その時 ぼくは一瞬、シイナクルミがかすんで見えたんだ







あまりにも切なくて悲しいベストエンディングに、つい涙ぐんでしまったひとも多いのではないでしょうか。
ここでは3人の新たなる旅立ちから、感じた事を書いてみたいと思います。
念のためにまだ夕闇通り探検隊をプレイ中の方、これからプレイする方はこの辺りで一旦お別れをしておきましょう。

それではまず、ベストエンディングのダイジェスト。

中学2年生14歳の夏――村瀬直樹(ナオ)の初恋、椎名久留美(クルミ)の時間は少女のまま永遠に止まった。
クルミが死んだその夜、ナオの家のチャイムが鳴る。母親は起きる気配もなく、またチャイムも止む気配がない。ナオはベッドから置きあがるとそっと玄関に向った。チャイムはまだ止まない。訝しげにドアをあけたナオの目の前、
「ナオくん、メロスの散歩に行こう」
なんとそこには、麦藁帽子をかぶったクルミがいたのだ。
まるで夢を見ているようだった。事実、ナオは半ば夢だと思ってクルミを追いかけ靴を履いた。
毎日夕暮れの中を走り回った3人は、今日だけ月明かりを頼りに陽見の街を行く。この夜3人はクルミの案内で、あらためて陽見の町を守る神々に出会った。
そしてナオとサンゴは気がつく。クルミは彼らのもとへといってしまうのだと。この楽しい時間はいつまでも続かないのだと。

心に開いた穴が塞がらないまま、夏休みが終わり二学期を向える。クルミの訃報はみんなが知ることとなった。大切なひとを失ってしまったナオのことをクラスメイトは同情的に遠巻きに眺めるだけだった。サンゴもまたその狭間で自分自身の傷を癒していた。
放課後のチャイムが聞えてくるたびにナオの心は揺らぐ。あの扉が開いて――クルミがまたいつものようにやってくる気がして…

メロスとだけの散歩が続いたある日、サンゴがナオのもとを訪れる。
夕暮れで紅く染まった川面を見つめ、ふたりはあの夜の散歩のことを思い出した。
あの夜、クルミは死んでいたのだ。あんなに元気に走りまわることなど出来るはずはない。なのにクルミはふたりの前にやってきた。あれはきっと最後のお別れだったのだ。
陽見。太陽がいつまでも留まり見えるという町。次第に濃くなって行く夕闇と、想い出の中に沈んで行くナオにむかって、サンゴが勇気をふりしぼって叫ぶ。
「あたしは信じない。幽霊なんて絶対に信じない。終わった事に悩むなんて、あたしそんなに暇じゃないもん。
それよりもっとあたしを見て!
あたしきっと可愛くなるから!」


死んだものには敵わない。・・・とはめぞん一刻やレベッカやら、随所お見かけしますが、このふたりの場合はどうなることでしょう?私は、少なくてもこの時のナオはサンゴの言葉に救われたと思いたいですね。

ナオはクルミの死を乗り越えなければならなかったが、サンゴの場合は恋敵の急死を乗り越えることになります。わたし的にはサンゴだからこそライバルが居なくなって清々したとは思いたくない。幾度かナオを想ってクルミと彼との仲を取り持ち、その度に傷ついてきたのだから。それにナオの最大の危機に掛けつけ、彼(と結果的にはクルミ)を人面ガラスの呪いから守ったのも、実はサンゴの確固たる現実主義のおかげだからです。

これまで二次元の世界に恋を投影していただけのサンゴは、初めて自分の心がわからなくなるほど悩みましたよね。心の支えであったトモキには「案外子供ね。サンゴちゃん、あなたはもっと傷つきなさい」と言われ、サンゴははじめて自分がどれだけきれい事の中でしか生きていなかったかを思い知ったはず。

ひとは、ほんの些細な事で傷つく。そしてこの傷をどう癒すかでこれからの自分を決めることができると思う。
例えばクラスメイトのイジメに耐えかねたクメコウジロウは彼らを呪うという方法で自分を守ろうとしました。スナカワサエは自分を傷つける事でその痛みを忘れようとしました。もしかしたらイジメをしている側の人間も自分を守りたいだけなのかもしれない。他人を貶し優位に立つことで、だれからも傷つけられない場所を作る。その場所を守るためにまた必死に他人を傷つける。そう考えてみれば、方法はそれぞれだが彼らは同じことをしているといえるでしょう。
学校が世界の全てと思えるような中学時代は、もしかしたら彼らの方が社会人の私達よりも過酷な人間関係とストレスの中にいるのかもしれません。考えてみれば義務教育の9年間、自分の周囲は変らない。クラスの中だけが世界の全てで、人間関係のはじまりで、どこまでいっても出口が見つからない。誰の為だかわからないような錯覚に陥る義務という逃げだせない窮屈な環境、子供に戻って甘える事もできないし、だけど大人は決して自分たちを「大人」としては扱ってくれない。そんな微妙な少年少女の時間――。

他人に何かを強要することはできない。他人を自分の思うようにはできない。いくら待っても他人が変ることはない。だから自分が変るしかない。なりたい自分も、こうなってほしいという願望も、他人に与えられるものではなくて自分が望み掴み取るもの。
だけどこの大事な事に気がつくのは、もっと後になってから。過ぎ去ってから「ああ、そうか」と思い知る、または「ああそうだったんだ」と思い出すのかもしれない。私自身を思い起こしてみると、少なくても中学生のころには思いつかなかったです。気づいていたのかもしれませんが、求めるのはいつも他人が変化することでした。はっきりと自覚できるようになったのは、そうして傷ついたときの苦い思い出が増えて行き、やはり同じようなことで傷ついている友人を見たときだから。

「ナオに振り向いてもらえるような可愛い女の子になること」
サンゴの選んだ癒し方はストレートで前向きです。でもそれがなによりの救いだと思う。サンゴには、これからもずっと現実主義かつ合理的に、そしてサンゴらしく生きていってほしいです。そしていつか「平内繭」と自分をさらけだせるほどの勇気を見つけてほしい。「サンゴ」の殻に閉じこもったままのもうひとりの自分としてでなく、自分自身で他人と向き合えるように。たとえ今がつらくても、きっといつかは。

ああ、なんかサンゴってすきだなぁ。
現実にこういうコっていると思うよ。自分の中にもあると思う。クルミやナオと違って、どちらかというと人間が持っている皮肉とか鬱憤とかあまり良いとは言えない感情面を押し出されているキャラクタなだけに、最初から最後までキライだなーと思っていたけれどね。だって不器用なんだもの。自分が不器用に過ごしてきた時間を思い出して無駄したなーと口惜しい気分を思い起こされるからすごくキライですよ。それに器用に生きたくて自分自身にウソをついている気がしてきて腹立ちますねぇ。
それでもサンゴは愛しい女のコにかわりはないんですけど(笑)

ナオ。
彼の将来は不安ですね。何せ14歳でFemme Fatal(笑)できちゃいましたからね。山鳩童子のいうとおり、子供の頃は忘れてしまって楽しい時間を過ごして行けばいいんですけど。ナオってマジメだし成績も良いみたいだから案外中学校の先生にとかなってそう。それで生徒にクルミのことを話してあげそう。理科の先生って感じがしますねぇ〜。
どうでもいいことなんですが、ラストでサンゴが「私をみて!」といったあと、ちょっとテレて「・・・そのセリフ、実は今日で3人目なんだ(ボソリ)」とか言ったら面白かっただろうなぁ。実はそこはかとなく人気者のナオくん。サンゴはもとより、サンジョウさんやニシ君もきみのことが好きだぞぅ!

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