雑記帳


イギリスの山を歩いて part5
前回の文章では、イギリスで山を歩こうとするひとは最近の日本同様に車を使う場合が多いらしく、また服装はどちらかというと地味で(行ったのが5月でまだ暑くなかったせいもあるかもしれない)、ジャケットの用意はしているもののザックカバーまで含めて雨にはわりと無頓着のように見え、山行中に水をあまり飲まず、山の上ではバーナーの火を点けないことなどを書いた。ここではそれ以外のことなど書いていこうと思う。
まずは、カメラの扱いから。下界でも山でも、こちらにいる人たちは、とにかくみなカメラを出さない。ピークで一枚か二枚撮るだけなのではないだろうか。私のように頻繁に撮っている人は珍しく、立ち止まってカメラを構えるひとはまずいない。なるほど日本人がカメラ好きで有名になるわけである。観光地であれば日本人に限らず旅行客が写真を撮るのはよくみかけるが、山上では撮影者はよく目立ち、そのためおいそれと他人にレンズを向けるわけにはいかない。撮るときは許可を得るのが基本であるので。


さて、いまひとたび雨への態度について補足しよう。まわった地域で見る限り、イギリスのひとびとは傘をささない。そこそこの雨は降ったにもかかわらずなので、きっと台風並みの雨でも降らない限り傘を開かないのだろう。
グラスミアにて
雨のグラスミア、
登山用具・書籍店の前にて
(Grasmere、Lake District)
湖水地方のウィンダミアでは、背の曲がった身なりのよいおばあさんが口の開いたバッグを雨中にさらして歩道を行く。今回の渡英で最初に訪れたカントリーサイドのいわゆる「なにもない」Edale村では、5月初旬の冷たい雨がしとしとと降るなか、若いカップルが語り合いながら車道を散歩していた。このふたり、女性のほうがジーンズ履きに防水のフード付上着だったのはわかるとして、男性の方は同じくジーンズ履きだが、上着はただのウール製ジャケット、それに赤と黄色が交互に縞になった派手なマフラーを首に巻いているだけだった。新緑の木々を左右に、銀色に光る車道の上を歩いているのはなかなかさまになっていたが、風邪をひかないかと心配になりもした。
こういう態度は山を歩くひとに限らず、一般的なもののようだ。アウトドア用上着のフードで頭を覆うか帽子を被ればまだましなほうで、髪を濡らしっぱなしにして歩いているひとが少なくない。酸性雨の影響が心配になるところだが、イギリスでの「禿頭率」はそれほどでもないような気がする。雨に対して寛容なのは、そもそもこちらの空気が乾燥しているからと思える。家に帰ってタオルで拭けば、頭も身体も手提げ袋も、みなすぐに乾いてしまうのだろう。


先に書いたEdale村だが、休日になると集落のあちこちにあるキャンプサイトが賑わっていた。農家が副収入を得ようとして使わなくなった放牧地をそのまま転用しているらしく、日本でいえば休耕田をキャンプ場にしているようなものだ。すぐ近くには村の雑貨屋やパブなどがあって、野菜やら缶詰やら買い込んでは夕食を作ったり、面倒そうなひとはパブで食事をしている。とはいえ、周囲に簡易トイレはあっても簡易シャワー施設はなさそうだった。テントを張れる場所はEdaleに限らずイギリスの田舎の随所にあるようで、地方の地図を広げればテント設営可の記号をそこここにみつけることができる。
Edale村にあるキャンプサイトの一つ
Edale村にあるキャンプサイトの一つ
(Edale、Peak District)
山と同じく、キャンプ場へは車で来るひとが多いが、見た限りでは日本でいうところのオートキャンプという感じではなく、どちらかというと小振りのテントを張っているひとが多いようだ。もっとも脇にテーブルを出している家族もいたが、その隣で違和感なくソロのキャンパーが食事をしているのである。日本のオートキャンプ場ではこういう光景はあるのだろうか…。
ところで、イギリスにあっては当たり前だろうが、こういう場でラジオを鳴らしているひとはいないようだ。どこに行ってもそんな場面にはお目にかからなかったが、日本では至るところで遭遇する。わが同胞は町中でも山中でも音に対して腹立たしいほど無神経だと思う。


イギリス人は犬好きで有名だ。だから当然のように山の上にまで連れてくる。皆がみなではないが、遭遇率は日本に比べれば相当に高い。小柄な犬から大きいのまで、一匹どころか二匹三匹、種類もとうぜんいろいろだが、わたしは詳しくないのでよくわからない。ただ、犬に服を着せて山の上を歩かせているひとはいなかったようだ。
ザックを背負わず山頂往復4〜5時間のところに犬を連れて登ってくる人もいる。そういうのは地元のかたが犬の散歩を山の上までしに来ていると思うのだが、遠地から来て軽装のまま山の上に来る観光客みたいなひとも多く、車に同乗させて連れてきた犬をいっしょに連れ歩いている場合もあるようだ。
犬を連れたひとたち
犬を連れた人たち
(Edale、Peak District)
日本ではペット連れ登山は生態系へのインパクトが懸念されるところだが、犬好きのイギリス人に連れてくるなと言ってみたところで無理な相談かもしれない。しかし山中はともかく、羊の放牧地などでは、「犬連れのハイカーは進入お断り」とか、「犬の引き紐(leash)を離さないこと」などど注意書きがあるところもあり、犬の放し飼いが大目に見られているわけでもなさそうだ。


当然ながら犬の引き紐を持っていればダブルストックは使えないが、そもそもストックを使っていないひとも多い。低いとはいえイギリスの山は基本的に岩がちだろうから、みなダブルストックで歩いているのだろうと思っていたし、ストックは両手で使わないと意味がないなどという、やや高飛車な物言いを聞いたこともあり、ウォーキング先進国であると聞くイギリスではみな二本のストックを持っているのだろうと信じていたのである。しかしこれはまったくの思いこみで、ストックの使用に関してはとくに日本と違う印象は受けなかった。もちろん手も使って登るようなところでは、みなザックにしまい込んでいた。
この、手まで使って岩がちなところを通過することを英語では「スクランブル」と言うらしい。クライミングをするまでではないが、スリリングな山を楽しみたいひとはとくに若いひとに少なくないようで、休日の岩山にはこの「スクランブル」をしたいひとたち、とくに若者が多く詰めかけることはスノードン山近くのトレバン(Tryfan)で目の辺りにした。これがまたみな楽しそうで、多少の困難にぶつかるとみな饒舌になるらしく、こちらにもさかんに声をかけてくる。こういうところではこちらが東アジア人の顔つきをしていても大して気にしないようだ。
じつは訪れた山の上では、ほとんどヨーロッパ系の白人しか見かけなかった。覚えている限り例外は一度きり、このトレバンという山でのことで、東アジア系の顔立ちの女性をひとり見かけた、それだけだった。数人のパーティのなかにいた彼女とは言葉を交わすことができたが、中国人の学校講師で、ヨークシャーデールというところで中国語を教えているという。今日は生徒たち(みな二十代以上らしい)とこのトレバンに来たとのことだった。


山で行き交う人々は日本でと同様にさかんに挨拶をしてくれた。交わす言葉は、”Hello”とか、"Mornin'"とか、"Hi"とか。"Mornin'"とは"Good morning"のことだが、みな"Good"を「飲み込んで」話す。昼を超えていても"Mornin'"と言われることもあり可笑しかったが、日本で夜になっても「こんばんわ」でなく「こんにちは」と言うようなものだろう。これまた日本でと同じく、「よく来たね」というように笑顔で言われるときもあれば、クールに言われるときもある。無言で親指立てサインをされたことも何度かあり、こりゃ格好いいわい、と感心したものだ。もちろん、これも日本でのように、まったく無反応なひともいる。
しかし、ときには、「何者だこいつは」というような驚きなのか猜疑心なのかよくわからない目つきで睨まれもする。これはさすがに日本ではないことで、睨んでくる相手は老若男女問わない。まぁイラク戦争の直後、かつ世界的にSARS流行の最中という時期が関係していたのかもしれないし、ただ単に比較的ローカルな山でモンゴロイドの顔が珍しかっただけなのかもしれない。ともあれ、ロンドンなどの大都会や観光地としての湖水地方はともかくとして、山の上ではアジア・アフリカ系のひとはたったひとりを除いてまったく見かけなかった。
2003/7/26 記

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