Preface/Monologue2001年11月


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1 Nov 2001
最近、山と渓谷社から「東京周辺の山350」という一冊本としては大部のガイドブックが出まして喜んで手に入れたのでした。以前に出ていた「アルペンガイド別冊 東京周辺の山」という、小林泰彦氏が表紙絵を描かれていたものの後継版に当たるようです。昔のは550コースを紹介していたのですが新しいのでは200程減っています。

特徴的なのは、山を地域別に並べるのではなく、鉄道の沿線にあるものでグループ化しているということです。「中央本線の山」みたいなくくり方はお馴染みですが、ここではそれをさらに押し進め、「上信電鉄・信越本線・上越線・吾妻線沿線の山」みたいなまとめ方をしています。このため、同じセクションに西上州と谷川岳と草津白根山が入ったりして、慣れるのに苦労します。

以前のでは見開き2ページに一つのコースを紹介していましたが、今度のでは2ページだったり3ページだったりしています。大きな山とか長いコースとかでは見開きサイズでは納まらず、かつ引用されている写真と地図が大きめになっているので余計にスペースを食っているのでしょう。

しかし前は目次を見なくても偶数ページ右上だけ見てぱらぱらめくっていけばコース名を概観できて、気になったのを拾って読んでいけたのですが、そういうのができなくなったのは不便と言えば不便ですね。それにやたらと大きな文字がページにばらまかれているのはなんとなく品が落ちるような気も。

そして何より物足りないのは、ひたすらガイドに徹しているようなスタンスで奥行きとか広がりが感じられないものになってしまっていることです。かつては紹介している山にまつわるエピソードや周辺案内が脚注に書かれており、そこだけ読んでいても楽しかったものですが、新版ではその手の記述がほとんどなく、ときおり挟まれている「コラム」も山歩き一般についての記事であって、ひとつひとつの山に関するものではない。要するに読みものとしてはあまり面白くないのでした。....このサイトでじぶんの書いている文章がどうかという点はさておいて(爆)。

いろいろ書きましたが、もちろんガイドとしては重宝していくことと思います。新しいルートの紹介もあることですし。
4 Nov 2001
天気の悪かった昨日の土曜日、山はあきらめてテレビでJリーグの横浜F・マリノスと鹿島アントラーズ戦を観ていました。第二ステージ優勝をめざす鹿島とJ1残留をめざす横浜、どちらのファンでもないし、判官贔屓が体質の日本人としては負けが込んでいる側を応援したくなるものとはいえ、横浜は個人個人がばらばらな気がしていてどうでもいいと思っていたのでした。たとえJ2に落ちるようなことがあっても、それは今までのツケというものだろうと。

しかし画面に映る横浜DF松田の必死の形相を見ているうち、この日ばかりは真剣にF・マリノスを応援する気持ちに。彼はサッカー日本代表にもよく呼ばれて清水DFの森岡らとともに3バックをまかされます。ときおり集中力を欠いてはわけのわからないパスミスをしてチームをピンチに陥れることもあってあまり信用していなかったのですが、今回の試合は気迫から違う。試合中に笑ったのはおそらく同僚FWが先制ゴールを決めた後だけじゃないでしょうか。長髪を振り乱して懸命にボールを追い、セットプレーの時には見方に厳しく指示を出す。目元口元がいつもとだいぶ違っていました。

試合はけっきょくアントラーズが延長Vゴール勝ち。松田は呆然とした面もちで両耳を塞ぐように頭をかかえ、そのままの姿で試合後の挨拶をしてピッチを去っていきました。翌日の新聞には、「アントラーズの勝利を喜ぶ声を聞きたくなかった」と。同じ日に現在年間順位15位の東京ヴェルディが神戸と引き分けたため14位の横浜はヴェルディとの勝ち点差がわずか2となり、残り3試合、いつ逆転され、セレッソ大阪に続く降格決定の笛を聞かないとも限らない状況に。「いまは(間近に迫った日本代表としての)イタリア戦とか考えられない」。それは正しい。代表とかより前に、まず所属チームなのですから。

横浜は負けちゃいましたが、最後まで応援したサポーターも終了時には呆然としていました。でも選手達を責めるひとはほとんどいなかったような気が。すくなくとも、彼らはベスト(に近いもの)を尽くしたと思えますから。だが次の相手はジュビロ磐田。フル戦力でも難しいところに、横浜は出場停止や怪我で出られない選手が目白押し。

頑張れ松田。川口が去ったいま、チームを引っ張るのは君だ。最後の最後まで闘志を示せ。
9 Nov 2001
我が家のベランダにはカラーという名の多年草を植えた鉢があって、毎年五月になると芽を出し、夏くらいに黄色く細長い花序を包むラッパのようなピンクの花(じっさいには「苞」)を一輪は咲かせていたのでしたが、今年は秋になってもあいかわらず葉が茂っているだけで、いつになるものやらと思っているうちにとうとう冬を迎えてしまいました。

日毎に寒くなっていくのでさすがにもう花をつける力は残っていないでしょう。来年に期待したいと思っています。
10 Nov 2001
きょうのJリーグ、横浜F・マリノス負けちゃったなぁ。相手がジュビロ磐田ではねぇ。東京ヴェルディがガンバ大阪に勝ったからいよいよ残留が危ない。でもまだあと二節ある、あきらめないでいこう。

さて、我が町川崎から出ていったヴェルディにはまったくなんの感慨もないのですが、前々節から第二ステージ終了までという期間限定で助っ人に加入した元ブラジル代表のエジムンド、彼は観る価値がありますね。ピクシー引退後のJリーグひさびさのビッグネーム、たとえブラウン管を通してといえど肩書きに恥じない技術は明らかで見ていて飽きません。もっとも、いつ「本領」を発揮してしまうかとはらはらさせてしまうところもあって....。

じつはこのひと、「野獣」とかいうとんでもないニックネームをもらっているくらいで、過去の所属チームでは規律無視したい放題、それがもとで何度もクビになっている我が儘勝手の問題児なのです。しかしなんだかここ日本ではとても紳士的で、勝った試合の終了後にはチームメイトと素直に喜び合うし、審判団に対しては握手をしながら頭を下げる挨拶というものをする。日本人選手でさえそんな挨拶はろくにしませんから見ていて気持ちよく、たとえ「猫かぶり」だとしてもそれはそれでよくできた自己抑制だと言えるのでした。

技術の点で観ていて楽しい選手というのはそのスポーツ界の宝ですね。あとたった二試合で終わってしまうのは残念です、残留決定の暁にはぜひエジムンドを来年度の戦力として残してほしいですね。本人も日本でやりたいと言っているみたいですし。

もちろんF・マリノスにも残留してほしいというのは変わっていません。松田があきらめない限り。
11 Nov 2001
わずか二週間のインターバルで鎌倉へ。今回は連れと一緒で、鎌倉の十二所にある明王院脇から山道に入って天園ハイキングコースに合流し、茶店のある天園から横浜の港南台・洋光台方面に抜けるというコースをたどりました(なお市販ガイドはないようです)。

百メートルそこそこの山の連なりですが、行程二時間強のコースを歩き出すのが二時半過ぎというのはこの季節だともう遅すぎるようで、途中に茶店で休憩を入れたものですから車道に下る前から日が沈んでしまいました。木々がかぶさる場所では空の残照も届かず足元がおぼつかないのですが、何人かの地元らしき人たちが薄暗い中を平気で歩いているのでした。もちろんみな照明器具なんて持っていません。幅広の平坦な道ですし、きっとしょっちゅう歩いていて慣れているんでしょうね。こちらは少々焦っていたのですが。

下った先の国道脇にはリサイクルショップがあってここで連れが粘りに粘る。わたしも名刺入れとかを衝動買い。「長崎ちゃんぽん」の店でビールと餃子に皿うどんにちゃんぽん。歩いて食べて買い物までして、帰りの電車の中ではよく寝たものでした。
14 Nov 2001
夜も更けて床につく人たちが増えるころ、かなりのサイレンが外で鳴り響いている。救急車にしてはいやに多いようだなぁと思っていると鐘の音まで聞こえてくる。窓を開けてみると近所のマンションのひとたちが上の階で彼方を指さしている。そちらを見ると....

これはわりと近いのではないかとすぐに家を飛び出し、暗い町中をあっちに行ったりこっちに行ったり走り回って現場に到着。思ったより遠かったので時間がかかり、すでに災厄の進行は押しとどめられた模様。でもわたし同様の野次馬は多いし近所の人たちは興奮した面もちで道ばたに三々五々集まったまま。みなの見ている方を見ると....

「泥棒は少なくとも家は置いていくが、火事は家まで持っていく」。場合によっては生命まで....
18 Nov 2001
つれづれ。

ひさびさに箱根に行こっかなー、と思っていたら、寝坊しちまったぜぃ....。近所の紅葉見物(=ただの散歩)で我慢がまん(泣)。

京都に加えて仙台が逆転J1昇格。山形は残念でした。これも地元川崎の最後のふんばりのおかげ?でしょうか。恨まないでね>山形のかたがた
さてそのJ1、最後にJ2に落ちるチームはどこか?こちらもドラマな展開に。

この季節、夜半に聴くアイスランドのバンド「シガー・ロス(sigur ros)」の音が心地よくて。暗い森の中を浮遊するような切ないまでの感触が、冬に向かう山の静寂を思わせます。
21 Nov 2001
15年以上にわたって行きつけの歯医者があります。最初の職場の近くで、よく説明をしてくれるかなりな歳のわりには実にかくしゃくとした先生と賑やかな助手のおばさんがいて、行くとしょっちゅう二人がボケとツッコミを演じていて楽しく、ここが歯医者だという緊張感を和らげてくれていたのでした。

三年ぶりくらいに行ってみると、おばさんはおらず、若い歯科医の助手の方がいてほとんどこの人が治療を引き受けている。老先生はと言えば文庫本かなにかを読んでいて、わりと無口な若先生が忙しいときだけあとから来た患者の面倒をみている。

連続して二日行ってみましたが、やはりおばさんはいない。午前中にばかり行っているせいなのか、患者も少ないような気もする。あのドリルの音が響くだけで、とにかく静か。若い人は会計までやり、いっぽう治療のあいまに電話の受付までしていた老先生はおもむろに立ち上がってコップを洗ったり薬を片付けたりと若先生の後片付けを始める。それは以前だと減らず口をたたきながらあのおばさんがしていたこと.....

なんだかとても寂しい。わたしは先生の説明とおばさんの明るい話し声も聞きたくて行ったのに。ただ歯を削られるだけならどこでも同じ。先生、そんなことしてないでこっちの面倒をみてよ。できることならおばさんも呼び返してよ。
25 Nov 2001
この三連休の関東地方は好天に恵まれ、晩秋の低山歩きを楽しむにはうってつけの日和でした。山の林間では風もないのにさりさりと音を立てて乾いた葉っぱが舞い落ちていきます。里では道ばたで大根干し、軒先には干し柿が下がる。夕暮れともなれば煤けたにおいが玄関先にまで漂う。薪のお風呂か、かまどの火か。

閑かな日本の秋を満喫。西上州は南牧村にて。

[追記]
朝日の書評欄にあの山口耀久氏の『北八ツ彷徨』が平凡社より復刊されたとの記事あり。長らく絶版になっていた名著の復活です。本日のamazon.co.jpでは山の本という特殊ジャンルなのに売り上げ100位以内に入っています。きっと皆が待ち望んでいたということでしょう。
29 Nov 2001
お仕事でパニック状態。三連休の西上州で撮った写真も現像にすら出していません。

年末普通に休めるといいのですが....って、休むんですけど(笑)
30 Nov 2001
以前の職場でいっしょだった方に案内されて、友人らとともに夜更けの東京は台東区千束の鷲(おおとり)神社(「おとりさま」)に行ってきました。もちろん「酉の市」です。今年は三の酉まであるということで、本日(30日)がその三の酉でした。普通は二の酉までだそうですが、「三」まである年は火事が多いという言い伝えがあるらしく、神社側も心得たもので火除けのお守りを配っていました。

あと二時間もしないで日付が変わるという時刻なのにたまげるような人混み。神社周辺は出店の見本市のようで、いったいどこに神社があるのかついていくだけの人間にはぜんぜんわからず、もうそろそろ神社だろうと思うのですがなかなか着きません。

ようやくたどり着いた神社の入り口ではおそらくにわかづくりの若い神官が御幣を手にし、詣でる人々の頭上でばさっばさっと振っています。しかし中がまた人が多くてまっすぐ歩けない。熊手を売る店が広い境内に所狭しと並んであちこちから売買成立の手拍子が聞こえてくる。巨大熊手を背負って歩いている人も少なくありませんでした。手のひらを広げたのよりちょっと大きいくらいのが数千円くらいのようでしたから、いったい幾らするものやら。

しかし人通りの多いのは神社の中に限りません。神社周辺に網の目のように広がる道という道の脇に出店が延々と並んでいて、焼きそばからお好み焼きから焼き鳥から焼き魚から林檎飴から綿菓子からカレンダー売りから手相見まで、それ以外にも覚えきれないほどです。それだけお客が多いということですね。いやぁ、20年分くらいの出店を見た気がしました。いっしょに行った「お初」の友人達もみな驚いていました。

人混みには酔ってしまったような感じでしたが、とても興味深いものを見せてもらいました。ちょっと早めの年の瀬、という感じが漂っていましたね。


ところで....
ジョージ・ハリスンが亡くなりました。
「ダークホース」はいい歌だったなぁ。(「マイ・スイート・ロード」よりこっちの方が好き)

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