雑記帳


青いのはBUNRAKU PUPPET(ジョゼ・デ・ギマランイス)、背後に見える海の家”なおしま”完成記念モニュメント。黄色いのはただの案内板。直島ワンダーランド
年末年始に岡山市の連れの実家に帰省して、つれづれに書店になど出かけ地元ガイドブックをめくっていたら、「地中美術館」を初めとしてモダンアートの宝庫である瀬戸内海の直島が、接続がうまくいけば一時間ほどで行けることに気づいた。よし行こう、非日常的な空間を堪能しに行こうと、正月三日に連れとでかけていった。


直島へは岡山県の宇野港から乗船時間20分だ(香川県の高松からも出ている。フェリーは所要50分、高速艇は25分。ただし本数は宇野からのよりは少ない)。フェリー船内は広い。いまや小豆島より先にページを割くガイドも出てきているくらいで人気上昇中らしいことが窺われる。乗客にはバックパッカースタイルの外国人も多い。モダンアートは軽々と国境を超える。
島北西部の荒涼とした岩壁を眺めつつ西岸沿いに南下し、島の表玄関である宮浦(みやのうら)港に着く。西沢立衛・妹島和世共同設計の"海の駅「なおしま」"なる観光拠点施設が出迎えだ(なお、この二人は金沢二十一世紀美術館の設計者でもある。西沢立衛は豊島美術館も設計している)。突堤先には草間彌生の"赤かぼちゃ"。いまや直島のみならず瀬戸内アートの代名詞になったのではと思える黄色いのの暗めな赤バージョンだ。観光拠点施設の完成記念モニュメントである真っ青な"BUNRAKU PUPPET"(ジョゼ・デ・ギマランイス)は、となりの黄色いただの案内板と合わせて、さぁアートの島に来たぞと思わせるに十分な色合いの鮮やかさだ。
船上から宮浦港を望む。
船上から宮浦港を望む。
突堤上の顕著な平屋根が”海の駅「なおしま」”。
奥に草間彌生の";赤かぼちゃ”
奥に草間彌生の"赤かぼちゃ”。
手前には多摩美術大学メディア芸術ワークショップデザイン”きらめきたまごin直島"。
昼間はただの白い卵の羅列。この場所の展示は年ごとに変わるらしい。
右手奥に大槌島、その手前を宇野港へ向かうフェリーが行く。
徒歩の人は町営バスに乗り込んで思い思いの場所に向かう。アートスポットとして特筆されるのは宮浦港とは反対側の本村(ほんむら)地域と、島南部の美術館地域になるだろう。バスは宮ノ浦からだと本村を経て美術館地域近くまで走る。おのおのの拠点間は歩いても30分〜45分くらいで、車なら5~10分というところだ。ただ宮ノ浦から美術館地域への直通バスはない。車道はあるが狭く、山の上まで上がる。この山登りだがわりと急なので、徒歩渡島者はすなおにバスに乗った方がよい。タクシーは1台しかなく、予約制だそうだ。


自分たちは車で来たので直接美術館地域に向かう。目指すは地中美術館だ。名前が奇妙な上に、常設展のみ、タイトルのつく展示美術品目は9点、作家は3名、これだけ聞いたら入館料が2,000円もする意味がまるでわからないだろう。だが全国の美術館を網羅したガイド書籍やWebでの説明を読むと、それだけの価値があるらしいと理解できる。安藤忠雄設計の建物は、それ自体が作品と呼べるものであり、収蔵している美術品を活かすための工夫が随所になされているという。写真で見るだけでも、展示作品は(展示空間を含めて)一度は目にしておきたいと思わせる。それに実際のスケール感はその場に行かないとわからない。これは自然に対峙すると同じである。
こうして期待の美術館にやってきた。入り口で車を停めてどこが駐車場だろうと連れと話していると、門番の係員が近寄ってきて駐車場は車道を少々下ったところにあり、そこにチケット売り場もあるという。かなり広い駐車場に移動して売り場に向かうと、お客さんが一定程度集まってから説明があり、館内は必要最低限の説明しか表示されていないこと、二度ばかりスリッパに履き替えること、一度に鑑賞できる人数が制限されている作品があることを聞かされる。
車で下ってきた車道はよく見ると傍らに未舗装の遊歩道があり、池など連なっていて冬の花がささやかながら華やかさを演出している。美術館入り口でチケットを切られると、そこから先は撮影禁止になっている。
地中美術館入口。
地中美術館入口。
チケット売り場はこの入口よりはるか手前にある。
コンクリート打ちっ放しの壁が傾くエントランスは頭上が吹き抜けで、本日は青空が覗いている。屋内に入るとショップがあり、これを抜けるとあいかわらず無彩色の館内だ。壁にはひっそりと行き先表示がプリントされ、けばけばしい表示はなにもない。暗い通路を抜けていくと丈低い植物がびっしりと植えられた中庭を目にする。その周囲ははるか上まで相変わらず灰白色の壁だ。植物はトクサ、篠竹のようなもので、緑とはいえ壁と同調して硬質な感触を伝えてくる。
再び暗い通路を抜けて、今度は三角形の中庭を取り囲む壁の中段に出る。見下ろせば底には生命感なき白い岩片が累々と重なる。見上げる頭上にはすでに見慣れたコンクリートの壁がそそり立ち、何度目かの区切られた青空を覗かせている。そして壁には斜めに走る間隙。見るとその隙間から先行する来館者の姿が窺える。間隙に柱はない。重々しい壁の上部は下方からの支えなしに中庭を取り囲んでいる。底には岩屑。思い返せば、意識下に崩壊を連想させるものだった。


知らず知らずに不安な心持ちにさせられたところで、最初の展示室、ウォルター・デ・マリア室に足を踏み入れる。広い。ガイドによれば奥行き24メートル、幅10メートル。相変わらずのコンクリート壁に、天井の開口部からやわらかな光が降り注ぐ。壁には金色に染められた柱が左右対称に整然と。バルコニーのようにも、聖なる像の簡略化のようにも見える。
それまでの経路が暗かったり傾いていたり高度感を感じさせたりと緊張感あるものだったので、ここに来て安心感を感じる・・・はずなのだが、そこに冷ややかな停止制御をかけるものがいる。部屋の幅一杯に、奥に向かってコンクリ床の階段がせりあがっていく。その途中に、直径2メートル以上の黒い石の球が、ただ置かれている。支えも何もないのに微動だにしない。動いてしかるべきものが動かないのはかえって落ち着かない。
"タイム/タイムレス/ノー・タイム"
美術館チケット購入時にもらえるパンフレットから。
(続く2枚も同じ)
 
謎めいた黒い巨石球は当然ながら存在感が強烈で、壁に架けられた金色の柱とあいまってこの空間を神殿の趣としている。安心感をより感じる来訪者は柔らかな笑顔で、危うさないし荘厳さをより感じる来訪者は引き締まった顔で、黒い球と壁を見上げている。作品名"タイム/タイムレス/ノー・タイム"が何を意図して付けられたかはともかく、この空間が大いに内省的な気分にさせてくれることだけは確かだろう。


再び崩壊の中庭に出て、これを取り囲むようなほの暗い通路を抜けていく。出た先は少々広い空間で、いわば美術館中央部にあたるだろう。クロード・モネ室へはここでスリッパに履き替えて入室する。スリッパの数が入場可能な人数になっているわけで、少々待たされるが、大混雑のなかで見ることはないわけで、一長一短というところだろう。作品展示の精神からすれば、モネについては人数制限は妥当と思われる。
というのは、掲げられた睡蓮の五枚の絵をゆったりと鑑賞できるからだ。暗い前室を抜けて彼方に大画面の絵画を見ながら光に溢れた展示室に入っていく。デ・マリア室と同様にこちらも広い。照明は自然光で構成されている。白を基調にした室内は額縁すら白いが、素材がよいため反射が過度にならず目に優しい。鑑賞者を除けば、色彩を提供するのはモネの絵そのものだけだ。鑑賞者は本来の鑑賞方法でモネを眺めている。つまり、大きな絵は、視野にはいる距離だけ離れて見る。有名美術展でよくある、壁沿い行列での、またはその行列越しの絵画鑑賞などする必要がない。だからみな絵を見ることに集中できる。
”睡蓮”連作。
本作を展示することが、地中美術館構想の契機とのこと。
展示室は壁に角をつくらないように設計されている。
 
入り口正面に一枚、左右に一枚ずつ、入り口の左右に一枚ずつ、計5枚。全ての絵を同時に見ることはできない。立ち位置を変え、視野に納める枚数、角度を変えながら、描かれた眺めを追体験する。眺めたとおりに描かれた絵は、形の意味よりは色彩の豊かさを味わうのがふさわしく思える。気楽に焦点を外し、他の鑑賞者の動きまで鑑賞しながら、百年前の色づく光を愉しむ。小さな大理石ブロックが敷き詰められた床の感触も柔らかで心和む。この展示室だけであれば、おそらく世界中のどの美術館の展示室にも引けを取らないことだろう。展示室自体もまた作品であるからだ。


癒しの空間としてもよくできたモネ室を後に、ジェームス・タレルの作品を見に行く。じつはモネ室の前から一つ作品が見えている。壁の角に浮かぶ光の立方体("アフラム、ペール・ブルー")。窓が開いているのかと思うと、じつは投影された光がその正体だ。だがどうもみなあまり突き詰めずに先を急いでいるように思える。
デ・マリアと同様、タレルも本美術館での自身の作品の展示方法を選定したという。だがデ・マリアと異なり、各作品の配置は、あまり成功しているとは思えない。"ブルー"の部屋の先には通路があり、右に行けば"オープン・スカイ"、左に行けば"オープン・フィールド"というのがある。後者は一度の鑑賞が8人と限定されており、入り口に行列を作る。その列末尾が外気がそのまま流れ込む空間作品"オープン・フィールド"の入り口前まで伸びる。冬場なので待っていると寒いことこの上ない。
作品自体も、"オープン・フィールド"は正しく鑑賞できれば意外性のある作品なのだが、現場係員の指示に従って整列し、前進し、停止する、という手順を踏むため、注意が作品に向かわず指示に向いてしまう。また、本来であれば整列してからしばらくは正面に広がる光を眺めさせてもらわなければならないのだが、混雑を理由にしてその時間を十分与えられず、入れるとは思えなかった光の世界のなかに入っていかさせられてしまう。こうして誤って体験してしまうと、経験できるはずだった驚異は純粋な形ではもはや手に入れることはできない。だからか、さんざん待たされてこんなものかみたいな雰囲気を漂わせて早々にその場から帰っていったひとも少なからずいた。
"オープン・スカイ"は名前の通り天井が外気を通すように開口していて、空をそのまま眺められる。作品はLEDとキセノンランプを使用して室内の表情を変化させるものらしく、つまり薄暮から夜までを見ないと本当の意図はわからないらしい。夕方までいるわけにはいかないので、日中光の注ぐ中、室内に設けられたベンチに腰を下ろして開口部を見上げる。青空の眺めも作品だと思えばまた楽しい。漂う雲をかすめて音もなく飛行機雲が伸びていく。
”オープン・ザ・スカイ”
同じ作者の似たようなのが金沢21世紀美術館にある。
作品は以上である。もう一度、デ・マリア室に戻って神殿の雰囲気を味わったのち、もと来た通路を戻り、閉塞した中庭、傾いた通路の眺めを巻き戻しながら、館外に出た。連れともども、よい美術館だったと言い合いつつ、駐車場に向かった。


続けて向かったのは本村地区。直島には美術館としては地中美術館のほかにベネッセハウスミュージアム、李禹煥美術館とあり(2013年現在)、前者はさまざまな現代作家の作品を展示する美術館なのでぜひ寄ってみたかったのだが、こちらは最終入館時刻が20:00と遅く、本村地区の"家プロジェクト"なる展示が先に時間切れとなるため、本村を先に訪問することにしたのだった。
さてその"家プロジェクト"とは、「古い家屋を改修し、空間そのものを作品化する」という活動のことで、本村地区では六軒の建物が作品化されている(別に予約が必要なのを足せば全部で七軒(2013年現在))。昔の民家であったり寺社であったものが昔ながらの町並みに溶け込んでいる。
そのうちの一つ、「南寺」という建物で、地中美術館でも展示されていたジェームス・タレルの作品が鑑賞できる。いや体験できるといったほうがよい。真っ暗闇のなかに、手探りで案内されて座らせられる。徐々に闇に目が慣れてくると、正面に長方形の光のスクリーンが見えてくる。探るようにそのスクリーンに近づいていくと・・・。個人的には"家プロジェクト"のなかでは最も刺激的な作品で、十分に面白く、おそらく作者の意図するところが伝わってくるものだった。
同じように刺激的なのは伝奇的な感触を受ける「護王神社」である。地表に出ることを禁じられた民になったかのような体験ができる。美しいのは水中に沈むデジタル表示が印象的な「角屋」が筆頭だろう。デジタル数字フォントが描かれた掛け軸を崇め奉る仕掛けは現代社会に対するアイロニーを感じさせる。美の迫力では、巨大な滝の絵が蔵の中に張り巡らされる「石橋」も負けていない。舞台となる家は大規模で、かつての隆盛を感じさせるのも"落下する"滝と掛け合わせて冷ややかなものが漂う。
わけのわからない迫力なら「はいしゃ」だろうか。古びた建物をいっそう古びさせたうえに、自由の女神を押し込んでいるのだから。木彫りの椿の花を散らす「碁会所」は、日本人の美意識を伝えるものだろう。
家プロジェクト、「角屋」。
家プロジェクト、「角屋」。
プロジェクト最初の建物。元は屋根のつぶれた文字通りの廃屋だったという。
内部には宮島達夫の作品が3点存在する。
本展示をきっかけにして集落の街並みそのものが価値があると島内外が認識したらしい。
”アートでの町おこし”の成功例。
なお、建物内部はすべて撮影禁止、他のも同様。
家プロジェクト、「はいしゃ」。
 家プロジェクト、「はいしゃ」。
こちらも元は廃屋だったらしいが、大竹伸朗による再生はその廃屋の状態すら作品の材料にしているようだ。
建物内部も外部に負けない混沌さを呈している。
同じ作者の手による銭湯「I■湯」(■は黒地のハートマーク)が宮ノ浦地区にある。
そちらもおもちゃ箱ひっくりかえし状態らしいが、今回は未訪。
家プロジェクト、「護王神社」。
家プロジェクト、「護王神社」。
倒壊寸前だった神社を、地元のかたたちの承認のうえ、杉元博司が”作品”として蘇らせたという。
拝殿の向こうに、本殿に上がる透明な階段が見える。
これはカメラのレンズに使用される光学ガラスでできている。
作品の鑑賞では、地下に潜る。
家プロジェクト、「南寺」。
家プロジェクト、「南寺」。
地中美術館にも収容されているジェームズ・タレル再び。
美術館ではいまひとつな印象だったが、ここでは予想以上に満足が得られる。
”インスタレーション(「場所や空間全体を作品として体験する」)”とはこういうものかと強烈に実感することができる。
建物は新築で、設計は地中美術館同様に安藤忠雄。
本村の集落と港
護王神社の先、高原城跡から下る道のりより、本村の集落と港を俯瞰する。
本村地区の魅力はこればかりではない。町並みそのものも板塀や味のある家屋が随所にあってモダンアートに引けを取らない。外国人の姿が珍しくないのも、このような日本の生活美とでもいうべきものを併せて目にできるからこそだろう。路地裏を縫うように歩き回る楽しみがあり、出会った町の人は、年始休みでどこで食べればよいかわからずうろうろする自分たちに、食事なら今日はあのあたりが開くはずだよ、と教えてくれる。食事どころも民家をそのままカフェにしたようなのが点在している。忙しい身なのだが、そういうカフェにはいったとたん、時間は流れるままに流し、窓から見える海辺の眺めに呆けたりするのだった。
集落のいたるところに風情ある街並み
集落のいたるところに風情ある街並みが見られる。
屋号の銘板の一例
そこここにこのような屋号の銘板がある。
暖簾
暖簾
暖簾 
軒先の暖簾もとりどりで面白かった。
この年のイベントだったらしい。
壁に注目
壁に注目 
壁に注目
見落としがちだが、あちこちの家の壁にこんなアートが仕込まれている。
日向でお休み
猫も多い。
たいがいが人慣れしているように見える。
本村地区をあとにし、島南部の”ベネッセハウス”に移動する。広大な敷地のここは宿泊施設とアート展示施設の複合であり、宿泊者でなければ車で進入することができない。なので町営の無料駐車場に停めて敷地内に徒歩で入る(無料シャトルバスも運行しているらしいが、歩いても大した距離ではない)。
目当ては奥まったところにあるベネッセハウスミュージアムであり、収容されている現代アートを見るのが主目的だ。とはいえその途中の道すがらに目に入る野外展示アートがまた楽しく、ついつい足を止めては冬の日を沈ませていってしまうのだった。
草間彌生『南瓜』。
草間彌生『南瓜』
もはや瀬戸内アートの代名詞か。
ニキ・ド・サンファール『ラクダ』
ニキ・ド・サンファール『ラクダ』
二つあるコブは植木鉢を収納する。
このほかにも、ニキversionの猫やヘビや象がいる。
片瀬和夫『茶のめ』
片瀬和夫『茶のめ』
誰に勧めているのやら。
大竹伸朗『シップヤード・ワークス 船尾と穴』および『シップヤード・ワークス 切断された船首』
大竹伸朗『シップヤード・ワークス 船尾と穴』 および
『シップヤード・ワークス 切断された船首』
家プロジェクト「はいしゃ」の大竹さんの作品。近寄る時間がなく遠くから。
対岸は四国本土。
ジョージ・リッキー『三枚の正方形』
ジョージ・リッキー『三枚の正方形』
風が吹くと揺れる。揺れても揺れなくても見た目が妙に心地よい。
ベネッセハウスミュージアムは美術館のなかに宿泊施設があるという面白いコンセプトのもので、確かに泊まればずいぶんと楽に見て回れるだろう。外部からの入館は最終が20:00だが、宇野港へ戻るフェリーは20:25が終便であり、車で来ている場合は乗れなかったら島内泊になってしまうので、夕方くらいので本土に戻るのが妥当というものだろう。今回のところは、そう長居はできない。
地中美術館が強烈すぎて少々霞みがちだが、こちらも展示内容、建物ともども、見応えがあるものである。たとえば、砂でできた世界各国の国旗をアリが巣作りで穴だらけにしている柳幸典『ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム』は、おそらく今後ともいろいろ考えさせられる作品ではなかろうか。安田侃『天秘』は白く巨大な楕円形の石を置いただけなのだが、背後の直線的な壁と対比される曲線が官能的で、それが硬い石でできているという矛盾がまた神秘さを感じさせ、惹きつけられる作品に仕上がっている。
壁から同じ形状の引き出しみたいなのが床から天井まで飛び出しているだけのドナルド・ジャッド『無題』は、じっと見ていると上にも下にも無限に続く世界を感じさせる。ブルース・ナウマン『100生きて死ね』は、多数のネオン管が1本ずつ「×× and live」「×× and die」と繰り返し点灯するというものだ。××はkissとかgoとかfeelとか・・・(しまいには全管がいっせいに点灯するらしいが、それを知らず途中で別作品に向かってしまった。これは再体験しなければならないだろう)。
ほかにも感じるところ考えるところのある作品が多数あるのだが、船の時間が気になるので、いくつかはおざなりの鑑賞のまま見て回り、館外に出た。ここもまた再訪しなければ。
ジョージ・リッキー『フォー・ラインズ』
ジョージ・リッキー『フォー・ラインズ』
ベネッセハウスミュージアムのテラスから。
華奢すぎて、ただのアンテナに見えるかも。
彼方に瀬戸大橋。浮かぶ島は大槌島。
さて今回の直島巡りはこれで終了だ。夕闇が迫りつつあるなかを駐車場まで戻り、最短距離で宮浦港に向かう。宮ノ浦地区には直島銭湯というのがあって、これがまたカラフルなアートの建物になっているらしいのだが、すでに日は落ち、港に着いてみるとこれを逃すと次は1時間40分後というフェリーが乗船をまさに開始しようとしていたので、銭湯もまた次回の楽しみとせざるをえなかった。
多摩美術大学『きらめきたまごin直島』の夜の姿
フェリー船内から、
多摩美術大学『きらめきたまごin直島』の夜の姿を。
(本作の展示はこの年のみだったかと)
朝から晩まで直島にいたわけだが、まるで飽きなかった。連れは特に本村地区の佇まいが気に入ったらしい。子供のころの景色が蘇るという。加えて、モダンアート、とくにインスタレーションを体験したあとでは、二人とも、何を見てもアートに見えた。古びた家の庭にころがる子供用の鮮やかなボールを見ても、用水路の脇に立つブロック塀の組み方を見ても。非日常と日常が同居する直島は、ありふれているように見えるものに新鮮さを感じさせる世界だった。


直島の近くには豊島、犬島など、直島と同じく見るべきアートのある島々がある。いずれも岡山から近く日帰り可能だ。直島と同じく家プロジェクトが発動されており、かつての精錬所までアートサイトとなっている。直島再訪ともども、今後の帰省時は計画しようと思う。
2013/1/3

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