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Holocaust ――The borders――
Chapter:4

玲巳――Reimi――   第5話


 ファミレスを出た時には、もう夕方の色が濃くなりつつあった。
 実隆はため息をついた。
――面倒な事になった
 まるで余計な事に首を突っ込んだような、そんな激しい後悔が襲ってくる。
 仕方のない事だが、まさかボディガードまがいの事をさせられるとは思わなかった。
 確かに収穫はあった。バイヤーの頭を押さえられたのだから、これで少なくとも『Hysteria Heaven』に関わる情報は全て手に入る。
 とは、言っても、まさか子供のお守りまで任されるとは思わなかった。
 五十嵐幹久、如月工業高校1年。
 小柄で細身、童顔の上に小心者というどうしようもない男。
 普通なら虐められるかするんだろうが、女みたいな容貌のせいか、別の意味で危険人物である。
 そして以外に女の子受けも良く、逆に田山との付き合いの方が首を傾げられるようだった。
 ふと穹を見上げて、色が消えていくのがありありと判る。
 案の定家に着く前に穹が夕暮れに染まるのだろう。
 河川敷を見下ろす道で夕陽を反射して黄昏れる河面に視線を向け、彼は自転車を降りた。
 ちゃりちゃりと自転車のギアが立てる小さな音に合わせるようにきらきらと夕陽が反射してきらめく。
 視線を前に戻して、彼は立ち止まった。
 電車が通る鉄橋のすぐ側、高い堤防と古ぼけた建物に囲まれた小さな場所。
 そこに廃車が堆く積み上げられていた。
――……まさかね
 以前別のスクラップ工場で隆弥とミノルが闘った。
 その――アレが事実である証拠があっても、それが何故彼の夢に現れたのかは判らない。
 誰が隆弥とやり合ったのか――恐らく『ミノル』と名乗った男。
 だからと言って、こんなところに――
 実隆は目を瞬かせて、つきかけたため息を飲み込む。
 絶句したように止めた息が戻る頃、視界でそれは動きを止めた。
 車を積み上げた上に人影が見えたからだ。
 白い影。こんな黄昏れた穹にもやけに映えて見える程それは白く、まるで染まる事を拒絶しているようでもある。
 まるで体重がないようにふわりと廃車のボンネットに彼女は着地して、咎められたようにそこで立ち止まっていた。
 視線が、実隆を捕らえている。
 身長は丁度150cm位か。そのぴんと張った両腕と、小柄な体躯から小学生ぐらいにしか見えない。
 着込んでいるのは白い薄手の服。
 派手さのない無地の服だが、だからといって決して――ドレスのような形状で、決して華やかさに欠けるというものではない。
 にも関わらず彼女は、まるでそれを無視したようなタイトなキュロットスカートにハイソックスという格好をしている。
 奇妙な。そう表現するのが最も適当な、全身白装束の少女。
 何となく居心地悪い感じがする。
 覗き見ていたようなそんな罪悪感とでも言うのだろうか。
「ふふ、そんなに見つめないでくださいな」
 だが、少女自身は全くそんな気負いはなく、むしろここに実隆が現れる事自体、当たり前のようににこにこしている。
 むしろ実隆が現れる事を想像していたかのようだ。
 そして外見の歳不相応に、彼女は微笑んで右手を自分の頬に寄せる。
「……ヒイラギミノルさん?」

  どくん

 まだ何も言っていない。
 偽名どころか、いきなり名前で呼ばれた。
「ごめんなさい。どうしても確認しておきたかったので」
 くすくすと笑い、そしてぺこりとお辞儀する。
「私はレイミって読んで貰えれば結構ですわ。宜しく」
 そして、彼女はひょいっと宙に舞った。
 音もなく実隆の前の道の上に着地すると何の躊躇いもなく歩み寄ってくる。
 奇妙な少女は、肘まである白い手袋に包まれた手を差し出した。
 人差し指と中指を除き、掌も露出している。
 指を包んでいる方が逆だが、丁度弓道で使う籠手のようにも見える。
「……こんな、時間にこんな場所で、一体何を」
 声を出してみて自分がどれだけ困惑しているのか判った。
 声がしわがれてしまっている。差し出された手を取る事も忘れている。
 小さく可愛らしく肩をすくめて、彼女は差し出した手を引っ込める。
 そして小首を傾げる。
「お互い様でしょう?……あなたの事はミノルでいいかしら?」
 いきなり不躾に呼びかける事を提案して、彼女は覗き込むように僅かに上目遣いに彼を見上げる。
 蠱惑。
 思わずそんな言葉が思いつく程、彼女の仕草はおよそ子供らしくない。
――外見で判断しない方がいい
 本能的にそんな事を察知し、彼は小さく数回頷く。
「構わない。その代わり、お前もレイミって呼んでやる」
 何かの目的めいたものを感じて、そして彼女に一瞬でも目を奪われた事に疑問を覚えて身構える。
「それで、何者なんだ。名前を知っているのは何故だ?」
 玲巳は悪戯っぽく微笑み、両肩をすくめると両手を腰に当てる。
「私は、貴方の名前を確認しただけですわ。別に知っていた訳じゃないんですわよ」
 とぼけて彼女は再びくすくす笑う。
――答えるつもりはない、と言う事か
 追求するだけ無駄だろう。
「でも――そうね、そう言う事なら…」
 彼女は両手を自分の後ろで組んで、すっと一歩下がった。
「どうせまた『遇える』のですもの――イガラシくんの事には気をつけて」
 言って彼女は身を翻した。
 服装の割に身軽で、しかもふいだったせいで実隆も反応が遅れる。
 焦って自転車を投げて彼女の姿を追うが、既に彼女は廃車の隙間を走り抜けたのか、どこにも彼の視界には残らなかった。
 もしあのまま走り去ったのなら、自転車で追おうとしても遅い。
 どうせ方向も判らないのだ。
――糞……
 自分の名前だけではなく、五十嵐の名前も彼女は宣った。
 跡をつけていたのか、それとも元々城崎とグルなのか。
 ともかく実隆は後頭部をかきむしって、ため息をつくより何も出来なかった。

「すみません」
 次の日、大体下校時間に間に合うように如月に向かうと、五十嵐は校門のすぐ側に立っていた。
 今来たところらしいが、何となくこれだと待ち合わせしていたみたいなので、顰めっ面をして実隆は首を振った。
「いや、全然」
「そうは見えないんですけども」
 そうだろうな。
 実隆は口の中だけで一人ごちる。
「……あのな。俺は別にお前の側にいる必要はないんだ。判ったか?」
 そしてため息をつくと、彼はああ、と呟いて頷いた。
「でも、えっと……探偵さん」
「桐嶋。桐嶋で呼び捨てて構わない。…お前ね、あんまり人前で呼ばれたくない職業ってあるでしょ」
 今度は人の好さそうな顔でにっこりと笑みを浮かべて頷く。
――……本当に意識せずにやってるんだろうなあ
 まるっきり子供だ。
 親はどんな育て方をしたんだろうか。
 彼のそんな思いに気づかず、高い目の声で彼は続ける。
「オカルト部、調べるんでしょ」
 そう言って鞄から一枚の紙を取り出した。
「これ、概要資料です。名簿とかまとめておきました。…じゃ、これで」
 そう言うとぺこりと頭を下げて彼は走り去っていった。
――確信犯じゃ、ないよな
 あれで外観が女の子みたいで可愛いからまだいいものの。
 本当に高校生だろうか。
 頭が痛くなりそうだったので、もう何も考えないで概要資料の方に目を通す事にした。
 部員は、正規には14名。
 但しそれは登録されている正規人数らしく、名前の端に小さく×が書かれているものがある。
 どうやらそれは幽霊部員の意味らしい。
 男女の比率は8対6、但し幽霊部員は男子3名女子2名だから、大体同じ人数と言えるだろう。
 幽霊部員は考える必要もないだろう。
 むしろ――ここに並んだ名簿の生徒を調べるべきだろうか。
 だが残念な事に実隆は本当の探偵ではない。
 どれかを押さえるか、動き始めるのを見る方が早いのではないだろうか。
 もう見えなくなった彼の背を追うようにして視線を向けて、もう一度ため息をついた。

『どうせまた『遇える』のですもの――イガラシくんの事には気をつけて』

 ふと彼女の言葉を思い出した。
 どう言う意味で捉えるべきだろうか。
 今日は場所だけ確認して、怪しまれて警察を呼ばれる前に退散しよう。
 護衛対象は既に帰宅したのだから逆に空いた時間なのだから。
 オカルト部は文化部でも比較的新しく部に昇格して部室を手に入れたという。
 場所は空けておいたのか、入学人数の減少によって空き部屋になったのか、一階の隅の教室。
 他の部のようにプレハブの部室なら覗くのも簡単だったが、わざわざ校舎にはいるのはさすがに躊躇う。
 何喰わぬ顔でひょいっと校舎の中を覗くと、数名の学生が歩く廊下の向こう側、3-1の札が見えた。
 それよりも校舎の端、廊下の末端はどうやら階段のようになっているが、不自然に二つ以上教室が入るスペースがある。
 目を向けると、白い札の教室の向こう側に『オカルト部』と書かれた札が見えた。
 それだけ確認すると、彼はそそくさと学校から去った。

 三日間、同じぐらいの時間に学校に向かった。
 五十嵐の部活がなんなのかは判らなかったが、それでも時々遅れて校門をくぐる事を考えるとどうやら部活には出ているらしい。
 聞けば良かったのだが、どうにも彼を捕まえる事もできず結局二日過ぎてしまった。
 御陰で帰宅する時刻は夜中になってしまう事になる。
「……ミノル」
 その日も既に時刻は八時になろうかという時間に帰宅した。
 部屋に入ってすぐ、ノックもなく唐突に空いた自室のふすまから声がした。
 尤もふすまをノックするというのは言葉のあやである。
「菜都美、お前」
「後で話があるから。夕食だよ」
 ノックしろよと言わせてくれず、静かな口調で淡々と、そしてきっぱり言い放った。
「今度から部屋で真っ裸になってやろうか」
 ぱたんと返事を待つ事もなく閉じられた扉に向かって睨んでも仕方はない。
 判っていても、彼は思わずそう口にしていた。
 居候するようになってからも菜都美の世話女房的な性格だけは治らなかった。
 自分の家というのも有ってか、何かにつけて助けてくれるのは良い。
 実隆は感謝しても足りないぐらいだと思っている。
 でも、その反面非常に口うるさい。
 あーしろこーしろと、彼がバイトする先まで勝手に決めて持ってきてたりした。
――尤も、彼女に逆らえる程強い立場でもなく、彼は口喧嘩はするものの結局従っていた。
 ここ二日は何も言わなかったが、さすがに彼女もかんに障ったのかも知れない。
 実隆は後頭部を掻くと大あくびをして食堂へ向かった。
 真桜家のしきたりなのか、夕食時には必ず全員が揃っている。
 どうしようもない事情だったり、席を外す必要のある場合を除いて、出来る限り一緒にしようということなのだろう。
 こうして遅くなっても、結局全員が揃うまで待っているのだ。
――菜都美が怒るのは判るけど
 少しだけ肩を竦めると、食堂の入口をくぐる。
「……おまたせ」
「もぉ、遅いよミノルくん。なっちゃんなんかぶつぶつ文句言ってるんだから」
 な、と息を呑むように声を漏らし、菜都美は顔を一気に赤くする。
――赤くするぐらいならそんな真似しなきゃいいのに
 ははは、と笑って誤魔化そうとする実隆に割り込むように、赤い顔のままで明美に怒鳴る。
「明美姉!」
「まあまあ、ミノルくんも早くつきなさい。料理が冷めるから」
 そんな気軽な喧噪の中で夕食は終了した。
「ミノル、コーヒー、部屋に持ってくね」
 さっと立ち上がって言う彼女の顔は笑っていたが、目は笑っていない。
 片手を上げて呻くような返事を返して立ち上がると、明美がすっと側に寄って、耳打ちしてくる。
「ねーミノルくん、いつの間に仲良くなったの?」
「あのー。……今の雰囲気のどこがそーなんでしょーかぁ……」
 ばしんと勢いよく背中を叩かれると、実隆はむっとむくれて明美を見返す。
「あははは、可愛い♪ねーなっちゃん、あたし先にはいるよ〜」
 そんな実隆を見て笑うと、とてとてと足音を残して台所を去っていった。
 複雑な気持ちで目を菜都美の方に向けると、丁度カップにコーヒーを注いでいるところだった。
 何となくその仕草が楽しげに見えたが――やっぱり、目が笑っているように思えなかった。
 だから菜都美より先に部屋に戻ると、少し物を片づけて整理していた資料を眺める。
 はっきり言ってオカルト部はさしたる部活を行っているようではなかった。
 登下校中の学生を捕まえて聞いたり、噂のようなものを集めたり、実際に放課後教室側まで見に行ってみたのだ。
 だが結果は散々。本当に部として存在するという事すら知らない人間までいた。
 そう言う意味では怪しいのは確かなのだが……
「お待たせ」
 相変わらずノックなしで勢いよく開くふすま。
 いい加減言ってやろうと思って振り向くと、既に彼女はふすまを閉めて、すぐ側にいた。
 お盆にコーヒーを載せて、零さずにこれだけ良く早く動ける物だ――と、無意識に感心する。
「今日は、お饅頭しかなかったけど、いいよね」
 そう言って小さな皿の上にのった饅頭とコーヒーを机の上に置く。
 自分はお盆ごと、その隣に置く。
――本当に
 思わずため息をつきたくなった。
 がみがみ何かの度言う癖に、それでもきちんと世話をしようとする。
「…お前、母親みたいなのな」

  ずがん

 突如目の前が真っ白に、星が目から飛び出たような衝撃。
「誰がよ、全く」
 ずきずきする後頭部を押さえながら菜都美の方を向くと、既に何事もなかったように窓の桟に座っている。
「殴る事ないだろうが」
「うるさい。…どうせ、今日は機嫌が悪いからぶん殴ってやろうって思ってたのよ」
 思いっきり睨むと彼女は目を閉じてコーヒーを一口飲み込む。
「あんた一体何をしてるわけ?如月工業にこんな時間まで?」
 じろりと敵意にも似た視線を向ける。
「何をって、そりゃ前に言ったけど『薬』について調べてるんだよ。丁度バイヤーらしい奴も根っこ捕まえたし」
「どうして。危ないでしょ?一体何の根拠があって、それがタカヤにも通じてるって決まってるのよ」
 はっきり言うと根拠はない。
 焦臭いのは確かだが、それを明確に答えるには、あまりに言葉が足り無すぎる。
「『魔法』って辺りがあの薬は臭い。それに実際その『魔力』って奴を信じて動いてる奴らもいるからな」
 菜都美は視線を逸らして、コーヒーをもう一口含むとカップを持ったまま腕を組む。
 不機嫌な横顔に実隆は口を噤む。
「こんなに遅くまで……」
 それからしばらく無言で、コーヒーを飲んだり菓子をかじったりして時間だけが過ぎていく。
 実隆がカップをお盆に戻すと、菜都美は再び彼の方に目を向けた。
「『あたし達』とは重ならない連中だよ、あいつらは。そんなところよりあたし達の方が」
「確実にタカヤを呼び寄せるって、そう言いたいのか。…違う。以前の『殺人事件』や『魔法』と彼は関わっている」
 それに。
 あの――ヒイラギミノルと名乗った、自分によく似た男の事が気に掛かる。
 きっと奴も同じ世界に生きる人間だろう。
――だから探さなければならない
 たとえタカヤが見つからないとしても、あいつには会える気がする。
 軽く机を叩く音で思考から現実に意識を引き戻されて、初めて気がついた。
 菜都美は、彼を睨んだまま瞳を揺らせていた。
 まるで子供が睨み付けながら涙を溜めるような――何故か、そんなイメージで。
「だからって、どうしてそこまで…危ないってことが判らない?」
 彼女は実隆の座っている前で、両腕を大きく振って訴える。
「これはただ危ないだけよ、タカヤは関係ないわよ」
 目を瞬いて、実隆は頬を指でかくと立ち上がる。
 菜都美は――まさか立ち上がると思っていなかったからだろう――驚いて目を丸くして、慌てて背を反らせる。
 それでも身体が触れそうになるぐらい近い。
 よろけるようにして一歩退くと、彼女は手すりに肘をぶつけた。
「――お前何か知ってるな?誰かから、今回の事聞いたんだろ」
 しばらく表情も変えずにぱちくりと瞬いているが、実隆の言葉を飲み込んだのか――眉を吊り上げて脇に退く。
「ミノルっ!あたし、っ!」
 ぎりぎりと歯軋りする音が聞こえる。
 それが、一瞬惚けたような表情に変わって――
 一瞬何が起こったのか判らなかった。
 それまでぶん殴られるかという勢いだったのに、慌てて背を向けて走り去っていく。
――なん…だったんだ

 釈然としないまま、次の日も如月へ向かった。
 少し朝で出遅れて菜都美とは朝食の時にも会えず、明美には『後で謝っておきなさい』とまで言われる始末。
「全く……何を謝れっていうんだ」
 それでも、契約という程ではないが彼はいつものように如月工業へ来ていた。
 本当ならオカルト部を調べたり、今出てくるだろう五十嵐に注意をしなければならないのに。
 目の前を過ぎていく生徒達。
 本当なら、気にとめなければならないはずの彼らに、彼は意識が向けられない事に気がつく。
――駄目だ駄目だっ
 そして、舌打ちして彼は校門に預けた背を弾いて立ち上がった。
 それが油断だったのかも知れない。
「あ」
 小さな声に気がついて顔を上げて――後悔する。
 五十嵐ともう一人は先生だろう、スーツ姿の男が目の前に立っていた。
 五十嵐は口元に手を当てているが、もう遅い。
 その男は五十嵐の様子を見て、実隆に視線を向ける。
 少しきつい感じのする、どちらかというと爬虫類のような視線。
 見た感じでは教師か――少なくとも親ではないだろう。
「ん、キミは――如月工業の生徒ではないね。五十嵐君の……友人かな?」
「あの」
「いや。…ああ、店で会ったのかも知れないね。バイト先のレストランで。私に覚えはないですけどね」
 しれっと答えて、男の視線に答える。
「失礼、そうですか」
 彼はそれだけ言うと、五十嵐と一緒に立ち去っていく。
 五十嵐は一瞬すまなそうな視線を向けてくるが、実隆は右手を軽く挙げて応えるとすぐに背を向けた。
 危ない――実隆はそう感じた。
 あの類の目は間違いなくやばい。
 あの時は人間ではなかった、でも――あの時の目とよく似ている。
 少なくとも触れてはならないタイプの人間だ、という直感から来る情報が彼をせき立てた。
――やばい、ニゲロ、と。
 それはいつもの人間に対する畏怖とさしたる差は無い。
 しかし。
 それでも実隆の勘が正しかったと気がつくには、もっと時間を必要とするのだった。


「あ、おかえりなさい」
 いつもならドアの向こうで出迎えるはずの母親が、何故か門の外に立っていた。
 だから、間抜けな貌で返事を返してしまう。
「ただ、いま」
 笑われるかと思ったのに、少し反応がぎくしゃくとぎこちない。
 声色も不安そうな色が残っている。
「…どうかしたんですか?」
「冬実が帰ってこないのよ」
 そして、今明美と菜都美が二人で探しに出かけたところだったらしい。
 丁度入れ違いという奴だろう。
「それじゃ俺も行って来ます、二人はどこに?」
「いいえ、ミノルくんはここにいなさい。これはウチの事です。それより何より」
 そう言って人差し指を立ててウインクしてみせる彼女は、先刻までの雰囲気が払拭されていた。
――菜都美も、こういうところあるよな
 なんとか、自分は大丈夫だと相手を安心させようとする仮面。
 仮面をつけることで自分もまた安心しようとするのだ。
「冬実の事、良く知らないでしょ。どこに行くとか、何が好きだとか」
 あ、と再び間抜けな貌をする実隆。
 冬実と話した事すらあまりない。この間初めて彼女から声をかけてきたぐらいで、それ以来も会話をした記憶はない。
「か、顔ぐらいは……」
「それだけじゃ、ミノルくんが帰ってくるのを待たないといけないでしょ。二人には携帯を渡しておいたし」
 そう言って両手を腰に当てる。
 何となく胸を張っているようなポーズ。
「私達はあの二人が帰ってくるのを待つのよ。待ってる間もやることはあるわよぉ」
 う、と実隆はげんなりした表情で肩を落とした。
 先刻の嬉しそうな表情は仮面でも何でもない。
 うきうきしながら『料理のお手伝いをミノルくんに頼めるなんてね〜』と嬉しそうに呟いている。
「俺、不器用ですよ」
「大丈夫よミノルくん。私も不器用だし、何より菜都美なんてジャガイモの皮むきすらできないんだから」
 けらけらと返されては――それも菜都美を引き合いに出されては――下がる訳にはいかない。
――しょうがないかな
 彼女の言うとおり、探しに行ったところで虱潰しになってしまって、結局見つからなかったら彼が帰ってくるまで心配をかけさせるだけだ。
 これからいぢめられるであろう出来事を思うと、彼はとりあえず肩を竦めて大きくため息をつくしかなかった。


◇次回予告

  行方不明になった冬実は、前日に如月工業に現れていた。
  「――何か用かね?こんな時間こんなところで女の子が一人でいるのはあんまり感心しないな」
  彼女の目的は。
  そして、行方不明の彼女を見つけられない菜都美は、腹いせに実隆に喧嘩をふっかける。

 Holocaust Chapter 4: 玲巳 第6話

 真桜菜都美、参る
                                            忘れたい思い出

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