若合春侑の仕事・身邊雜記

2006年上半期


うちの玄関です(狭い)


昼夜逆転で執筆の日々。

05/22(月)薫、昼の便でボストンへ
05/06(土)〜08(月)倅が持って来たDVD映画をパソコンで観る。『ミュンヘン』『私の頭の中の消しゴム』『ターミナル』『電車男』『星になった少年』『NANA』。『ミュンヘン』のエリック・バナには感服。
05/05(金)夜、元家族、宮城へ
05/04(木)夜、南青山Jazzクラブ『BLUE NOTE TOKYO』へ。(BRANFORD MARISALIS)。気品があってお洒落で広い会場、料理も酒もスタッフの応対も素晴らしい。ブランフォード・マリサリスのサックスも、エリック・レヴィスのベースも、セッションの掛け合いも、なにもかも綺麗で自然に涙が込み上げた。美しい音楽、美しい空間、美しい料理、美しいものに触れると泣けて来る。演奏終了後、倅がマリサリスに声を掛け、バークリーの後輩になること、ヴァイオリンをやっていることなどを話し、あなたのパフォーマンスは素晴らしい、もっと聴きたい、とか言ったらしい。お茶目で若々しいマリサリスも優しい顔で応えてくれた。マリサリスの雰囲気は品があって、さすが、育ちのよさが分かる→早稲田で朝までカラオケ。
05/03(水)午後、巣鴨『三浦屋』さんでスッポン料理→夜、新宿Jazzクラブ『新宿PIT-IN』へ。(山下洋輔&大友良英&中村達也)狭い会場にぎっしりと詰め込まれ、立ち見だったので非常に疲れた→倅は大学(休学中)の友達とカラオケへ。
05/02(火)17:30成田着で倅の薫、就学ビザの取り直しのため、約半年振りに一時帰国。今度は5年分のビザを申請。夜、元家族も上京。

倅のブログ(本人に内緒でリンク)
http://kaoru721.exblog.jp/
ボストンがあまりにもきれいなので。


04/19(水)午後、高田馬場→一旦帰宅→郵便局で倅にEMS(国際スピード郵便)で小包を送る。フィジー、ミャンマー、ボストンと、EMSの発送は手慣れたものです。
04/18(火)午後、高田馬場→九段→新宿。すべて倅のための用事。新宿で新しいプリンター購入。コピーもスキャナも出来る複合機で、安い割には賢い事このうえなし。キャノンはインクが高いのでエプソン。

04/15(土)14:00巣鴨で「まりりん満月」と再会→とげぬき地蔵参詣の後、すっぽん料理→「風花」→満月、泊まる。

04/08(土)夜、「風花」朗読会へ(古井由吉×堀江敏幸)

小説を書きたくて仕方なくなって来ました。
原点の、所謂、純文学の。

04/06(木)19:20『中央公論新社創業120周年記念パーティー』へ。大物政治家を始め、黒っぽいスーツのおじさまばかりが犇めく会場に圧倒されつつ、『婦人公論』の薦田女史や営業に移った菊池女史と再会。おいしく愉しい御機嫌の良いひとときを過ごしました。薦田さん、左足お大事に!!来週、例のもの、お送りします。薦田女史も菊池女史も、ほんと、気持ちの良いお人柄です。行ってよかった!
 大手町駅の丸の内線ホームで、私と同じようにパーティーのお土産の袋を提げていた事から、アメリカ人の大阪大学助教授(中年男性)が声を掛けて来たので、電車の中で話す。奥様は大阪の方で、お子さま達は大阪弁、標準語、英語を話すとのこと。「トリリンガルですね」と言ったら「その通り!」と笑ってらした。出身がニュージャージーというので「あぁ、ニューヨークに近いところですね」と言えば「いいえ、逆です、ニューヨークのほうがニュージャージーに近いのです、プライドの問題!」と返すアメリカ人の(大阪人の?)冗句に大笑いする。助教授は霞ヶ関駅で降りて行った。最近、会話が愉しいインテリかつお茶目な中年男性と出逢う。素敵だけど妻子持ち。不倫だけは死んでも嫌な私は、やっぱりオジサンは絶対にパス!尤もオジサンのほうだって私と不倫したいなんて望んでいないだろうけど(笑)
 新宿五丁目『風花』へ。パーティー会場で御挨拶をした元『海燕』名物編集長寺田博さんが銀座経由で遅くにいらした。「(パーティーの)お土産にお菓子が入っていない、こういう時はお菓子だよ、お菓子」と仰るので、寺田さんの年代だと、お土産といえばお菓子なのだなぁ、と苦笑したのでした。私にとっては、単行本になったら是非とも購入したいと思っていた長谷川櫂さんの『四季のうた』(読売新聞朝刊の第二面に掲載されている)が入っていたし、ワーグナーのCDや図書カード(巨人軍の)もあって、ほんのちょっとお邪魔しただけなのにたくさん頂戴して、ものすごく得した気分で嬉しかったのだけど、お菓子かぁ・・・(笑)

『海馬の助走』の続編、
『(仮)奔馬が逝った日』を書く毎日です。
ようやく筆がのって来ました。
5月下旬の脱稿を目指しています。

04/05(水)『潮5月号』【ずいひつ波音】エッセイ『外国語、雑感』掲載




3月下旬、『ことばのうみ 21号』宮城県図書館企画協力班発行)
という「図書館だより」に巻頭エッセイ『借り手に願う』掲載。
http://www.pref.miyagi.jp/library/kanpo.htm

また、宮城県高等学校国語教育研究会から、
『みやぎの文学』という高校生向けの学習副教材の全面改訂にあたり、
若合を「新しい感性〜多彩な活躍」の章で紹介するとのこと。
こちらは、新学期以降、宮城県内の高校で配布されるでしょう。


02/28(火)19:00本郷。角川学芸出版@K女史と打ち合わせと称するお夕飯。かなりおいしい「ふぐ」のフルコースを御馳走になった。

02/20(月)10:30ナンディ→17:00成田
02/19(日)午前中、沈船ダイブ→16:00Beachcomber島→ナンディ。日曜午後のフィジーはスーパーマーケットも休み。ホテルのプールサイドでフィジービターを飲んだ後、いつも行くレストランへ。今回のダイビングは11本。合計92本。
02/17(金)18(土)の午後は『エマージェンシー・ファースト・レスポンス Emergency First Response=EFRプログラム』を受講。これはレスキューダイバーのライセンスをとるための準備資格。レスキューまでとってしまうつもりで出掛けたものの、潜りたい欲求に勝てず。
02/14(火)06:45ナンディ着→Beachcomber島
02/13(月)19:00成田→フィジー・ナンディ

02/10(金)13:00秋田(一泊)バス停で迎えてくれた父の恋人は、今年72歳とは思えないほどの若々しさで、やはりたいそうな美人だった。息子さんが建てたというお洒落で可愛くて立派な家に暮らしている。気配り上手なその方から、父の意外なエピソードを聞く。いっぺんにたくさん聞いたので消化が難しいけれど、秋田に行った甲斐があったというもの。書かなくちゃ。

02/07(火)『群像3月号』【エッセイ・テーマ“卒業できない”】『モラトリアム原始人』掲載

02/03(金)19:30過ぎ『潮』K氏来宅

02/01(水)『潮3月号』【書評】『アラミスと呼ばれた女』(宇江佐真理著・潮出版社)掲載


01/31(火)『海馬の助走』の続編『(仮)奔馬が逝った日』、冒頭の100枚締切→昭和時代の資料集めと雑多なエピソードの取捨選択をしながら、ずっと模索していたのだけれど、やっと自分が書くべき重要テーマを見い出した。単なる“ある男の商売成功記”を書くのではつまらない、私が魂を込められるテーマはないのか、と考え抜いた結果、漸く自分の仕事を発見した。これは私以外には書けない、私が書いたなら絶対にうまく行く、という自負さえある。その根拠は、ある女性の存在。その方の人生に自分を投影させることが出来る。真っ暗な闇の中でやっと光を掴んだ。絶対に書き上げる。そして、うまく行く。間違いない。この確信がないと筆を進めることは出来ない。
『海馬〜』の主人公・綜一が青春期から逝去まで(もしかしたら魂だけになった現在も)精神の根っこで抱えたまま決して離さなかった女性(のモデル)にお会いして、50年前からのお話を伺う。その上で、バラバラな風景やエピソードを繋ぐことにする。という訳で、2月中に秋田へ行き、その方にお会いする予定。
 綜一のモデルである父が「自分の代わりに会いに行ってくれ」と切望しているとしか思えない。死んだ後まで娘にまとわりついて、おのが人生記の完結を要求する父の最後の望みと言えるだろう。細部について取材するにも父が亡くなっているので困っていたら、後頭部のあたりから「秋田へ行け」とささやく声が降りた気がした。
 昂揚したこの気持ちを持続させたい、脱稿まで。そして、これを書き終えたら、きちんと成仏して欲しい。死んだ父親にいつまでも張り付かれているのは、娘として、迷惑だから。なんて言いながら、助けてもらっているのだろうな、とも思う。だけどねぇ、死んだ後まで支配されているみたいで、嫌なんだよね。ある意味では「死者のために書く」というデビュー当時からの基本に立ち返ったとも言えるのだけど。そう言えば、『カタカナ三十九字の遺書』の“実際のカタカナ三十九字の遺書”を私に発見させた“狂言自殺の女中さん”も、秋田だったなぁ・・・。

01/30(月)20:00 上記の女性(C子さん)に電話を掛けて面会のお願いをしたら、かなり驚いた御様子でありながら、気さくにたくさんのことを話してくださった。「もう、頭の中が真っ白だ」と仰りながらも「ああ、だから、やっぱり私の人生は面白いなぁ」と呟かれ、さすが父が生涯掛けて愛した女性だ、と思った。愛された経験のある人だからこそ言えるのだ。かっこいい。今年72歳。話し方がかなりお若い。しかも秋田美人(父の屋敷で一度だけお目にかかったことがある)。
「宿命を受け入れて生きるのも才能である」と『潮3月号』(間もなく発売)掲載の書評に書いたけれど、C子さんはまさしくその才能に溢れた方のようだ。勿論、宿命を受け入れないで生きるのも才能だし、それ以前に、受け入れるも、受け入れないも、どちらにしても宿命であるのだけど。(差し詰め、今の私なんかだと、どぉーんと来て、どんどん来て、いくらでも受け入れるから、と両手を広げている状態かも(笑)。)
 遺体と対面していないこともあって「(父が)まだ生きているような気がする」とも仰っていた。未練を残している父のこと、C子さんに自分の死を実感させないようにしているのかも。その父が「いつか(C子さんと父の)ふたりのことを小説に書くんだ」と言っていたらしい。これには吃驚仰天!親父、小説に興味持ってたかなぁ。昔、親父の本箱に入っていたのは山岡荘八『徳川家康』全巻だけだったような。貧乏で本が買えず図書館などで借りて読んでいたのかも知れないけれど、文学の話など私は一度もしていないし。がーん(←古い)私の宿命は親父からの見えない影響を受けていたのか。否、単に親父似だってことか(顔はそっくり。弟が気味悪がるほど似ている、特に目が)。でも、なるほどこれで「俺の人生をおまえの小説のネタにくれてやる」の台詞の根拠がはっきりした訳だ。「小説は小説であって事実ではない」と認識していたのも、このあたりから来ていたのか。いずれにしても、小説にしたいくらいドラマチックなふたりだったということだろう。
 C子さんの御自宅に伺うことになった。わくわくする。親父、背後霊の如くぴったりくっついて同行するんだろうなぁ。秋田は30年振りの大雪のうえ、C子さん曰く「2月の秋田は荒れる」らしいので、飛行機が往復とも無事に発着出来るように、好天のミラクル、よろしく!といったところかな。私は晴れ女なので心配していないけど。(因みに、C子さんの住所や電話番号を教えてくれたのは、母。すべて納得の承諾済み)

01/30(月)『潮4月号』【ずいひつ波音】エッセイ『外国語、雑感』脱稿→送稿

01/20(金)13:00〜24:00 フィジーに同行予定の女の子、急遽、来宅。大学の都合で予定していた日程では行けない、とのことで、航空券、宿泊、その他のキャンセル、問い合わせ、予約をやり直したり、フィジーに電話したり、たいへん面倒な事態になってしまった。そもそもは大学が大事な催しの日程を変更したのが悪くて、女の子も気の毒ではある。否、その変更の掲示を昨年末中に見ていなかった女の子にも非がある。早く知っていたらキャンセル料が発生することもなく、対策を考える時間もあったのだ。冷たい言い方になるけれど、最初から単独で予定をたてるべきだった。旅行にはもう誰も誘わない。同行者の事情や粗忽さ、大袈裟に言えば宿命まで受け入れざるを得なくなる。御免蒙りたい。しかし、一旦は納得して決めたのだ、仕方ない、と自分に言い聞かせつつ、安易に誘った自分への怒りおさまらず。

01/16(月)『群像3月号』【エッセイ・テーマ“卒業できない”】『モラトリアム原始人』→送稿
 テーマがテーマなので近況を絡めて書いたのだけれど、送稿後の“おびえ”たるや、胸が苦しくて息が出来ないくらい。何に、おびえのるか、原因はちゃんとあって、私自身がよく知っている(「あのさー、苛められ過ぎたんだよ、よしよし」なんて頭を撫でてくれる人はいないけど)。絶望感にうちひしがれていたら「面白く読みました」というお返事が来て、安堵のあまりぶるぶる震えながら、涙。書き直して推敲を重ね、練りに練って書き上げて、よかった。プロとして当然の仕事とはいえ。

01/11(水)『潮3月号』【書評】『アラミスと呼ばれた女』(宇江佐真理著・潮出版社)19字×44行→送稿

01/04(水)夜、巣鴨のスッポン料理@三浦屋さんへ。

01/03(火)07:55セブ→13:25成田
01/02(月)バスでマクタン島から2時間以上も掛かるセブ本島の西端、モアルボアルへ行き、2ダイブ。ヨーロピアン御用達のポイントへ来て、漸くリゾート気分になる。とはいえ、透明度ダメ。帰りにシューマートで買い物。でも、レジが遅過ぎて集合時間に20分も遅刻。セブ・パシフィック・リゾートの売店は水やビールが市販の6倍もするので、何が何でも買わなければ、と思ってしまった。初日に買い物が出来るスケジュールではなかったので、ダイビングに必要不可欠な水を異常な価格で買い続けたんだもの。このホテルは食事も酷くて、公立小学校の給食のほうがまだまし。追加料金をとられたヴィラもお粗末。あんなんじゃ、リピーターは少ないだろうと思われ。ホテル経営のダイブ・ショップもポイントによって加算され、モアルボアルは2万円以上もとられた。ホテルの敷地から出たいばかりに、高価なダイビングになってしまった。おまけに、ボート乗り場までの桟橋は延々と長い上、遠浅の海は、午前中、落ちたら嫌だー!と思うような状態。つまんない気分、最後まで払拭出来ず。2度と行くもんか、と思う。年末年始に海外に出たのは初めてだけど、計画と予約は早めにしなきゃダメなのね。出遅れて、そんな場所しか残ってなかったのだから自業自得。今年は絶対にニューヨークへでカウントダウン。
 セブは日本人初心者ダイバー御用達というか、練習用の海になっているらしい。海が可哀想・・・。どんどん破壊されて死んで行く・・・。こんなんで、よくライセンスがとれたなぁ、と思うような日本人ダイバーを何人か見た。中性浮力がとれないのにカメラを持っていて撮影の度にサンゴに掴まる(掴まれたサンゴはその時点で死が始まる)、グローブ禁止の海でもサンゴに掴まる(禁止の意味がわかっていない。サンゴの保護水域ってことなのに)、流れもないのに何かに掴まらないと前へ進めない、フィンで大きな石を蹴飛ばして崖から落とす(石は様々な植物をなぎ倒し、朦々たる土砂を巻き上げて底へ転がり落ちていった)、ガイドが注意しても一人だけ沈み込んで上がって来られない、イソギンチャクの上に座り込んで立ち上がれない・・・。自分が一番下手だと思っていた私としては、吃驚仰天。日本人ダイバーが欧米人(特に豪人)に嫌われて差別されるのも無理ないなぁ。人の振り見て我が振り直せ、じゃないけど、私も気をつけよう。
 それから、日本人中年女性ダイバーがエントリーする際、近くにタンク付きBCなどが置かれた場所に座って背中から下りたため、フィンで蹴飛ばしたのか、BCがゆーっくりと海に落ち、海面に顔を出していたその人の頭にタンクが激突。その瞬間を見てしまった。ガイドの指示通りに安全な縁からジャイアントで飛べばよかったのに・・・。頭から大量の血を流しながらも当人は「平気、平気」と言っていたけど、傍で目撃した者の気分はよくない。気をつけて。ダイビングの愉しさは確実な安全の上にしか成り立たないのだから。ここに書いても仕方ないけど。

01/01(日)カビオラ島まで遠出して2ダイブ。どうってことなしの海。
12/31(土)マクタン島近海で2ダイブ+ヒルトゥガン島近海で1ダイブ。アジアの海ですね、という以外、なんの感慨もなし。大晦日でホテル内はお祭り騒ぎだったけど、ダイバーは早寝早起き。真夜中、爆竹の音で2度も目を覚ます。
12/30(金)14:25成田→18:45セブ(セブ・パシフィック・リゾート)


【2005年の仕事・下半期】


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