ずっどぉぉぉぉぉん……
「いっひゃあっ」
マジェストとまおは一緒になって地面を転がった。
背の高い大木が切り倒されたようなものだが、速度と重さと堅さが違いすぎる。
「おっきな太鼓が響いたみたいだよぉっ」
ごろんごろんと転がって受け身を取りながら、泣きそうな顔で言うまお。
「歯が立ちませんね」
素早く立ち上がって、いつの間にか埃を落として直立しているマジェスト。
再び砦ゴーレムが腕を引くのを、メガネを押し上げながら見つめている。
「これじゃあ……前回から全くギャグが使えないではないですか。困ったなぁ」
「そんな事で困るな!」
でも全くである。
このお話は、シリアスアクションではないのだから。
「冗談はともかく、魔王陛下。ここはひとたび撤退を」
「え゛」
非難がましい顔でマジェストを睨み付ける。
……まだあきらめてないらしい。
「危険すぎます。それに、勇者を確認していないんですよ、まだ」
一瞬、彼女の我が儘な顔が揺れて、子供のように困った顔になった、気がした。
僅かな瞬間の貌。もしかすると吹き荒れた風のせいでそう見えたのかも知れない。
迷うように、疑うように、僅か二呼吸の時間をまおは沈黙する。
「だったら、あと一回だけ♪」
にっこりと笑って答えると、真剣な貌で彼女は続ける。
「これだけ強いんだもの――勇者かどうか、確認したって悪くない」
そう言って、彼女は――凄惨な、笑みを浮かべた。
「全く、魔王陛下と来たら」
ため息をついて苦笑するマジェスト。
「勇者のことになるとキャラクタ間違うのですから、困りますね」
言うとわざとらしく肩をすくめ、そして一歩彼女から離れる。
既にまおの視界には、目の前のゴーレム以外入っていない。
ゴーレムは右腕を大きく振り上げ――