雑記帳


無人スタンド
野菜や果物の無人スタンドを見るのは山の行き帰りに限らず楽しみである。北関東や甲信越に車で行くと、畑の一角や家の軒先に野菜が置いてあるのをみつけては、車を止めて珍しい野菜がないかとか、値段はどれくらいかなどとチェックする。ときには、浦左でのときのように町中でスタンドを見つける場合もある。
町中にあるのは浦左に限らない。横浜の「田谷の洞窟」を見て大船まで歩いた途中でも、スーパーと団地のあいだにある家の前でこういうスタンドをみつけて、こんなところに無人スタンドが....と足を止めた。並んでいたのはいろいろあったと思うが、そのときは疲れていて甘いものが食べたいと思っていたので、袋入りのサツマイモを手に取った。形は悪いが大きな芋で、これを蒸かして食べたらおいしいだろうなぁと思うと、値段も安かったことだし、そのまま買わずに帰るのはもったいない気がしたのだった。


無人スタンドが食料調達手段になったのは浦左だけの話ではない。惨憺たる経過をたどった1998年12月の湯河原・南郷山近辺の山歩きでは、駅から山の斜面にある最後の民家までの舗装道の道ばたに、袋入りの蜜柑が一袋200円から100円の立て札とともに置かれているのをよく見かけた。山の方に近づけば近づくほど安くなるのも面白い(駅前では300円だった)。これはジュース代わりにちょうどいいや、と粒の小さなのが入っているのを選んで手に提げて歩いた。
両側が蜜柑の果樹園になっているところになると、そこかしこに枝から落ちた蜜柑が転がっている。いつ落ちたのかな、とか思いながら農道を登っていくと、湯河原の海の眺めがよいところに出た。道の下の斜面に鮮烈な色のかたまりがあるので見てみると、そこには段ボール箱2箱くらいの蜜柑が捨てられていた。連れと二人、「あれって食べられそうだよね」「もったいないね」「なんで捨てちゃうのかな」「獲れすぎて、売れないんでしょう」などと話しあう。
昨年だったか、どこかで何だったかの野菜が獲れすぎてブルドーザーか何かでつぶしているという話を聞いた覚えがあるが、天然のものは計画的に生産量が調整できるわけでなく、農家の方はなかなか経営が難しいことだろう。逆に今年1998年は野菜が不作で高値になったし....。しかし、市場に出せないほど獲れたからといって全部無人スタンドに出すのも、袋詰めの手間がかかってたいへんだろうと思う。無人スタンドの利用者は「捨てるくらいならただといっしょだろう」と考えてはいけないのだった。
1998/12/24記 May peace on earth.

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