第1子 かずん編

陣   痛



  12月18日。寝る前にトイレに行ったら、おしるし(注1)が。

本によると2,3日うちにお産がはじまると書いてあって、いよいよだなと思いました。

破水が先じゃなくてよかったと一安心。

少しだけ心の準備が出来たから。

  12月19日。何事もなく過ぎました。

シンザンの仕事が20日まではどうしても抜けられないので、

とりあえず明日まではがんばってねと、モモたんに話しかけていました。

  12月20日。たまにくるお腹の張りとともに、腰にズーンという痛みが。

生理痛がひどくなっようなかんじ。陣痛が始まりました。

シンザンの仕事もなんとかカタがついたようで、これで急にお産が始まっても安心です。

高校2年の妹が腰をさすってくれたり、陣痛の間隔を時計で計って記録してくれたりと、助けてくれました。

こういうとき、同性の姉妹ってありがたい・・・。

12月21日。陣痛が強まってきたのは感じるんだけど、間隔が縮まらない、そんなカンジで時間だけが

過ぎていきました。このころから父方・母方両方の祖母から「大丈夫?」という電話がかかってくるよ

うになりました。予定日が23日なので、そろそろかなと思ったのでしょう。

”初曾孫”ですしw

私はこの陣痛が順調に進んでいくか分からなかったし、心配をかけたくなかったので感づかれないように

わざと元気な振りをして「予定日もまだたしね。大丈夫よ〜」と言っていました。

ホンネは「早く切らせて〜」だったけど。

もちろんそれに気付かない祖母は「出産に臨む心得」をとくとくと語ってくれました(泣)

この日、検診に行ったけど、「まだまだだね」との先生のお言葉。痛いのにぃ。

  12月22日。さらに強くなってきました。

夜にはシンザンも仕事を終えて駆けつけてくれて気持ち的に楽になりました。

だけど、陣痛の間隔はいっこうに縮まらず・・・。

  12月23日。出産予定日。間隔がだんだん縮まって10分間隔になってきました。

腰の痛みがひどく、さすってもらわなければ耐えられないほどになりました。

祝日で休みの父と、休みを取ってくれた母、シンザンが交代でさすってくれました。

少し動くと下りてきやすいと言うことで陣痛の合間に階段を踏み台昇降の様に上ったり下りたり・・・。

呼吸も苦しくなり、母も「この調子じゃ今日中に生まれるわ」というほどでした。

夜になって、陣痛は3分間隔になったので病院に電話をして、車で行きました。

(病院のパンフにも本にも、初産婦は10分間隔になったら病院に行くと書いてあるけど、

私自身まだこの痛みではまた押し出せない気がして我慢していたのです)

途中、橋の架け替え工事をしていて、工事現場が砂利で凸凹していてかなりツラかったぁ・・。

ようやく病院に着いてお腹に陣痛監視装置を付けてベッドに横になっていたら、

さっきまで3分間隔だった陣痛がウソのように遠のいてしまったのです。

浣腸をすると促進されるというので、やってもらいましたがダメ。

少し歩こうと、父とシンザンが交代で付き添ってくれて病院内をグルグル歩きましたが、

シンザンの「お前、浣腸したっか?デヘヘ」という冗談にも「うるさいわ」と笑って返せるほどの

余裕まででてきてしまって。

子宮口も1cmも開いてない状態でした。

これだけ痛いのにまだ1cm・・・・ガックシ _| ̄|○

結局他の経産婦さんがやってくるというので、ベッドが足りず、家に帰らされました。

(結構こういう風に帰らされる人って多いんですって。)

家に帰っても不安で1人で布団に寝られず、ソファに横になっていました。

なにかあるといけないからと、父とシンザンはこたつで寝ていて、

2人の寝顔を見ながら「悪いなぁ」と「情けない」という思いがこみ上げてきて、

声を殺して泣いちゃいました。

  12月24日。クリスマスイブだというのに、かなりブルー。

夕方、父方の祖母が軽自動車を購入し、納車されたからと言うことで見せにやって来ました。

「せなちゃん、どんげね?(どう?)」との祖母の問いに、みんな「まだまだやねー」とウソを付かざるをえない状況。

母も家の中に祖母が居ると私が苦しんでいる様子を見て心配するからと気を利かせてくれて

「車を見せて」と外に連れ出しました。ばあちゃん、ごめん。m(_ _)m   

夜になっても時々襲ってくる痛みをこらえながら過ごしました。

ケーキも食べた気がしないし、何よりSMAPの特番が楽しく見られなかったのが残念・・・・。

(/TДT)/あうぅ



        注1 : 出産が近づいてくると、オリモノに少量の血が混ざることがあります