VII.

センカガリ(darning by thousands)
   人体の安全な転移を想定して確立された、データ誤差の全く無い高精度ベリファイシステム。ベリファイは必要な原子量情報から始まり、受信側は先行して貯蔵庫から原子を受け取り始める。続いて本データのベリファイが送信側と受信側、及び最低5ヶ所の中継地点で幾重にも重なりつつ行われ、本データを受信側で構築する。「コバンザメ」が入る可能性は、計算上ゼロである。

 
 自分の愛する人が二人に増えたら、人はどんな気持ちになるのだろう? 『どっちも大事』なことは、当人が言わなくてもそれこそが問題なのであって、他人がやいのやいのと口を突っ込む隙を与えることになるのだが、まさにどちらにも決められないのが当人の状況である。もし対象者達がそれを納得ずくで愛し合い、対象者間にいざこざが将来においても生じないなら、そのままでよい場合も、あるいは存在するのかもしれない。
 ここまでが世間によくある『フタマタ』の状態だが、彼らの場合は残念ながらこの次元ではおさまらない。まったく同じパーソナリティが語義以上の正確さで、二人に『増えている』のであり、過去のいかなる記憶も――厳密には二人に増えた時からは違ってきているが――共有している。さらに、自分が認識してきた相手は二人ではなく一人である。他の恋愛と同様、それはジャンケンで決められるようなことではない。仮にそのうち一人と『別れよう』。よろしい。では自分は誰と別れ得るのだろう。どちらかをニセモノと決め込む勇気は果たして持ち得るのか。そして――同じ事が自分に対しても言われ得る状態になっている時に――!
 さて……こんな分かりきった抽象論よりも、今は四人の賽を振ることを急ごう。実はこの時点では、私も彼らの運命を見据えてはいないのだから。そう、四人のうち、お眠の恵里を除いた三人は今、一番表現に苦しむ、あるいは最も刺激的な事態、『夜の夫婦生活』に思いをめぐらせていたのだ。
 淫猥な発想が、幸哉とユキヤの中をピーターパンのように飛び交っていた。
 どうしよう、ベッド一つしかないし。エリはそこに四人で寝ることを一瞬思い『とんでもない』とふたをした。
 やっとこさ食事にありついた安堵からか、今や睡魔の虜になりつつある恵里は、「じゃ私、寝るね〜」と寝室に浮かぶような足取りを進めかけた。
 「じゃあ、僕もそろそろ」立ち上がろうとしたユキヤの肩を捕らえ、
 「そりゃねーだろ、オイ」と幸哉が引き戻した。
 「あの……エリ……さん? そこは私のベッド……」しかしそんなエリの言葉を聞き入れず、恵里の足取りは夢遊病のそれに近かった。彼女はドアも閉めずにばたんきゅうと枕にうつ伏せ、一瞬後なぜだか妙に湿っぽいそれを押しのけ、寝た。
 かわいそうなのは(?)残ったエリ、彼女はなぜか二人がいたソファの真ん中に割り込んで腰を下ろしたが、残った二人の視線が愛の欲求に満ちているのを感じ、顔を真っ赤にした。
 「あ、あのね。寝床一体、どうしよ?」やけに色っぽく身をくねらせる。
 二人の幸哉はにこやかに、「うんうん、どうしよっかネ〜」とエリを見つめた。二人ともエリの肩に手を回そうとしたが、もう片方の幸哉の手とぶつかり、そろそろと脇に手を伸ばしなおしてまたぶつかり、双方あきらめて自分に近い側の肩でガマンした。
 「でもね、ユキヤさん、……あっちの私に、悪いし、ね?」
 通常の二倍の求愛に、エリは、エリの身はもう火照っていたのだった。だが、その言葉は二人に必要以上の大ダメージを与えていた。
 ぬ、ぬぬぬっ。二人は頭をかかえてうめきだした。なんてことを。ああ、なんてことを。僕は後ちょっとでエリちゃんを裏切るところだったよ。ありがとうエリちゃん、僕は君の言葉で目がさめたよ。
 しかし、目の前にいる方のエリの体の期待は、裏切っていた。二人とも体をがくがくさせていた。彼らの煩悶が自分のためでないことにエリは少し怒ったが、やはり自分のためのものだと思い直して、彼女も不思議な求愛をした。
 「うーん、ユキヤさん、好き、好きすき!」
 悲しいかな自分の両脇に幸哉がいるので、どっちに身を投げ出していけばいいのか分からない。しょうがないので自分を抱きしめて前につんのめった。思わず抱きかかえようとした二人が、頭と頭をしたたか打たせてまたうめいた。
 「おおお……」
 二人のぬくもりが離れ、自分を抱きしめていたエリは、突然自分が置いてけぼりをくらったような寂しさを覚えた。今度は彼女が体をがくがくさせた。言いし得ない恐怖が、ふとした拍子に襲ってくる。
 「ユキヤさん……、寒い。なんだか寒いの」
 頭の痛みから復活した二人の幸哉は、彼女の背中越しに目配せし、頷きあった。どうだろう、二人の紳士は、彼女のナイト達は、同時にその頬にキスをした。彼女の正中矢状面から向こうは相手の持ち分、とばかりにきれいな対称形の愛を表現した。エリの涙腺は今日オーバーワーク気味の活動を再開した。そう言えばバカ旦那(どっちだ一体?)に泣かされた事なんて、全然大した事じゃなかったのね。
 「……ンガァ……」
 な、なによそれ。では教えてあげよう、初めて彼女が耳にする自分自身のイビキ声だ。
 「ンンガガがァー」……ひ、ひどい。涙腺は今日の活動を終了した。両側の彼らはまだ気づいていないようだ。両の乳房を愛撫する手に両手を重ね、両耳に熱い吐息を感じながら、エリは言った。
 「ありがとうユキヤさん……二人のユキヤさん。でも今日はこれ以上はダメ。向こうの私(←バカやろぉぅ!)のこともあるし。私達、もっと大事なことを考えなくちゃいけない」
 両脇のナイトは、乳房のまさぐりと耳かじりをやめ、非常に真剣に彼女を見ていた。彼女はどちらの方にも向かず、正確に真正面に向かって続けた。
 「……スゥー……」い、今だわ、今のうちだわ。
 「……私達が元通りになるのかならないのか、これが現実なのか夢なのか、全部はっきりさせなくちゃいけない。……でも」彼女は左右を振り向き、また正面に向かって言い放った。まるでアングラ舞台のヒロインだ。「でもね」
 「ピルルルル〜〜!」くはっ。
 「わ、私は、どんなことがあっても、ユキヤさんが好き」
 「……僕は、どんなことがあっても、エリちゃんが好きだ」エリは音声多重でこの言葉を聞いた。ほら、やっぱり私ってヒロインだわ。
 「グガピーッ!!」エリはがっくりと肩を落とした。
 「……あ……エリちゃん、具体的に善後策を練ろうか」
 彼女の右胸から手を下ろし、幸哉が言った。以前からエリちゃんの『寝息』は聞きなれているよ。そんな優しい視線をエリに送っていた。
 「そーうだね。寝れるかどうかもわからないけど」ユキヤも左胸から手を下げた。
 「ショッピングモールがなぜ二つもあったのか、ってところで夕食にしたのよね」
 「あの〜、寝れると練れるがシャレになっててね……」
 「ミラーサイトだろ、最近転ブアクセスの多いところは現実世界でもそうし始めてるし。転ブテロの可能性もあるけど、大方設置時のミスで双方に僕らのデータを送ってしまったんじゃないかな。要するに、転ブ事故……」
 「あーっ、あの、ルパンの好きな巨乳の姉チャン。てゆーか、エリちゃあん。僕の方もちゃんと聞いてみなーサイト」
 「ユキヤさん、あのね。つまんない駄洒落言ってる場合じゃないの」
 「だってこいつ、僕の思ってること先に言うんだもん」
 「しょうがないだろ、おんなじなんだから――じゃあ君、続けろよ」
 「君って? なんかさっきから他人行儀だな〜オマエ」
 「オマエとかこいつとか、いい加減にしろよなコラ」
 「二人ともやめて! 自分自身じゃないの。あ〜もうやだぁあたし〜」
 「ごめんエリちゃん。そんなつもりじゃ」
 「あああ、エリちゃん、ゴメン!」
 エリの苦笑に、命拾いをしたとばかりの表情で、ユキヤが多少いちびりながらも続けようとする。
 「え〜、では変わりまして、司会進行を勤めさせていただきまァその〜。えーと、ミラーサイトとオリジナルに一人ずつ行ったのじゃったら、二人ずつのうち、どっちかがミラーマン! というわけだすナ。それはでゲスな、IDカードの転ブ履歴を見ればでゲス、ゲ……、見れば……?」
 三人は身震いをした。投げやりな、おどけた物言いにしては、彼らしくちゃんと核心を突いていた。つまりIDカードを見れば、彼らが目的としていたオリジナルのショッピングモールか、それともその混雑緩和のために作られたミラーサイトに転ブしたかが分かる。ミラーサイトに転ブした方を『コピー』と仮定できるなら……、自分がコピーと断定されてしまう可能性も、あるのだ。
 しばらく彼らは、その場で硬直していた。自分が誰かのコピーであるなどと、誰も考えたくはない。ややあってそれを言ってしまったユキヤが、フォローしだした。
 「で、で、でもね、この場合のミラーサイトは、ネット上のコピーじゃなくって、実際のモールだし、そこにいる従業員もそこに行く客も、まったく別の本物の人だし、そんなことでどっちが『コピー』だとか、『ミラーマン』だとかは、言えないよね。元々ミラーサイトに行った方がホンモノかもしんないし。そんな言い方したら、ミラーサイトで働く人全員がかわいそうじゃ〜ん」
 最後の『かわいそうじゃ〜ん』は半ば自分に向けて言っていた。もちろん幸哉の方を見ながら。
 幸哉は少しムッとしながらも、頷いた。
 「……その通りだ」
 今日の僕は『ダンディ=ユキヤ』なのかな。このいけ好かない目の前の僕がいると、どうもやりにくいぞ。とほほぅ。しかし、彼もそう思っているんだろな。こういう役割分担から生じる同類嫌悪って、あるよなぁ。まったく、会社で鉢合わせしないでよかったよ。今日は残業途中で帰ってきたしなぁ。なんだこいつは仕事おっぽりだして帰ってきやがって、まったく僕らしくもない。まあいい、明日はあの続きと、あれをして、あれ、あれあれ?
 幸哉はうつむいて、ぼそっとつぶやいた。
 「……なぁ……、明日の仕事どっちが行く?」
 

(第8章へつづく)

© A.Matsu! 2000-2001 大禍時(おおまがとき)Indexへ