若合春侑の仕事・身邊雜記

2006年下半期

仙台文学館
『読書サロン
「仙台の作家たち」企画展』

●会期:2006年11月18日(土)〜12月27日(水)
 会場:仙台文学館企画展示室
    仙台市青葉区北根2−7−1
 後援:仙台文学館
 企画協力:雑誌『仙台学』編集部、ジュンク堂書店など

●観覧料:無料

●展示構成
  企画展示室「読書スペース」パネル展
 ○仙台で活躍する旬の作家たち
  伊坂幸太郎、熊谷達也、佐伯一麦、瀬名秀明、三浦明博
 ○宮城・仙台ゆかりの作家たち
  伊集院静、井上ひさし、恩田陸、小池真理子、佐藤賢一、若合春侑

 読書スペースで著作を手に取り自由に読んでもらう、仙台在住の作家については紹介パネルと作家の愛用品、原稿を展示し、サイン会も開催する、という内容だそうです。若合に関しては、写真とプロフィール、作品を紹介する、とのことですので、昔の写真を提供しました。

1、仙台白百合学園高校時代
2、東北学院大学時代
3、仙台市青葉区片平一丁目在住時代
4、仙台とは関係がないのですが『文學界新人賞』受賞の夜


12/30(土)夕方、巣鴨の温泉『SAKURA』へ。館内で食事→江戸川橋のスーパーで買い出し→少し前から不調だったが完全に風邪をひく。
12/29(金)元家族上京

12/22(金)21:00渋谷のジャズクラブで詩人@島田雅彦氏とジャズのコラボ&ディナーへ倅と行く。音楽と朗読は素晴らしかったけれど、コース料理はまずかった。終了後、詩人に挨拶。詩人の御友人@平野啓一郎氏と初めてお会いする→倅と「風花」へ行き、結局、朝帰り。
 この夜、コテコテ左翼のおじさんから「神主になりたいのだが」と相談を持ち掛けられる。以前は私が國學院で神道を学んでいるというだけで無闇矢鱈な大批判をするので、会えば必ず口喧嘩をしていた東大卒のおじさん、「敵を知るため」と神社巡りをしているうちに、すっかり神社に嵌ってしまい、伊勢の皇學館大学に学士入学をしたいのだとか。私がおじさんの人生を変えてしまった?うーん、なんと純粋なひとであることか。信仰心を持つのが困難な私に較べれば数百倍も。左翼にしても、右翼にしても、国を愛し、国を思うが故の翼なのでしょうね。両翼のバランスをとって、ぶ〜んと飛んで行くのでしょうか、おじさんは、伊勢まで。

12/16(土)倅@薫、今年3度目の帰国。バークリー音楽大学の授業が始まる1月上旬まで日本でアルバイトをするそうな→時差惚けなのか、昼夜逆転でバイトどころじゃない模様→ガールフレンドに会いに札幌に行ってしまった。青春謳歌ですかね。

12/15(金)18:00帝国ホテル『野間賞パーティー』へ。御無沙汰をしている編集者とお会いする。みなさん紳士で優しい眼をしていたので安堵するものの、ひと月でも早く小説を発表しなければと発奮する→同伴してくれたM@満月と「風花」へ。緊張したせいか、滅茶苦茶、酔った。講談社のN氏と話しているうちに泣く始末。ったく、どうしようもねぇな、若合春侑。満月、ウチに泊まる。

『マイアミ〜キーウェストの旅』
(「冩眞帳」)

12/13(水)16:00成田着
12/12(火)07:57マイアミ発→デトロイト経由
12/11(月)キーウェスト→マイアミ
12/04(月)マイアミ→キーウェスト
12/01(金)15:45成田発→デトロイト経由マイアミ


11/21(火)16:00早稲田大学小野梓記念館へ。『島田雅彦講演会「文学のために、文学のためでなく」』。終了後、控え室を訪ねて仙台土産の笹かまを島田せんせに渡す。『仙台文学館』の佐伯一麦さんのコーナーに29歳当時の島田せんせの写真があったことを教えてあげた。16年も経つと顔が変わるのね、お互いさまだけど。
 この日の数日前、偶然に会って思ったこと=島田せんせって遠い親戚のオヤジみたい。祝い、弔い、酒宴の席でたまに会うと憎たらしいことやデリカシーのないことを言ってひとをからかう、そういうオヤジ。社会的には立派な地位に在るひとなのにさ。こっちも負けてませんが。ま、酒の席だしね。それに、開口一番「薫、よかったなぁ!」と倅がバークリーに合格したことを喜んでくださったので、許す、なんて偉そうに書いてみる。「口は災いの元」の典型なのに、ちゃんと大勢から愛されているんだから、不思議なひとではある。因みに若合コーナーに掲示した文學界新人賞受賞の夜の写真は島田せんせの承諾済み。

11/19(日)午前10:37前に仙台着。『仙台文学館』に老母とともにお邪魔しました→紅葉がきれいな仙台の街をドライブ→青葉城址へ。90年6月まで住んでいたマンションを眺める→『仙台ホテル』内の和食レストランで昼食→母の実家の菩提寺→実家→帰京(なお、館内は撮影禁止です。知らずに職員の前で撮ってしまいました)

今年は海外で新年を迎え、
2月フィジー、7月バハマ&ボストン、8月サイパン、9月バハマと
4回も旅行をしているというのに年内にまた行きたくて堪らず・・・。
この症状は、完全に病気あるいは中毒です。
行けるうちに行っておきたいと開き直りたいのですが、
後ろめたさや先々への不安は解消出来ず・・・。
いや、行ってしまおうかな、マイアミ&キーウェストに、ひとりで。
もう一回行くとノースウェストのゴールド会員になれるし。
旅行の予定があれば、執筆の原動力になるはずなんです、たぶん。

11/07(火)『群像12月号』【侃々諤々】(「かんかんがくがく」と読みます)今月は『平成文学大全集(構成案)』で、他人事なので「第1巻」から順に「へぇ、ふーん、ほぉ、うわぁ、嫌味だなぁ〜、あはは、んまぁ、ひっどぉーい」なんて調子で読み進めていたら「第14巻」で目が点に。「第14巻 (某女性芥川賞作家の)○○◇◇、(某男性芥川賞作家の)◇◇○○、若合春侑」と出ており、その理由として「そろそろ、ちょっとこの人、誰?といわれそうな人々の巻である。芥川賞や野間文芸新人賞は受賞しているのですがね。「月報」には、高橋○○や◇野◇が「ぼくたちの場合」という後進への教訓の文章を書いている。」とあったのでした。
 いやはや、吃驚〜!毎月、覆面筆者が文壇やら文学業界を揶揄しているこのページ、どなたが若合を選んでくださったのか存じ上げませんが、あのぉ、若合に関しては「そろそろ」どころか「とっくに」忘れられていると思うんですけど。しかも、若合なんかと同列にされた芥川賞受賞のおふたりに申し訳ないのではないかと恐縮しちゃうんですけど。
 いずれにしても、筆者が若合の存在を覚えていてくださったという、それだけでも有り難いことで、講談社の方に向かって遥拝したくなりましたが、実際には「うふぁ、すげー」と単純に喜んでしまいました。(伏せ字の部分は『群像12月号』P.424で御確認ください。)


10/23(月)12:00新橋演舞場『獅童流「森の石松」』観劇。朝日のOさんから招待券を2枚戴いたので、1枚は18日に「風花」で隣り合わせた朝日のKさんに差し上げた→休憩中、宮本亜門氏の実家だという喫茶店でKさんとお話しする→観劇終了後、Kさんは会社へ、私は有楽町マリオンで映画『出口のない海』を観る→上映終了後、Kさんと合流して月島→魚の美味しい小料理屋→「風花」へ。
 お芝居と映画に関しては、書いていいのかどうか迷うのだけど、やり直しの出来ないお芝居の緊張感は素晴らしく、最後はちゃんと盛り上がったし、思わず泣けてしまう場面もあり、獅童さんの体当たりの演技(お尻がきれいでした)や高岡早紀さんの美しさには瞠目するものがあったのでしたが、それに較べて『出口のない海』の市川海老蔵・・・。彼は大根なんじゃないかと思います。というか、勘違いして悦に入っている男にしか見えませんでした。10数キロ減量して撮影に臨んだらしいのですが、常々ふんだんに酒を飲み、牛や豚の肉をたらふく食べた挙げ句、即席で減量したとはいえ、戦争末期のあの時代、筋トレをして拵えたごっつい身体はミスマッチなのではないかと。台詞や表情が自己陶酔くさいし、回天特攻隊員にしては軽率っぽいし、なんて書けば酷いボロクソ批判になるけれど、キャスティングを間違えたとしか言いようがないです。海老蔵、見損なったよ、伊勢谷友介や他の共演者に負けてんじゃん。「命懸け」の意味をどっか履き違えているように見えたし、時代の空気や匂いへの解釈も底が浅い。海老蔵は歌舞伎ひとすじで行くべき。とはいえ、父親役の三浦友和さんも時代に合わない肉を付けてました。毎日、雑炊だのすいとんだの、ひもじい食生活、という設定なのに、ビールや酒で出来たような肉が、たっぷたぷ〜。
 あの時代を再現出来るような(時代の生き写しになり得るような)役者が少なくなり、戦争映画の水準を高めるには難しい時代になったのでしょうね。さりながら、伊勢谷友介は凄い!叶うのであれば、『カタカナ三十九字の遺書』の「喬太郎」を演じて欲しい。

10/21(土)22(日)伊豆大島でダイビング。その様子は『冩眞帳』で。同行のみなさんに励まされて、なんとか4本、潜って来ました。

10/18(水)21:00新宿「シュタイン・ハウス」へ。朝日新聞のO記者と3年ぶりに再会→ドイツビールの宴→「風花」へ。Oさんは翌朝早い仕事なので先に帰ってしまわれた。本格的ドイツビールというものを初めて飲みました。いやはや美味しかった!3年ぶりなので話が尽きず、お喋りも愉しかったなぁ!

10/10(月)16:30講談社Nさんとお茶する→救済されました。
 御自身がとてつもない御多忙でいらっしゃるにも拘らず、あまりにも駄目ダメな私に「今からお茶しよう」と誘ってくださり、襤褸雑巾の如き状態でいた私は慌ててシャワーを浴びて出掛けたのでした。大人の優しさや御配慮を頂戴すると泣けて来ます。

10/06(金)18:00『赤坂日枝神社・仲秋管弦祭』暴風雨の中、永田町駅から神社まで歩くのは映画の1シーンの中にいるようでした。


09/18(月)16:30(水中カメラマン)中村征夫写真展 海中2万7000時間の旅』(東京都写真美術館)へ。
 最終日のこの日、中村さんも会場にいらしていて、思い掛けないことにサイン会が始まった。中村さんに本名と筆名でのサインをお願いする。
 中村さんの作品の中には、紅海で見た巨大なサラダ(キャベツ)コーラル やキンギョハナダイの群れ(
『冩眞帳』「Egypt」)、サイパンで遭遇したマダラトビエイの群れ(『冩眞帳』「Saipan」)、フィジーでよく見掛けるウミウシなどの他に、私の大好きなエビクラゲ(『冩眞帳』「Fiji2005」)がチケットにも印刷されていて、私にとっては親しみのある被写体が多かった。写真集(講談社刊)には中村さんのお人柄がわかる文章やDVDも付いていて、何度見ても飽きないし、素晴らしい写真ばかり。もしも『紅海に沈むコンテナ』が出版まで至ったら、ぜひとも中村さんの作品を装釘に使わせて戴きたい!と切望。

*『冩眞帳』に記載していませんが、今年6月末に「ダイビング100本」を記念してデジカメ&水中ハウジングを買いました。ピンクのオリンパスμ720で、防水防塵。中村さんに弟子入りしたいところだけど、それはきっと無理。「海中の記念写真屋さん」になりたいなぁ。ダイバーを撮って、ダイビングの後、パソコン画面から選んで貰い、プリントしたりCD-ROMに収めたり(=バハマのダイビングショップで実際やっており、アメリカの観光地ではよくある商売)。でも、写真は器材が高いし、難しいから、これも無理。商売替えなんか考えないで小説に集中しなくちゃね。


08/31(木)〜9/11(月)バハマ(『冩眞帳』を御覧ください。)

08/13(日)〜16(水)サイパン


07/31(月)女性読者からメールを頂戴しました。なんと驚くことに、『腦病院〜』をプレゼントしてくれたお友達が、お子様に「春侑」と名付けた、とのこと。冗談で付けた筆名で、しかも、最近では捨てちゃおうかな、別の名前で心機一転を図ろうかな、と思っていたのに・・・!嬉しいです、感激しました。
「春侑」という名前の女の子が実在するんですよ!偽名=筆名なんかじゃなくて、日本国に正式登録された本名の「春侑ちゃん」がいるんですよ!すごいでしょう!
我ながら良い名前だと思います(自画自賛!)。実在の「春侑ちゃん」に幸多かれ!と祈ります。ニセモノの名前の若合春侑もがんばります。
と、これだけをここに書きたかった本日です。

07/30(日)書いてます。

07/18(火)成田13:25着。留守中に届いた迷惑メール500通。いい加減、気分が良くないので、アドレスを変えるかも知れません。
07/17(月)ボストン06:00発→アトランタ→成田
07/16(日)ボストン美術館へ。ここは館内撮影OKで何ともおおらか。古楽器の部屋もあって、なかなか贅沢な美術館でした。館内レストランで昼食。

07/15(土)ホテルの部屋で『タイタニック』を観て、感動する。ディカプリオの話し方がチャン君に似ているので尚更感動する→午後2時、倅のアパートへ。ダウンタウンから路面電車で20分くらいのところにある、なかなかいい感じの住宅街。便利そうでもある。アパート傍のイタリア人経営のピザ屋でピザを食べたら、竈焼きだけあって、やたら美味しかった。倅が注文した「ブラック・オリーブ」は何故か「ブロッコリー」に聞き間違えられたけど。ジャズクラブへ行こう、ということになってバークリー音楽院へ行くものの、結果的には中止して、プルデンシャルビルの中を散歩して、ここにある『リーガルシーフード』で夕食。倅はルームメイトのギタリスト他と音あわせをするとかでヴァイオリンを取りにアパートへ。

07/14(金)水族館へ。ボストンで有名な『リーガルシーフード』でクラムチャウダーやイタリアンサラダの他に「sashimi」を食べる。「sashimi」はマグロのタタキに胡麻油と白胡麻とマヨネーズが掛けられ、ツマのつもりなのか、ガリと海草がつけ合わせ。ウェイターに「日本の刺身とは全然違うよ」と言ったら「え?違うの?」と戸惑った顔。温くて、味が濃くて、まずかった。チンピラ・カフェ・バーの創作料理のようなまがい物。クラムチャウダーは美味でした。市内観光バスに乗っていたら倅から電話が入り、 バークリー音楽院の前で待ち合わせ。少し前の表参道の同潤会アパートを彷佛とさせる建物ばかりが並ぶ通りへ。
この夜、再び、出た!前々日より小振りのねずみ。どうやら扉の壊れたクローゼットの金庫下とベッド下の間がねずみの通路になっているらしい。今度もフロントに電話を掛け、部屋を変えてもらう。広くて眺めがいい部屋になったけど、吃驚したのと気持ち悪さと安心したのとで号泣。どうかしてる!ホテルの客室にねずみが出るなんて考えられない!と私は思うのだけど、ボストニアンにとってねずみは平気らしい。キングサイズのベッドになったけれど、三日間シーツ交換をしないし、バスタブの排水はどうかしちゃってるし、酷いホテルでした。 Kenmore駅近くの『Hotel Buckminster』、表向きの風格は立派だけど。

07/13(木)ハーバード大学を観光。中国人がやたらと多い。大学生協?書店で谷崎を2冊買う。この日は歩き疲れたのか早めに熟睡してしまい、ねずみと遭遇せず。


07/12(水)ナッソー08:30発→アトランタ→ボストン15:34着。空港に倅が迎えに来ていた。バークリー音楽院近くの中華料理店で夕食の後、倅は授業へ(Hバックミンスター泊)→夜中、部屋の中をねずみが走った!!真っ黒く大きなドブねずみ!!びっくりしてフロントに電話。部屋を変えてもらう。但し、満室のため一泊だけで、翌日は元の部屋へ戻って欲しいと言われる。築100年もざらではないボストンの古い建物は、赤煉瓦造りで見た目には美しいけれど、実際は汚い。道端もゴミだらけ。


07/11(月)ナッソーの街を散歩する。なんだか懐かしく感じられた。生まれ育った宮城県塩竈市の港には、昭和30年代の終わりくらいまで終戦直後の占領の名残りがあって、廃屋になった白い洋館があった。隣り町には外国人専用のビーチがあり、父親が何のつもりか外国人だらけの砂浜に私を連れて行ったこともあった。道端の草木、貨物船の積み荷、港の匂いのせいなのか、とても懐かしく、初めて訪れたような気がせず、移住したくなった。
07/10(月)午後の2本、これも偶然なのか配慮を戴いたのか、チャン君が担当。あんなに優しくて面白いインストラクターはいない。チャン君にも「あなたは、良いダイバーだよ」と2度も褒められたけど、外国人は褒め言葉を容易く口にするから半分に聞いておく。だけど私は実際、良いダイバーです、なんてね。せつないお別れの時、見詰めあってからハグしてくれたチャン君にすっかり恋してしまいました。ぽぉ〜っとなるような感動のエピソードは小説に使うので、ここには書きません。(いい年こいて、などという自虐も書かないでおきます)。バハマ・ナッソーでのダイビング計14本、合計107本。

07/09(日)午前の1本目で『100本達成!』。このダイビングショップでは、プロのフォトグラファーが同行してダイビング中に撮影をし、後でCDなどで販売してくれる。いつも同行するとは限らないのに、偶然なのか配慮を頂戴したのか『100本記念写真』を撮影してくださった。この日の午後、素晴らしいインストラクターに出会う。中国系オーストラリア人の陳章賢(チャン)君。まいりました!あんな愉しいダイビングはカリスマ@じゅんや以来です。海の中で爆笑するとマスクに水が入るのだけど、何度も大笑いして、その度にマスククリアをしたのでした。
07/08(土)午前午後あわせて4本。前日に知り合ったアメリカ人男性はNAUIのインストラクター資格を持っていたのでした。なるほど、だから落ち着いていて安心出来るバディ・ダイビングが出来たのでした。「あなたはダイビングが上手だね、エントリーがスムーズだし、エアの消費も少ないし」と褒めてもらって喜びつつ、内心では「あったりまえじゃん、OWもアドヴァンスも良い先生に教えてもらったんだもの。それに私は運動能力は低いけど運動神経は確かなんだもん」なんてね。
7/07(金)午前中2本潜ったら、流石に出発前の徹夜がたたり体調悪く、午後2本はキャンセル。『スチュワート・コーブス』というダイビングショップはスタッフが40人以上もいる大きなところで、システムといい、対応といい非の打ち所なし。同じホテルに泊まっていたアメリカ人男性が奇しくも日本語を学んだことがあるといい、仲良くなって、2本目のバディ・ダイビング(ガイドやインストラクターなしでダイバーだけで潜る)も一緒に。
07/06(木)成田15:30発→アトランタ→ナッソー(バハマ)19:53着(ブリティッシュ・コロニアル・ヒルトンH泊)

07/04(火)午後、リーガロイヤルHで『群像』M女史にお会いする。活字中毒と仰るMさんは育児に入られても間違いなく本を読み続けることでしょう。子育て中の女性が本を読まない、などというのは偏見です。社会から隔絶されたかのような育児中だからこそ育児以前に自分を支えていた精神世界を求め、それによって神経のバランスをとるのです。社会人として仕事をし続けて来た人なら尚更のこと。かくいう私の読書量が人生で最も多いのは育児中。特に赤ちゃんがハイハイをする前の頃で、狭い世界に赤ん坊とふたりきりで放り込まれたようになり、何かに追われ、また、何かを追い求めるように、読書することで精神の安寧を得ていたのでした。インターネットのない時代、田舎の書店に取り寄せをお願いしてまで読み、この頃の読書の積み重ねが後に役立っています。「育児中の女性でも本を読むということを証明してください」と申し上げたら「大丈夫かしら」なんて仰っていたけど、Mさんのことだから読まずにはいられないでしょう。赤ちゃんはおっぱい飲んでうんちして時々泣く以外は寝ているばかりだから、案外、自分の時間が出来ます。その時間が下手すると焦躁と躁鬱の恐怖を呼び込んで育児ノイローゼをひき起こすので、自意識のバランスをとるためにも、読書によって家の中に別世界を持って来たほうがいいのです。育児中の女性を侮るなかれ。Mさんのようなインテリ女性が育児によって急に無知になる訳がないし、或いは元々感受性が強い女性が鈍感になる訳もないのだから。これは、私の個人的体験に基づく持論に過ぎませんけど。


【2006年の仕事・上半期】


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