雑記帳


ジョイナスの森彫刻公園
踊り子  ジャコモ・マンズー/イタリア
藤野の"芸術の道"を巡ってからこのかた、野外彫刻を見るのが愉しくなってきている。具象抽象に関係なく、天候や時間帯による光の加減や目にする方向によって表情が微妙に変わる。意外な一面を見せることもある。もっといろいろ見てみたい、箱根や美ヶ原まで行かなくとも近場にないか、町中は落ち着かないので公園のような場所はないかといろいろ探しては出かけている。身近なところでは横浜駅の相鉄ジョイナス屋上にその名も彫刻公園というのがある。並んでいるのは6点と少ないが、どれも気品のあるものだと思う。


相鉄ジョイナスのJR横浜駅側にあるメインエレベーターで屋上に出ると、駅ビルにしては落ち着いた屋上庭園が広がる。本日は日曜、とはいえ昼前だからか、天気が曇りがちなせいか、人影は少ない。おかげで個々の彫刻にゆっくり向き合える。
まずは目の高さに据えられた小振りの乗馬像が出迎える。馬も人も愛嬌がある表情で、全体が子供が造ったような手触りだが、よく見るとキレとでもいうべきものが感じられる。
『構成』マリノ・マリーニ/イタリア
『構成』
マリノ・マリーニ/イタリア
公園遊歩道の右手に『道標・鳩』柳原義達
公園遊歩道の右手に『道標・鳩』柳原義達
ゆるやかな歩道に沿って足どりを進める。視線は足下の鳩に導かれる。とはいってもまったく動かない鳩だが。まるで動かない鳩というのは違和感を感じさせるものだ。そんなものは鳩ではないだろう。ひょっとして動かないものを提示して動くものに思いを至らせようとしているのだろうか。いずれにせよ妙に落ち着かない気にさせてくれる作品だ。
道標・鳩 柳原義達
『道標・鳩』
柳原義達
 
静止した鳩たちを見送ると、都会的な女性像が待ちかまえている。腰を下ろして、一見リラックスしているように見受けられるが、意識した指先や爪先立ちの足先、延ばした背筋に緊張感が見て取れる。全体に、襲いかかる姿勢にも見える。ことあれば立ち上がろうとする意志の力の表現か。
ニケ'83 朝倉響子
ニケ'83 朝倉響子
『ニケ'83』
朝倉響子
その先にある女性像は腕を身体から離し、攻撃的どころか防衛的ですらない。作品名『茉莉花』の読みは”まつりか”、ジャスミンのことだそうな。花言葉は愛嬌とか温和とか素直とか・・・。同じ作者の似たような作品が釧路市の幣舞橋にあってタイトルを『春』という。この姿勢は、作者にあっては到来するものを受け止めるイメージなのかもしれない。
茉莉花 舟越保武
『茉莉花』
舟越保武
茉莉花 舟越保武
作品をこの順番で見てくると、彫刻公園も終端になって広場のような場所に出る。先はフットサルコート、右手は高島屋の屋上遊園地。さすがにあっけない気がする。それでもまだ落ち着きが感じられる空間には二体の彫刻が立つ。正面に目立つのが日本人好みと思える顔立ちの女性像。わりと荒っぽい手触りを残しているのは、若さの未完成さを表そうとしているのかもしれない。危うく傾く姿勢も、憂いを帯びた表情も、心の不安定さを示しているような気がする。
踊り子  ジャコモ・マンズー/イタリア
『踊り子』
ジャコモ・マンズー/イタリア
踊り子  ジャコモ・マンズー/イタリア
残る一体は、彫像なのにずいぶんとしなやかな印象を与えてくれる。髪型と首まわりの異様さにたじろぐが、身体を貫く流麗な線は見た目にも明らか。同じ傾くにしても前のとは異なり安定感がある。(ずいぶんとしっかりとしたものによりかかっているせいもあるだろうけど。)
果実 アントワーヌ・ブールデル/フランス
『果実』
アントワーヌ・ブールデル/フランス
果実 アントワーヌ・ブールデル/フランス
この彫刻公園、足を止めずに歩くのなら5分とかからない広さだが、ゆっくりするにはよいところだ(日差しが強かったり雨が降ったりしないかぎり)。少々残念なのは、屋上につき出した高島屋のロゴマークが巨大でやたら目立つことと、幅広の空調施設らしきからの音がわりと大きいことだ。まぁ所詮は町中なので仕方ないかと。いまでこそ屋上緑化は珍しくないが、当庭園は造営時はわりと斬新だったらしい。しかしさすがに年月の経過は長く、ビルの立て替えが検討されているとも聞く。隣接する駅ビル”シァル”は建築されたのが1962年で、2011年3月に閉店した。相鉄ジョイナスは1973年の完成だが、一体化している高島屋のビルは1959年の完成だという。立て替え時、この作品たちはどうなるのか、多少心配でもある。


平成10年までこの屋上庭園に展示されていて、相鉄系列の大型ホテルが横浜駅前に建つというのでその正面玄関前に移転させられたものがある。その作品を追って8階建てビルを下り、駅前の喧噪を抜けてロータリー向かいのホテル前に出てみると、今の居場所は人通りの真ん中だった。
水浴の女 エミリオ・グレコ/イタリア
『水浴の女』
エミリオ・グレコ/イタリア
水浴の女 エミリオ・グレコ/イタリア
近寄って見上げてみれば周囲の喧噪など我関せず堂々としていて圧倒されるものの、歩道の脇に寄って正面から全体像を撮ろうとすると背後のガラスに写り込む景色が殺風景なことこのうえない(申し訳程度に木が映り込んでいるが)。歩道を歩く人々は作品の側面を見上げる形になるが、背後は商業ビルの広告看板が色とりどりの賑やかさだ。作品そのものは伸びやかで健全なものを感じさせるので、設置場所は緑の多い場所、つまり元の屋上庭園のほうが遙かによい。すぐれた作品でも置き場所によっては良さを殺がれるという見本の一つと感じた。窮屈で都会的な玄関前に置く作品は、このような単色の具象作品ではなく、色鮮やかな抽象作品を置いたほうがよい気がする。そのほうが人目にも付いて宿泊客の誘導効果もあると思う。


さて、木々に囲まれた屋上で平和な日々を過ごしている作品たちは、今後も幸せな環境に居続けることができるだろうか。パブリックアートというものについては、かつては作品を置きさえすれば文化的なはずだという考えだったようだが、最近では作品と周囲の環境との相互作用までを考慮するようになってきているらしい。一般的には見られる側が幸福でなければ見る側も幸福になれないものだから、今後ともぞんざいな扱いをしないよう関係者各位にはお願いしたいところだ。
2011/06/26探訪、2011/07/02記

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