Preface/Monologue2026年 10月


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会津・七ヶ岳の護摩滝

ここまでのCover Photo:会津・七ヶ岳の護摩滝

2 Oct 2026

そろそろまた秩父を訪ねるのもよい頃かなといろいろ乗換案内を操作するうち、小鹿野町役場から父不見山南麓を巡って長沢バス停に向かう路線が出てこないことに気付く。

調べると、この路線は廃止になってしまっていた。廃止日は2026年9月30日。一昨日ではないか・・・。

これで長沢から稜線に上がって父不見山山頂を踏み長久保入口に下る周遊登山が不可能になってしまった。タクシー代を奮発できる人やトレランの人ならできるかもしれないけれど。後悔先に立たず。

8 Oct 2026

秩父にはけっきょく行ってないまま、今度は高崎方面に向かう計画を考え始める。

高崎といえば喫茶コンパル、と思って調べてみると、今年に入って閉店してしまっていた。残念。二回しか行けなかった。高崎には何度も行っていたのに気付くのが遅かった。フルーツ盛りだくさんのパフェとプリンアラモードを食べることができたけど、もっと通いたかったな。重ね重ね、残念。

9 Oct 2026

行けなくなったからという理由でタダのチケットをもらい、初めて六本木のサントリーホールへ。都響によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番とブルックナーの交響曲第六番。

前者も素晴らしかったが、後者はいろいろ発見があった気になった。このゴツゴツとした音楽は、神のために作曲することが使命と信じていたらしい作曲者ブルックナーが、自分の崇める神をいかに畏怖していたかを表していると考えれば納得がいく。荘厳さと不可解さと気まぐれ。現実世界を考えてみても、もし神がいるならなんでこういう状態なんだと思えることが枚挙にいとまがない。

なぜその音程が来るんだという理解のし難さがまさにこの神の理解不能さを示している。そう考えるとこの気の安らぐところが少なく脅かすところが目立つ音楽が理性的に聞けるようになってくる。おそらく他の交響曲もこういう具合なのだろう。


サントリホールは音はいいのだがトイレが少ない。途中休憩が20分もあったのに2部開始のベルが鳴っても男性の行列が伸びたまま。バーカウンターは入口手前にあって広くない。立地の制約上仕方ないかもだけど、設備面ではミューザの方が良いかなと。地元贔屓かもだけど。

10 Oct 2026

南会津へ。現地入りしたのが昼なのでこの日は歩程が短く負荷の低い駒止(こまど)湿原往復にとどめる。

大谷地・白樺谷地・水無谷地という三つの湿原を繋げて歩くもので、二つある入口のうち南会津町側からだと大谷地から往復となる。湿原の入口にはササのように見える背の高い草が視界を遮るほどで、この湿原も乾燥化が進んでいるのかと思ったらこれは湿原に生えるヨシであり、すぐに広く平坦な湿原らしい光景が広がるようになる。キツネ色に染まる平坦地を取り囲む木々は青空を背景に赤や黄に色づき、気分はすっかり秋山気分。信州の北ドブ湿原では平坦地の真ん中で手を叩いたら周囲に響き渡るほどだったが、ここでは反響が返ってこない。それだけ閉塞感が少ないということでもある。

入口の駐車場にあった案内によれば往復3時間(水無谷地の終端から折り返し)とのこと、歩き出したのが1時過ぎだったので水無谷地に入って最初の休憩スペースで引き返す。午後だったからか三連休初日だというのに駐車場で人ひとりに会っただけでじつに静かな湿原だった。花の咲き乱れる季節は相当の賑わいがあるのだろうけど、木道は一本しかなくすれ違いに苦労するので、いまくらいの季節のいまくらいの時間帯で湿原保護のためにもストレス回避のためにもよかったと思える。


ところで南会津に向かう途中、矢板市内を通るとあの「自分を応援しなかった自治体の道路予算を減らした」発言の主の看板が道路沿いに繰り返し立てられているのが目についた。それも真新しく見えるのが。自分らのところはよくしてくれたからいいということなのだろう。

11 Oct 2026

田代山・帝釈山を猿倉登山口から往復。登山道はとにかくよく整備されていて、とくに下りで重宝する。階段道なので登りはくたびれるのだけど。

人気の山なので朝7時過ぎで南北両方の駐車場に合わせて車が10台以上は停まっている。途中にある小田代という湿原を過ぎても傾斜はそう緩まないまま山頂湿原に出る。それまで視界に入っていた日光連山や七ヶ岳に加えて近く遠くの山々が広大な平坦地の彼方に眺められる。「山頂」標識が立つ場所からはとくに会津駒ケ岳の長々とした稜線が目に留まる。隣の三岩岳のものと合わせて本当に長い。

田代山の最高点には避難小屋も兼ねる弘法大師堂があり、その手前には堅牢勝つ清潔なトイレも建っていて、その手前や森の中にはあちこちに休憩用のベンチがある。帝釈山でどれだけ空間的余裕があるのかわからなかったし疲れもしたのでここで湯を沸かしてコーヒーを飲む。周囲は木々が立ち並び眺めはない。弘法大師堂へは山頂湿原を一周する木道から脇に延びる帝釈山方面への木道に入るのだが、帝釈山に行かないひとはこれがわからず、一方通行の山頂木道をひとまわりして改めて大師堂へやってくる人もいた。

帝釈山山頂は露岩の目立つ場所で眺めはよい、とくに日光連山が大きい。その左手奥には高原山が優美な姿で目を惹く。しかし日を遮る場所がないので好天のおかげでとにかく暑い。10月は天気がよければたいがい暑いということを思い出した。ここで2杯目のコーヒーをと考えていたが止めにして、軽食を摂っただけで引き返す。戻りついた田代山の日陰になったベンチで仰向けになって20分ほど寝てから下山した。

12 Oct 2026

田代山登山口に向かう道のり途中に湯の花温泉がある。その傍らに聳える大嵐山(おおあれやま)へ。田代山に向かう車を何台も見送りつつ登山口に向かう林道を上がる。

昨日の田代山が階段だらけだったのに対し、大嵐山は階段皆無。その点では歩きやすく踏み跡は明瞭だが、あまり歩かれている気配がない。小さいとはいえ沢を四回渡り、眺望の開ける稜線まで急傾斜が多く、稜線に出てからもコブの上下やら岩場の通過やらあり、あれが山頂かを二度三度繰り返すものだからあまり人気が出ないのだろう。おかげでじつに静かな山で、山中では終日誰にも出会わなかった。

稜線および山頂からは七ヶ岳が悠々と稜線を伸ばしているのを眺められる。その彼方に浮かぶのは飯豊山塊。その右手手前に大きな広角三角があり、なにかと思えば博士山。あんなにゆったりしているのに登路は道海泣き尾根などという急坂なのが不思議だ。振り返れば日光連山、その右手遥かに鋭く双耳峰を押し立てる山がある。東北地方最高峰の名に恥じない姿の燧岳だった。山頂から会津駒が見えると書いてあるガイドもあるが今は見えない。山頂手前の木々が切れた場所からならよく見える。

帰路は往路をそのまま戻らず湯ノ倉山というピークを経て下る。これもガイドには大嵐山がよく見えるとあったが、実際には梢越しだった。葉の落ちた季節ならもっとよく見えたかもしれない。ここからの下りは最初の10~15分がやたらと急なもので、これがずっと続いたらと憂鬱だったがその後は比較的穏やかで、昨日の山行でくたびれていた身には助かった。


さて明日も山に行くつもりだったので早々に宿に帰り、洗濯だの夕飯だのと用事を済ませて部屋付きの風呂に入る。と、剥き出しの左脚の脛になにか付いているのに気付く。うえ・・・マダニだ。初めてのことに軽いパニック。どうしようかな。取ってはダメだということはわかっている。しかし気持ち悪い。とりあえず自分の頭だけ洗って外に出る。脚にマダニを付けたまま。

調べてみると今いる会津田島に県立南会津病院というのがある。もう夜の8時だが試しに電話をかけてみると繋がって、状況を話すと来てもよいと言われる。なので夜間救急扱いで対応してもらい、わざわざ来てくれたのか皮膚科の先生に除去してもらった。ピンセットのようなものではなく、カード型の器具で切れ込みをマダニの口器に食い込ませて回転させずに引っ張り上げる。びっくりしたのは、風呂の水につかって死んだように見えていたのが、抜こうとすると脚を動かして生きていることがわかったことだった。いや気持ち悪い。なかなか取れず、引っ張られる皮膚が少々痛い。それでもようやく抜けた。抜けるときには予想外の大きな音がして驚いた。居合わせた夜間担当の看護師さんも驚くほどキレイに取れた。どこに刺さっていたのかわからないくらいだ。

重ねてお礼を言って夜の病院を出る。会計は当夜はできないので明日になる。それも含めて明日の山は中止だ。せっかくいろいろ洗濯したのが無駄になってしまったが仕方ない。そんなことより明日の朝無事に起きられるかを心配したほうがいい。それにしても肌を露出していなくても刺されるとは。靴に取りついて、長ズボンの下の靴下を這い上がり、皮膚に到達したということだ。ヒルとどちらがマシだろうか。ヒルは病原体を持っていないように見えるので生死の点からはヒルの方がマシかもしれない。もっともっこちらは群れで来るから気色悪さでは数段上になるだろうけれど。

13 Oct 2026

南会津から帰る。

朝起きると不自然に脈拍が早い。病は気から、のせいかもしれないが、大事をとって本日の計画はすべて白紙とする。昨日の夜間外来の会計を済ますために南会津病院に出向き、そのまま帰路に就く。

不調は朝だけだったが油断は禁物。これから二週間くらいは様子見。

18 Oct 2026

調子が悪くないので様子見を切り上げて山へ。今年の2月末日の宿題、西武秩父線正丸駅から秩父往還を歩いて旧正丸峠を越えるというのを。それだけでは歩き足らないし車道歩きが長くなるので、二子山を越えて芦ヶ久保駅に下ることに。


旧正丸峠は越えてびっくり。峠の北と南とで雰囲気が全然違う。南の正丸駅側は秩父往還の道筋が残っているのか、加えてよく歩かれているせいか、斜度も足元もじつに歩きやすいのに対し、北側は交通機関へのアクセスが悪いせいでかあまり歩かれていないようで、落枝は散在し倒木もあり、山腹道も心もとない個所があった。なるほどガイドマップに破線表示されるわけである。

途中から林道になってしまってからは、林道から離れたところに”追分”の道標が立っているくらいなので本来の道筋がほぼ消滅しているように見える。その”追分”を左へと回り込んで行くのが旧道らしいが、先日マダニに刺されたばかりなので草深そうな道のりはしばらく遠慮したく、直進した先にある舗装道の県道に出ることとした。この県道、峠道が出た先には歩道があるが、南下していくとすぐなくなってしまう。その先では路側帯すら満足にない。なるほどガイドマップに朱線が引かれないわけである。


県道をしばらく歩いた先の二子山入口バス停から右手に林道が分岐する。その奥まった先に落ちてくる尾根筋を山道で登り上げて、焼山と二子山とを繋ぐ稜線に出た。すでに2時過ぎ、もう遅いのか人影は見当たらなかった。二子山へは久しぶりに登ったが、山頂からの展望はあまりよくなかったはず、というのはそのままで、芦ヶ久保駅に下るルートは山頂直下が標高差50m以上ものロープ場。足元が滑る滑る。こうだったったけ?膝が痛い身にはなんとも大変な下りだった。

旧正丸峠を越えてから駅に着くまでは歩いている人には誰にも遭わなかったが、それは歩いた時間帯が時間帯だったからとともに、車やバイクがよく通って落ち着かない県道を辿る経路としたからでもある。本日の経路を再訪したいかというとそうでもない。騒がしいのを避けたい身にはなんとも微妙な山行だった。冬も深まり、しかし雪が深くなる前に、あの旧道を辿って車道を極力避け二子山入口バス停に出られれば、今回よりは愉しいものになるかもしれない。


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