雑記帳


イギリスの山を歩いて part1
先月(2003年5月)、三週間ほどイギリスに滞在してもっぱらウォーキングに精を出してきた。なんというか、国が違えば山歩き一つとっても多少なりとも文化の違いがあるものらしく、当初はややとまどった。カルチャーショックというものだろう。
キンダー・プラトーを背景に羊たち
キンダー・プラトー(Kinder Plataeu)を背景に羊たち。
どこに行っても羊はいる。
(Peak District, Edale)
スノードン山
スノードン(Snowdon)。
最も荒々しい姿を見せる側から望む。
(Snowdonia)
このたび訪れたのは以下の地域・山。単独・フリーの旅で、行き先も宿も自分で決めた。
他は、一日列車で移動していたり、病気になって宿で寝ていたり、最後にロンドンに出て放心していたり。


さて、ここではイギリスの山で受けた印象を書いていこうと思う。
イーデールにて、ルーズ・ヒル
イーデイルにて、宿の窓から見た山々。
(左奥はルーズ・ヒル(Lose Hill))。
(PeakDistrict、Edale)
(1) まず道標というものがほとんどない。
町中や有名観光地であれば「××滝へ」とか「○○村へ」のような歩行者用標識はあることはあるが、集落を抜けて山麓の牧草地に出たり、バス停の登山口から岩場のなかに続く山道にはいると、私の歩いた範囲では標識などまったく出てこない。たとえ山道の分岐があっても何も表示がない。
日本の中級山岳以下のように樹林帯の中であれば、それでも分岐は分岐とわかるのだが、イギリスの山は標高は低いが、牧草地にするため伐採したか、もとから寒冷気候のため生育しないのか、木々がほとんど生えておらず、そうしようと思えば歩きたいところを歩ける(このためイギリスでも踏み壊しは問題になっている)。こうして踏み跡が錯綜する場所が生まれ、辿りたい道が明瞭な踏み跡から不明瞭に分岐するところも増え、霧がかかって周囲の地形がわからなくなると途端に山の難易度が増す。これは予想以上にストレスのたまる状態だ。
だいたい山頂標識というものからしてない。スノードンに登ったが、「ここがスノードンの山頂だ」と書いてあるものはない。周辺の山名表示板はあったかもしれないが、記念写真に入れるような文字板はなかった。スノードンの近隣にも名前を持つピークがあり、これらをつなげて歩いてみたが、それらには一つとして山頂標識はなかった。これは私の訪れた他の地域の山でも同じだった。
(2) 道標もないが一般的な標識もない。
さすがにピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの家とか詩人ワーズワースの家とか、いわば観光物件には標識がついていて「ああ、ここか」とわかるが、参観通行鑑賞が無料の滝や岩や橋や建物にはない。だから事前調査で資料収集しておかないと、自分がなにを見ているのか、どういうところを通っているのか、わからないことになる。
たとえば、ピーク・ディストリクトという地方のキンダー・スカウトという高原上の山(キンダー・プラトーとも呼ばれる)ではヘンリー・ムーアの彫刻のような大岩がごろごろしているが、なかには歴史と名のある岩もある。しかしここにも標識などないため、あらかじめガイドで説明を頭に入れ、地図で場所を照らし合わせて「これがそうか」と認識しなければ見過ごすことになる。
キンダー・プラトーにて
キンダー・プラトーにて。
面白い岩がたくさん。
(PeakDistrict、Kinder Plataeu)
(3) 地図には踏み跡が記述されているが、日本のガイド地図のようにコースが表示されてはいない。(これは現地に行くまでもなく気づくが、実際に歩こうとすると痛切にわかる)
そもそもイギリスにはたいがいの登山者が持つガイド地図というのはない(これは現時点で断言可能)。つまり昭文社の地図にあたるようなもの、コースが赤線表示されているような地図がない。代わりにみな日本で言えば国土地理院発行相当の地図を持っている。ルートそのものはその地図を見て自分たちで考えるか、ガイドブックを見て決めているようだ。道標がないからガイドの記述は牧草地のなかを行くようなところはかなり詳細なものになる。山の上の見晴らしのよい稜線歩きでは簡単に書かれている場合もあるが。
しかしそのガイドにしても、現場に道標がなく顕著な目印がないらしい地点では「GPS表示が×××の地点で○○に向かう踏み跡に入る」などという記述がされていたりする。GPSを見る地点は登山口だったり、山中の踏み跡の分岐点だったりもする。もっとも、イギリスのハイカーにどれだけGPSが普及しているかはわからない。
また、岩がちな山などは踏み跡が途切れると、そこからは登りやすいところを登ることになる。それを探すのは各人の務めなのだ。わざわざ多少困難なところを選んで登る人たちもいるから闇雲に他人についていくのはやめたほうがよく、たとえばスノードンからやや離れたトレバン(Tryfan)という岩山で少々面倒そうなルートを進んでいたグループは、驚いたことにしっかり補助ロープを用意してきていて、連れていた子供に難しい岩場を通過させていた。準備が伴っての行動なのだった。
トレバンの岩場を行く
トレバン(Tryfan)の岩場を行く。
補助ロープを使って子供に岩場を通過させる保護者
(右から二人目)。
(Snowdonia、Tryfan)
(4) 団体で歩く人たちが少ない。
見た限り、10人を超す人数で歩いているのは中学生や高校生の一団くらいなものだ。地元のひとがリーダーになって地形や歴史を説明しながら歩くガイドウォークというものもあるようだが、一日にたくさん企画されるわけでもなさそうなので、スノードン周辺で「あれがそうかな」という10人前後の集団には二、三度出会ったくらいだった。
同じルートで追い越したりすれ違ったりするのに苦労する団体に出会うことはなかった。日本でのように50人とか100人とかで行列して歩いていたら、相当奇異に映ることだろう。「いやに高齢の学生の多い学校だな」と思われるならまだしも、「そんな団体で山道を歩いて他人のじゃまになるとは思わないのか」と指弾されそうな気もする。雨の日に町中の人の多い歩道で傘を差して歩いていたら、反社会的だ、と言われたという話をどこかで聞いた。傘の縁が危ないということのようだ。(この尺度からすると日本人はみな反社会的な人間ということになる。私自身、夏場の女性の日傘について、とくに通勤路でそう思うことがある。)
スノードンから下る家族
スノードンから下る家族。
キャリアで幼児を運ぶ人も珍しくない。
(Snowdonia、Snowdon)
(5) つまり、みな自力、自己責任で歩く。
イギリスでは、一人だろうが複数だろうが山を歩くパーティーはコースを自分たちで判断できるはずだ、という前提に立っているように思える。これが社会のコンセンサスなのだろう。道標がなくとも、分岐する踏み跡が明確で、天気がよくて見通しがよく、地図を読みこなせればなんの問題もない。地形と照らし合わせて自分がどこにいるか確認しつつ行けばよい。しかし霧がかかるととたんに大問題だ。とくに本来辿るべき踏み跡が明瞭なものから不明瞭なものに分岐している場合など初心者には死活問題にもなりかねず、じっさいに見通しのきかないガスの中を道を間違えて予想もしない場所に行きかけたこともあった。
この国は天気がよく変わることで有名で、とくに山地はその傾向が強い。山を歩くイギリス人たちは、天気が悪くなりそうだとか言って山を歩くのをやめたりはしないようだ。そんなことを言っていたら年のうち歩ける日はほとんどなくなるだろうからだ。だから朝から雨でも登る人は登る。しかも稜線に雲がかかっていようと、午後からだろうと歩き出す。見ているとどことなく散歩の延長のような気がする。犬を連れて歩いているひとが多いせいだろう。
多くの人は、GPSを持っていようがいまいが、高度計とコンパスの使用には習熟しているのだろう。雨とガスの山頂で下山する方向を決めるためザックから地図とコンパスを取り出して方向を確認していた夫婦に湖水地方の山で出会ったし、どうみても踏み跡のなさそうな場所をガスの中をめざして歩いていく二人連れとかにも出会った。かと思えば雨が降って見通しも悪いのに手ぶらで登ってくるハイカーが多いのに驚いた。いったいどうなっているか、もしかしたらイギリスにも無謀登山者は多いのかもしれない。慣れの問題かもしれないが。


繰り返しになるが、イギリスの山はおしなべて低い。スコットランドにある最高峰のベン・ネビス山でも1.344メートル。今回登った山で一番高いのはスノードン山だが、これも1,085メートル。時期と天気さえよければまず全ての山が日帰り可能と思える。
だが稜線部が平坦だったり地形が複雑な場所でガスに巻かれると、場所によっては難度が急激に上がる。そういう場所では道を間違う人もやはりあるようで、ぬかるみの上に踏み跡が錯綜し、徐々に減っていくいくことでわかる。一部のひとは本当に野生のなかに分け入っていったものの、先行者の大部分は引き返したらしい。
ガスの稜線
湖水地方は天気に恵まれなかった。
今日もガスが下りてくる。
(Lake District、SergeantMan付近)
そこで気づくのは、日本の大多数の山では樹林のなかで明確に識別できる踏み跡を無意識に安心して辿っていっているということだ。間違えやすい場所には道標がある。目を惹くものには標識が立っている。至れり尽くせりだ。歩いているというよりは歩かせてもらっている。
これは責任の所在に関する考え方の違いなのだろう。イギリスでは危ない場所にロープが張ってあるとか、注意を喚起する看板が立っているとかは【いっさい】ない。もし日本人がそういうところで事故を起こし、原因は国なり土地所有者の管理不足だとか言って訴訟を起こしたとしても、おそらく物笑いの種になるだけだろう。「おまえは危ない場所かどうかもわからずにそんなところに行ったのか」「地図も読めずに山に登ったのか」、と。


(6) とはいえいつも肩肘張って歩いているわけでもなさそうだ。
イギリスの山々(というより、見た限りでの町中を除く歩けるところ全般)は、「余計なお世話」のきわめて少ないところだ。日本の里山で、自然林が多く道標が少ないところを歩いているときのように、多かれ少なかれ緊張はする。しかし観察力が高まって知的な興奮が味わえ、歩いているコースそのものへの興味がいや増すことにもなる。彼の国の人々も、ピークハントばかりをしているわけでもないようだ。歩くことそのものを楽しんでいる、それもわりと意識せずに、ということらしい。山の上であれば、何度も同じところを歩いているのでは、とも思える。
肩肘張っているように見えないのは、町中から歩行者が優先されていることも一因かと思う。こちらでは、見たかぎり、たとえ二車線道路が一車線になってしまっても歩道に乗り上げて駐車するということはない。自転車は、歩道をえらそうに走る日本とは大違いで、必ず車道を走る。だからひとびとは町中でも歩道を安心して、楽しんで歩ける。近場に山があれば、そのまま踏み跡に入っていく。こういった点に関しては、イギリスが羨ましいと思えるのだった。
イギリスのウォーカーたち
ホリンズ・クロス(Hollins Cross)という名の鞍部にて。
グループ全員が揃うのを待つメンバーたち。
日本と同じで、ハイカー同士は挨拶を交わす。
(PeakDistrict、Edale)
(つづく)
2003/6/7 記

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