御岳山山頂に建つ御岳神社拝殿
奥多摩の御岳山へは、ケーブルカーででも歩いてでも、何度か登ったことがあった。しかしそれは大岳山ないし日の出山への途次であって、御岳山自身を目指したことはなかった。御岳神社にしても、山歩きを始める前に学生時代の合宿で詣でたことはあったものの、山を歩き出してからは一度も出向いたことはなかった。
その後、川崎市を物語の始まりとする『オオカミの護符』というドキュメンタリーを見聞きし、ぜひとも御岳に登って大口真神(”おいぬさま”)のお札を頂戴してこなければ、と思うようになった。それでもなかなか足が向かずじまいだったが、この年(2017年)正月直後の三連休にやっと行く気になって、久しぶりの奥多摩に向かったのだった。どうせ登るならケーブルカーではなく、下から自分の脚で登りたい。こうして選んだ登路は古里から丹三郎を経て大塚山を越えるもので、少しは「お山に登っている」気になれることだろう。帰路は大楢峠に出て奥多摩駅を目指す。長いこと見上げていない峠のコナラの大木に再会するのも楽しみだ。


昼過ぎ、古里駅から車道に出ると、ダンプカーがひっきりなしに走っていた。多摩川に架かる橋を渡って振り返ると、青梅線車内からも見上げた本仁田山が中天に聳えている。いずれも久しぶりの奥多摩だった。まだ正月休みの丹三郎屋敷を過ぎれば右手に登って行く分かれ道があり、標識が大塚山・御岳山へを案内している。エンジン音の連鎖にこれ以上の懐旧の念は湧かないので早々に斜面を上がっていく。
農作物の害獣除け柵を開けて入る先は植林の山だった。足下にはところどころに霜柱が残る。すでに昼過ぎとはいえ山の北側ということもあってなかなか林床に日は差し込まないようだ。山道は広く、かつよく踏まれ、ほどよくジグザグを切って上がっていく。多摩川に急激に落ち込む斜面にとりついているというのにあまり疲れない。しかし高度は着実に稼ぐ。
「飯森杉」なる立派な杉の木を仰ぐとすぐに尾根の上に出た。山道に入ってから半時ほど経っていた。植林一辺倒だった周囲は葉の落ちた雑木林へと変わり、梢越しに遠望も効くようになる。本仁多山、川苔山、棒ノ折山に高水三山が多摩川の谷間越しに穏やかに高まっている。広く落ち葉に覆われた尾根上の道は明るいものの、空気は冷たい。出発が遅いので懸命に登っていたため暑くて暑くて長袖のTシャツとカッターシャツだけになっていたが、このままでは風邪を引きそうなので上着を着込んだ。
冬枯れの木立越しに本仁田山(左)、川苔山方面を望む
冬枯れの木立越しに本仁田山(左)、川苔山方面を望む
右斜め上方に大きなアンテナを載せる稜線がある。あの高みまでは行かなければならないのだろうと漠然と考えていたが、それが大塚山のピークだった。心地良い冬枯れの稜線を半時も行くと近い周囲に高い稜線が見当たらなくなり、電柱が4本も立つ十字路でケーブルカー乗り場への巻き道を示す標識を目にする。大塚山への標識に従って登って行くと屋根だけで壁のない大塚山園地休憩所が見え、続けて先ほど仰いだアンテナが視界に入る。草地の広がる大塚山山頂はすぐだった。
大塚山山頂
大塚山山頂
登ってくる間には単独行の人や複数名のパーティーにすれ違ったが、午後も2時になった現在、大塚山には誰もいなかった。ここに来るのは二度目だが、初回時はそこそこ人がいた。昼時だったからだろう。御岳山周辺は集落と神社境内なので火など焚けないため、湯沸かし道具を持参していたらここ大塚山で使うところだ。本日は軽量化を旨としたためバーナーから持ってきていないので、短く立ち止まっただけで通り過ぎた。
大塚山からは未舗装とはいえ幅広の径で、もはや散策路の趣になる。右手に谷間を隔てて御岳山山頂部が見える。すぐにでも到着するように思えるのだが、同じような高さの大塚山から100メートルぐらい下がって上がるので事はそう簡単ではない。御岳山上集落にはいって足下が舗装されてからも、実際には本日歩いたどの山道よりも急な坂を登らせられたりと、観光客に交じりながらも一筋縄ではいかない山なのだった。
気づくと、犬連れの参拝客が目立つ。実体はオオカミながら”おいぬさま”と呼ばれる眷属を祀っているからだろう。外国籍らしい家族連れも一組ならず遭遇した。もちろん山姿の人たちもいる。宿坊でもある御師の家が建ち並び、飲食もできるみやげ物屋が建ち並ぶ御岳神社周辺は、何度も来ているのにここが1、000メートル近い山の上だということを忘れさせる賑やかさだった。御岳神社そのものも朱塗りの拝殿に洒落た黒塗りの本殿、そのまわりを取り囲む個性的な社と、ついつい長居をしてしまう。今の今まで素通りし続けてきたが、良さがわかるまで長くかかった。
石段の先に仰ぐ拝殿
石段の先に仰ぐ拝殿
常磐竪磐社、旧本殿
常磐竪磐社、旧本殿。
   国の重要美術品、かつ都の有形文化財
大口真神社、狛犬の代わりにオオカミ
大口真神社、狛犬の代わりにオオカミ
まだ松の内なので縁起物売り場が拡張されていた。各種お守りや破魔矢や土鈴などが陳列されているが、なにより今回入手したかったのが大口真神のお札だった。奥多摩周辺の古い家の軒先に貼られているのを見るに付け、とにかく一枚ほしいと思っていたのである。農業はしていないが、火除け盗難除けに霊験も期待できる。なにより、いかにも古来よりの効能が期待できそうなデザインというべきだろう。このお札を見るたびに山里を思い出せて、心の平安にもよい。巫女さんが番をする軒先にお札はあった。和紙の袋に納められて出されたのを両手で受け取った。
武蔵國御嶽山大口真神のお札
武蔵國御嶽山大口真神のお札
いまだ参拝客が途切れない御岳神社を後にしたのは午後3時だった。あまり遅くなったらケーブルカーに乗って下ろうかと思っていたが、この時刻であれば予定通り大楢峠経由で奥多摩駅に向かっても暗くなる前に山道を出られそうだ。とはいえ土産物屋に寄って甘酒を飲むとかはする余裕がない。こちらは残念ながら次回再訪時のお楽しみとして、来る時は気づかなかったきつい斜度の坂を下っていく。ユースホステル前に口を開けている小路が大楢峠への出発点で、入った途端にぱったりと人気が消えた。それは見事に静かになった。集落裏手の舗装路が山道になると、平坦な山腹道が延びていた。
御岳山上集落から大楢峠へ続く径
御岳山上集落から大楢峠へ続く径
どうもこのルートは、山上集落の人たちが氷川(奥多摩)に出るための生活道路だったように思える。沢筋を越える場所や顕著な岩場の付近では石垣での山道の補修が念入りにされている。足下は急激に落ち込む斜面なので、すれ違うに難儀するような幅のところもあるが、概して歩きやすく、無理な登降もない。ただし同じような道のりが続くので、大楢峠までは一時間ほどなのだが、かなり飽きもする。遠くの本仁田山やすぐそこの大塚山を背にしては正面にするを何度も繰り返す。そのうち遠くを見るのも面倒になり、足下ばかりを見て歩く。いつしか思いは日常へと戻り、日々の由無し事をつらつら思い返すうち、行き先が明るくなり、峠に近づいてきたことが知れてくる。
だがこれまた久しぶりに来てみた大楢峠では、この日一番の驚愕が待っていた。あの堂々として自在に枝を伸ばしてたコナラの木が、そのほとんどを裂かれ、横倒しになっていた。大人物が物故するのを「巨星墜つ」とか言うが、これは「巨木墜つ」というところである。なんということだろう。幹の裂け方からして、おそらく落雷のためではと思えるが、だとしたら凄まじい落ち方をしたものだと思う。もし間近にいたら無事では済まなかっただろう。
大楢峠、コナラの巨木が無残なことに
大楢峠、コナラの巨木が無残なことに
倒れたコナラの幹に手を合わせて、なだらかな尾根筋を追う。しばらくすると左手の谷筋へと植林の中を踏み跡が降りていく。ここもまた急斜面を見下ろす山腹道で、足を踏み外すと何十メートル転げ落ちるかわからない。御岳山といえどもなめてかかってはいけないものだなと改めて思った。奥多摩に3,000メートル峰はないし、剣岳も聳えてないが、甘く見てはいけないことには変わりない。
夕暮れを迎えつつある山里
夕暮れを迎えつつある山里
ひょこり飛び出した舗装道は奥多摩霊園の直下だった。日が山の端に隠れてしまった時刻で、まだ明るいうちに足下がしっかりしたところに出られて一安心である。夕暮れの山里でよく経験するように、ところどころにある家々は多くが明かりが点いているように見えなくて人がいるのかいないのかわからない(しかし軒先には車が置かれている)。ときおり雨戸を閉める音が響く谷間を下っていくと、車の往来が目立つようになり、多摩川沿いの車道に出た。奥多摩駅に着いたときには、日が沈んでだいぶ経っていた。


思い返せば、御岳神社はそのまま御岳山最高点なのだが、御岳山山頂の標識は見なかった。ネットで調べてみると、昔はなかったようだが今はあるそうである。次はもう少し時間にゆとりをもって出かけ、山頂標識を確かめ、数ある社をゆっくり見ようと思う。そして門前の土産物屋で甘酒を飲むとしよう。
2017/01/07

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