過去の日記
H14.10.29
驚け。
世にあふれる妹マニアどもよ。
「うちのかみさんはね、俺の事を「おにいちゃん」と」
まていっ!まてまてまてい!
これが現実なのか?本当に現実だから怖い。
さて。頭のネタ振りはこんなもので。
H14.10.28 コンピュータが
飛びました。
何が原因って、そりゃあんた、サスペンドがうまくいかなくてシステムファイルが崩壊したのよ。
運が良かったのはバックアップは最新でなかったにせよ、この日記を除いてHPデータは残っていたって事。
H14.10.21 最近ネタとして仕入れたんだが
すたじおみりすのがっちゅみりみり放送局。
知っている人はいるだろうか。
あの折笠愛さんが、過去に『熱血電波クラブ(と言っても別に毒電波ーな訳ではない)』でソロ放送をしたのだ。
今思えば萌え?
いや、可愛いぞ。……多分。
H14.10.20 少女マンガ
ってあるよね。正確には少女向け雑誌に掲載されたマンガ。
H14.10.18 言霊
良く使われるこの言葉の意味。
結構言葉がどれだけの力を持ちどれだけの影響を与える物か知らない人間が多い。
H14.10.17 待つ事。
何でも、心待ちにすることがあるだろうか。
ともかく楽しく待つという事が、今できるだろうか。
待たされる事の楽しみは、待つという『信頼』を支える結果が必要なんだろうなって思う。
最近素直に待つ事ができなくて、そんな事を考えたりした。
H14.10.15 ちょこっと思いつくこと
色々あるじゃない?こういうのがあるといいなとか、面白いなっての。
小説で出来なくはないけど、HPに載っけるには結構難しい。
H14.10.14 境目のお話
所謂限界とか、善悪とか、国外とか。
H14.10.12 逆行する自分
別に暇な訳でもないし、現実逃避する余裕もないはずなのに。
全人類は趣味(自己満足)のためだけに生きているのだ、と。
こ、こら、いしをなげるなー!ふなよいするじゃねーかー!
H14.10.10 今度は
愛国心か。勘弁してくれ、日本のマスコミ。
だからお前は愛国心があるのかと言われると。
いや、悪いが絶対にない。
そんなー。大切にしている物が無い人間だよ、そんなものあるはずないじゃないか(棒読み)。
H14.10. 4 りにうある
このたび一条和真サマんとこがりにう。
H14.10. 3 眠いね。
台風一過、季節は再び夏(なんでや)。
別に暇な訳ではないけれども、今ゲームばっかりやってるなー。反省。
H14.10. 2 涼しくなってきました
まだ日差しはきついですが、ようやっと風や夕暮れが秋の気配を覗かせました。
H14.10. 1 今回は毒です。毒を飛ばす方はクリック。
牛肉返金騒動で西友の話。
愚かで、最も醜い話だ。『つぶせ』だぁ?だったら勝手に買いに来るのをやめれば良いんだ。
職場で、他愛ない話をしていたときだ。
ちなみに、俺より10年上だから、いやー、何年そういう事に(嗤)
今日は人類種の話。
『サイエンス』によれば、男子出生率が年々低下する傾向を見せているという。
元々、男女出生比率は53/47でわずかに男子が多い。
そもそもは五割ずつの出生率のはずが、何故かそういう形になっていたといわれる。
過去にこれは謎とされていたが、男子の方が出生後の生存率がわずかに低い結果、最終的におおよそ五分五分という割合を保っていた。
これが医学の発達により現在の男子過剰状態が発生。
様々な説があるものの、気になるのが『種としてのバランス』か?
うむ。そもそも確率論では五分五分でしか生まれないはずの男子が、何故か確率が高く生まれていたのだから、今の傾向は不思議でもないはずなのに。
こう統計的に見て判る状況だと頷かざるを得ない形か。
どうやって『種』というものがそのバランスを判断するのかとか、そもそもそういう「判断」っていう言葉を使うのが正しいのか。
過去に化学で緩衝溶液というのを覚えたことがある。多少の酸やアルカリを入れても、逆に反応して設定した酸度に保つというものだ。
小説中では「人間は種として群体を形成する」みたいに書いていたけど。
うー……一部のオカルティストはこういう状況を全く信じるんだろうけど、改めていやな感じを受けたね。
電子地図開いて車でツーリング中。休憩しながら眺めてたんだ。
なにやらサスペンドで異常が発生。再起動しようとしたら『レジストリファイルがみつかりません』
……そして、沈黙。
もう二度と動きませんでした(^^ゞ
システム再構築したけど一部ファイルは損失してるし、アプリはディスクの紛失で復帰しないし。
あー……サイテー……
ホロコーストそのものにダメージは、執筆用辞書ファイルの破損を除いておっけー。
りみっとぶれいかーず!の方が…若干のダメージ。
HPのブックマークもほとんど消えたし、もうちょっとダメっぽい。
今週アップなくてよかった…
結構いい加減な上に面白い。
ゲストによっちゃ、もうどうしようもないぐらいな人もいる。
まあ。
それが売りの場合もあるけど何にも考えてなさそげな金田まひるさんの回と、天然というよりまぢめにいぢめられ役の草柳順子さんの回が面白かった。
まだこの、数人にゲストという組み合わせのラジオだからこうなった訳だけど。
当時、『誰がこんなぱーそなりてぃを選んだんだよ』と思う程、間は空くわとちるはどもるわ。
3×3EYESの鈴鈴さんの声は判るね。あれが地声。
あれで、とちるはどもるは、間は空くわ。
んで慌てて話そうとするんだな。…いや、スピーカーのこっちがわで『誰か突っ込んでやれよ』とか『助けてやれよ』と、思う訳だよ。
アレは本気で放置?だったのかな。うーん。
どなたか、あの回を録音していて手持ちにしてる方、いないですかー?
まぢ今聞きたくて聞きたくて仕方ないっ!
少年マンガと対になる存在で、通常そのテーマやら何やらって百八十度以上違うっての。
まあ、確かに今でもそう言う物もある訳だし、女性作家が殆どを占める形になる。
だからか、女性作家の作品に触れることなく生きていく人も多い。
まあ俺もその一人だったりした(正確には女性作家だって知らなかった作品が『魔狼王』だけど)。
けどねー。結構マンネリ化した大学時代にノンジャンルでマンガを漁った事があるのさ。
(以下敬称略)
その頃見つけたのが『少年魔法士』、なるしまゆり(コモドドラゴン?だっけ?)の作品。
そう言えば不死ずのあぎと(UJ連載)はどうなったのかな?
まあ衝撃的で面白い作品だったね。魔術に関する考察ってのはなかなか本格的につっこめないものでもあるし。
それ以来雑誌も買わず『目に付いたら買う』心がけている。これで拾ったのがくさなぎの『少年進化論』『天使祝詞〜テンシシュクジ〜』。
やぶうち優の『少女少年』は二巻裏側のあおり文句で買い、以来水色までは読破。
そして今回購入したのが『PeaceMaker 鐵』。新撰組ってのと表紙の白黒の鮮やかなコントラスト、そして滲むような朱色に惹かれた。
黒乃奈々絵の作品。コミックブレイドとかいう雑誌に連載中。以前はガンガンで池田屋まで連載してた。
いやー。面白いよ。何がって、意外な程表現がなまなましくて。
リアリティというよりは生々しさって奴かな?飾りっけを感じさせないというのかな。
大分芝居がかった雰囲気はあるんだけど、欲しい物がそこにあるって感じだね。
今、俺には壺。
言葉に存在する力を意味する訳で、まああちこちで魔法のように使われる。
実際には、そう言った力を込めた言葉が意味以上の働きをする事が知らしめられるべきであって、実際に言霊を利用した魔法なんかはない。
もっとも、MAGICとは神の世界は言葉のみでできているという考えに基づいた物だったりするんだけども。
それよりも訴えたいのは、言葉の持つべき力の意味だ。
何の気なしに呟いた言葉というものがどれだけ影響を与えるのか、それを知らなければならない。
言葉を紡ぐその理由、言葉を紡いだ責任を、人間は取らなければならない。
その言葉が発生した理由、それを人間は考えなければならない。
昔、文字が書かれていれば譬え切れ端でも大事にした文豪もいるが、そこまでしろとは言わない。
ただ、ほんの僅かな言葉の切れ端、僅かなものだとしてもその責任は重大な物なのだ。
なぜなら言葉は力を持ち、全てに影響を与える事ができるのだから。
そしてその力が極限にまで大きな人間を、普通、魔術師などと呼ばれる一括りで表される。
ほんのひとことの「すき」や「俺はそんなことはしない」などの小さな言葉に表された力を知らな過ぎる。
俺は喩え年上だろうと、未熟な彼らにそれを思い知らせてやる事がある。
自分の吐いた言葉には責任を持つべきだ。持たなければならない。そしてその結果がどうなるか見届けなければならない。
日本語を、より勉強しなければならない。そんな風に感じた。
別にそれが彼女とのデートでも良いし、テストの発表でもいいし、お祝いをしてくれる日でも良い。
待たされると言う事を楽しみにできるというのは幸せだろう。
待つ期間というのが永ければ永い程、待っている物が欲しい物であればある程。
永すぎる場合には、逆に気分が廃れてくる。
待ちくたびれるという言葉を、誰かは感じた事があるんだろうか。
待つ事に慣れた場合にはそれができる。
特に待てば待つ程楽しくなって、当日より前日の方が楽しいはずだ。
でもそれは裏切られた事がない場合。もし裏切られたならば、多分そんな風に楽しく待つ事はできない。
当日突然裏切られたならば、恐らく衝撃の方が強いだろう。
何故待ったのか。『あれだけ待たされた』という事実より、その時楽しかった事があまりに滑稽で許せなくなるだろう。
まるでピエロだから。
そしてそれを繰り返されると、待たなくなる。
『待っている』という楽しいはずの行為を、裏切りによって傷む場合を考えてしまってできなくなるから。
まあ、感情がすり切れてしまって楽しくない人間もいるかも知れない。
でなければ待たずに他の手段をこうじても良い訳じゃないか。
草臥れる程待つぐらいなら、待つ必要はないだろう。
多分そんな心理が行列を作ろうとするんだろう。無駄とは言わない。
無意味であっても無価値であるとは限らないから。
前は電車で長距離移動するのは苦でも何でもなかったのにね、今電車もバスも駄目。
車の影響もあるかも知れないけど、あの『ただ乗っている時間』ってのが耐えられない。
かといって、ただ乗っているだけじゃなくて(以前だってそうだったけど)席でパソコン開いてるんだけどね。
どうにも…譬え車の方が高くつくとしても、遅くなるとしても、何故か我慢ならなくなってきた。
あの『決められた時間待たなければならない』空間に足を踏み入れたくないのかも知れない。
純粋だった昔に戻りたい(笑)。
ギャグだろ?っていうのを真面目にやってると滑稽だったりするでしょ。
そう言うのをさ、イラストにしたい時ってのがある。
描けない(無理すれば描けなくはないが……)人間としては、そう言うほんわかした絵を描ける人間って素敵だと思う。
うむ。凄いよりは素敵な方が響きが良い。
ナンセンスギャグを劇画タッチで描く某少年誌のマンガも嫌いではないが。
俺は、線が丸みのある柔らかい感じが好きなのだ。
CG一枚で表現できるものを、わざわざ前後つじつまを合わせて物語にするのは大変だ。
そもそもネタがそんな下らない事だから、小説にする気にもなれない。
だからこんな日記があるんだけどね。
そう言う日常の一場面を捉えるオムニバス形式の小説、書ける人間は書いているよね。
しかも毎日。ネタだしのために真剣に生活しなきゃいけないので、俺には無理だけど。
でも、そんなこつこつした努力が、多分有意義な生活につながると思うよ。
思いついたネタは書きためて、いつかネタにするよりもきっと良いと思う。
だから、そんなイラストが描きたいな〜。誰か代わりに描いてくれよぉ(笑)
例えば血を吐きながら走ったとか、国境とか、健康不健康とか。
限界ってなに?結局そこには程度があって、明確な差は無いはずだ。
例えば血を吐きながら走る事。
足が動く限り限界じゃないのか。
息が上がったら限界なのか。
それとも、気を失ったら限界なのか。結果喩えそれで死んだとしても。
国境ってのは確かに政治的に明確に定められている。そう言う線はどこにも引かれていないにせよ。
健康不健康の境は?今健康的な生活をしていることか?不健全な生活を続けている人間は不健康なのか?
病気も怪我もなくても、それは健康と言えるのか?
医者は言う。この世に完全な健康はないと。そんな人間はいないと。
人によっては、生と死に明確な差を見つけられない物もいるだろう。
男女差を持ってくると、逆に男女の差があろうと人間には違いがないと思える事もあるはずだ。
そこまで考えると、何事にも差が感じられなくなる。
境界が無くなるのだ。
だから、結局そう言うのは全て個人の価値観の中にあると暴言してもいいだろう。
と言うことは人間同士は解り合えない、それも永遠に。
まず相手の意見を尊重して、相手の意志を確認しなければ円滑に物事を発揮できない。
……んじゃないかなぁって思ったりしている。
久々にMDを引っ張り出してみた。
昔、MDが出た頃は確かに光出力がどーの、デジタルがどーので実は脚光を浴びたメディアだった。
でも、今となっては(テープよりメジャーでも)時代遅れな感じは否めない。
俺のこのプレイヤーも、既に六年以上前の代物で、年代物と言うべきだ。
あ、俺の車と同じだな。
既に普及し、充分使い物になるソリッドオーディオプレイヤーの方が今では主流と呼んだほうが良い。
パソコンの普及と、インターフェイスの発達により直接パソコンから落として読めるプレイヤーは重宝するだろう。
実際カーオーディオでももうWMAは当たり前に聞けるプレイヤーが出てきた。半年前はCD-Rですらやっと読める程度だったというのに。
最新はやっぱりHDDプレイヤーだろう。ある意味勢いよく発達しすぎている気がするのは…気のせいか?
いや、ペンティアムの出現以来、技術の発展速度は恐ろしく早まったような気がする。
そこで思うのだが。
初め、科学技術というのは人間が安らかに安全に生きるために作られた。
生活環境、生活のための空間、そして手段を科学技術は切り開いた。
医学の発達の御陰で病気は幾分抑えられ、人間種の寿命は既に1世紀に届こうとしている。
稲妻のように早く移動し、鳥よりも高く飛び、そして強大な存在をほんの小さな一撃で仕留められる技術もある。
だのに、それは自分で自分を真綿で締め続けるような逆転現象を起こしていないだろうか。
ほんの僅かな、古びたMDを見て思う。
これはまだMDだから、古いと言ってもまだ現役だろう――でも。
車を見ても判るだろう、10年以上のスパンでもって『古い』という考えが頭を擡げる。
なのに時代は、半年もしない内に進む。
コンピュータは半年前が『一世代前』とも呼べる程発達してしまっている。
時間は進み、もう歯止めも利かなくなっている。そんなあわただしい世界が今の現状ではないだろうか。
落ち着きという物を失ってしまった世界に落ち着きを求めて時代からあぶれてしまうか、時代を追い求めて休みなく働くか。
科学技術の発展は、人間の精神を加速してしまったのだろうか。自分を安心させて落ち着かせるために発達していたのではないだろうか。
成人病の若年化、コンピュータゲームによる引きこもりの実体。
ネットワークがインフラ化することによる、ネットワーク依存症。
古くからある物なら半合成、人工エンドルフィン等の薬物中毒。
自分で自分の首を絞めるためだけに科学技術が発展しているようにも見えないだろうか。
もっとも個人レベルでの話ではないかも知れないし、これからの時代『もっとこうできないだろうか』という思考を実現しているのだ。
あながち悪いことではないのかも知れない。
結論なんか出るはずのない思考過程かも知れないが、それでも、だからと言って全面的に認めるには難しい。
だからこうして、中古でも名車を求め、壊れかかったMDで古い曲を聴く。
…そいえば、コミケって流行を追い求める有名どころから、古参の流儀を持ったところまで色々あるなぁ。
ある意味尤も逆行した世界なのかも知れない。
自分の求めるもののために何年も、結局そこに落ち着くという『居場所』を見つけられたかどうか。
うーん……人間って、自然から産まれて、自分で自分を完全に終わらせて……
個人というレベルで見れば確かに誰かの手にかかってるんだろうけど、そう思うと人間の思想やら思考とか文化も否定する意見がでてきそうだなぁ。
ただ思うのは、結局人間が何をしたいのかがもう判らなくなってるんじゃないだろうかなぁという事。
ただこれだけは言えるよ。
いや正確にはマスコミではなくて政治家たちか?
『日本人』ではないからといってその一文を削除する、ですか。
何故既に土着したも同然な連中が、日本という土地と国に対して一切の愛国心がないだと?
全く馬鹿にしている。郷には入れば郷に従え、愛国心がなくても貴様の住んでいる場所に愛着はないのか!
……と思った。
別に、『いや、俺はそれでも』という人間は別に一向に止めないさ。そう言う人間は常に自分の周囲の状況を我関せずな顔でいればいいんだ。
彼らは監獄に住んでることになるんだから。
おかしいと思うべきだ。というのは以前にも言った事と同じ。
それに俺は日本人以上に日本に対して愛国心のあるサムライを俺は知っている。
だからこそだ。だからこそ、そんな戯れ言は勘弁して貰いたい物だ。
通知が来てたので修正。
ウチは、既に三回のりにうを行っていて、前回の修正がかなり大幅だったんだけども、今回は外観を中心に行く予定。
出来ればめんどくさいJAVAは省いて行きたいんだけど、スタイルシート構文を利用したいなと思ってたり。
手を入れるのが厳しいけどFrashとか、使うと格好良いしさ。
色合いとか合わせるのが難しいけど、それに伴ってHP構成も変更予定。
たとえば、各作品毎特設コーナーのような(Holocaustみたいな)形式にするとか。
今更過去の作品に手を入れる予定はないけど、そのぐらいはしてもばちは当たるまい。
気圧配置がずれたせいだろう、それまで涼しいって言ってたはずなのに以外に気温が高く感じる。
……服のせいか?
ともかく、御陰でぼぉっと眠くて仕事が辛い。
まあ最近毎晩SinsAbellのやり直しで眠いのもあるんだが(笑)。
SinsAbell、はっきり言って各ヒロインのEDがどこで分岐するのかわからん。
CGもシーン再生もまだ余ってるって事はまだ分岐が残っているのか?
怪しいのは先生とステイトだと思うのだが俺の気のせいかも。
特に気に入らないのはステイトが消えるEDが回避できない事か。
アレがこのゲーム最大の許せない山場。まるでバッドエンドなシーンに納得しなければならないと言う事だ!
さてー。このゲームは最近のゲームなのでフルボイスだ。凄く意外な声優で固めているんだよねぇ。EDでキャスト出るんだけど。
妹なんだが、豪快で恰幅の良い『おふくろ』タイプの妹当麻エリに金田まひるさん。
最近発覚したんだが、どうやら殆ど地でやってるっぽい。
びしびし厳しい癖に慣れない感情に戸惑うとこが可愛らしいアポ=ステイトに春野日和さん。
ライアーは『ラブネゴ』の岡田勇気とは正反対の声なのが驚きだい。
ヒロインのさつきに長崎みなみさん。今回は気弱っぽい声で登場。この人はホントに色んな声でとても同一人物だと判断しにくい。
いい季節ですねー。こんな時オープンカーが欲しいッスよねー。
てことで今日はくるまの話題。
最近コペンって名前のオープンスポーツの軽が出たのは知っていると思う。
軽のオープン→KのOPEN→こぺん、らしい。
まあコペンは丁度槍玉にあげただけで終わりなんだけど(笑)、俺はビートが欲しい。
実は免許取ってから車を買うならこれ!って決めてたのは実はビート。別にホンダ車が欲しかった訳ではない。
とある場所で、夜。駐車場から出ていく黄色いビートを目にした時に惚れたのだ。
『ああ、あんなに小さなオープンカーがあるんだ。アレなら欲しいなぁ』と。
可愛らしかったし。でも、AT限定免許だった自分は諦めて、顔かたちの似たEGにしたんだ。
話がそれた。
オープンカーってのはそれなりに犠牲も大きいなりに売れている。代表格はロードスターだと思うが。
もし程度良好ならカプチーノみたいなレアでも良いから欲しいね。アレならパワーもあるしチューンのし甲斐のある良いエンジン積んでるし。
何よりターボだ。N/Aはホンダで最高峰に触れられるから、ターボFRのカプチーノはセカンドカーにぴったりだよね。
130psまで引き上げちゃえばパワーは充分だし、軽だから安く済むしねぇ。
横道にそれてばかりだが、オープンカーは楽しみのためだけの車だろう。
そもそも雨漏りはするわ剛性は不足するわ、走るにも荷物を載せるにも不都合が多い。
でも、最近の電動ルーフなら剛性はともかく雨漏りは少ないだろう。
実はそれでEG6を購入を決める際に悩んだのはEG2と呼ばれる車――CR-X delsolだ。
どーせVTiを買い直すならこれでもいいぢゃん、って思った事もあったのよ。ほんの少しね。
これはトランストップと呼ばれる世界初電動ハードトップを積んだ、『大変形』カーだ。
まあ雨漏りはするんだが(笑)。
他にもシルビアカブリオレってのもある。剛性不足からか残念ながらN/Aモデルのみ、球数も少ないというお目にかからない車。FCのオープン設定も新宿で路駐してるのを見つけた。
高いところでは一千万クラスのNSXにもオープン設定はある(フルオープンじゃなかったが)。
逆行するようにS2000はクーペ化予定とか、この手の話題は尽きないが、天井のない車の魅力とは何だろうか。
俺は、開放感と走行する際の風かなーって思う。
もし今新車を買うならS2000だろうか。
特にこの季節、ルーフ全開で走る車は絶対に気持ちいいはずだ。
時折見かけるオープンカーが羨ましくなる。
まあもっとも、急な雨で対応出来なかったり、涼しいを通り越すこれからの季節には大変だろうけども……
それでもセカンドカーで購入するなら、オープンだ。
コペンが新しい流れをつくって、数年後登場予定のホンダスポーツ1000で爆発してくれると嬉しいなーとか。
まず第一に。誰か被害を被ったのだろうか。
実際に狂牛病が発生し、もしくは潜在的にその可能性が牛肉によってもたらされたのだろうか。
第二。金返せと文句を言う前に、制裁したいなら勝手にしたらどうだろうか。
醜い。はっきり言って『それが当然の権利』だと主張する醜さは、人間の最も醜悪な部分だ。
何故そう感じるのか。答えは一つだ。『機に乗じた』偽物の存在を疑えないからだ。
実際に被害を被ったのかどうか、それが精神的な物だと主張するならそれは裁判でも決して勝つ事はない。
事実上西友は愚かな事に、販売額の四倍以上返してしまったという。
潰したければ買いに行かなければいい。そこに詰めかけた全員でな。
それを、不当な金額を請求して私腹を肥やすじゃぁ、醜いとしか言いようがないだろう。
返した西友も馬鹿だが、自分の私腹を肥やすのを妨げられてがなりたてる馬鹿な連中も馬鹿だ。