過去の日記
H14. 9.27
そう言えば
明日、ネット開始四周年目に入る訳だ。
本日は小説を二冊ゲット。
はたして、既に終わっている全てを暴いて完全に終わらせるのは良い事なのだろうか。
とは、作中で主人公も疑問に思うのだ。
H14. 9.26 はっきり言って俺は偽善が嫌いだ
加えて言うと、安定を乱す全てが嫌いだ。
……俺にとって、遙は過去から来た化け物だが。
失礼、現在という安定を崩す、逆に言えば三年間が作り上げた全てをぶちこわす『過去の遺物』に感じられたのだ。
水月と遙の二人を外せば実はそれほど『来』ないので安心してゲームできるんだけどねー。
H14. 9.25 やっとこさみつけた
先日から話をしている『車』のマンガのお話。
後は、偶然見つけたマンガを二冊程購入して創作意欲の刺激に励む。
H14. 9.24 おわび。
大分執筆も遅れ気味なHolocaust。
……いれば、だけど。
遅れます。今後更に遅れる事が予想されます。
H14. 9.18 北朝鮮だ。
拉致を認めた。八人死んで五人生きてた。
まあ。今の北朝鮮で生活するよりは、どれだけ不自由でも日本はぱらだいすかもね。
これはあくまで人間、各個人の話だ。
長々と書いたけど、当事者以外はそれを判断できないという事と、だからって周囲が騒ぐのが何となく俺の嗜好に合わないってことだ。
物語を書く上では様々な事に思考を巡らせる。
H14. 9.17 今更ながら
バトルギア2。
H14. 9.16 連休に入ると
途端、キーを叩かなくなる。
現在のChapter:4玲巳は後悔してる。
H14. 9.13 湾岸ミッドナイト
昨日のそーいうこと♪があってから、同名マンガを読んでみた。
やっぱり頭文字Dが人気なのは判るよ。『悪魔』よりはリアリティあるしね。
でも共通するのは両方とも(恐らく作者の趣味だろうから)古い人気車種が『何故か』一番だという事か。
H14. 9.12 気狂い
マニュアル車に乗ってから、久々にATに乗る機会があった。
H14. 9.11 多分ここで良いと思うから
ありがとうございました。御陰で胸の支えがとれました。
と、判る人に判るように振っておいて。
つーかしごとしろ(^^ゞ
H14. 9.10 好きとか嫌いとか
それって感情なんだろうかね。
H14. 9. 9
数えていなかったのでアレだが、1999年9月28日に初めてりーふ図書館に投稿したのがSS投稿歴の始まりだから、長くなるなぁ。
長いんだか短いんだか判らないけど。
ホームページはそれから二月後ぐらいに立ち上げたから、めんどくさいから日記最初の書き込み、10月6日が俺のHPの立ち上げ日にする。
メール整理してて、色々あったなーって振り返ってみたり、日記読み返してみて馬鹿だなーって思ったりして。
同人始めたのは桐月さんとの出会いがあってからだし、感想メールも少ないながら嬉しかったりする。
駆け抜けるように二年。そして、それに比べやたらと投げやりだった今年。
なんだかしんみりしてしまった。
タイトルは『春の魔術』、田中芳樹の傑作シリーズ最終巻。
やっと出たかって感じだったんだけど…俺が見つけきらなかっただけ?
ともかく来夢と耕平の冒険の最終話。なんだか俺としては煮え切らない感じかな。
第1巻の感動はここまでのテンションを引きずらなかったというか。
良くも悪くも纏まっていて、こぢんまりしているのが嫌なのか。
うーん。1巻と同じシチュエーションで、同じ屋敷へりたーんずってのが駄目なのか。
ちょっと残念。
いや、悪い作品じゃないけど、基本は4冊セットでしょ。これはもしかすると書くべきではなかったか。
でもこれがないと話が完全に解決しない。
そこでだ。
もう一冊は実はかの作品『クビツリハイスクール』だ。
俺は実のところ色んな意味で期待していて、ぺらっぺらだったので凄く嬉しかった。
何が?って、予想通りで予定していたとおりだったからだよ。もうミステリじゃなかったし。
と、話の内容はおいておいて、この作品に出てくる『請負人』っていう最強存在がいる。
彼女は、終わっている物を完全に終わらせてしまうという役割を持っている訳だが。
今回はたまたま『春の魔術』という現実の作品をもってそれを俺は体感したのだ。
結局、はしょっても良い部分ってのは有る訳で。
物語の構成上、そこまで強引に盛り上がりを作れるかというとこれは相当難しい訳で。
……つまり、物語を作っている立場から言うと、ヤマトの最終話の気持ち?
『いーぢゃん。もう盛り上がりは終わったんだから』
人間の人生ってのは楽しい事だけじゃない。だから、物語は楽しい部分、波打つ感情の大きな部分だけを取り除いて描く。
つまらない部分は極力省き、話の流れを組み立てる。
そんな感じ?だから、話として終わったならもう読者も期待しなくて良いんだ。
未消化の伏線がその時存在したとしても、それは別の話中で語られるべき物というものもあるんだ。
そんな枝葉を書き込む事で話が複雑化して読者を混乱させるのは良くないのだ。
だからといって、とってつけたように終わらせるためだけに作る話ってのもどうかと思う。
いや、『春』がそうだと言ってるのではなくてね。
俺が書くスタンスってのがそう言う形をとるから、『クビ〜』には共感する部分も有ったんだな。
現在三部作存在する『クビ〜』だが、ミステリなのは二作目まで。最初から読んでないとついてけないし、二作目に至ってはもう。
三作目は『この流れなら、絶対に』と思っていたとおり、非常に面白い作品だった。
ミステリもどきからミステリ風味にまで変わって、『悪魔のミカタ』第1巻って感じだったね。
ちらりと見せていたアクションメインか?と思ったがそれだけは予想を裏切ったがね。
と言う訳で君の望む永遠。俺は余り好きではないっつーか、久々に攻略中の友人と会話。
気になって、凍結を解除して遙を進めてみる。
某サイトでは大盛況。俺にとっては『何故か』大人気の遙であるが、好きではない。
ちなみに一年ぐらい前に俺に勧めた某氏も遙だった。
んだから、封印した。
大抵のサイトを覗くと、水月が嫌われている。
んー……彼女は悪の大権現だから仕方ないだろう。
よくストーリーを読んでみると彼女が最初っから孝之狙いで動いてるのがよーくわかる。
このゲームのストーリーの核がこの二人なのは確かなんだけど、お姫様が遙なら悪の魔王が水月?
失礼、魔女だ。
でもそのスタンスはゲームをする人間の視点から彼らを見た上であって、彼らの日常という風に見ればそうでもない気がする。
つまり、プレイヤーに取って最も厳しい精神攻撃を受けるが、最も重要度の高い(正当な)EDは遙であると言う事。
逆に、それだけ激しい波状の精神攻撃を受けなければならない程『困難』であり『高得点である』と言い換えよう。
平和な現実を揺るがすから、三角関係だろうが何だろうが『物語』になるんだろうけどね。
だけどそれだけ物語を面白くするという意味では、波瀾万丈な方が良いが。
では、生活は波瀾万丈な方が良いだろうか。
明日いきなり出社前に家に車が突っ込んできて、会社に電話した途端『お前は今日からどうせ首だからでてくるな』と言われた挙げ句、車に乗っていた女性が『あなたは私の探し求めていた人です』って具合に追いかけられる羽目に。
しかもその女が、実はヤクザの頭の娘で……
物語としては面白いかも知れない(破天荒すぎて面白くないかも知れない)。
でもそんなこと現実だったら俺は嫌だ。
先日も話した、捕らわれていた人間の二十年以上の年月の生活と同じ。
君は、既に長い年月をかけて作ったこれらを切り捨てられるだろうか?俺には出来ない。
だから俺は君が望む永遠なら、水月を選ぶ。
話としてもそれが一番いいような気がするんだが。
………それとも、俺には主体性がないんだろうか?
はっきり言ってゲームにまで神経使いたくねーってのが最大の感想だな。
でもね、久々に『すげえ』って思わせて貰ったのが、声優。
普通、声色ってのは作ってしまうので声から表情を窺い知る程のものはない。
ないというか……まあ、普通の会話の声だよね。
そう言う意味での代表で俺の好きな声が茜。いきなり科白の途中で裏返るのが可愛いんだ。
んで、思わず声だけで表情が判ったのがまゆの声優さん。
彼女のシナリオを進めてみないと判らないだろうが、演技派声優だ。
声の表情の付け方が非常に巧い。まあキャラクタのせいもあるんだろうが……
一度彼女の語りを聞き賜え。そのためだけにやる理由はあるぜよ。
いやー、探すに探してやっとこさ見つけたぞ。
ヤングキングアワーズに連載していたマンガ『ブルヴァール』。
コレは今までに話してきていたD、湾岸、レブとは方向性が約292.88度程違う。
車が出てきて、中心軸におかれているんだけども基本はキャラの人間関係と、主人公の車に対する思いが描かれた物。
簡単に出だしを説明すると、バイクで事故った主人公が親から反対されてバイクを降りて、車に乗り換える。
黄色いMR2、『Patrick』を駆る大きなリボンの女の子を巡る大学生活…
よくある美少女系というよりも、『主人公が女の子だから』っぽい車への想いをつづる。
何というか電波チックなぽにての彼女、峠のキングを潰す程速かったりレズの女の子に捕まってみたりと以外に面白い。
初めて読んだ時、車のマンガだって気がつかなかったぐらいだ。
………MR2が結構詳しく書かれてたりするんだが、案の定作者は車を良く知らなかったそうだ(^^ゞ
でも他の作品に比べライトな乗りなので一般的にオススメできたりする。
一冊は『天使祝詞(テンシシュクジ)』。『のりと』だろ?と思ったけど、そう読ませるらしい。
以前二次創作作家さんへの100の質問で回答した『少年進化論』の作家の作品。
『殺人人形』の結という名前の女の子が次々に殺人を犯す話。
よーしゃない話の展開と、冷酷さと暖かさの同居する主人公の周囲の人間関係がたまらない。
そう言えば、少女マンガ系でこういった危険なお話を書く作家って、本気で容赦ないね。
進化論も冷酷なまでに容赦ないし、魔法士に至ってはねー(笑)。
こういったシリアスなところは男性作家にはなかなか見られない。
足掻く徹底した強さ、必ず浮上する明確な対立目標、そこに潜む「燃え」の要素。
これが同一系統の男性作家の傾向で、女性作家の場合には逆に徹底した冷たさを感じる。
逆転があり得ない、冷たい諦観、ひっくり返りそうで結果は同じ……
少女マンガ(作家)だからといって倦厭するのは、今の時代間違いだぞ。
もう一冊は電撃で連載していたKanonの二巻。
プチさんの絵は微妙で絶妙なので大好きなのだ。
こいつは説明不要だな。
SSを楽しみにされている読者各位。
その殆どをHolocaustにつぎ込んでいるのでかなり遅れます。
それでも遅れているHolocaustを、もし楽しみにされている方。
というのは、そろそろ(見た目だけだけど)またりにゅーしようかなぁとか思った訳です。
このHPを立ち上げた当初は私自身携帯でHP閲覧という結構厳しい状況。
まだアナログモデム普及、ISDNはぶるじょあじーっていう周囲の状況から私は軽い、極めて閲覧しやすいHPを目指して設計しました。
それが蔵書数の増加に伴い現在の形式に。この段階で今までの枷を外して(でも他よりやや軽く軽快な感じを)作りました。
細かいリンクミスの徹底や、自動検索エンジンの設置とか結構頑張って。
今回のりにゅーの決意ってのは、もう少し外観に拘りたくなっただけです。
大きな変更は無いです。でもすこし拡張するかも。
ものができあがり次第、アップ準備と予定を告知します。
ということで。
……俺は全員死んでいる者と思うべきだと考えた。
これは別に悲劇とかじゃない。ただ捕まった時の年齢と時代を良く考えるべきだ。
70〜80年に、20代前後で捕まったら今一体幾つだ。下手すれば50代に手が届く人だっている。
状況的に死を考えた方が良いだろう。老衰云々を抜きにして、『酷い扱いを』受けているであろう状況では、精神的にも持つかどうか判らない。
当時の北朝鮮はどうだ?ついこの間まで食糧難にあえいでいたのだ。日本人の感覚で五十代と考えるべきではない。
拉致された彼らが満足な食生活を送っているだろうか。想像するのは難しい。
またもう一つ考えると、彼らが生存していても果たして社会的に死んでいると考えるべきか。
一年二年のスパンではない。既に二十年以上前の話になるのだ。
彼らは、その人生の半分近くからそれ以上を、そう言った状況で生きてきている。
二十年生存した状況がどれだけ酷いか俺には判らないが、彼らの人生の一部である事は確かだろう。
もしかすると、既に日常に変わっているかも知れない。
確かに遺族とも言うべき人間が日本で心配しているだろう。それはテレビでもよく判る。
それでも帰国するかどうかは本人に冷静に判断を下す為の余裕が必要ではないだろうか。
「お前は帰国できる」、確かにそれは失った過去の日本を埋めるだけのものになるかも知れない。
でも帰ってきたとして、二十年も過ぎ去った変わり果てた日本は、果たして彼らにとって故郷と言えるだろうか。
タイムスリップした『異境』…そういう感想を受けてもおかしくないだろうか。
もう随分と年を取って、まるで他人のような親子。
見た事もない街並み。
それでも、何か懐かしいものを感じられるから、たとえそのギャップが合ったとしても…
それは本当に、真実だろうか。
単純に帰国させろと言うのは簡単だ。だが、人間の半生とも言うべき時間が過ぎ去った今、戻ってくるのは幸せだろうか。
無論それを判断するのは周囲でも、果たして家族ですらない。あくまで、捕らえられて生きながらえた彼らだ。
無責任に非難する事も我々には赦されていないのだ。
日本に帰国するという強い意志と希望があって今まで生きてきたならまだしも、二十代前半で捕らえられて生きて来た場合は判らない。
死ぬか、別の目標を見つけるだろう。いつの間にか日本への執着も消えているかも知れない。
だから私は、二十年も前に拉致されて帰国できなかったのであればそれは既に『死んで』いるものと思わなければならないと言うのだ。
今日は長いぞ、ちょっと勘弁してくれ。
これ以上の考察は国家間レベルであるから、個人の意志や感情は介入されない。
さて、北朝鮮側は日本人拉致を『彼らの経歴』を利用して別人になりすますためである事と日本語の修養のためだと認めた。
それは国家犯罪だろう。認めた限り、それに関する手当が必要になる。
罪には罰を。
国際的謝罪と、『彼らの日本への帰還』だろう。遺族(等)や彼らへの慰謝料みたいのも考えられる。
政治的な外交関係も考慮すべきだろうが、これ以上は俺の思考の範疇から漏れるので無視する。
あくまで焦点は、生き残った彼らの処遇なのだ。
望むと望まざるとに関わらず、彼らは帰国する。
もう五十代、職を探すにももう働く事も難しいだろう。下手すればまともに日本語を話せない可能性だってある。
北朝鮮との外交だけで本当の終わりが来る訳ではない。帰ってきた彼らをきちんと保護する環境を、日本は作れるのだろうか。
彼らを政治的に帰国させるだけだったら、片手落ちも良いところだろう。
またこれからの北朝鮮との外交が出来るだけの政治力があるだろうか。
どうせ大きく報道するのは後数日、実際に帰国が決定した頃までだろう。
だが本当の終わりは、彼らが完全に日本にとけ込んで、北朝鮮が全てを精算したと国際的に認められるまでだ。
物語が終わっても、物事は終わらない。事件が終了しても、日常が戻るまでには時間がかかる。
まあだからこそ、人々はゴシップや物語を好んで口々に話して批評するんだろう。
何故なら、そこで終わりだからだ。当事者はそれから終わろうとするのに。
批判が嫌いだっていうのもあるけど、善悪の判断みたいなものは誰にも出来ない、幸せの定義がおのおの個人に水準があるから周囲が決められないと思うからだ。
そりゃ、『社会的一般的に』『倫理的に』『法として犯罪だから』などの、社会を形作る上で必要な枷は誰にだって当てはめられる。
それは郷には入れば郷に従えであって、善悪ではない。社会秩序と言う奴だ。
公共の物を私有化できないのと同じ。
そんな枷が嫌なら、その社会から存在を否定されるだけだ。
別な枷のある社会へ行けばいい。そこなら認められているかも知れない。
それは生きる為の論理だ。正義と悪があくまでも対立構図を生む限りこの世にそんな物は存在しなくなる。
大義名分すら社会を生きるための論理の一部であり、『それを利用する』価値があるだけで正義でも何でもない。
任侠の世界で『義理と人情』、義理が重くなるというのも結局は彼らの世界秩序だろう。
でもこの性格の御陰で感情を高ぶらせるような燃える物を描くのは難しい。
所詮クールな血塗れアクション作家に過ぎないんだな。
……五月蠅いな、俺は執念深いんだ。
えーっと、簡単に攻略するこつ。
テールの流し方と復帰を覚えれば簡単。問題はFFかい?
俺みたいにFFにしか乗らない人間は稀に困る問題だ。サイドも設定されてないし。
だから、FFはターンインを発生させる訳だけど、バトルギアではリアがDC2R96specレベル以上のテールの流れが発生する。
というのは以前書いたけど。
ブレーキを使う場合と、実車同様アクセルを抜く場合があるけど、バトルギアではアクセルを抜いていく。
少し手前で早い目にステア、直後にアクセルを抜くと綺麗にテールが流れ始める。
今度はアクセルを全開にして、リアがトラクションを戻すのを待つ訳だ。
……つーか、テールの流れ方がFR並だし、やけにピーキー。実車だったら乗れるもんじゃないだろうな。
まあゲームだな。100km/hも出ていないのにあんなにテールが流れるなんて、どっかおかしいよ。
と言う訳で上級までクリア。今中級と上級のタイムを縮める方で練習してて、まだ超上級には手出ししてなかったりする。
頭文字Dっちゅーのもあるんだけどなー。
別にさぼってる訳じゃないけど、最近は精神的に駄目だな。
こんな状態では傑作など作れない。でもそれじゃ言い訳になるし、はっきり言ってどうしようもない。
じゃあいつ書いてるのかって?
仕事中だ(まて)。
玲巳の関わりは今回の目玉ではあるんだが、内容が複雑化し過ぎて手に負えない。
まだ纏まらないのだ。
あー、成る程ね。ということは『湾岸ミッドナイト(同名ゲーム)』は激しく間違ってるじゃん。
「チェイス」なんだけど、あの世界の『速さ』ってのは少し違うな。誰かに勝つ、負けるというのではなくて。
走り抜ける。それも作りに作り込んだエンジンと引き出せるだけ引き出したパワーで、『誰が最高速か』を競うのだ。
うん、ソレも速さだね。頭文字Dとは方向性が百二十一度半違うけど。
頭文字の方は『ここからこの区間まで何秒早いか』という感覚でしょ?
パワーよりももっと泥臭くて日本人っぽい感覚かな。軽乗用車で最速ダウンヒルとか。
要するに『そのコースをいかに早く下るか』だとパワーがあっても使いこなせない場合が多く、結果軽い車じゃないといけなくなる。
スカイラインをぶち抜くハチロクってのは確かに『面白い』。
パワーも欲しいが軽くなければならない。車については相反するバランスの果てを追い、ドライバーは高度な技術を要求する。
同じ公道でも高速道路は道路のキャパが違うから速度領域が更に音速に近づき、結果大排気量化する。
パワーさえあれば重量は関係ない。最高速度が高ければそれで構わない。
そう言うどこまでも高みへ向かい命を削るっていうアメリカンな感覚?な湾岸に対して、技術屋というか日本人というかそんなD。
Dはあくまで日常の一部であるのに対し、人生というでかいスパンまで拾う湾岸。
R-32が古い時代に、もっと古い七十年代の車が最速の湾岸。既にインテグラRが登場する時代にも伝説的にまで最高速度領域に生息する。
最強の電子装備で武装したランエボを喰う、ABSすらないハチロク。まあ未だにレースシーンではキャブや四連スロットル装備のハチロクは珍しくはないが。
うーん。
オーバーレブとかと比べると、これらは車のお話に纏まってるよな(笑)。
悪い意味、某少年誌ちっくな雰囲気あるしね。
はっきり言おう。もう俺はATに乗れない。
まずイグニッション、既にN、Pでなければエンジンがかからないとか、Pでないとキーが抜けないなんか忘れてる。
左足がブレーキを踏む。踏んで帰ってくる感触にむかついてフットレストを踏み抜く。
ストール無限大の時のエンジンの軋む音が不安を煽る。
交差点の時なんか我慢できずにNレンジに入れてハンドブレーキ。
ATしか乗っていない人間は判らないかも知れないが、あの「ぶぶぶぶ」っていう停車時のエンジンの振動は、回転数が低い時に起きるものなのだ。
どういう事か――このまま回転数が落ちて「エンスト」が来る→エンストは嫌だ→不安感とこうつながるのだ。
もちろん、普通に運転していたらトルコンの滑りによって決してエンストしないのがAT。
一度でもMTでエンスト地獄に入ると怖くて乗れなくなるはずだ。
もう一つ。
これがくるとMTならとりあえずアクセル煽って回転数を上げる。だから、エンジンが回転数をせがんでいるようにも感じるのだ。
走らせてくれ、と。特に低速のトルクが低いエンジンで渋滞中は、せがむというよりもドライバーに抗議しているように騒音も激しく「ば、ば、ば、ば」と震える。
MT車は、マニュアルミッションというロジカルで区切られたエンジン回転数と車速を合わせる事で走る。
AT車はロジックを『論理素子』で固めてしまっているから、人間がソレに触れる事はない。
それが良い事なのかどうか、結局今の交通事故の状況を見る限り良いとは思えない。
MTは過去のものと違い、既に完成されてどんな人間でも扱いやすく作り込まれている。
確かに手間は増えるから『楽しい車』でない限りめんどくさい物ではあるかも知れない。
それでもクリープより安全な微速運転ができるのはMTならではだろう。
クリープでは結局エンジンからトルクが加えられていて、ドライバーはブレーキを断続的に踏み込む。
MTでは逆にトルクをクラッチに与えるからブレーキではなくアクセルとクラッチを断続的に踏む。
この時クラッチを切って慣性だけで微速運転していると、たとえばぶつかったとしても塗装が若干傷つく程度で済む事が多い。
ATではこうはいかない。クリープでぶつけても外装の硬い部分がべっこりへこんだりする。当然だが。
ともかく、俺は乗り換えてから車はMTじゃなければ駄目な人間になってしまったのを確認できた。
それも『走りたい』とせがむ高回転型エンジンを積んだ『じゃじゃ馬』でなければ駄目なようだ。
いつか怪我する。もし死ぬなら、交通事故で死ぬのが俺の運命かも知れない。
でも、購入するか否かは別問題(まて)。
まさか、まさかとは思いつつもこーいう事に巡り会うとは恐縮至極です。
動揺すると怖いね。今日はきっと悪運の日に違いない。
仕事は予定外の出来事が起きるし、何だか自分の財産(と言う程か?)もやばいし、ネットでも朝昼夕と緊張づくしだし。
……多分、こんな場所読んでる人、少ないだろうから許容範囲だよネ!(半ば現実逃避)
でも、BBSのながやんサマにせよ、リンク切れ報告メールにせよ、何だか自分のHPに対して反響があると嬉しいね。
…嬉しかったらこんなに動揺してるはず無いんだけど(^^ゞ
なにせ、心の準備ができていないところに唐突に来るとやっぱり誰でも焦るでしょ。
仕事場でネットしているからか?ああ、これが吊り橋効果って奴だ。
でも久々に生きてる心地がする。日常に垣間見る非日常的な驚きが立て続いたからさ!(半分錯乱気味)
仕事はどうにかなりそうな気配っぽいけど、受けたダメージは回復するだろーか(^^ゞ
ちょっとどきどき。
嫌いだけどこれはいいものだ、キシリア様に届けてくれよとか。
あなたは嫌いじゃないけど、好きになれないとか。
以前に属性のお話を持ち出した時に、『ライト=ケイオス』と『ダーク=ロウ』について語った。
色々とね、生まれつきの赤ん坊がneutral=neutralだと言うのが『属性』としては生まれたばかりでいかようにもなるという考えから来る訳だけど。
その性質はライト=ロウかな?と思った。
結局好き嫌いってのはこの属性に関する物なのかなーって最近考えている。
わかりやすく言うと、鍵と鍵穴の関係。
自分に対しての対象。
その時、好き嫌いをやはり感情ではない確実な物差し、即ち論理や根拠で計っているはずだ。
理由無く好き。感情で…というのは必ずあり得ない。
理由というのは歴史を紐解いた人間が後付けで語るオプションに過ぎず、本人はそれに気づいていない事が多い。
逆に言えば、そうやって論理立てて考える事が『必ずできる』はずなのだ。
たとえば自分などは他人を嫌いになる事はまずあり得ない。
ん百人以上と語ってきただろうが、その中でも嫌いになったのは僅か一人だけだった。
愛情の反義語は無関心である、という語りを聞いてまさに、と思ったが、この憎悪にも似た嫌悪というのはなかなか抱けない。
これは『dark』に属する領域だろう。
愛情と憎悪は別の論理であると言いたいだけだ。少し話が飛躍してあちこち飛んでいるが。
そう言った、自分では(属性の、もしくは自分の持つカタチのために)判らない理由による衝動、つまり、好きや嫌いというものはある焦点に対してに絞られて感情を捕らえていると言えないだろうか。
その端的な一例を諺で言うならば『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』。
これは憎いという好き嫌いの論理がもたらす感情が『その焦点と理由を見失ったが為に』暴走しているのである。
まあ尤も論理を選択する過程に感情が関わってくるので…かなり無茶な論理かも知れないが。
さて好き嫌いが論理であるというなら、それを選択するものは何かと言うと。
些細な事だ。フロイトなら全て性欲に結びつけるだろうし。
俺自身は、『安心』を基準にしているだろうと思う。もしくは『落ち着き』と言い換えても良い。
それが最優先で自己完結すれば、それは『好き』なのであって対象が何でも構わないんだ、と仮定してみよう。
対象の絶対条件が減る、すげ替えができる、すなわち『そのものを好きだという感情』はあくまで感情であり一時的な物である、と言えないだろうか。
たとえば食べ物の食わず嫌い、再婚したクリスチャンの三度目の永遠…
ここまで来て、何が言いたいか判るだろうか。
他人に対する愛情が裏切られた場合、それは自分を否定されるのと同義であるから、彼らはあれだけ『修羅場』になるんだろう。
Fetish、Fetishismってのはそこに自分の見いだす論理を照らし、『好きだ』を『これが好きな物である』、『好きな物はこうでなければならない』と論理から感情を引き出して無限ループしているようなものだ。
その始まりの論理を知っているなら、恐らく彼らはフェチになることはないだろう。
『こう、だから好き』。
だから俺は最近好き嫌いという曖昧な表現はできる限り避けるようにしている。
まあ前述なら俺はneutral=chaosだから、ダーク側にもライト側にも躊躇するだけかも知れないが。