大根の山の神〜大ダワ間から川苔山鋸尾根を仰ぐ。川苔山頂は奥。
年が改まって一月も半ばを過ぎ、関東南部では下り坂の天候も続いて奥多摩にも雪が着いたらしかった。久しぶりに雪の上を歩くのもよいかと本仁田山と川苔山を繋ぐ稜線を歩きに出かけてみた。計画は悪くなかったのだが、半年あまりまともな山歩きをしていなかったツケが出て、体力と筋力の不足で川苔山だけになってしまった。


無人の鳩ノ巣駅に下り立ったのは二人だけだった。駅前に佇んで付近の案内図を見ていると、駅裏の山側から車がよく降りてきては駅前を通っていく。すれ違うように登って行くと、多摩川を見下ろす山の斜面に付けられた舗装車道はなかなか急傾斜で、ここに住まう人たちは出かける先の遠近にかかわらず車がないと疲れてしかたないだろう。斜面は南を向いているので家々が多いが、「山村風景」という言葉から連想するのとは異なる都会的な住宅が目に付く。建て替えるな新築するななどとはもちろん言わないが、山仕事で暮らしを立てていた名残が薄れていっていると感じるところだ。
坂道の終点にある住宅手前から山道に入る。過去二度ばかり歩いていて、植林が続き眺めがないことはわかっているので足下ばかりを見て歩く。山仕事の道らしく、いかにも奥多摩らしい踏み固められた径だった。先日、古里から御岳山に上がって楢ノ木峠経由で氷川に出たが、そのときは行きは参道、下りは生活道と思っていた。今思えばいずれも仕事道も兼ねていたに違いない。いずれも同じく踏み固められ、ところどころ石組みで補強までされていた。
山道入口にて熊注意
山道入口にて熊注意
山腹を絡んで上がっていく先に出る大根ノ山ノ神の祠前は峠になっていて、反対側から登ってきた林道が終点を迎えている。この林道が通るまでは木々に覆われた尾根筋が続いていた記憶があり、だいぶの様変わりだ。林の中に埋もれる山の神の祠が神秘性を減じているように見えてしかたない。
林道開削で開けた峠の目の前に高まるのはこちらからだと本仁田山前衛となるコブタカ山への尾根である。本仁田山は川苔山に登った後に立ち寄ることにしていたので、まずは川苔山を目指す。その川苔山に向かうコースにしても、コブタカ山を途中まで登って右手にそれ、大ダワという鞍部に出て川苔山に続く尾根に乗るものと、コブタカ山には登らず林道に沿って山腹を行くものとある。いずれも舟井戸という鞍部で合流する。本日の目的は、本仁田山と川苔山とを繋ぐ尾根を歩くというものなので、迷わず前者を行く。
尾根を乗り越すところで
大ダワ手前、尾根を乗り越すところで
コブタカ山への登路から別れて川苔山へと続く山腹道に入る当たりから、雪が目に付くようになってくる。山の北面に入ったので数日前に積もったのが融けないまま残っているのだった。ゆるやかに張り出す尾根を乗り越すと、冬枯れの木立の奥にこれから辿る稜線が見えてくる。川苔山山頂は激しく上下するコブの一つに大部分が隠れていた。かつて山頂からこの稜線に入りかけた時、あまりに下りが急なので疲れた身では危ないと途中で引き返した覚えがある。本日は登りなので大丈夫なはずだ。


ゆるやかな尾根を越えてさらに山の奥へと入っていくと、初めは斑雪程度だったのが山道いっぱいを覆うようになってきた。空は好天で雲一つないが、残念ながら日は北斜面をめぐる山道には届かない。先行者が踏みしめた跡をなぞって雪の締まる音を聞きながら、そろそろ軽アイゼンを出そうかなと思ううちに大ダワの鞍部に着く。
大ダワからしばしで、目の前に急激に立ち上がる尾根の下に出る。人待ち顔で立っている真新しい標識があり、そこにはこれから辿るものは「川苔山鋸尾根」であると書かれている。そんな名前だったのかと初めて知った。鋸尾根という名前はあちこちにあるが、ここのはどの程度のものかと見上げれば、まずは相当な急傾斜が視線の先に延びている。南面しているため雪は着いてないものの、風はあった。脅かすような音を立てて稜線を吹き越していく。なお、鋸尾根西斜面を巻いてウスバ乗越を越えていくルートは、崩落のため通行止めになっていた。
鋸尾根の第一のコブを登る
鋸尾根の第一のコブを登る
振り返れば本仁田山、眼下に大ダワ
鋸尾根は最初のコブの登りが長い。かつ登るほどに傾斜がきつくなってくる。かなり上まで来てから振り返ってみると、足下が転げ落ちそうな角度で下って行っている。視線を上げれば目の前のコブタカ山の背後に本仁田山が大きい。左後方には大岳山が霞んでいる。なかなか爽快だ。最初のコブを登り切ると途端に雪が再び現れる。次のコブへはその雪の中をいったん下る。踏み幅の狭い山腹道で、その山腹はなかなかの傾斜で、しかも植林で暗い。爽快感が一瞬で消し飛び、キックステップでおっかなびっくり進んでいく。
次々と乗り越えるべきコブが現れるが、もはや雪が途切れることはなかった。トレースが着いているとはいえ足下が不安定な雪道で、岩場まで出てきて疲労は蓄積する一方だ。面白いといえば面白いが半年ぶりに本格的に登るという体力と筋力とでは歩みが遅くなることおびただしい。次々と後続の単独行者たちに追い抜かれつつ、一面の雪原となった広い鞍部の舟井戸に着く。ようやく鋸尾根は終わりだ。大ダワから1時間というコースタイム以上の時間がかかっていた。


山頂に向かう山腹道は、風もあまりなく、日が当たっているにもかかわらず、雪が途切れることはなかった。にもかかわらず登山者に頻繁にすれ違う。さすが人気の山だ。みな元気そうだがこちらはまだ山頂前だというのに足腰が筋肉痛でしかたない。とくに腰の外側が痛むのには閉口した。久しぶりの山歩き再開に雪の着いた川苔山は少々無理があったらしい。葉の落ちた木立が浅い谷の奥に並び、青空を透かし見させる。その写真を撮っているフリをして休憩したりする。
雪面の上に冬枯れの木々
雪面の上に冬枯れの木々
川苔山山頂、百尋の滝、曲ヶ谷北峰の各方面との十字路になっている場所に出た。ベンチはもとより雪面上で食事をしている人たちがいる。もう午時、きっと山頂は混雑しているのだろう。ふと足下を見ると、大きなトタン板が雪に埋もれている。かつてここに建っていた簡素な小屋は倒壊してしまって久しいらしい。獅子口小屋も閉まってしまった頃だったか、初めて川苔山を訪れた時にはすでに使われなくなって久しかったように見えた。もとは売店だったらしいが、冬の風の強いときなど一時の退避場所として重宝したものだった。
川苔山山頂、正面奥は雲取山(左)
川苔山山頂、正面奥は雲取山(左)
十字路からひと登りで山頂に着く。一面の雪の上に出ているベンチは先行者でみな塞がっていて、日原方面を眺める見晴らしのよい場所はグランドシートを雪の上に広げて食事している人がいた。なるほど腰を下ろす場所がない。
だがそんなことはどうでもよい。真正面の彼方に大きく山体を広げる雲取山、小気味よく三つのピークを並べる三ツドッケ、目の前に重々しく横たわる鳥谷戸尾根、その奥にヨコスズ尾根、木の枝に隠されがちですっきりとは見えないが、あいかわらず端正な蕎麦粒山と、まるで見飽きない光景が広がっている。荷も下ろさず眺め続け、あれはどの山と山座同定していれば、知らないうちに時が経つのだった。
そうこうするうちにベンチの一つが空き、腰を下ろして荷を広げ、コーヒーを淹れて飲んだ。
雲取山(正面奥)、芋ノ木ドッケ(右奥)、その手前に天祖山
雲取山(正面奥)、芋ノ木ドッケ(右奥)、
その手前に天祖山、ヨコスズ尾根、鳥谷戸尾根
雲取山の左に見えているのは飛龍山(と思う
二週間前に登った御岳山とは違い、山らしい山の川苔山にはさすがに観光客は来ず、山姿がほとんどだ。なかには、最近の風潮なのだろう、この季節でもトレランなのか”ウルトラライト”なるものなのか、背負っている荷が異様に少ない姿も見かける。驚いたことには短パンで腿を剥き出しにした若い女性がいた。寒くないのかいと声をかけられていたが、誰しもそう思ったことと思う。靴底が真っ平らな運動靴で登ってきたという笑顔のかわいい女性もいた。途中で出会った山慣れしたかたにアイゼンを貸してもらって登ってきたという。二人一緒に登ってきていて、親子にしては年が離れていたので祖父と孫かと思ったら、そういう出会いだったそうだ。


山頂を辞して十字路に戻ってみると、誰もいなかった。山は本日の賑やかさのピークを過ぎつつあるらしい。当初予定では舟井戸まで往路を戻り、山腹道を経て大ダワに出て本仁田山に登り氷川に出るというコースを考えていたが、体力的にも筋力的にも今の自分に本仁田山までは無理とわかってやめることにした。しかしここで素直に鳩ノ巣に戻るのも面白くないので、赤杭尾根を下ることにした。
十字路から曲ガ谷北峰方面へと登り返す。赤杭尾根に入る前に来し方を振り返ってみると、尾根の先に川苔山、右手彼方に三ツドッケと蕎麦粒山が、おのおの整った三角形の姿を並べて見送っていた。
赤杭尾根入口から三ツドッケ、大平山、蕎麦粒山
赤杭尾根入口から三ツドッケ、大平山、蕎麦粒山
赤杭尾根は日の当たる稜線道だから雪が消えているのではと期待していたが、見込みは外れ、あいかわらずの雪道だった。トレースがあるので迷うことはなく、ある程度は踏まれているので極端に踏み抜くことはないが、やや長いルートなので入る人数は多くないらしく足跡以外は雪が締まっていない。ときどきバランスを崩しかけながら、慌てず坦々と下っていく。
曲ヶ谷北峰から赤杭尾根を下り出す
曲ヶ谷北峰から赤杭尾根を下り出す
傾斜した雪道をしばしで、古びた林道に出た。道の中程まで得体の知れない細木が繁茂している。平坦であるし、雪があっても歩きやすいと喜んでいたら、たった15分ほどでまた山道のなかに引き戻された。
道幅は狭まったものの雪は減りつつあった。下っていっている気がしない楽な山道の途中、右手に大きく眺めが開け、くたびれさせられた川苔山鋸尾根から本仁田山、御前山に大岳山、御嶽山に日ノ出山までが眺められた。みな逆光だが、かえって温かい雰囲気で、奥多摩の山々への懐旧感がいやます光景だった。
赤杭尾根から大岳山、御前山
赤杭尾根から大岳山、御前山、中景の三角形は鳩ノ巣城山
赤杭尾根は長い。左手に梢越しに棒ノ折山や高水三山が見えてきて喜んでいたが、歩いても歩いても眺めが変わらずやや飽きてくる。あまりにいつまでも見えているので、近いうちに棒ノ折山に行きたくなってきさえする。御岳山、川苔山ときて、次も奥多摩だろう。棒ノ折山となるかはともかく、しばらくは青梅線に乗る機会が増えそうな気がする。
日の傾く赤杭尾根
日の傾く赤杭尾根
足下から雪がすっかり消えても、駅はまだ先だった。誰一人にも出会うことなく赤杭尾根を歩ききり、古里駅に着いたのは夕方4時半過ぎだった。まだ十分明るかったが、しばらくしてやって来た上り電車に乗り込んだのは自分と地元の男性の二人きりだった。
2017/01/22

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