魔王の世界征服日記
第3話魔王の食事の秘密
「うーっ、さぶさぶっ」
魔王は魔法の使い手である。
これだけは伝承と間違いはないんだが、所謂『瞬間移動』はできない。
精確には危険で使いようがないのだ。
魔法でも物理学の法則をねじ曲げることは出来ない。逆に言えば方程式に描けない術は存在できないのだ。
この『魔導物理学』に提唱される魔法の中でも、『瞬間移動』だけは危険なのだ。
『同時に同じ物体が二点に存在できない』理屈から速度を無限大に上げることが出来ないから、肉体を最小単位にまで完全分解して物理的影響をを極限にまで下げる事で世界に溶け込ませてしまい、望む位置で存在確率を復元する方法が提唱されている。
これは自然界という巨大な枠組みのバグ(非線形方程式の解を含むことが出来る完全なモデルパターン)を利用しているのだが、誰も試した奴がいない。
時間的偏在化をした場合でも同じである。物理学で言うところの『不確定性理論』に基づくミクロの世界の話だ。
だから、どれだけ術を制御したって身体が欠けたりする可能性がある。無論、最悪の場合死に至るだろう。
自然界は非線形から逃れられないから100%は存在しないのだ。
だからここ北国サッポロ王国まで、彼女は徒歩できたのだ。
「なんで魔王の私が」
ぶつくさ言いながら、彼女は唯一むき出しの顔をミトンの手袋で包む。
体温がすぐに逃げていく寒さだ。
ざくざくと、足下で音を立てる霜柱。
ここは凍土にはならないようだが、それでも思った以上に酷いようだ。
「は、鼻水がでそう……」
しもやけ気味の顔をなで回しながら、それでも彼女は前に進んでいた。
「陛下、お食事でございます」
「だからマジー、どうやって私に追いついてくるのよ」
声に振り向くとマジェストが跪いて皿を掲げていた。
「魔王軍団参謀ですから」
「理由になっていない気がするのは私だけ?」
言いながら、派手な銀色の蓋を開ける。
四角い白い、穴の開いた厚手のクラッカーのような物が並んでいる。
ケーキのようだが、どちらかというとビスケットの柔らかい物に近い。
「…これも飽きたなぁ」
「陛下。しかし、これ以外の食事を摂られてはその体型を維持できません」
「せめてチョコ味とかフルーツ味とかベジタブル味って作ってよ」
「版権の都合上無理です」
あいも変わらず無碍に言い切るマジェスト。
「だからって、毎回レアチーズケーキ味じゃ飽きるよホント」
主たる栄養源はこの食事だが、彼女、一応カロリー内でおやつが食べられる。
金額に換算しておおよそ三百エン。
今回のおこづかいも、それが基準になってたりする。
「版権の都合で、一番近い味を選択させていただきました」
「……版権ってなに」
マジェストは笑って誤魔化した。
「大体なんで私、こんな女の子の格好なわけ。しかも妙に受け狙いの」
伝承と違う部分を指摘すると、マジェストは少しの間顎に手を当てて考え込む。
「その方が、やはり大衆受けするかと」
「大衆受けってなに」
再びマジェストは笑って誤魔化した。
「だいたいー。マジーはいつもいつも何を言っても伝承の通りってすますけどぉ」
横目で涼しい顔をしているマジェストを睨む。
「どうして伝承の通りの恐ろしい魔王じゃないのかなぁ、私は」
くすり、とマジェストは小さく笑い、立ち上がって膝を払う。
「そうですか?」
くい、と眼鏡をかけ直して彼は一礼する。
「私は陛下が伝承の通りの恐ろしい魔王陛下だと存じ上げています」
一番付き合いの長い、側に仕える物として。
そう言う風に作られたモノだから、でも。
「総ての伝承をお作りになり、それを一手に引き受ける世界最古のストーリーテラーである陛下」
そこまで言って、一度首を傾げた。
まおも眉を寄せて奇妙な顔をする。
「……陛下の外観は、陛下自身でお作りになられたのでは」
まおは目をきょろきょろさせて、あははと笑って頬を押さえる。
「そ、そうだったっけ」
「陛下の望まれる姿。最終的に、今のお姿は陛下の望みのはず」
「物語としては、あまり嬉しくない展開かもね。……勇者にとってはどうか判らないけど」
僅かな沈黙。
マジェストも熟考する暇を与えられず、答えるしかなかった。
「陛下のお望みのままに。喩え、陛下が望まれた結果が訪れていないと感じられても」
さもなければ、まおが安心することが出来ないから。
「総ては、筆をお執りになられる陛下の御心のままに」