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魔王の世界征服日記
第5話現実と真実


 変わり果てた姿で転がる砦、トマコマイ。
 木製の砦は攻撃を受け止めた疵を幾つも残したまま、そこにまだ建っている。
 だがその周囲に、幾つもの白骨が散乱している。
 屍肉喰らいのようなものにやられたようではない。
 当然だろう。
 『ナラク』の効果によって、その場に在った総ては芯から乾燥していた。
 それが――

「……酷い物ね」

 彼女の力だった。
 フユは自分の引き起こした惨状を再び見下ろしていた。
 遊びに来たわけではない。
 彼女の側に、もう一人人間が付き添うように立っている。
 巳間桜治(ミマオウ=ナオ)、彼女の弟である。
 つんけんとした髪型に、彼女によく似た鋭い目。
 でも、やはりどこか幼い感じを残した少年だ。
 ただフユと違いナオは、野性味のある焼けた肌に身体に似合わない大柄な鉈を携えている。
 無論、農夫とは違う凄味が感じられる。
「奴らも一応、生きた物だって事だろ」
 彼が見下ろしている風景には、人間の骨は一つもなかった。
 奇妙な形をした頭蓋、見たこともない骨が組み合わさった生き物たち。
 いや、元そうだったもの。
 それらの山が彼の見下ろす風景に混じっている。
「生身なんだったら同じ条件だから、俺だって怖くない」
 強がるように言うナオに、フユは無言のまま視線を向ける。
 眉を寄せてナオは彼女を見返す。
 丁度睨み合っているようにも見える。
 二人とも、複雑に表情を動かしているようで、二人とも逆に全く表情を変えていないようにも見える。
「怖くない、なんて」
 フユは一歩彼に近づく。
 フユの頭の高さより、ナオの方が僅かに高い。
 二人の歳を考えれば丁度背丈が入れ替わる位だから。
 でもフユは、自分より大きくなってもやっぱり弟にしか見えなくて。
 そのままぎゅっと抱きしめてしまう。
「ちょ、ね」
「怖くなりなさい。魔物は怖い物なのだから」
 ナオは子供扱いされたと感じて顔をしかめるが、フユをふりほどくことは出来ない。
 ゆっくり抱きしめてくるフユが、心地よくて。
「……うん」
 だから、子供のように素直に彼は応えた。
 それに応えなければ、彼女が解放してくれなさそうだったから。

 丁度同じ頃。
「なあ嬢ちゃん。順番ってもんがあるんだからな」
 涙目で頷くまおと、側でぺこぺこ頭を下げるマジェストの姿があった。
「すみません、本当に世間知らずでして、まだまだ教育が足りないのです、はい」
 マジェストが頭を下げていると、彼――ジュース売りの親父はにやりと笑って手を振る。
「いやいや、子供が間違うのは当たり前だ。俺は、当たり前に叱っただけだ」
 そう言うと、彼はカップ一杯に細かく砕いた氷を入れて、その上からすり下ろした柑橘類を惜しげもなく振りかける。
 そして、まだぐすぐす泣いているまおの目の前に差し出す。
「…ぁあ」
 ぴたりと彼女は泣きやんで、貌をほころばせる。
 が、カップには手を伸ばさない。
 何故か驚いたような、困った貌をしてマジェストを見上げる。
 マジェストはマジェストで、さっさと財布を取り出して小銭をじゃらじゃら言わせている。
「こりゃあ、俺の駄賃だ。間違いを正せたお嬢ちゃんにはプレゼントをあげなきゃいかんだろう」
 ほれ、とさらにまおに突き出される紙製のカップ。
 マジェストが何とか金を払おうとしているのだが、にこにこした親父はそれをどうしても受け取ろうとしない。
 そのうち、まおは怖ず怖ず手を伸ばしてカップを握った。
 両手で。
「うわぁ」
 すっとする柑橘類独特の香りに歓声をあげる。
 二人の目が彼女に向く。
「ほら。やっぱり子供は笑っているのが一番だ」
 がははと豪快に笑う彼に押されるように、マジェストは困った貌をしたまま肩をすくめる。
「次から、横から割り込むような真似をさせないでくれよな」
 でなければ、駄賃の意味がない。
 彼は言外にそう言うと親指を立てて見せる。
「判りました。肝に銘じておきます」
 ここはサッポロの最南端にある町、ムロラン。
 最もトマコマイに近い、人の住んでいる街だ。
 『何よりも先にジュースが飲みたい』
 そう言うまおの言葉に従って入ったのだ。
 ……そして、先刻の騒動というわけだ。
 まだ涙の欠片を頬に残したまま、彼女は機嫌良くシャーベット状のジュースをかじっている。
「陛下。人間の街で彷徨く時は、必ず私の言葉に従っていただきますからね」
 ストローでずるずるとすすりながら、ふいっと視線を彼に向ける。
「…判った」
 言葉数少なく応え、再びシャーベットに専念する。
 この辺りは寒さのせいか、室内の暖房設備が行き届いていて、暖かい室内で食べるシャーベットが最高の贅沢とされる。
 ものの、シャーベットそのものは格安で手にはいるし作ることも出来るため、贅沢品ではない。
 第一屋外で食べようなどと思う人間も少なく、売り子は屋外にいるが、大抵持ち帰る事になる。
 持ち帰る最中に溶ける程暖かくもないのがサッポロ。
 だからこそ成り立つ商売でもある。
「じゃあ、ここにいる間はマジェストはお父さんだ」
 え゛、と言う貌を作る彼を、くすくす笑って見上げるまお。
「それは順序が逆です、出来ればせめて兄にしていただきたい」
「ダメ、お父さん。決定」
 困った顔を見せるマジェストが嬉しいのか、終始にこにこで言うまお。
「……判りました。…さあまお、それじゃぁこれから礼儀とか『正しい人間の道』を教えようか」
 魔物が人間の道を説こうとしているのが、何となく不自然な気分だった。
「勿論間違ったらおしりぺんぺんの刑だ」

  きらりん

「やだーっっ!やだーっ!!うわーっ、離してーっっ!」
 マジェストの顔は、どことなく嬉しそうだった。


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