奥多摩橋から本仁田山 
久しぶりに奥多摩に足を向けた冬、青梅線の車窓から見上げる本仁田山は虚空に頭をもたげて気品のある姿に見えた。空気の澄んでいるうちに再びあの山に登りたい。そろそろ春霞がかかりだすかというお彼岸の前日に、誰も登らず静かそうな平石尾根から登ってみることにした。


奥多摩駅から東日原行きのバスに乗り、狭まった谷間のなかを行く。やや空が広くなると日原川を渡る平石橋手前の大沢バス停で、ハイカー姿で下車したのは自分一人だった。混雑している車内は少なくとも川乗橋の停留所までは満員のままだろう。
走り去るバスを追いかけるように橋を渡り、右手の生活道に入る。簡易舗装され、川側には手すりも設置され、見上げればところどころに街灯まである細い道は、消防用のホースを格納した赤い箱のところで登りが一段落する。左手に上がっていく踏み跡が平石尾根に取り付くもので、ここには標識はない。分岐の先に標識があり、正面に廃屋らしき家一軒を見やってから、左へ、上へと続く踏み跡に入っていく。
山腹の生活道
山腹の生活道
こまかくジグザグを切りながら、ところどころ薄くなる踏み跡を追う。しばらく登ってから、ふと頭上を見上げると、山腹にある妙に人工的な岩が目に付く。気づけば引き寄せられるように登っており、送電線巡視路の黄色い標識が立ち、左は12号、右へは13号とあるところで左を選んだ先に、その妙なものがあった。打ち捨てられたコンクリ製の施設で、驚いたことにすぐ傍にトンネルの入り口があった。
闇のなかを覗いてみると彼方に出口の明かりが見えるが、尾根を貫通しているらしくだいぶ遠い。少しばかり中に入ってみたが、入り口こそ補強されているものの中間部は素掘りのままで、ヘルメットもない状態では危険と思い引き返した。かつて尾根の向こう側からなにかを運搬するために掘り抜いたように思える。トンネルは二つあり、おそらく上り下りだったのだろう。奥多摩むかし道近辺で見られる小河内ダム建設時の遺構といい、奥多摩には予想以上に産業遺跡が点在しているようだ。
忽然と産業遺跡が
忽然と産業遺跡が
このあたりからじつは力任せに登っている。トンネルの脇から仕事道を拾いながら尾根筋に乗った。谷間を隔てて見上げる石尾根の狩倉岳が鋭く高く、威圧的なまでに大きい。足下の尾根筋は葉の落ちた雑木林が続いて明るく悪くないのだが、ときおり日原側から冷たい強風が吹き越してきて木々をざわめかせ、とくに傾斜が急なところで単独行者を不安にさせる。この心細さが後の達成感につながるのだと自ら励ます。


送電線鉄塔が立つところに出ると、標識があり、右手からコースが上がってきている。いま上がってきた尾根筋は通常は歩かれないものらしい。尾根の左手、北方を見渡すと、少し離れているもののヨコスズ尾根が正面に大きい。振り返って南方を見ると、大岳山を中心とした山並みが宙に浮かんでいる。こちら側から見上げることはあまりないので新鮮な並びに見える。
ヨコスズ尾根(と思うもの)を遠望
ヨコスズ尾根(と思うもの)を遠望
ふたたび歩きやすくなった山道を尾根筋に追うも、すぐにコースは右手へと折れて山腹沿いに下っていく。そちらへを案内する標識には阿寺沢へとあり、本仁田山の山頂を目指しているのではなさそうだ。大沢から続くこのコースは、日原方面から歩いてきたハイカーたちを車道歩きから誘導して山道を歩かそうとだいぶ昔に設定されたものなのではと思う。
山腹を巡るルートから離れて登って行く
山腹を巡るルートから離れて登って行く
阿寺沢への道のりがどうなっているのか興味はあったが、その探訪は後日に回すとして、ふたたび歩きにくい急傾斜の尾根筋を直登していく。この先はまさに踏み跡を拾っていくわけだが、登るだけなので迷うことはない。植林帯を一登りで平坦な地形に出た。その先、細い尾根を登ってさらに広い平坦な場所に出れば、あれが平石山だなというのが立ち上がっている。背後の本仁田山を押しのける勢いだ。周囲は雑木林、雰囲気はとてもよい。奥多摩は植林だらけだが、よい場所もそこここに隠し持っていて侮れない。
平石山、右奥に本仁田山
平石山、右奥に本仁田山
右手の氷川側には杉の木が植えられて眺望はないが、稜線上と日原側にあるのは葉の落ちた木々で梢越しの見晴らしは悪くない。川苔山蕎麦粒山、すぐ隣の鳥屋戸尾根を遠望しながら何度目かの急傾斜を登って行くと、植林に囲まれた平石山頂に着く。前回来た時と同様に、山頂標識はなく、ただ小振りのケルンが積まれているだけだった。改めて日原側の山々を樹間に窺うと、三ツトッケが顔を出している。蕎麦粒山までであればなんとか日帰り圏内だが、その奥の山となるとだいぶ遠さを感じる。誰もいない尾根上ではとくにそう思う。ひっそりとした山上で湯を湧かし、コーヒーを淹れた。


平石山は本仁田山より150m低いので、もう少し登らなければならない。コブを一つ二つ越えているあいだに落としていた視線を上げると、大きな山が見える。川苔山だ。歩いて行く先のすぐそこの斜面では、生えている木々に白いものが混じっている。白樺だ。奥多摩に白樺?正直言って違和感のある取り合わせだ。どこから種子が飛んできたのだろう。おそらくここまで追い上げられてきた木々は、本数こそ少ないものの存在感はぬきんでいた。
川苔山からのコースを合わせると、本仁田山山頂はすぐだった。時刻が遅いので人影は少なかったが、それでも本日山を登りだして初めての人の顔だった。時刻は昼下がりと言うにも遅かったせいか団体はおらず、みな単独者で、静かな山頂だった。東に高水三山を見下ろし、南に御前山や三頭山の白っぽいシルエットを眺めて、ひさしぶりの本仁田山の時を過ごした。
本仁田山頂から御前山
本仁田山頂から御前山
下りは、急降下の安寺沢コースを採りたくなかったので、コブタカ山から大根ノ山ノ神経由で鳩ノ巣に下りることにした。川苔山へのコースとの分岐に戻り、下りだすとぬかるみの連続だった。まだ山の上では霜柱が立つ季節、北面はなかなか乾燥しない。登ってきた平石尾根はその点南面なので苦労はなかった。コブタカ山までは、ところどころ滑りかけながら下っていった。


大根ノ山ノ神を過ぎると、熊野神社経由で鳩ノ巣駅というコースが別れていた。ガイドマップにも記載のない短いコースだが、下りて出た先の神社は予想外に大きなもので、広い敷地に建つ本殿の下には舞殿のような建物があり、その間に三段か四段の石組みがあった。じつはだいぶ栄えた神社だったのかもしれない。
熊野神社境内の石垣
熊野神社境内の石垣
鳩ノ巣駅に着いたら、ちょうど奥多摩行きが来た。下りと知りつつこれに飛び乗り、二駅先の終点で降りて、日帰り入浴できる温泉を目指した。風呂上がりに駅前に戻ってみると、18時過ぎだったせいで、土産物屋を初め、通りのすべての店が閉まっていた。
2017/03/19

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