Preface/Monologue2007年 8月


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北八ツ・双子山から浅間連峰を望見する
ここまでのCover Photo:北八ツ・双子山から浅間連峰を望見する
2 Aug 2007
夏山から職場に復帰して、
よく焼けましたね〜と言われるのは当然として、
「顔に縞ができてますよ」とも指摘が。

額はバンダナを巻いていたので白く。
眼鏡の上は日に焼け、
その下はレンズのせいで白く、
顔の下半分がまた黒く。

というわけで、
夏山直後の”だんだら模様”のまま日常を送ることに。
5 Aug 2007
フィンランドのかたから感謝メールがきた。
この9月に中央アルプスの空木岳に登るのに、
英語版サイトで公表しているガイドマップ一覧が役に立ったというもの。

国内外を問わず、ときおりこういうメールを外国のかたからいただく。
それにしてもフィンランドとは。
びっくり。

改めて、Webは全世界に(規制がかかっていなければ)開かれていると感じた。
今後もきちんとメンテしなければ。
9 Aug 2007
今週末から世間はいわゆる盆休みらしく。
土日の遠出は、少なくとも観光地は避けようかと。
11 Aug 2007
風はあっても日差しは強いここ二、三日、いやもっと。
北アルプスでは遭難が多発。
大キレットでは滑落、白馬大雪渓では落石・・・
熱中症で倒れた、というのはニュースにはなっていないが、
暑さで判断が鈍るというのはありえるかも。


アジアカップとオールスターを終えて再開したJ1。
千葉−川崎戦をTV観戦。
千葉に先制され、後半途中まで試合を支配されて苦しい川崎。
中盤の大橋を投入して、一気に盛り返し、
終わってみればジュニーニョのハットトリックで1-3勝利。

千葉の先制点は羽生。羽生なら許せるか。しかしその羽生に加え、
クロスを上げられる水野まで途中でベンチに下げて、
これから大丈夫かジェフ。

フロンターレは大橋様々か。
交代で退いた落合は今後どう使われるのだろう・・・。
12 Aug 2007
連れの要望で山歩きのはずだったのが、なぜか鎌倉に。
建長寺から天園ハイキングコースに上がり、
天園から横浜市民の森を港南台まで。

盆休みのせいか、盛夏の鎌倉は避けられているのか、
たんに昼時だったからか、北鎌倉駅周辺はわりと閑散としていて。

久しぶりの建長寺は、夏のせいか予想外によい雰囲気。
境内が広々としているせいか、
夏の日差しに伽藍が映えて、妙に涼しげに見える。

稜線上のハイキングコースは、
どこまで行ってもヒグラシの澄んだ声が響く。
頭の芯まで染み入ってきて、眠くなるまで。
17 Aug 2007
猛暑日本を覆う。熱中症の被害者も伝えられて。
電解質を含むアイソトニック飲料摂取が対策に有効なのではと。
19 Aug 2007
連れとともに二泊三日で戸隠。
連日猛暑の本州でも、さすが高原、
夕方から朝まで冷房いらず。

中日の土曜はガスに覆われるあいにくの天気。
晴れ間の稜線を求めて、
小布施まで出張って雁田山を登ってきたのでした。
21 Aug 2007
やはりラニーニャ現象の結果でしょうかねこの猛暑は。
(夜はそれでも少しは涼しくなったかな。)


先月号もろくに読んでないまま新しいのが来た月刊誌”Country Walking”。
ぱらっとめくってみると、”ミステリー・サークル”の写真が載っていて。
なお、英語ではCrop Circleというらしく。

最近のは複雑度が増してきているのか、
不気味度も大幅にアップしている気が。

記事を読んでみると、麦畑でばかりみつかるわけではなく、
砂や氷や雪の上、樹冠でもみつかるとか!
ということは、イタズラばかりではないということ?
26 Aug 2007
夏バテか。いろいろやる気が出ない。
山行ガイドDVD(試供版)など見ても出るのはため息だけ。

昨夜のJ1、川崎がガンバ大阪に4-1勝利。
ジュニーニョとテセが2点ずつ。ああ等々力にいなかった自分が口惜しい。
しかし真の功労者は怪我から復活のマギヌン。Obrigado Magnum!
じつは前日にお父さんが亡くなられた連絡があったのを隠して奮闘。
そのプロ魂に至上の敬意を払う。お父様のご冥福を心から祈る。
これからさらにでかい選手になってくれ。
27 Aug 2007
丹沢でヒル棲息地が拡大しているそうな。
丹沢三ツ峰は危ないと昔から聞いてはいたが、
蛭ヶ岳から焼山に続く主脈でも、
表丹沢の山道でも見つかっていると。

鹿ばかりでなく、登山者が里に持ち下ってしまうことがあるのでは。
ヒルに関しては「見つけたら殺せ」が原則なのだが、
慌てて捨ててそのまま、が多くなる気が。
30 Aug 2007
本日、尾瀬が「日光国立公園」から分かれ、単独の国立公園に。

ここはかつてダム湖の底に沈む予定だったところ。
終戦直後から国策として大規模ダム構想が推進されており、
「尾瀬を残すよりも開発した方が将来のためだ」とかいう論調が、
大手を振ってまかり通っていたとのこと。
時期が時期とはいえ、なんたる無神経。

尾瀬が水底に消えてなくなる運命から最終的に逃れたのは、
東京電力の尾瀬沼水利権放棄のときだとか。
「それっていつのことだっけ」と見てみたら、
1996年のことだった。

わずか11年前。
やれやれ。
31 Aug 2007
今月は長年の町内の知り合いがふたりいなくなった。


物心ついた頃から親しんでいた近所の本屋が、ついに閉店した。
本屋といえば町内の文化拠点だったはずなのに。
これでまた人の集まる店が減った。

商店街の衰退は歯止めが効かない。
人で賑やかだった通りは、あたりにマンションが多くなったせいか、
交通量ばかりが増えた。


家の近くにあって、20年以上も前から見てきた一本の木、
背が低く細い子供の頃から知っていた木が、
ある日気づいたら、根本から伐られていた。

どこからか飛んできた種が駐輪場の塀の脇にある狭い地面で芽吹き、
しっかりと根付き、かといって地面をゆがめることもなく、
秋になれば見事に黄葉し、春になれば新緑が美しく、
手入れなど受けていない枝振りは立派で、
いつも見上げては長生きしろよと思っていたのが、
おそらくは枝が電線に引っかかるという理由で伐られた。

電線にひっかかる枝を伐採するのに費用がかかるから、
この際伐ってしまおうという理由で伐られた。

見上げれば葉が茂っていたあたりには、
空虚な空が広がるばかり。

何もない。


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