Preface/Monologue2002年 4月


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幕山公園の梅
ここまでのCover Photo:幕山の梅
1 Apr 2002
今日は世界のあちこちで大がかりな嘘が繰り出されるのでしょう。罪にならないものならむしろ歓迎というところですね。

これを書いている少し前には突然の雷雨が襲来して驚いていたのですが、春先の天気はいつもながら不安定ですね。晴れるか降るかで週末の山行予定が左右されることも珍しくない。でも空ばかり見上げていると、辺りで咲き出している花々に気がつかないまま、あっと言う間に初夏になってしまうのが例年のことなのでした。
4 Apr 2002
深夜


遠雷

再び遠雷


庇を打つ大きな音

軒先に転がる小さな氷、雹。

大粒の雨


静寂




5 Apr 2002
パレスチナの普通の人々。

イスラエルの戦車が走り回るこの地域には、700万人のパレスチナ人が住んでいるという。自治政府なるものがあるが、もちろん軍隊はない。武器を持つテロリストはいる。だが700万人全てがテロリストではない。

40年近くにおよぶ軍事占領と入植政策で土地を奪われ続け、ひとたび外出禁止令が出されれば、パレスチナ人は誰一人、妊婦も透析患者さえも、家から出ることができない。

現在事実上幽閉されている彼らの指導者は権力亡者らしい。正義が自分たちにあるのにこれを世界に伝える努力を怠っているようだ。

病院の脇で、女性の市民が巻き添えになって殺される。両親や子供が、兄弟や姉妹が、友人に同僚に先輩に後輩に隣近所の顔見知りの人々が。

パレスチナの普通の人々。
未来を誰からも指し示されない。その果てにあるのは絶望。

イスラエルの普通の人々。
彼らの指導者もまた、未来を消し去ることにかけては有能。

絶望と等価なのは死。こうして普通の人々が、普通の人々の手によって死んでいく。その数倍の普通の人々が、報復のために乗り込んでくる軍隊によって抵抗もできず死んでいく。終わりなき連鎖。

パレスチナで起こっているのは、こういうことらしい。そもそもの発端は、一方による他方の軍事占領にある。事実上の領土拡張。そうでないなら、なんのために占領地へ自国民を移住させる?


読んだのは、E・サイード 『戦争とプロパガンダ』。そして本日のニュース、「イスラエルの軍事侵攻作戦 砲撃激化で最大の山場」。

6 Apr 2002
イスラエルとその軍隊に告ぐ。

パレスチナの救急車を銃撃するな!

救急作業を妨害するな!

恥を知れ!

9 Apr 2002
しかし、地球上のあちこちでどうにも理不尽なことが多発しているものですね。
これに激怒してここで叫んでみても現地状況がすぐにどうなるものでもないでしょうが、黙っているのもどうかと思う場合もあるわけで。

山を歩いていて世界情勢に思い至ることも、たまには、たぶん。

11 Apr 2002
訂正とお詫びです。

上記の「子持山」の記事で、"屏風岩"という岩壁の麓に「役行者」が線刻されているはずですが見えませんでした、と書いたのでした。

一昨日、小林泰彦さんの『日本百低山』という本をめくっていたら、子持山の項があって、「役行者」は石像で、屏風岩の麓に鎮座しているとあるのでした。(しかもイラスト付きです)

勝手に線刻と決めつけてしまって。足元に目が行き届かず、間違いを書いてしまってすみません。というわけで、本文のほうは修正しました。
14 Apr 2002
何年ぶりかで、新しいデスクトップPCを購入。通販で購入したのが金曜日に来たため、土日はセットアップやらファイルの移動やらでまるつぶれ。というか、当初考えていた山行を没にしてまでPCで遊んでいたのでした。(今度の土曜は出勤で、日曜もたぶん出(で)だし....)
17 Apr 2002
26歳の男性により鹿島槍の北壁がスキーで初滑降されたとニュースに出ていました。斜度50度、高度差650メートル、幅わずか2〜3メートルの氷の谷間を一時間半ほどで滑り降りたと。転倒すれば命の保証はなく、これだけの長い時間緊張感を持続させるのは至難の業と思えるのですが、できるひとはできるんですね。

サッカーキリンカップ「日本−コスタリカ戦」。日本代表は引き分けを拾った、というところですかね。.0-0で与えてしまったPK、これを楢崎が止めたときには、思わず本日のストレスの80%くらいが消え去り、さらに明神の幸運な先制点が入って残りの20%もこのまま消えてくれるかと思っていたものの、流れの中で同点にされ、終了。本日のメンバーだけだと、あまり点が取れそうな気がしない。やはり中盤に中田や小野がいないとだめなのか...
20 Apr 2002
林野庁の関東森林管理局、なにを考えていたのか、今年度から南会津でブナの大規模伐採を行おうとしていたのでした。が、『山と渓谷』5月号の記事によると、これを白紙撤回することにしたそうです。ひとつには「会津のブナを守る連絡協議会」の精力的な活動の賜物でしょう。

林野庁もよく計画を撤回したものです。改めて考えてみると採算がとれないことがわかったのでしょうか。いずれにしても安易に伐ったり壊したりするのではなしに、経済外の効果というのも考慮にいれて、百年の計を視野に入れた予定を立てていってもらいたいものです。
26 Apr 2002
おや、もう連休直前に。でも前半は仕事がたてこんでいて山は無理。日帰りくらいはできるかな....

ほしいものがあって、先日、お茶水にある「茗溪堂」という山関連の本屋に初めて出向きました。一階と二階が楽器店の細いビルの三階にある店舗へは、その楽器屋のなかを通って上がって行きます。狭いながらも書棚には手を伸ばしたくなる本がいくつも並んでいて嬉しい限り。お目当ての箱入り上製本を手にとって中を見ようとすると、きつく入っているせいか本が出てこない。カウンターで店主のかたに中身を出してもらい、内容を確認後、値段を見たら、9,000円。

別な本を買って帰りました。
29 Apr 2002
今日は朝から溜まっている家事を片付けていたのでした。洗濯物を干していると、目の前をアゲハが舞っていきました。年々緑の少なくなっていく町ですが、まだ幼虫が食べることのできる木が残っているということでしょう。でもいつまであることか。もうかなり前のことになりますが、子供のころ飽きるほど見られたモンシロチョウはキャベツ畑の消滅とともにほとんど見られなくなってしまいましたし、シオカラトンボも水田と運命を共にしたようです。

昨日は中央本線沿線は秋山山稜の九鬼山へ。猿橋駅から馬立山経由で山頂に至り、鈴ヶ音(鈴懸)峠を経て猿橋に戻るという回遊コース。バーナーとかを持たずに荷を軽くしていったせいで予想より早く山行が終わったのはいいのですが、山の中にいるときから筋肉痛になって明けた本日も腰やら脚やら痛くて痛くて。昨年末からしっかりした山をサボっているつけですね。やはり訓練というのは趣味の山であっても必要だと痛感しました。

山そのものは新緑がとてもすがすがしく、足元にはヒトリシズカが小さいながらも凛として咲いていました。初夏を迎えるのももうすぐでしょう。

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