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1/30

前回の続き(のような、そうでないような・・・)。

彼等はなぜ横並びで歩くのか?

例えば、普段学校の中でいつも行動を共にしている仲良し3人グループがあったとして下校時3人一緒に歩いて帰るとする。

たまたまそのうちの2人が先の方を歩いて1人が後からついていく形になったら、その1人はどんな気持ちだろう?

ただの偶然なんだから別にどうって事ない?そうかもしれない。でももしかしたらそうじゃないかもしれない。実は自分はこの3人組の中でただのオマケなのかもしれない。本当に仲がいいのは前を歩いている2人で、自分はただいつもその回りで一緒になって騒いでいるだけの存在なのかもしれない。

言い知れぬ不安が頭をよぎり、彼はその不安を打ち消そうと夢中で前の2人に駆け寄り一緒に並んで歩き始めた。いつものように・・・。


自分でクルマを運転するようになり、ドライバーの立場として中学生の集団の登下校を見ていていつも不思議に思っていた。

道路一杯に広がって歩き、クルマの通行の邪魔になり、クルマが自分達のすぐ横を通るたびに一旦は道路端によけるのに、そのクルマが通り過ぎるとまたすぐに元のように横並びで歩き始める。それを彼等は登下校の途中ずっと繰り返しながら歩いている。
なぜなんだろう。

もしかしたら彼等は「後ろの1人」になる事がどうしようもなく怖いのではないか。
友達との友情に対していつもあったかすかな不安が、目に見える形になって現れてしまう。それが(そういう思いが)、彼等には耐え難いのではないだろうか。

最近の子供たちの社会では、昨日までの友達が、些細な気持ちの行き違いですぐに疎遠になり、極端な場合、いじめる側といじめられる側にまでなってしまう事もあるという。だから彼等はいつも仲間内での自分の位置を気にして互いに横並びでいようとする。
彼等の登下校時の横並び歩きは、そんな意識の現われなんじゃないだろうか。


考え過ぎですか?

やっぱり・・・。

1/27

ある中学校の近くをクルマで走行中、たまたま下校ラッシュとかち合ってしまった。

全国どこでも同じようなものだと思うが、中学生の集団は、自分達の周囲の状況にそれほど注意を払うこともなく、無造作にどこでも横並びになって道路を歩こうとする。

それほど広くもない道を、両側から3人、時には4人並びになって歩いてくるからそこを通るクルマにとってはとても邪魔なものになる。

クルマが道路の中央をずっと走っていられるのならばそれほど邪魔にもならないのだろうが、対向車も来るのでそれもできない。

そこで普通は、対向車に注意しながら中学生達をかわすようにして対向車線に膨らんで走るのだが、私の場合、対向車がまだそれほど近づいてきていない場合でも、中学生達をかわすことはせず、向こうから歩いて来るはじから3〜4人目の生徒の進路を塞ぐようにしてゆっくりと目の前で止まる。
そうすると彼等は一瞬戸惑ったような顔をするが、すぐに自分で道路脇の方に進路を更えてそのまま歩いて行く。

別に嫌がらせをしている訳でも、何かを教えてやっている訳でもなく、ただ単にできることならなるべく対向車線にはみ出して走りたくないというだけのことだ。

彼等に対して全くいらつかないと言ったら嘘になるが、自分自身同じぐらいの年齢の時のことを思い出してみると、やはり似たような事をしていたし、単純に今自分がクルマを運転する立場になってから腹を立てるというのもなんだか気が引けてしまうのだ。

実際私が中学、高校に通っていた頃は、道路を歩いていてクルマが近づいてきた時、

「轢いたら絶対おまえが悪いんだぞ」

と心の中で思いながら、ろくにクルマに対して進路をあけようとはしなかった。
自転車通学をしていた時なんかは、全然後方を確認せずに道路を横断して、クルマに急ブレーキを踏ませたこともある。まったく、クルマから見たらとんでもないクソガキだった。

だから道の中央寄りを何の躊躇もなく歩く彼等を見て腹を立てそうになった時、同時にそれが昔の自分の姿とだぶってしまい、なんだかとてもばつが悪い気分になってしまうのだ。

1/24

雪はだいぶ融けてきましたが、一歩裏道に入るとまだけっこうなわだちができていて走りにくい一日でした。



雪の降る地方にはその地方ならではの「これは仕方ないんだよね」というべき状況が発生します。

まず駐車場。きちんと除雪されている所なら問題はないのですが、そうではない、特に大型のショッピングセンターの屋外駐車場等に顕著なのですが、ひかれている白線枠が降り積もった雪のせいで殆ど見えなくなっている為、そこにクルマで来た人達は、皆大体の見当で停める事になります。その場合、自分より先に駐車場に停まっているクルマが駐車位置の目安となり、そのクルマの隣に、少しぐらい横滑りしても大丈夫なように、普段より多めに隙間をあけて、ゆっくりと停めます。

どのクルマも同じように間隔を多めにとって停める為、必然的に冬場は屋外駐車場に停められる車の台数が、雪のない時と比べてだいぶ少なくなってしまいます(本来5台停められるスペースに4台しか停められなくなる、という感じ)。

この時、変に気をきかせて雪の隙間からかすかに見える白線枠に合わせてきちんと停めたとしても、中途半端に無駄なスペースができるだけです。
ですから雪国では、状況に応じた「冬の停め方」をしないとかえってひんしゅくをかうことになってしまいます。

次に、道路を走っている時ですが(これも、完全に除雪がなされている所ではこんな事は起きないのですが)、右折専用レーンのない交差点に、一時的にそれができることがあります。

なにしろ雪で路面にひかれているラインが全く見えない訳ですから、ドライバー各自の勘で走るしかないのです。そうすると、どこの交差点に右折専用レーンがあったのかもはっきりわからなくなって、いきおい片側2車線の道路に実質クルマが3台並べるだけのスペースがあれば、赤信号で実際に3車並んでしまい、一番右側が右折専用レーンになってしまうのです。

走行中前方にある交差点を右折しようとしている時、すでに赤信号で止まっているクルマの列がいつもより1車線多くなっていたら、その時は迷わず「新しく」できた車線の最後尾につきます。

それが雪道の走り方、「ザ・ローカル・スタンダード」(笑)なのです。

1/21

はたして暦に合わせたつもりか、今朝起きたらおもいっきし雪が降っておりました。

今まで何度か雪が降った事をここに書いてきましたが、次の日までその雪が残る事は実は殆どありませんでした。

実際今冬は異例とも言える暖冬で、昨年末に一度路面が凍結してすべりまくってから(12/21)は気温もあまり下がらず、それ以降今日まで実質スタッドレスタイヤすら必要のない路面状況だったのです(深夜、早朝を除く)。

ですから、今朝目覚めて窓の外の雪を目にした時私は最初「これでやっとスタッドレスタイヤが有効に使える」と思ったのでした。

これはとても複雑な気持ちなのですが、できることなら雪が降らないでいてくれた方が良いのに違いはないのですが、一旦タイヤを換えてしまった以上、それなりに雪が降って、常時圧雪状態でいてくれた方が、タイヤにとってはずっと良いのです(アスファルトの路面をスタッドレスタイヤで走り続けるとタイヤの溝がすぐに擦り減ってしまう為)。

明日の予報を見ると、午後からは少しずつ天気は回復に向かうようですが、はたして私は天気が良くなってほしいのか、それともこのままでいいと思っているのか、何だか自分でもよく分からないのでした・・・。

1/20

数日前、ある交通事故関連のHPを管理している方からメールを頂き、それにはご自分のHPを一度見に来てほしいという事と、それに対する意見(感想)を聞かせてほしい旨が書かれていました。

そのHPの管理人さんの息子さんは、自分でクルマを運転中、センターラインを越えて突っ込んできた飲酒運転のクルマと衝突して命を落としました。
その後、加害者側の不誠実な態度と、保険会社の非人道的な対応に遭い、裁判で争う事になったそうです。

交通事故の被害者の気持ちは、実際に自分やごく身近な人が被害に遭わない限り、決して理解する事はできないものだと思います。正直なところ、私自身このHPを見て最初に思った事は、何よりもまず「自分の保険会社は大丈夫だろうか」ということでした。

この方は、HP内で保険会社の実名を挙げて糾弾しておられます。明日は我が身(このHP内の言葉)。誰が明日同じ立場に立たされるかも分かりません。
たまたま私がクルマの運転に関するHPを開設していた為こちらにメールを下さったのだと思いますが、できれば一人でも多くの方々に訪れてほしいと思います。

1/17

正月明けからしばらくの間、1日1個、カップ麺を食べていました。
別にそんなに好きな訳じゃないんですけど、目の前に山積みになっていたらそれだけで落ち着かず、つい次から次と手が出ちゃうんです。
Y2Kの“残務処理”が、今こんな形で我が家でずっと続いております。

うちで作る料理に使う水は全てミネラルウォーター。なんて贅沢なんでしょう。
これから寒さが本格化してきて鍋物のおいしい時期になります。我が家でもこれからしばらく暖かい鍋物が続く予感がします。なにしろイワタニのカセットコンロのガスボンベが8本残っていますから、なんとしてでも使ってしまわないともったいないですから。

12月31日以来1度も更新されることのないY2K対策のサイトを眺めつつ、物悲しく、うらめしい気持ちになる今日この頃であります・・・。




ところで、今日帰りがけに、以前仕事の関係で大変お世話になった人と偶然出会い、いろいろとお話を聞くことができました。

その人は今、道路の白線ひきや、道路標識の取り付けなどを行う会社に勤めているのですが、道路標識の値段の話になり、それによると、よく大きな交差点の手前などにある、目的地の方向や残りキロ数を矢印と共に表示している大きなブルーの看板、あれ、1つで約100万円するんだそうです。
なんでも、看板の表面に光を効率よく反射させる為に貼り付けられている蜂の巣模様の入ったフィルムがムチャクチャ高いんだとか。

もしその看板を支えている支柱にクルマで突っ込んで倒したりなんかしたらと考えると、それだけで気が遠くなりそうです。

1/15

近頃のクルマのCMの映像を見ていて少し前から気になっているのは、ウィンドウが暗くなっていてほとんど車内が見えないということ。

前半分からはまだうっすらと中が見えるが、後ろ半分はたいがいどのクルマのCMを見てもほとんど真っ暗かそれに近い状態である。
自分が最近見たCMの中で、かろうじてウィンドウを通して向こう側の景色が見えたのはプリウスとマーチぐらいだろうか。

いくら流行だと言ってもあれはないんじゃないの?
グレード関係なくあんなのしか選べないのだとしたら、購買意欲も引っ込んでしまう(買わないけど)。

ファミリータイプのセダンやリッターカークラスは程度としてはいくらかマシなようだが、RVやワゴンタイプ、そしていわゆる高級サルーン系のクルマはほぼ全部(CM上)ではないだろうか。

更に気になるのは、CMに出てくるそんな真っ暗なクルマ達も、中に入れば(中から外を見ると)ものすごく外の景色がよく見えているということ。プライバシーガラスは意外と中からはよく見えるんだよ、という話は聞いたことがあるけれど、ほんとにあんなによく見えるのか。
あれをあのまま信じていいのか。なんか細工してないか?あの映像って。

マズイのか、こんなこと言っちゃ・・・。


最近の新しいクルマに乗ったことないのでよく分からないです。ほんとにあんなによく見えるもんなんでしょうか?と、素直にお尋ねモードになる私でした・・・。

1/12

ビデオレンタルで「エネミー・オブ・アメリカ」を見た。
と言っても、去年映画館で見ているのでこれで2度目になる。

この映画の大きなコンセプトの一つは、国家的組織がその気になれば個人のプライバシーなんて全くないに等しく、全ての行動は監視され、情報操作によって社会的信用やその地位までも簡単に奪い取る事ができる、というものだ。

ある特定の単語を電話で口にするだけでその瞬間からマークされたり、不特定の場所に公衆電話からかけたのにもかかわらず、すぐに居場所を突き止められたり、こんなんじゃ誰とも電話で話なんかできやしない。
どこまでホントかも分からないけれど、技術的に不可能ではないのではないかと思えてしまうところが恐い。

フィクションとしての映画を見てこんなことを考えるのもおかしいだろうが、今現在、この日本でもどれだけ個人の情報が把握され、その行動が監視されているのか、全く分からないだけに漠然とした不安感が広がる。

実際、クルマを使っての移動に関しては今でももうケーサツに筒抜けの状態だ。私が何月何日どこを走っていたか、みーんなばればれになっている。

別にやましい事をしている訳でもないし、どこに居たかを知られるぐらいで困る事はない、という人も多いだろうし、そういう人はそれでいいと思う。
でも私はイヤだ。例えば、日常の会話の中で、ちょっと恥ずかしかったり、見栄を張りたかったり、また単に話の流れの中でなんとなく事実と違う事を口にしてしまうのは誰にでもあると思う。そんな時、後ろの方で全てを見透かしたようにこっちを見てニヤニヤ笑っている人物がいたらそれだけでとても不安な気持ちになるだろう。人間誰だって心ならずも嘘はつくし、知られたくない事もある。法的に問題はなくとも実際には行った場所に行っていないと話したい時があってもいいと思う。

プライバシーに対する考え方は人それぞれ違うけれど、誰にも話していない、教えていない自分の行動を、自分と全く関係のない誰かが知っている。それだけで私は十分「あってはならないこと」だと考える。
/

で、ここで唐突ですが、

私は

プライバシーに関してもう一つ言える事は、ある個人が「やましい事」をしているかどうかを決めるのは本人ではなく、あくまでそれを監視している側の人達だという事です。

昨年、公安調査庁が破防法に基づき過去に暴力的破壊活動を行い、将来もその恐れがある団体を調査するとして、環境保護団体、女性の地位向上、消費税引き上げ反対、人権擁護、死刑廃止、いじめ・不登校問題、ゴミ問題などの運動団体を、破壊活動の恐れがあるとして、調査の対象としていることが新聞で報道されました(「中日新聞」11月25日付)。

自分がいつ、どのような理由で要注意人物になっているのかも分からないような状況下で、自分のプライバシーの流出を全く意識しない生活を続けるのは、私にはとても難しい事です。

1/8

昨日車椅子車両の事を書きましたが、あの後ちょっと気になって調べてみたら、今かなりの車種に車椅子仕様の設定があることが分かり、正直驚きました。

大型のワゴン車の後部に車椅子ごとリフトで乗り降りするタイプのものが一般的に多くあるのは知っていましたが、例えばトヨタはヴィッツ、プラッツ、ファンカーゴのいわゆるヴィッツ3兄弟に下肢障害の人が自分で運転できるタイプの設定があるし、スズキのワゴンRにも車椅子送迎車仕様のものがありました。

自分の不勉強を恥じるばかりですが、こうして考えてみると、私たちが普段思っているよりも実際はずっと多くの車椅子仕様のクルマ(トヨタでは「ウェルキャブ仕様」と呼んでいます)が街中を普通のクルマと一緒に走っているのだということが容易に想像でき、改めて車椅子車両用のスペースに健常者が自分の勝手な都合でクルマを停める事の罪深さを感じざるを得ません。

場所が「道路上」ではないので道交法で云々と言うわけにはいかないでしょうから、やはりその駐車場を管理する施設なり店舗が(単に車椅子マークを地面に書くだけでなく)、積極的にその場所の、良く見える所に大きく看板なりを立てて、普通のクルマがより停めにくい環境を作ることが必要なのではないでしょうか。

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とかなんとか書きながらカウンターを見たら、大台に乗っていました。

今後ともよろしくお願いいたします。

(^^;

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1/7 (まだしめ縄つけて走ってますか?)

先ほど帰りがけに近所の大型書店に寄ってきました。
その店は正面入口を挟んで両側に一つずつ車椅子用の駐車スペースを設けてあるのですが、たまたま正面入口がよく見渡せる場所にクルマを停めていた私は、どういうクルマがそこに停まるのか、少しの間自分のクルマから降りずに様子を見ることにしました(暇だったんです ^^;)。

小雨が降っていたせいもあるのか、まあ次から次とクルマが停まります。
どれもこれも全く普通のクルマで、降りてくる人も皆若い「健常者」で、すたすたと自分で歩いて店の中に入っていきます。

何の意外性もない展開に、もう見ているのも嫌になり帰ろうとした時、1台のクルマが、車椅子車両用スペースにすでに停まっているクルマのすぐとなり、正面入口のすぐ前に停まりました。

「はあーっ、上には上がいるもんだなあ、いったいどんな奴が降りてくるんだろう。」そう思いながら見ていると、運転席側のドアが開き、何やら大きな荷物のようなものがガシャンと降ろされました。よく見るとそれは折りたたまれた車椅子のようでした。クルマの中からドライバー(20代後半ぐらいの男性)が半身を乗り出し、手慣れた感じでカシャカシャとそれを広げ始め、あっという間に完成させて、一人でひょいとそれに乗り移りました。

すると、ほぼそれと同時に、隣のクルマのドライバー(二十歳ぐらいの若者)が店から出てきて車椅子の男性のすぐ脇を通って自分のクルマに乗り込みました。暗くてその表情は見えませんでしたが、さぞかし気まずかっただろうと思います。

障害者用スペースに平気でクルマを停める健常者は、まさか 自分が用を済ませて戻ってくるまでのわずかな間に、そこに停めようとする障害者のクルマが来るなんて思ってもいないのでしょう(私もこの偶然に少し驚きました)。

二十歳の彼にとっては、色々な意味で少しは「良い経験」となったと言えるのかもしれません。

ちなみに、車椅子の男性が乗っていたクルマはスプリンターカリブでした。

1/3

年が明けてから書くのもなんだが、年末恒例「カメラは見た!!警視庁がどうしたこうした24時」
昨年末も、テレビをつけるとどこのチャンネルでもこのようなタイトルの番組をやっていたのでつい見る気もなしに見てしまったが、この中のあるコーナーにどうしても違和感があるのだ。
それは、飲酒検問で酔っ払いと警官とのやりとりを面白おかしく見せているコーナー。

検問に引っ掛かったドライバーが酔った頭で必死に言い訳するシーンを軽妙なナレーションと共に放送しているのだが、言うまでもなく、飲酒運転は重大な犯罪行為であり、このような場面を放送して笑いをとるという事に大きな疑問を感じざるを得ない。

見方を変えれば、飲酒運転をしたドライバーのこのような醜態をテレビで晒し者にする事によって、それが結果的に抑止力にもなりうるという考え方もできるかもしれないが、ここで問題となるのは、ここに登場する「犯罪者」達が、番組上の演出により、
どこか憎めない人達として放送されているという点である。

彼らは駅のホームで酔いつぶれていたのでも、交番に酔っ払ってくだをまきに来たのでもない。検問で停められるその瞬間まで(あのような状態で)クルマを自分で運転していたのである。

いつも思うのは、実際に自分の家族や大事な人を飲酒運転のクルマにはねられて失った人達が、こういう場面をどんな気持ちで見ているのだろうかということだ。

視聴率アップの為の名物コーナーにもなっているのだろうが、少なくとも私はこれで、笑えない。

image of 2000

本年もご意見、ご感想、苦情その他、メールお待ちしています(^^)

2000/1/1

明けましておめでとうございます。

現在1日の夕方です。
正月らしいとても穏やかな天気で、ちらちらとほんの少しだけ雪が舞っています。

とりあえずここまでY2K関連のトラブルは殆ど起こっていないようで、何だかほっとしたような、拍子抜けしたような、複雑な気持ちです。

あと、4日の仕事始めも要注意日だそうなので、とりあえずそれまではミネラルウォーターの栓は抜かずにとっておくことにします。

本年もよろしくお願いいたします。


↑お辞儀のつもり(^^;